第55話 心矢との交流、そして、愛との出会い
“コンコン”
「…誰だ」
「…あの、美幸です。
先ほどはわざわざ起きて来てもらって、すみませんでした。
改めてきちんと自己紹介させて頂きたいのですが……中に入っても良いですか?」
「……入れ」
改めて訪れた心矢の部屋の中からは、先ほどと同じく不機嫌そうな声色の簡素な
返答があった。
“ガチャリ”という音を立てて、ゆっくりと開けた扉の向こうには…腕組みをして
仁王立ちをした心矢の姿があった。
ただ…その体の小ささからか、恐ろしさは全く無く……むしろ可愛らしい。
確か心矢の誕生日は3月半ば…いわゆる“早生まれ”だと真知子が言っていた。
そんな理由もあって、クラスでも一番背が低いらしい…道理で小さいはずだ。
「失礼します。改めまして、私は原田美幸と申します。
名前の方の“美幸”で呼んで頂けると、とても嬉しいです」
部屋に入ってから改めてそう言った美幸に、心矢がその体勢のまま言い放つ。
「お前! 親戚か何か知らないが、この家では俺が先輩だからな!」
あくまで高圧的な態度で接するつもりらしい。
『ふん!』と鼻から息を吐きながら美幸を見返してくる心矢。
だが…本来なら上から見下ろして言いたいのだろうが、美幸の身長が155cm
なのに対して、心矢の身長は110cm前後。
身長差が約45cmもあるせいで、心矢は首を最大まで後ろに反らして話す事態
になってしまっていた…。
そのあまりにも無理やりな姿勢を少々不憫に思った美幸は、心矢の正面の位置に
黙って正座することにする。
相手の目の位置が下がったことで、心矢の首の角度が緩やかな状態に変わり…
そこでやっと、美幸からもその顔がきちんと見えるようになった。
玄関で初めて顔を合わせた時にも感じていたが、幼さを強く感じさせる。
早生まれというのも原因の一つだろうが、顔立ちも迫力のあるタイプではない。
…学校ではクラスメイトに意地悪をされているという話だが、この容姿の雰囲気も
無関係では無いのだろう。
「…な、なんだよ!」
考え事をしていた美幸は、真面目な表情で数秒間、心矢を眺めていた。
だが、無言で座ってから一言も発しないその様子に、強い不安を覚えた心矢は、
思わず虚勢を張る。
そして、美幸はそんな心矢の瞳から不安と怯えを感じ取った。
その尊大な態度とは裏腹に、初めて会った美幸にどう接して良いのかが分からない
心矢は、その反応が気になって仕方ないらしい。
このまま自分が無言で居ると、ますます不安がってしまうかもしれないと考えた
美幸は、とりあえず簡単な質問からしてみることにした。
「ええっと、先輩ということですが…具体的に私はどうすれば良いのでしょう?」
「それは……と、とりあえず! 今からお前は俺の子分だ!」
「……子分…」
その台詞を聞いて、美幸は笑いそうになるのをなんとか堪えた。
自分が“子分”なら心矢は“親分”ということになる。
『俺が先輩だ』というなら、ここは美幸を“後輩”というべきところだろうに…。
…まぁ、恐らくは『自分の方が格上だ』ということを言いたかっただけで、結局は
その辺りは何でも構わないのだろう。
ここで笑ってしまうと更に心矢の機嫌を損ねてしまうだろうと堪えたが、必死に
偉ぶろうとする姿は、どんな態度だろうとやはり微笑ましく感じる。
…なるほど、美咲達が自分を見ている時は、こんな感覚なのだろう。
「子分は何でも言うことをきかなきゃいけないんだぞ!」
「クスッ…では、心矢さん。具体的に、私はどうすれば良いでしょう?」
この様子だと“君”呼びより“さん”呼びのほうが良いのだろうと考えた美幸は、
今はとりあえず『心矢さん』と呼ぶことにした。
「…え…あ……ぅ……」
まさに“にっこり”という擬音そのままの笑顔を浮かべた美幸に名前を呼ばれた
心矢は、照れから不意に言葉が出なくなってしまった。
そして…そんな心矢の反応を見て、美幸の方はすぐにその心情を読み取る。
先ほどの真知子の『すぐに分かるようになる』と言う意味が分かった気がした。
…なるほど、とても分かりやすい。
「そうですね…。それでは…まずは朝食をご用意致しますね?」
「……あ、ご…ご苦労! 褒めてつかわす!」
美幸の声になんとか言葉を返した心矢だったが、咄嗟に返したその台詞は今度は
時代劇のお奉行様のようになってしまっていた。
…まだきちんと美幸に対しての接し方が定まっていないのだろう。
「はい。仰せつかりました」
そんな心矢に合わせて仰々しい言い回しで答え返した美幸は、台所に向かうため
に心矢の部屋を後にする。
だが、部屋を出た直後、室内からは『はぁ~…』という深い溜め息が聞こえた。
見て分かるレベルだったが…やはり心矢は相当緊張していたらしい。
それにしても…友人になるはずが、開始早々に子分扱いになってしまった…。
階段を下りながら『さて、どうしましょうか?』と、今後の展開を色々と真剣に
考えようとする美幸。
…だが、そこで不意に真知子の『適当で』という言葉を思い出した。
そして今の自分を客観的に見て、思わずクスリと笑ってしまった。
また、いつの間にか状況を深刻に捉えそうになっていたからだ。
それに気付いた美幸は『まだ始まったばかりですし、のんびりと行きましょう。
暫くは“ごっこ遊び”の気分で心矢に合わせてあげるのも良いかもしれません』と、
頭を切り替えることにした。
今は今後の展開よりも、心矢の緊張が無くなるまで慣れてもらう方が先決だ。
こちらが気合を入れ過ぎるのもかえって良くないだろう。
しかし、開始前は“引きこもり”というその言葉から、陰鬱な雰囲気で、まともに
会話もままならないような状態である可能性も想像していただけに、まずそういう
心配はいらなそうだったのはありがたかった。
…とりあえず、ある程度仲良くなれたら、改めて『友達になりたいです』と正直に
正面から言ってみよう。
それで駄目なら……それはそれで、またその時に考えれば良い。
…それに、案外『しょうがないな!』と簡単に了承してくれるかもしれない。
何事にも真面目な美月の思考性の影響だろうか。
いつも深く考え過ぎてしまうところがある美幸だったが、今の行動指針は酷く行き
当たりばったりなものだ。
しかし、これはこれで心に余裕が出来る分、意外と効率が良いのかもしれない。
きっと美咲ならこういうバランス調節が上手いのだろうな…などとそんなことを
考えながら、美幸は階段を下りていった。
“ピンポーン”
ちょうど美幸が冷蔵庫内の食材を確認していた、その時。
インターホンの音が聞こえてくる。
備え付けのカメラで外の様子を確認すると、そこには小さな影が映っていた。
その顔には見覚えがある…真知子に聞かされていた『斉藤愛ちゃん』だ。
「あ、は~い。少々お待ちください」
美幸は朝食を作るのを一旦後回しにして、愛の応対を優先するため少し早歩きで
玄関へ向かった。
愛は心矢のことが大好きだった。
なぜ好きなのか? と聞かれると…理由は自分でもよく分からない。
ただ、何かある度に必死になって虚勢を張っている様子が妙に可愛らしいのと、
いじめっ子が相手でもそんな態度をとってしまって、更にいじめられてしまう心矢
のことを、どこか放って置けなかった…というのもある。
これで同じクラスなら傍について守ってあげられたのだろうけれど…残念ながら
愛は隣のクラスになってしまった。
結局、そのイジメが原因で休みがちになってしまった心矢に責任を感じた愛は、
今は様子を窺うために心矢の家を毎朝こうして訪れるのが日課になっている。
学校に行く日は一緒に登校し、行かない日なら少しの時間だが雑談する…という
のがいつもの愛の行動パターンだった。
そして、今日もいつものようにインターホンを鳴らす。すると―――
『あ、は~い。少々お待ちください』
と、いう涼やかな響きの…聞き覚えのない声が扉の向こうから聞こえてきた。
その声に『あれっ?』と思った愛は、慌てて確認のために表札を見る。
しかし、やはりそこには当然ながら“乾”の文字。…うん、間違ってない。
そんなことを考えている間に、“ガチャッ”という音を立てて鍵が開けられ、屋内
からおばさん…ではなく、若い女性が出てくる。
「おはようございます。
ええっと、斉藤愛さん…ですよね? 真知子叔母さんから伺っています」
「え……あの…」
予想外の出来事に、愛は言葉が出てこない。
それにしても綺麗な人だった…今までに見たことが無いくらいに。
こんな人なら、一度会えば絶対に忘れられないだろう。
…だから、まず間違いなく今日初めて見たはずだ。
でも、だからこそ不思議だった。
慣れ親しんだ心矢の家の中から、突然、初対面の綺麗な女性が当たり前のように
応対に出てきたのだから。
「あ、すみません。そうでしたね…。まずは自己紹介をさせて頂きますね?」
「え? あ、はい…」
呆然としながらも、なんとか愛は美幸に返事をする。
容姿の印象よりも、随分と明るい…和やかな反応が印象的だった。
呆然としていた愛に対して、はっとした顔をして、すまなさそうにして、今度は
明るい雰囲気に…と、表情が短時間にころころと変わる。
ただ、総じてとても優しそうな雰囲気の人だった。
「私は原田美幸と申しまして、乾真知子さんの姪…つまり、親戚にあたります。
実は今日から暫くの間、こちらで過ごさせて頂くことになりまして…。
どうぞよろしくお願い致します。ええっと…とりあえず、中へどうぞ?」
『外で話すのも何ですから…』と、美幸に促されるままに中に入る愛。
普段なら、真知子への挨拶もそこそこに、心矢の部屋に突撃していくのだが…。
今日はどうしても目の前の人物が気になった。
「あの……原田…さん? 質問しても、良いですか?」
「え? あ、はい。構いませんよ?」
玄関を上がったところで、心矢の部屋に案内してくれようとしていたのだろう。
階段に向かっていた美幸は、声に反応して愛の方へ振り返ると、そう返してきた。
丁寧な対応と爽やかな笑顔が、とても眩しい。
「親戚って…よくここには来るんですか? 私、会ったことないですよね?」
使い慣れない敬語を意識しながら、愛が慎重に尋ねる。まずは第一段階。
「あ、はい。そうですね。今日、初めて遊びに来たんです」
「そうですか…。それで…どれくらいここに居るんですか?」
返答を聞き逃すまいと真剣な目をして、続けて尋ねる。第二段階。
「ええっと、2ヶ月間ですね。この6、7月です」
…想像以上に長かった。
その期間を聞いて驚いた愛だったが、ここで質問を止めるわけにはいかない。
…まだ、最後に重要な質問が残っている。第三段階だ。
「…それで、今後もこの家にはよく来る予定なんですか?」
「ぁ……ふふっ…いいえ。私、8月には海外に留学する予定なんです。
今回はこの国を離れる前に一度くらいは…ということで遊びに来ているだけなので
留学後はこちらに滞在する予定は無いですよ」
「あ……そうなんですか……」
美幸の言葉を聞いて、とりあえずは安心する愛。
2ヶ月という長期間の滞在に関しては多少は気になるものの、今後は海外へ行くと
いうのなら、大丈夫だろう。
…それなら、心矢を取られる心配は無いはずだ。
そこでホッとした愛は、ふと気付いた。
自分はまだ、美幸に一方的に質問することしかしていない。
…そして、美幸には丁寧に名乗ってもらったにもかかわらず、自分は碌に自己紹介
すらしていなかったということにも。
「あ…あの、私は心矢君の友達の斉藤愛です。よろしくお願いしますっ!」
慌てた様子でそう言う愛に、美幸は『はい。こちらこそよろしくお願いします』
と、微笑ましそうな表情で答え返した。




