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閑話 その3 誓いと約束と

 トラブル続きの結婚式もいよいよ終盤。

無事に真知子の手元に届いた指輪は、窓からの光を反射して輝いていた。


「……ふぅ。それでは、指輪の交換を…」


 普通に考えれば、このタイミングで溜め息などありえないだろう。

だが、美咲の乱入に洋一の悪あがきと、立て続けに進行を妨害された真知子のその

心労から来る溜め息に対して、文句を言おうとする者は居なかった。


…まぁ、当たり前なのだが。


 由利子などはそれを含めての“身内のみの結婚式だ”と思っているのか、今も現状

を楽しんでいる様子だったが……。


…普段から真面目で冷静な人種である遥は、真知子に同情の眼差しを送っていた。

間違いなく、本日一番の苦労人は真知子だろう。


                  ・

                  ・

                  ・


「はい」


 真知子から指輪を受け取り、美月の左手を取ってその薬指に指輪をめる隆幸。

思い返せば、美月との入籍を先に済ませてからのこの一年、色々なことがあった。


 美月の向こう側、紫のドレスに身を包んだ美幸の姿が…チラリと見える。


 ちょうど一年前の今日、美幸は目覚めた。

史上初めて人間と全く同じ心を持つアンドロイドであり、隆幸と美月と美咲…3人

の娘として、多くの研究所の所員達に見守られながら。


 あの日は起動予定に間に合わせるために、2人は急いで入籍を済ませた。

そうして急いで戻った研究所で、美幸を起動した直後に冷やかしてきた同僚の声を

聞いて、遅れて実感が沸いてきた隆幸は、急に気恥ずかしくなったものだった。


 あの日の美幸は、まだ起動して間もない状態で、隆幸達のことをデータ上の情報

しか知らなかったはずだ。


 にもかかわらず、自分達が夫婦になったことを知ると、真っ先に祝福してくれた

のは心から嬉しかった。

 あの時の記憶は、隆幸にとって本当に大切な思い出だ。


…隆幸はアンドロイドからの家族愛を求めて研究員を志した。


 そして、その過程で美月と出会い、恋人としての愛情を育み、心から信じること

の出来る愛情を予想とは違った形で得ることが出来た。


 美幸が目覚めるまでに、隆幸の追い求めた“自らに向けられる真の愛情”は美月に

よって、一足先に与えられることとなったのだ。


 しかし、美幸という存在が居なければ、恐らく今、こうして美月の隣には立てて

いなかっただろう…。


 美月との出会いも、共有した時間にも、全てに“心を持つアンドロイドの開発”と

いうプロジェクトが中心にあった。


…そういう意味では美幸は娘ということだけでなく、自分達にとってキューピッド

のような存在でもあるわけだ。


 あの日。

美幸が美咲の『今日から家族』という言葉を耳にして涙を流して喜んでくれた…

あの瞬間。


…きっとあの瞬間に、隆幸がかつて求めていた“家族愛”も、美幸という存在の誕生

によってもたらされたのだろう。


 そう考えれば…一年前のあの日に、隆幸は生涯の伴侶からの心から愛情と、家族

からの真っ直ぐな愛情という、一度は諦めかけた2つの愛情をほぼ同時に得られて

いたことになる。


 美月の指に輝く指輪を見つめながら、隆幸は美月と美幸…2人の大切な家族に、

心から感謝したのだった。


                  ・

                  ・

                  ・


 自らの薬指で輝く指輪を見て、感動に浸る美月。

真知子から指輪を受け取り、今度は自分が隆幸の左手の薬指へ…それを嵌める。


 数ヶ月前、美咲に聞かされた隆幸の半生は、美月にとって衝撃的なものだった。

そして、美月は改めて、自分がいかに周囲に守られていたのかを実感したのだ。


 家族内に味方が居ないというのは、一体どういう気持ちなのだろう?

それは、美月には想像もつかない…過酷な環境だ。


 隆幸がそれを美月に話そうとしなかったのは、心を痛めるだろうことが分かって

いたからだ。


 後日、美咲からその過去の話を聞いたと本人に伝えたところ、隆幸は――


『まぁ、基本的に他人の暗い過去の話なんて、聞いてもつまらないだろうし…。

僕は美月と話をするなら、君が笑顔になれる話をしたかったんだよ』


と、何でもないことのように言っていた。


 美月は隆幸と親しく話すようになってからは、何か美咲達…家族には言い辛い

悩みが出来る度に打ち明けては、助言を求めたり、慰めてもらったりしていた。


…しかし、振り返って考えてみれば、その逆はどれほどあっただろう?


 思い返せば、自分はずっと周囲に守ってもらっていたように思う。

親代わりの夏目夫婦や姉である美咲は勿論のこと、目の前の隆幸にも…だ。

…直接的なことだけではなく、影からそっと気付かれないような部分まで。


 そして…いつも自分は、それに後になってから気付くのだ。


 つい先日の姉妹喧嘩の時の隆幸もそうだった。

立場的に言えば美咲の意見を支持するのが当たり前で、いかに夫婦といえども誰の

意見をとするかは別問題だろう。


 確かに、あの時は隆幸が美月の味方をする理由には一応の筋は通っていた。

だが…今になって思えば、あれはあくまでも“そうも解釈出来る”程度の話だった。


 もし、あの時…隆幸も美咲達を支持していたら、どうだっただろうか?


…きっと、美月は味方が誰も居ないという事実に耐えられず、一人で思い悩んで

塞ぎ込んでしまっていたことだろう。


 それが予想出来ていたから、無条件で美月の味方になったのではないだろうか?

夫婦だからという理由だけではなく、かつての自分のように家族の中で一人きりに

なってしまわないように…。


 何となくそれに気付けたのは、全てが円満に解決して落ち着いた後だった。

冷静に考えられる状況になって、やっとそこまで思考が及んだのだ。


 そして、美咲もそういう展開になることが予想出来たからこそ、安心して自分を

突き放すことが出来たのだろうし、そんな隆幸だからこそ、姉として妹を託せたの

だろう…。


 薬指に輝く指輪から視線を上げて、隆幸の顔を見つめる。

今日もそこには、いつも通りににこやかな笑顔があった。


…目の前の夫は、いつもこの笑顔で全てを覆い隠してしまう。

この人は今までどれだけのことをこの笑顔で隠し、そして…その影で自分を守って

くれていたのだろうか。


 自分には、彼のように相手の感情を事細かに読み取るような特殊な技術はない。

しかし、心を見通すことは難しくても、状況から察して推し量るくらいなら出来る

かもしれない。


 夫婦とは支えあうものだ。

いつまでも守られるだけではいられない。

だからこそ、これからは自分も…いつかは彼を守れるようにならなければ。


 永遠の愛は勿論だが、その上で美月は胸を張って隆幸の妻であると言える自分に

なることを、静かに…その指輪に誓った。

 

                  ・

                  ・

                  ・


「それでは、誓いのキスを」


 隆幸がヴェールをあげると、すぅ…っと、一筋の涙が美月の頬を伝う。

その涙を見て、隆幸は改めて『今日、結婚式を開いて良かった』と実感した。


 隆幸がクリスマスプレゼントにウェディングドレスを選んだのには2つの理由が

あった。


1つは勿論、美月を花嫁姿にしてあげたかったこと。

そして、2つ目は…“精神的な区切り”のためだった。


 何だかんだ言っても、入籍とは事務処理的なものなのだ。

書類を書いて役所に提出するそれは、戸籍上は重要であり…当然、意味はある。


 しかし、それは意外と実感が伴わない作業だ。

特に、隆幸達は美幸の起動という当日の重要な予定もあって、手続き自体を手早く

済ませてしまった。


 あの日『夫婦になった』ということを意識して気恥ずかしくなったのは確かだ。

しかし、それは“実感した”というよりは、恋人同士の初々しさが帰って来たような

感覚であって、“夫婦になった”というような雰囲気ではなかった。


 だが、今ここにきて…誓いと指輪を交わしたことで、やっとその実感が得られた

ように感じた。


 これから先は、ずっと2人で寄り添って生きていく……その実感を。


                  ・

                  ・

                  ・


 そっと交わされた口づけは、ほんの一瞬。

しかしその瞬間、研究所の一室であるはずのその式場には、確かに神が舞い降りた

ような…静かで厳かな空気があった。


「素敵ですね…」


 静かに2人を見守っていた美幸が、小さくそう呟く。

その言葉に反応した美月が、不意に視線を向けた先には、憧れと…少しの寂しさを

たたえた美幸の瞳があった。


 そこにある寂しさは、隆幸のように相手の瞳から感情を読むことが出来ない美月

ですら感じ取れるほど、はっきりと見て取れるものだった…。


「ここに隆幸さんと美月さんの夫婦になったことを宣言致します」


 真知子がそう言ったのを見計らって、数秒後に遥のピアノの旋律が流れ始める。

今回は開式時とは違い、ちゃんと聖歌が演奏されている。


 本来なら誓いのキスの後にもあれこれと手順がある筈なのだが、そこは省略する

ことになっていた。

 その辺りは身内のみの略式ということと、時間的な問題で省いていたのだ。


 だから、後は聖歌が終わると新郎新婦が退場して式は終了の予定になっている。


 そして聖歌が終わり、再びピアノの伴奏を背に式場から退場…というところで、

美月は何故か扉の少し前で立ち止まり、扉を開けようとしていた莉緒を止める。


「…莉緒ちゃん、ちょっと扉を開けるのを待ってもらえますか?」


「え? あ、はい…」


 不思議そうにしながらも、莉緒は美月の声に従って一旦ドアから手を離す。


「…うん? どうかしたかい?」


 隣に立つ隆幸も、莉緒と同じく不思議そうにして美月にその真意を尋ねる。


「いえ、もしもここが教会だったなら…

あの扉を出た後には、ブーケトスをするはずでしょう?」 


「え? ああ……まぁ、本来ならそうだろうけれど…」


 そう答えながら、扉の向こうの景色を想像する隆幸。

当たり前の話だが、そこに広がるのは爽やかな青空…とは程遠い無機質な廊下だ。


 天井が比較的高いため、ブーケトス自体は出来なくはない…が、如何(いかん)せん雰囲気

が無さ過ぎる。


「ええ。…ですから退場する前に、ここでしようかな…と思いまして」


「…なるほど、そうか。ふふ……わかった。それじゃ、そうしようか」


 確かに…風情という意味では、室内の方がまだあるだろう。

バージンロードとして赤絨毯も敷かれていたし、列席者もドレスアップしている。

今もピアノを演奏してくれている遥などは、雰囲気としては十分と言って良い。


 隆幸の了承を受けて、くるりと半回転する美月。

すると『ブーケトス』という言葉を聞きつけた莉緒が、慌てて美幸達を美月の元に

呼び寄せる。


 不意に実施されることになったイベントに、式場は沸き立った。


 そして、美月の前には美幸、遥、莉緒…そして美咲という4人の姿が並ぶ。

真知子と由利子は既婚者ということで、今回は観客として眺めることになった。


「フフフ…こればっかりは譲れないよ?

…というか、むしろ譲って……ホント、マジで!!」


 今年、ついに30代の仲間入りをした美咲の目は、既に全く笑っていない。


 その様子に、観客サイドの一部からは『大人げないわねぇ……』という呟きが、

ボソリと漏れ聞こえてくる。


「やっぱり花嫁のブーケは憧れだよね~、遥ちゃん?」


「まあ……取れれば嬉しいのは、確かかもね……」


「クスッ、美咲さんも莉緒さんも遥も……皆さん、頑張って下さいね?」


 そう言って3人を応援している美幸は、他の人達に比べて一歩後ろの位置に遠慮

気味に立っていた。


 美月から見ると、前かがみにやる気満々の2人と、莉緒に無理やり隣に立たされ

てはいるが『運良くこちらに来れば手を伸ばそうかしら?』程度の様子の遥……。


…そして、それを後ろからただ見ているだけの美幸――といった構図だった。


「…………っ……」


 数秒後、いよいよブーケが飛んで来るか!? という緊張感の中で、


「あ、そういえば……あの、美幸ちゃん?

ちょっとお願いがあるんですけれど……こっちに来て貰っても良いですか?」


と、突然何か思い出した様子で、美幸に手招きして傍に呼び寄せる美月。


「…え? あ、はい」


 美月の言葉に従って『何だろう?』といった表情で美幸が目の前に歩いて来る。

…すると、美月はスッ…と、近づいてきた美幸の両手を自然な動作で取った。



 そして――



「…はい。どうぞ受け取って下さい」


「は、はい………………ぇ?」


 美月は、美幸の両手を自身の前に出させたかと思うと、すぐにその両手の真上

ほんの数センチの位置から、()()()()()()()()


『あ……あーーーーっ!!』


 一瞬遅れて……美幸が起こったことに気付いた頃に、更にその後ろから2人分

の声が大音量で響いてくる……。


…その大きな声は、見事なくらいに重なっていた。


「あ、え、あの……」


「美幸! ズルいよ!」「美幸っち! ずるーい!」「…………ふふっ」


 戸惑う美幸を他所よそに、残念がって抗議する2人。

そして、その2人の横で、遥だけは静かに穏やかな笑顔を浮かべていた。


「あ、あのっ! 美月さん! その……これは、私が受け取っても――」


「大丈夫ですよ」


 勢いで受け取ってしまったブーケを慌てて返そうと差し出してくる美幸。


…しかし、その言葉を遮るように、美月は視線をしっかりと合わせて、言った。


「…大丈夫ですから。

美幸ちゃんだって、きっと……きっといつか、素敵な花嫁になれます」


「…ぁ……」


 その台詞で、美幸は美月に心の内を見抜かれていることに気付いた。


 美月が花嫁として誓いのキスを交わしている姿に感動し、憧れを抱いた美幸。


…しかし、どんなに憧れを抱いたとしても自分はアンドロイドだ。

式どころか結婚自体がありえない未来であり、すぐ目の前にあっても、そこは美幸

にはどれだけ手を伸ばしても届かない、遥か遠い場所だった。


 その事実に気付き、自覚してしまった時……(わず)かな寂しさを覚えた。


…本来はあってはならない感情……『どうして自分はアンドロイドなのだろう?』

という、感情と共に。


 だから、美月は『きっとなれる』と念を押すように言ってくれたのだ。


『簡単に諦めなくても良いはずだ』と。

きっと……そう言ってくれたのだ。


「ふふっ、受け取って……くれますよね?」


「…はい。

いつか……きっと、私も素敵なお嫁さんになります!」


「ええ。私もその日を今から楽しみにしておきますね?」


 美幸達がそんなやり取りを交わし終える頃には、先ほどまで騒いでいたはずの

莉緒達も、すっかり大人しくなっていた。


…その言い回しから、美月が何を言いたいのかに気付いたら……。

文句など、初めから言えるはずも無かった。




「ふふふっ、とっても素敵な結婚式になったわ。ねぇ? まちちゃん」


「…ええ、そうですね……。

色々と大変でしたけれど……結果的に、やってよかったです」


 由利子からの掛けられたそんな言葉に溜め息交じりにそう答え返しながら、少し

後ろからその光景を眺めていた真知子は……何処か不思議な感覚を覚えていた。


 起動するまでは『流石は美月ちゃんがベースの素体、凄く綺麗ねぇ……』と思う

程度で、横たわる美幸を見ても特にそれ以上の感想を持たなかった。


 だが……今、目の前の2人は、ただの仲の良い姉妹にしか見えない。


 定期メンテナンスを行っている手前、ある意味では誰よりも美幸がアンドロイド

であるという事実を、真知子は認識しているはずだった。


…にもかかわらず、今、自然と成長した姿でウェディングドレスを着て喜ぶ美幸の

姿を想像出来てしまうことに、自分で驚いてしまっている。


…そして、改めて思った。


『心』とは……『魂』とは、実際のところ何なのだろうか? と。


 今、目の前で感動で涙を流している美幸という存在と、自分達との距離とは……


――実際には、どれほど離れているというのだろうか……。

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