第6話 3月3日
『個体識別コード:MI-STY』
『自己診断機能:異常ナシ』
『起動準備:完了』
頭の中で流れたその文字列を眺めながら、私はゆっくりと目を開けました。
(んっ……眩しい……?)
即座に眼球パーツが反応してキュイキュイと微音を発しながら自動的に視覚機能
を最適な状態に調整していきます。
「お~い、お姫様~。お目覚めの時間ですよ~」
私の視界に最初に目に入ってきたのは、ショートカットの女性でした。
「おはようございます。
わたしは個体識別コード『MI‐STY』です。
それと……お姫様ではありません」
「あははっ、私達にとっては立派にお姫様だよ。
あと、君の名前は『ミユキ』だ。これはとても大事なことだから忘れないように」
「はい。『ミユキ』ですか……それは、どのような字で表されるのでしょうか?」
「『美しい』に『幸せ』と書いて『美幸』だ。
繰り返しになるけれど、大切なことだからちゃんと覚えておいてくれよ?」
「『美幸』ですね。
はい、確かに覚えました。マスター」
そう私が返すと、目の前のショートカットの女性は少し驚いた様子を見せた後、
穏やかに笑って――
「『マスター』っていうのはちょっと堅苦しいなぁ……。
私はね、原田美咲っていうんだ。
だから、下の名前の『美咲』で呼んでくれるかな。
…あと、もう少しだけ砕けた話し方でお願いするよ」
…と、少し困ったような様子で答えてくれました。
「…わかりました。
それでは『美咲さん』と、呼ばせて頂きますね?」
そう答えつつ見上げた美咲さんの優しそうな微笑みに、私もつられて笑みが自然
と零れます。
すると、私のその返答の直後、『おおっ!』という複数人の声と共に、急に室内
がざわざわし始めました。
「これは……凄いですね」
今度は美咲さんとは反対側の至近距離から、男性の声が聞こえてきます。
私が首を傾げるようにしてそちらを見ると、今度は2人の男女が寄り添うように
立って、こちらを見ていました。
彼らは少し驚いてはいるものの、表情は美咲さんと同じように、穏やかに笑って
くれています。
「凄い……ですか? 何か、ありましたでしょうか?」
何が凄いのかは分かりませんが、美幸さんを含めた手前の3人以外の周囲の人達
も一様に私を見て驚いているようです。
先ほどから室内がざわざわしている原因はどうやら私にあるようでしたが……。
私にはその理由が判らず、思わず視線をあちこちに彷徨わせてしまいました。
…何か不手際でもあったのでしょうか?
まだ僅かしかない記憶を探ってみても、やはり理由は特定出来ず……。
手足が無意識に縮こまり、硬直してしまいます。
「…あぁ、ゴメンね、驚かせてしまったかな?」
「あ……いえ、私は大丈夫です」
穏かな声で謝ってくれたその言葉に、私が少し遅れて返事を返すと、その男性は
背筋を伸ばし、佇まいを正して――
「僕は高槻隆幸だよ。よろしくね」
…と、自己紹介をしてくれました。
「はい。『高槻隆幸さん』ですね? 宜しくお願い致します」
私がそう返すと、高槻隆幸さんはその優しそうな笑顔のまま、次に隣の女性の方
を見つめて――
「…それから、隣のこの子が高槻美月、僕の……奥さんだよ」
…と、続けて紹介してくれました。
「ふふっ、高槻美月といいます。
これから宜しくお願いしますね? 美幸ちゃん」
高槻隆幸さんに紹介された、その高槻美月さんも、同じく優しそうな微笑みで
私を見つめては、そう挨拶してきてくれました。
先ほどまで、周囲のざわめきにどう対処すべきか解決策を探していた私でしたが
この場の全員の私を見る目が、徐々に穏やかになっていきます。
…そして、気が付けば先程までの手足の硬直もなくなっていました。
ホッとした私は、その『高槻美月さん』の挨拶のお返事をすべく口を開きます。
ですが、私が言葉を返そうとした――まさにその時でした。
「はい、こちらこそよろし――」
『フゥーーッ!』(ブーーーッ!)
何故か急に周囲の人達が、再び騒ぎ始めてしまったのです。
私はその騒がしさに“ビクッ”っと驚いて、再び縮こまってしまいました。
…私は、また無意識に何かしてしまったのでしょうか?
「………?」
ですが、恐る恐る周囲を確認してみると、今回は皆さんが注目しているのは自分
ではなく、どうやら高槻夫婦のようでした。
しかし、いきなりお祭でも始まったようなその騒ぎの意味までは判らず、やはり
私は再び硬直してしまいます。
「あははは………騒がしくて、ゴメンね? 驚いたでしょ?
いやー、実はさ……こいつら、今日入籍したばっかりでね」
美咲さんが私に小さく耳打ちして、その理由を教えてくれます。
そういえば、よく見ると皆さんはクラッカーを鳴らしたりしながら、高槻夫妻
を囃し立てていました。
ここに居る皆さん、お二人の入籍がよほど嬉しいのか……全員が笑顔でした。
「コラーッ! ちょっと静まれ、馬鹿共ー!!
あと、さっきドサクサに紛れて『ブーーーッ』って言ってた奴が居ただろ!
私の可愛い妹と義弟の結婚にブーイングとは、一体どういう了見だ!!」
そんな騒ぎの中で美咲さんが周囲に負けないくらいの大声で叫んでいましたが、
それでもなかなか収まらず……その後数分間、その騒ぎは続きました。
「…改めまして、宜しくお願い致します」
私は周囲の喧騒が収まってきたところで、改めて高槻美月さんに挨拶をしました。
「ええ。私の方こそ、改めて宜しくお願いしますね。
それから、私達のことも姉さんと同じく名前で呼んでくれると嬉しいです」
「はい、わかりました。『美月さん』」
私がそう答えると、まだ少し恥ずかしそうな様子で、美月さんは優しく微笑んで
くれます。
「美月さんは、美咲さんと姉妹の間柄でいらっしゃったのですね」
先程、美咲さんが『私の妹』とおっしゃっていたので、私は騒ぎの間に念の為に
自分のデータ内の情報を参照して、確認しておいたのです。
すると、美咲さん、美月さん、隆幸さんの互いの関係性と共に、この3人が私の
マスターとして既に登録されていました。
ただ、通常は複数人のマスター登録がある場合は、更にその中の優先順位が設定
されているものなのですが……。
私の場合、完全にこの3人が対等な権限になってしまっていたので確認してから
少し不思議に思っていたのです。
…しかし、どうやらその理由は、“ごく近い血縁者とその配偶者だったから”という
ことのようです。
「私からも、ご結婚おめでとうございます」
私は、私のマスター同士の吉事に、簡単なお祝いの言葉を伝えます。
「…あ……え、ええ。
その……あ、ありがとう……ござい、ます……ぐすっ……」
「…え? あ、あのっ……!」
…すると、美月さんがうっすらと涙を浮かべて静かに泣き始めてしまい……。
私は一瞬、どうして良いのか解らなくなりました。
ですが、すぐにそれが『嬉し泣き』というものであると美咲さんから教えられた
ため、ひとまずは安心します。
「ありがとう。
君から祝ってもらうのは、この二人にとっては夢の1つでもあったんだ。
目覚めてすぐに幸せをくれるなんて、『美幸』って名付けてホントに良かったよ。
本当に……ありがとうね」
少し目を赤くした美咲さんが、私の耳元でそう言って頭を撫でてくれます。
「美咲さんも、おめでとうございます。
私のマスターの皆さんが、今日から3人とも家族になられるんですね」
私がそう言って、美咲さんを見上げると――
「ふふっ、何を言ってるんだ?
君だって今日から家族になるんだから……今日から4人だよ」
そう楽しそうに笑って、私に言ってくれたのです。
『私も家族だ』……その言葉に、また自然と笑みが零れます。
先ほどから不思議ではあったのです。
どれだけデータの参照をしてみても、マスター登録自体は既になされているのに、
肝心のマスターの権限が何も登録されていませんでした。
つまり、これは『特別な間柄ではあるが、私達は対等の関係なんだよ』という、
美咲さんからの、隠されたメッセージだったのです。
その言葉がとても温かくて、私は自然と涙が流れてきました。
そして、これが先ほど教わったばかりの“嬉し泣き”なのだと、美咲さんが教えて
くれます。
私は自らの登録データにアクセスして、4人目のマスターとして『美幸』を登録
し直します。
…これで本当に、マスター3人と自分とが対等になりました。
どうやら、私は本当に良いマスター……いえ、家族に恵まれたようです。
「お? 喜んでくれてるのかい? 嬉しいね。
良いかい? それが『嬉しい』って感情だ。しっかり覚えておきなよ?」
「はい、覚えました。絶対に忘れません」
「うん。君はいい子だね。
家族っていうのはね、喧嘩することもあるけれど、何があっても必ず大事なところ
では味方でいてくれるし、信じてくれる……そういう凄いものなんだ。
…だから、私達はいつも君の味方で、君のことを信じるからね」
美咲さんは軽い口調で、でもとても真剣な目でそう教えてくれました。
それが、美咲さんの思う『家族』。
データベースで調べて出てくる“家族”ではなく、美咲さんが思う、美咲さんに
とっての“家族”の意味。
私はこの温かい掌の持ち主の家族として生まれてこれたということを『嬉しく』
思いました。
「…ああ、それとね?
美月達の入籍の騒ぎで少し遅れちゃったけれど……。
本来は、今日はこっちが君に『おめでとう』って言う方なんだよ?」
そう言うと、後ろに一歩下がって、ついさっき隆幸さんがしていたように佇まい
を正してから、今日見たどの人の、どの笑顔より『嬉しそう』にして――
美咲さんは……私にこう言ってくれたのです。
「美幸……お誕生日、おめでとう。今日から今日が、君の誕生日だよ!」