第46話 種明かし
12月28日、朝。
この日は美幸が定期メンテナンスを受ける日だった。
前日から研究所に行っていた美幸は、一緒に早朝に帰って来た真知子と玄関前で
一旦、別れた。
今日の真知子は急な用事が出来たらしく、今から研究所へ向かって、後ほど再び
戻って来るらしい…。
美幸はその旨を美咲に伝えた後、すっかり習慣になりつつある由利子を起こしに
向かうのだった…。
そんな中、美咲と洋一は由利子の部屋へ朝食を持っていく。
今日の朝食は美幸が昨日の内に作り置きしておいたものだったため、2人はそれを
温めなおして運んでいた。
2人が部屋に着くと…そこには、日記に今日の予定を書き込んでいる由利子と、
その内容を聞いて実行すべく、一足先に部屋へと来ていたニコニコ顔の美幸が隣に
控えていた。
そんな…ここ最近ではすっかり見慣れた平和な光景が広がっていた。
そして、朝食を食べ終えた4人が食後の軽い雑談をしていた…その時だった。
“コンコン”……と、部屋の扉が突然、ノックされたのだ。
今、この場には4人全員が揃っている。
ノックをする人間など、本来なら居ないはずだった。
もし居るとすれば、平常時なら密かに別室に控えている…今は急用で居ないはず
の真知子くらいなものだった。
しかし、こんな朝から真知子が家を訪れること自体、由利子からすれば不思議に
感じられることだろう。
…そして、そんな簡単なことが分からない真知子ではない。
…それなら、これは……何か緊急の用件に違いなかった。
内心では『何事だろう?』と焦った美咲だったが、由利子に怪しまれないために
咄嗟にドアを見ながら言った。
「あー、そういえば朝から真知子さんが来てたんだった。鍵、開いてるよー」
その美咲の言葉に対して、声が返ってくるより先に“ガチャリ”と扉が開く。
「…………………え? なんで……」
そして…扉の向こうから現れた人物を見た美咲は……言葉を失う。
「おはようございます。…姉さん」
そこには…今ここには居るはずの無い…本当の妹の姿があった――。
「ふふふ、おはよう。美月ちゃん。久しぶりね…」
「…ええ。お久しぶりです」
由利子が自分を見て『美月』と呼んでくれている。
その事実に安堵した美月は、泣きそうになるのを堪えてなんとか言葉を返した。
そして、美月が2人居ることに最も驚くはずの由利子が、その場の誰よりも早く
反応したことで、美咲は“ブンッ”と音が鳴りそうな勢いで由利子を振り返った。
「ふふふ、驚いたかしら?
この前のクリスマスの日にね、部屋で話した時にまちちゃんにお願いしてたのよ。
『今の美月ちゃんを連れてきて頂戴』ってね」
美咲は由利子のその言葉に、いよいよ混乱した。
つまり、この状況は由利子の仕業で…。
自分達の吐いた嘘がとっくにバレていた…ということだ。
その言葉を受けて、美月の後ろから隆幸と共に、申し訳無さそうな表情の真知子
が顔を覗かせて…由利子に尋ねた。
「先生は…何時から、気が付いてらっしゃったんですか?」
クリスマスの日、美月を連れてくるように依頼されはしたものの、詳しいことは
『当日までは内緒よ』と言われ、教えてもらえなかった真知子。
…ここ数日、その疑問がずっと頭の中にあったのだ。
「そうね…。ほとんど最初から…かしら?」
「え? 最初……から?」
あの日は何度か美咲の失言もあった。
てっきりそれが原因だと思っていた真知子は、その由利子の返答を聞いてあっけに
取られた。
「ええ。私が最初に『あら?』って思ったのはね、その髪飾りなの」
そう言った由利子は、美咲の赤い椿のヘアピンを指差した。
「最近は記憶が曖昧でね…。起きた時は不意に昔の感覚が過ぎって…。
だから、あの人には『美咲ちゃん達は?』なんて、毎朝聞いてしまっていたの。
でもね? 全部の記憶が無くなってるってわけじゃないのよ?
断片的にはきちんと憶えていて…だから、不意に思い出せたのよ。
美咲ちゃん達が、前に姉妹でお揃いの椿の髪飾りを着けてたってことを」
その言葉を受けて、美幸が『ぁ…』と小さく声を漏らした。
間接的とはいえ、自分のプレゼントのせいでバレてしまったと思ったからだ。
「ふふふ、そんな顔をしなくても良いのよ?
あなたのせいじゃないわ。だって、確信したのは別の理由だもの」
「え? 別の理由…ですか?」
申し訳なさそうな表情を浮かべている美幸に、由利子は穏やかに微笑んだままで
1つクイズを出してくる。
「ええ、そうよ。1・1・2・1・2。…どう? 何の数字か解るかしら?」
「え? ええっと……すみません、解りません」
「これはね? あなたの“瞬きのリズム”なの」
「瞬きの…リズム?」
答えを聞いてもよく解らない…といった表情をする美幸。
同じく理解出来ていない美咲達も首を傾げる中、真知子だけが呆然としている。
「ふふふ、まちちゃんは思い当たったみたいね?」
その場の視線が一斉に真知子に集まるが、放心状態の真知子は何も言葉を発する
ことが出来なかった。
そんな真知子の様子をみて、由利子は自分で種明かしすることにする。
「まちちゃんにね? 以前、相談されたことがあったの。
『アンドロイドを作る際、より自然に見えるにはどうすればいいのか』って。
だから、その時にね? 昔、まったく同じ質問をしてきた美雪ちゃんに言ったこと
をそのまま教えてあげたのよ。
『本来は必要無さそうな、無駄な動きをさせなさい』って。
『人間らしさはその無駄なところからにじみ出るものなのよ』ってね。
それで、当時の美雪ちゃんにはアンドロイドの基本構造として必要の無い行動を、
敢えてさせるように教えたのよ」
穏やかに微笑みながら、由利子は美咲達姉妹を見ながら彼女達の母親との思い出
話を語って聞かせるつもりで、続けた。
「その時……美雪ちゃんに同じ質問をされた時にね? 私が提案したのよ。
『試しに1・1・2・1・2のリズムで瞬きさせたらどう?』って。
そうしたら、新しく来た美月ちゃんの瞬きのリズムが、まるっきりその通りなんで
すもの。…思わず笑っちゃったわ。
あの子は先に逝っちゃったけど、こういう形で私に本当のことを教えてくれるのね
…って。だから、私が気付けた最大の理由はね……美雪ちゃんなのよ」
そういったアンドロイドの自然さを演出する基本的な行動のプログラムは、確か
に美幸にもそのまま搭載されている…。
だが…まさか、そんな些細なことが見破られる決め手になるとは、誰も予想して
いなかった。
「ふふ、これでも元ボディ部門の最高責任者ですからね。
そういうアンドロイドの細かい挙動の知識には、人一倍詳しいのよ?」
由利子の想定外過ぎる洞察力の鋭さに、皆が言葉を失ってしまっていると、今度
は美月に視線を向けた由利子が続きを話す。
「本当のことを言うとね、これもきっと何かの試験か何かだったのでしょうし…
私も空気を読んで黙っていようかしら…って思っていたのよ?
でも、この前のクリスマスに『美月ちゃんが居なかったら』って私が言ったら、
みんなが分かり易く気まずい顔をするんですもの…。
だから、これは美月ちゃんに何か不味いことが起こってるのかな…と思ってね。
…そうして、状況を冷静に考えたら、すぐに原因に思い当ったわ。
…入れ替わりに反対してたんでしょう? 美月ちゃん」
「…はい。そうです。
勿論、自分以外の他の誰かが私の身代わりになることが悲しかった…という理由も
ありました。
ですが何より…その私の身代わりをしている子は、とても優しいんです。
おばさんを騙すことと、自分の試験。
…板挟みになって、一人で思い悩むのが目に見えていましたから」
その美月の回答に、由利子は納得したように頷く。
そして、その言葉の通り、騙していたということに罪悪感があるのか、申し訳なさ
そうな表情で自分を見ている美幸に向き直って、その目を見ながら言った。
「そんな顔をしなくても良いわ。
私は別にあなたに騙されてなんかいなかったんだから…。
あなたはただ、私と遊んでくれただけなのよ?」
「ですが……私は、嘘を吐いて美月さんを演じていたんですよ?」
「ふふふ。確かにそうね。
でも、私はあなたのことをずっと噂のアンドロイドの子だってわかっていたもの。
だから、あなたに騙されてはいないのよ。…あなたは何も悪くないわ」
「それは…関係ありません。私が、私の意志で偽っていたのは事実なんですから」
どう言われようとも、嘘を吐いていたのは事実なのだ。
美幸からすれば、ここで優しい由利子の言葉に甘えるわけにはいかなかった。
「ふふ、以外と頑ななのね…。
そういう真っ直ぐさは、本物の美月ちゃんにそっくりね。
それなら、今からこの日記帳を見てみて頂戴。
そうすれば、私がいかに楽しんでいたのかが、よく分かるはずよ?」
由利子はそう言うと、ここ最近、毎日つけていた日記帳の鍵を開けて美幸の鼻先
に差し出してきた。
「…え? あの、でも…」
その由利子の突然の行動に、戸惑う美幸。
咄嗟に日記帳を受け取るかどうか、迷ってしまった。
日記帳と言えば、本来は他人に見せるようなものではない。
それを見るということは、由利子の心の内を盗み見るようなものだった。
「別に遠慮しなくても良いのよ?
それは声に出して読まれたら少し恥ずかしいけれど、見るだけなら構わないわ。
ほら、この日記を付け始めた時に、きちんと約束したでしょう?
『美月ちゃんには卒業した時に見せてあげる』って。
今日であなたは美月ちゃんを卒業するんだから、約束通り…そうでしょう?」
その台詞と共に、由利子は微笑んで人差し指を唇に当ててウインクしてきた。
その仕草は茶目っ気を見せた時に美月がよくしている仕草だ。
…元祖は由利子だったらしい。
由利子のその楽しそうな仕草を見て、不思議と美幸は肩の力が抜けていった。
本人が進んで見て欲しいと言っているのだから、あまり深刻に考える必要は無い
のかもしれない。
そう思い直した美幸は、今度こそ素直に由利子から日記帳を受け取った。




