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第49話 心穏やかな年明け

『あけましておめでとうございます』


 夏目家に集まった8人は居間で新年の挨拶を交わす。

ここ数年は夫婦2人だけだった元日の朝を、大人数で迎えられたことに、由利子は

心から喜んでいた。


 今年はとても賑やかで嬉しい限り。

自分達夫婦に高槻夫婦、美咲と美幸に真知子…それに―――


「…来ておいてなんだけど、本当に良かったのかしら?」


そこには、美幸の歌を聴いてから由利子がずっと会ってみたかった美幸の親友…

遥がやって来ていたのだった。

                  ・

                  ・

                  ・


 なぜ、この場に遥がいるのか。それには理由があった。


 夏目家での試験が泊り込みで行われていたこともあり、ここ最近の美幸と遥とは

たまに電話で話す程度だった。


 そこで、遥と莉緒が『初詣くらいは一緒に行かない?』と美幸を誘ったところ、

それを聞きつけた美咲が、『遥ちゃんが良いなら、いっそここに呼んでみたら?』

と言いだしたことで、この状況になったのだ。


 そういった流れで、地元の小さな神社に早朝のうちに初詣に向かった美幸達は、

その足で夏目家にやってきていたのだ。


…ちなみに、美幸達と一緒に初詣に行っていた莉緒は、一応は美幸の試験中という

こともあって、その場で別れることになった。

…遥が莉緒を自分の腕から引き剥がすのに苦労したのは…言うまでも無い


「ふふふ、初めまして。あなたが、噂の遥ちゃんなのね?」


「初めまして。富吉遥と申します。…所長さんの奥様でいらっしゃいますか?」


「あら! 礼儀正しい子ね。

ええ、そうよ。私の名前は夏目由利子。『由利子』で構わないわ。

私も美幸ちゃんのお友達なの。今後ともよろしくね? 遥ちゃん」


「そう…なのですか。はい。宜しくお願い致します」


 由利子からの突然の『美幸の友達』発言に、少し驚く遥。

試験の概要は聞いていた遥だったが、その後の経緯は美幸から聞いていなかった。


…美幸の方も28日にあの種明かしをして以降は、初めての年末の準備に追われて

忙しかったのだ。


「私、あなたに会うのを楽しみにしてたのよ?」


「? 先ほども『噂の』とおっしゃていましたが…。

由利子さんは、私のことをご存知だったのですか?」


「ああ…ごめんなさい。美幸ちゃんから沢山お話を聞いていたから…。

私も、もうすっかりお友達の気分になっていたわ」


「…はぁ。いえ、私は別に構いませんが…」


 遥が戸惑いながらも美幸を横目にチラリと見ると…。

美幸は『あ、あはは…』と微妙に困ったような反応を見せていた。


「前にね、美幸ちゃんに歌を歌ってもらったことがあるの。

それで…遥ちゃんさえ良ければ、後で美幸ちゃんと一緒にお願いできるかしら。

是非、聴いてみたいのよ」


「ええっと……それはピアノを、でしょうか?」


 そう言った遥は、その部屋の壁際にある古い型の電子ピアノを見た。


 それは昔、洋一が『女の子なんだし、ピアノがあれば弾くかもしれない…』と、

美咲達と一緒に住んで間もない時に購入していたものだ。


「いいえ。ピアノの伴奏もそうなんだけど、私は歌を一緒に歌って欲しいのよ。

…練習、一緒にしていたんでしょう?」


「……………美幸? あの……ちょっと…良いかしら?」


 遥が振り向くタイミングに合わせて、美幸はサッとその視線を逸らした。


『この子もこんな誤魔化し方が出来たのね…』と内心で思った遥だったが…。

不意に、すぐ隣に座っていた美咲が視界に入る。

…そして、すぐに納得した。『ああ、きっとこの人の影響なのね…』と。


「…美幸。私は別に勝手に話したことを怒っているわけじゃないのよ?」


「え? そうなんですか?」


 遥のその言葉に、逸らしていた視線を遥の方に戻す美幸。


「ええ。でも、前にも言ったと思うけれど、あなたと一緒に歌うのは苦手なのよ。

どうしても…私の方が目立つもの。勿論…悪い意味でね」


 下手に音に鋭い分、遥は自分の歌声と美幸のそれを比べてしまいがちだった。

そうなると、やはりリズムと音程の僅かなズレが気にかかってしまう。


「あら、遥ちゃんも歌は上手だって聞いてるわよ?」


「あの…由利子さん。失礼ですが、それは誰からでしょうか?」


「美月ちゃん」


 端的に名前だけで答えながら、由利子は美月を指差した。


 対して美月は、微笑みながら遥を見返してきていたが…。

遥は由利子の口から出た名前が予想外だったために、反応に困ってしまった。


 女性として憧れを抱いている美月から、そう評価してもらえていることは、正直

に言うと嬉しかったのだが…遥としては、相手が美月だと抗議し辛い。


 何より、今もニコニコしている美月からは、からかっている雰囲気は一切無い。

…きっと本当に、本気でそう言ってくれていたのだろう。


「ふふ…大丈夫ですよ。

遥ちゃんはピアノも素敵ですけれど、歌も素敵です。もっと自信を持って下さい」


 そんなことを考えていた遥に追い討ちとばかりに、先ほどの想像通りの大真面目

な雰囲気で、美月が真正面から応援してくる。

…照れくさくなった遥は、恋する乙女の如く美月の顔を見つめたまま赤面した。


…しかし、そんな和やかな空気は、由利子が放った次の一言で一瞬にして吹き飛ぶ

ことになる。


「ふふ、美月ちゃんは昔から歌だけは苦手だものね?」


『…え?』


 見事なくらいに、遥と真知子の声がハモっていた。


「お、おばさん!? それは家族だけの秘密のはずですよ!?」


 由利子の『美月・音痴発言』にうろたえる美月。

…先ほどまでの澄ました微笑みが嘘のような焦りっぷりだった。


 そして、その事実を知らなかった遥と真知子は意外そうにしていた。

美月に苦手なものがあったこともそうだが、その焦り具合も滅多に見られない

レベルのものだったからだ。


「あら、良いじゃない。別に。

ここに居るのはみんな家族みたいなものだし…恥ずかしいことでもないわよ。

それに、1つくらい苦手なものがあった方が、女の子は可愛いものなのよ?」


「いえ、でも……。い、いえ! やはり恥ずかしいものは恥ずかしいですよ!?」


 一度、納得しかけた美月だったが……やはりその暴露は不本意らしかった。


「おーい、嫁がピンチだよ~? 今回は高槻君は助けに入らないのかい?」


「…ええ、今回はやめておきますよ。…何だかんだ言って、楽しそうですし」


「あははっ、そうなんだ?」


「ええ」


「いえっ! あの! 私は決して楽しくはないですよ!?」


 美月の危機に反応しない隆幸を、美咲がからかい半分に突っついてみたが…。

隆幸は依然として微笑ましく眺めているだけだった。


 美月自身は、未だかつてないくらいに焦って否定しているが…きっと本音では

どこかで楽しんでいるのだろう。

…こういう時の隆幸の観察眼は、下手な計器よりも正確だ。


 美咲はそんな妹の様子を笑いながら、部屋の中をぐるりと見回した。

今回は良いことも悪いことも色々あった試験だったが、最終的には何とか良い形

で決着出来たようだ。


 美咲にも反省すべき点が沢山あった、今回の試験。

しかし、こうして年明けを皆で楽しく迎えられたことは素直に嬉しかった。


「さて、音痴な美月ちゃんは一旦置いといて…。…お願いできる? 遥ちゃん」


「うぅ…酷いです…おばさん」


 一人、本気で落ち込んでいる美月の頭を、隆幸が優しく撫でて慰めていた。

いつもとは立場が間逆のその様子を見て、美幸はクスクス笑っている。


「…わかりました。でも、予想より下手でも知りませんからね?」


「やった! 約束よ?」


 なんとか約束を取りつけた由利子は、少しはしゃぎ気味に喜ぶ。

依然として気は進まない遥ではあったが、ここまで喜んでもらえるのなら、悪い気

がしないのは確かだった。


「さて、後の楽しみも出来たことだし……それじゃあ、朝食にしましょうか。

ほんの少しだけど、私も久しぶりにお料理したのよ? 

美幸ちゃん達のお口に合えば良いけれど…とりあえず、食べてみて頂戴?」


 最近は調子が良いとはいっても、やはり由利子は病人だ。

長時間の立ち仕事は大きな負担になる…ということで、その対策として台所に椅子

を持ち込むことにした。


 由利子をそこに座らせた美幸達…女性陣は、簡単な調理を手伝ってもらいつつ、

味付けなどの重要な部分は、その指示を仰ぎながら調理していった。


…だから、ある意味でこれは『由利子の料理』と言っても、差し支えないだろう。


 そうして、わいわいと皆で騒ぎながら急遽、昨日に用意したのが、目の前の重箱

に入った“おせち料理”だった。


「作った時にも思いましたが…何だかとても豪勢なおせち料理になりましたね」


 蓋を開けてすぐに目に飛び込んできた伊勢海老の姿を見て、美幸が呟く。


『久しぶりに家族揃って料理する』と聞いた洋一が、張り切って色々な高級食材を

買って来たので、一般家庭ではありえないようなおせち料理が出来上がっていた。


「…でも、煮しめの見た目は酷いですね…。もう違和感が凄いです」


「あー! 酷いよ美月! そういう個人攻撃は卑怯だよ!」


「いえ、ですから酷いのは姉さんの料理の腕です」


 おせち料理に欠かせない、数種類の具材を煮込んで作られた“煮しめ”。

料理の腕がゼロどころかマイナス方向にぶっちぎっている美咲に、味付けに関する

部分を任せられなかった美月は、せめて…と、煮しめの具を切る仕事を命じた。


…しかし、油断して少し目を離した隙に美咲によって作り上げられていたのは…

不均等にバラバラになった、素材の無残な姿だった…。


「…まぁ、味付けには一切関わらせていませんから。皆さん、安心して下さい」


「…相変わらず、美月ちゃんは美咲ちゃんには容赦が無いね…」


「真知子さんも、これくらいで良いんですよ?

姉さんは甘やかしたら、その分だけ調子に乗りますから」


「あはは…。うん、わかった。憶えとく」


…以前までの研究所での美咲は、いつも無愛想な印象だった。

しかし、美幸が起動してからは、今のようなひょうきんな様子を見せることも多く

なっていた。


 あくまでもこうした親しい間柄の人間にしか見せない一面ではあったが、これが

演技なのか本来の美咲なのか…真知子には今でも判別出来ないでいる。


 ただ、仮に演技であったとしても、その様子は見ていて楽しい気持ちになる。

…遥もそうだが、『気付いたら、美幸を中心にして笑顔が溢れていた』という感覚

が真知子にはあった。


「はいはい。騒ぐのはそれぐらいにして頂戴。みんな、席に着いたわね?」


 このままではいつまで経っても朝食が始まらないと思ったのか…。

由利子が軽くパンパンと手を叩きながら、その場を纏めにかかる。


「じゃあ、とりあえず…。…あけましておめでとうございます」


『あけましておめでとうございます』


 由利子の新年の挨拶を受けて、一同は声を揃えて挨拶を交わす。


「…来ておいて何だけど、本当に良かったのかしら?」


 しかし、卓上の料理を改めて眺めると、遥がそう言葉を漏らした。

豪華なおせち料理を始め、テーブルの上には寿司の出前や立派な鯛の塩焼きなど、

所狭しと並べられている。


…掛かった費用を考えれば、タダでご馳走になるのが戸惑われるレベルだった。


「そんなに遠慮しなくても良いよ。

こういう時は美味しく食べてくれれば、それで良いんだしさ…。

そもそも、今日の遥ちゃんは私が提案して、こっちから誘ったんだし。

まぁ、ここは『お客さんは遠慮しないのが礼儀』ってことで」


「…わかりました。ありがとうございます。では、そうさせて頂きます」


 美咲の軽い口調での気遣いに、畏まった態度でそう答える遥。

すると、そのやり取りを見ていた由利子は可笑しそうにしながら言った。


「ふふふ。本当、遥ちゃんは落ち着きがあってしっかりしているわ。

何だか、美月ちゃんと遥ちゃんの方が姉妹みたいね」


「えっ! いえ、そんな!」


 由利子の言葉に反応して、再び遥の顔が真っ赤になる。

…しかし、その様子は誰が見ても“満更まんざらでもなさそう”だった。


「はい! 由利子さん! それなら、私はどうでしょうか?」


 楽しそうなやり取りに自分も参加したくなった美幸は、手を挙げてその会話に

入っていく。


「ふふ、そうねぇ…。美幸ちゃんは…末っ子ね。遥ちゃんの妹かしら」


「妹……あはははっ! そうですか! やっぱりそうなんですね!」


 美幸は以前にどちらが妹かという話をしたことを思い出して笑ってしまった。

やはり、ここでも遥より自分の方が妹のポジションらしい。



 そんなガヤガヤと騒がし過ぎるくらいに賑やかな朝食を済ませた一同は、由利子

の希望通りに、遥の伴奏で美幸達の歌を聴くことになった。


 朝食時とは打って変わって落ち着いた空気の流れる中で、洋一は美幸達の歌声に

耳を傾ける由利子の横顔を盗み見た。


 穏やかに微笑むその顔には、病気に対する不安も、美咲達との日々を思い出して

いた時の寂しさも、そのどちらも見受けられない。


 当初の想定とは状況が大きく変わりはしたが、由利子が望む『楽しい年明け』を

迎えさせてやれたことに、洋一はひとまず安心したのだった…。

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