第53話 はじめての立案者(大失敗編)
ゴールデンウィークから一週間ほど経った、5月の半ば。
所長室には原田AI研究分室の面々と、真知子の姿があった。
「それじゃ、これから今回の試験の詳細を説明します。
みんな、準備は出来てるかな?」
美咲はいつもより比較的、軽い口調で会議の開始を宣言した。
「は、はい! よ、よろしくお願いします!」
初めて自分で手掛けたプロジェクトが採用された新入社員の気分……といった所
だろうか?
美幸はかなり緊張した様子で、その声に答え返した。
「えーっと……美幸? そんなに緊張しなくても、大丈夫だよ?
会議と言っても、メンバーはいつもとそれほど変わらないんだから」
「はい! よろしくお願いします!」
「………まぁ、良いか」
一向にリラックスする様子のない美幸は一旦置いておくことにして……。
先ずは今回の決定した試験内容の説明を開始することにした美咲。
…最悪、美幸にはもう一度後で打ち合わせすることにしよう……と思いつつ。
「今回の試験では、いつもとは違う点がいくつかあります。
第一に、今回の試験に際しては、美幸に対して護衛を一切付けられません」
「えっ? それは本当ですか? 姉さん」
「うん。これは上……国からのお達しでね。
ほら、ボディがまだ未完成だから、具体的なことはまだまだ先らしいんだけどさ。
そろそろ正式な製品化に向けて、AIの最終確認をしたいってことらしい。
以前のように美幸の周辺をガチガチに護衛する体制にするんじゃなく、単体で試験
することで、実際の実用性を検証してみたいそうなんだ」
美咲の話によると、新型のボディの生産に目処が立ったらしく、それが完成した
段階で、なるべく早く美幸のAIシステムをベースに『心を持つアンドロイド』と
して公式に発表するよう画策しているらしい。
そういった背景を考えれば、この時期の試験でこういう要請をされるのは、ある
意味で当たり前のことだとも言える。
完全な単独での活動の確認をしていない状態のアンドロイドを、商品として世に
出すわけにはいかないからだ。
「なるほど……事情はわかりました。それでは、チーフ。
今回、僕達はどの程度まで美幸にかかわれる予定なんでしょうか?」
「………全くかかわれない。
今回の試験に関しては、その判断・行動は全て美幸に委ねられることになる」
「…!? ええっ!?
それでは……美幸ちゃんを完全にほったらかしにする……ってことですか!?」
前回の試験の会議とは違って、鬼気迫るような勢いではなく、どちらかというと
初めてのお使いに向かう子供を送り出す心配性の親のような……。
そんな、何処かオロオロした雰囲気すら漂わせた美月が、そう美咲に確認を
とる。
「いいや。
流石にそれじゃ、略取等の可能性を考えると危険過ぎるからね……。
試験場所に配置したら後は完全に放置ってわけじゃないよ?
でも、限りなくそれに近い状況にはする……って感じかな」
「…具体的には、どうなるんですか?」
「以前、佐藤運輸の時にしていたように美幸の視覚、及び聴覚の情報を受信し、
それをモニタリングして監視する形になる。
…但し、今回の監視は美幸の傍ではなく、この研究室で行う予定だ。
そして、略取や破壊というような致命的な危険が美幸の身に迫っていない限り、
基本的には何があっても、こちらからは動けない決まりだよ。
後は、今回もアンドロイドとバレないように、軽く変装はさせるつもりだけど、
その行動や移動可能な範囲の制限は特に設定しない」
「…万が一、美幸ちゃんの身に略取などの状況が発生した場合の対応は?」
「その場合は……不本意ながら、こちらが後手に回る事になるかな。
GPS等を利用して美幸の現在位置を調べて、それを追跡することになる」
「当然、その対策も取ってあるんですよね?」
「勿論だ。流石にその辺りに抜かりはないよ。
移動範囲を制限しないとは言っても、今回はほとんどの時間を真知子さんの自宅
である乾家で過ごす可能性が高くなってるからね。
そこを中心に、超広範囲での包囲網を予め布いておくことにはなってる。
仮に美幸が攫われても、すぐに非常線を張れるように準備はしておくのさ。
だから、決して包囲網の外にまでは逃さないよう、万全の対策をする予定だよ」
「そうですか……。それなら、良かった」
美咲の詳細な説明を聞いた美月は、とりあえず納得する。
不安要素が全く無いとまでは言えないが、出来うる範囲ではちゃんと守る準備
を整えてあることは確認出来たからだ。
どんな試験だろうとも危険が全く無いというのは難しいことくらいは理解して
いるつもりだ……今はそれで十分だろう。
「あの、チーフ?
先ほどは『かかわれない』って、おっしゃっていましたけど……。
それは厳密にはどの程度なのでしょうか?」
隆幸のその質問を聞いた美咲は、ここで初めて微妙に不満げな顔を作る。
…どうやら、今から口にする内容は、美咲にとっても歓迎出来ないことらしい。
「…最低限だよ。
要はこの研究所で開発された『他のアンドロイドと同じ扱い』になる。
つまり、試験が終わるまで美幸は定期メンテナンス以外で研究所を訪れないし、
当然の事ながら、我々原田AI研究分室のメンバーと会う機会も無い」
「ええっと……それはつまり、我々はこの試験が終了するまでの間、一度も美幸
とは会えない可能性が極めて高い……という解釈で良いでしょうか?」
「ああ、そうだ。
それが2つ目の、いつもと違う点だね。
通常、アンドロイドが開発者を家族と認識しているなんてことは無いだろう?
当然、試験が終わるまでは日常会話ですら、まともにする機会は無いだろうよ」
渋い顔のままの美咲は、『心底、気が進まない』という感情を隠そうともせずに
そう説明した。
しかし、ここまで無言で聞いていた所長の洋一が、寂しそうに美咲に訴える。
「そ、それは……何というか、その……非常に、寂しいものだね。
私だけは所長の権限で、何とかならないものなのかね?」
…可愛がっていた孫を、取り上げられたような気分なのだろう。
その拗ねたような表情は、少し可愛げすらあるほどに子供っぽかった。
今回の試験の準備が速度重視で進められていた為に、この会議は所長である洋一
ですら、この決定は初耳……というより、報告も兼ねている状態だった。
…それ故に、この決定は洋一にとっても寝耳に水だったのだ。
「ええ、駄目です。
…というか、私達も我慢するんですよ? ここは潔く諦めて下さい」
「………ぐっ……むぅぅ……」
美咲としても断腸の思いなのだろう。
洋一に対する返答は、必要以上に簡潔、且つ冷たいものだった……。
…そして、そんな洋一に続くようにして、こちらも今まで黙って聞いていた真知子
が、美咲に質問してくる。
「それじゃあ、私以外は美幸ちゃんと接触すら出来ないってこと?」
「ああ……いいえ。
そこがまさに、今回の試験の最も変わった点というか……。
個人的な友人扱いである『富吉遥』『山本莉緒』『夏目由利子』……以上の3名
に関しては、美幸の自発的な意思によって連絡する分には、全面的に構わないと
いうことになっているんですよ」
「…え? ああ、それは別に良いんだ?」
「ええ。今回は『心を持ったアンドロイド』の試用実験ですからね。
これは“実に人間らしい行動だ”として、正式に認められているんです」
「え? それなら、どうして美咲ちゃん達はNGなの?
家族との時間も、立派な“人間らしい部分”なんじゃないの?」
「それは……私達が家族であると同時に、直接の開発者であるのが理由です。
これが、本当にただの家族というだけならOKだったのですが……」
「…ああ、そっか。なるほど、そういう解釈なのね」
確かに美咲の言う理由は尤もだった。
仮に今後、アンドロイドが当たり前に一般家庭に存在する時代が来た場合。
家族として一緒に暮らしているアンドロイドが、何か悩みを抱える度に家族や個人
的な友人より、真っ先に開発者に相談してしまうのは……やはり駄目だろう。
開発者とは『自分を生み出した存在』ではあっても、『真っ先に頼る相手』では
いけないのだ。
それは、そのアンドロイドの家族であったり、通常の生活を送る上で接する相手
であるべきだろう。
…そして、今回の試験において家族となるのは、美咲達ではなく――
「…ですから、真知子さん。
真知子さんも、この試験の間は開発者の一人としての感覚は無くして下さい。
今回の試験で、美幸は『真知子さんの姪っ子』という設定で試験を実施する予定に
なっています。
つまり……しばらくの間は、美幸をただの姪っ子として扱って下さい。
…まあ、流石に定期メンテナンスを行っている間は、例外なんですが」
「…ええ。わかったわ、美咲ちゃん。
完全には難しいかもしれないけれど、意識するよう努力してみる」
美咲のその説明を受けて、頭の中で数秒間かけて反芻して刷り込ませた真知子は
真剣な表情で頷いて返した。
真知子も研究者としてはプロだ。
口ではそう言っていても、試験が始まればその辺りは上手くやるだろう。
…そして、そんなやり取りを聞いていた(こちらもプロのはずの)洋一は、美咲に
恐る恐る尋ねる。
「あの~……美咲ちゃん?
由利子に会いにきたところに、私が帰宅してきた場合は……どうだろう?
そういう偶然が重なった時に、世間話をするぐらいは……良いのかね?」
「そんなの……絶対に駄目に決まっているでしょう?
つい先ほど言いましたよね? 『監視はこの研究室で行う』と。
…それなのに、有事の際の最終判断をするはずの最高責任者が、妻の友人が自宅に
来たという理由で、何故早退するんでしょうかね?
乾家と夏目家との行き来の移動途中に、美幸に何かあったら大変でしょうが。
…何より、個人的に抜け駆けされている気がするので……絶対に却下!」
一縷の望みに縋るような……そんな目をした洋一を前に、しかし、美咲は先ほど
と同じように、ピシャリと言ってその提案を退けた。
…当然、洋一は若干どころではないレベルで落ち込む羽目になったが。
「ええっと……実施期間は6、7月の2ヶ月間の予定。
真知子さんの報告では、息子の心矢君は完全な引きこもりではないらしく、数日に
一回のペースではあるものの、通学を続けているとのこと。
従って、対象が通学する日には、帰宅予定の時間までは基本的に自由行動。
通学しない日には、なるべく傍でコミュニケーションを取る予定です。
…さて、皆さん? ここまでで、何か質問は?」
そう美咲は全員に呼びかけたが……特に新たな質問が出ることも無かった。
それはそうだろう。
美幸がこれ以上無いほど緊張している様子だったので、美咲はかなり砕けた態度で
今日の会議を進めていた。
その結果、今日は説明の途中でも、各々が好き勝手に質問してきていたし、その
都度それに答えてきたのだから、今更もう質問も何も無い。
「ええっと……美幸?
ずっと黙ってたけど……美幸は何か質問は無い?」
「はい。よろしくお願いします!」
「………美幸ちゃん。
初めての会議に緊張し過ぎて、会議の始まる前からずっと同じ言葉しか言ってない
ですね……」
「うん…………ダメだね、これは」
これまで色々な試験を経て、美幸も少しずつしっかりしてきた印象を持ってきて
いたのだが……まだ(内容が自分の試験とはいえ)企画の発案者として一緒に会議
に参加させるのは、どうやら早かったらしい。
…結局、その場は美幸を美咲に任せて、そのほかの者は解散となった。
唯一の救いは、美幸はアンドロイドのため、後から会議の音声データを参照でも
させれば良いだけなので、2度目の解説をする手間はかからないということくらい
だった……。




