第45話 聖夜の過ごしかた
「せっかくのクリスマスプレゼント…。結局、渡せませんでしたね…」
「確かに、それは残念だったけど…。
まあ、年明けにでも改めて渡せれば良いんじゃないかな?
クリスマスの時期ではなくなるけど、美幸がそんなことで怒るとも思えないしね」
今日の日付は12月25日。世間で言うところのクリスマス当日だった。
今、隆幸の家の玄関には綺麗なリボンで口を結ばれた大きな袋が鎮座している。
それこそ物語の中のサンタクロースが背負っている袋と良い勝負…いや、むしろ
若干勝っているほどの大きさのその袋の中には、隆幸達2人が用意しておいた美幸
への初めてのクリスマスプレゼントが入っていた。
その中身は大きなウサギのぬいぐるみで、勤労感謝の日に美幸からプレゼントを
もらった美月達が、お返しのプレゼントを探している時に見つけたものだった。
そもそも、このウサギのぬいぐるみは売り物ではなく、ショッピングモール内に
新しくオープンするペットショップ店の装飾品として置かれる予定だったらしい。
それを隆幸達がたまたま店内に搬入されて保管されている状態の時に見かけて、
その店のオーナーに無理を言って譲ってもらったものだった。
デフォルメされたその丸っこいフォルムはとても愛らしい。
同行していた美月がそれを見て思わず『あのウサギ、可愛いですね』と呟いたのが
決め手になったのだ。
…美月が一目で気に入ったのなら、価値観が似ているはずの美幸も、きっと喜んで
くれるだろう…と。
「……それにしても、大きいね…。…運び出す時には気をつけないと」
譲ってもらえることになった後、そのショッピングモールのサービスセンターで
ラッピングと配送の依頼をして、そのまま帰って来た2人。
…しかし、いざその商品が届いてみると……そのぬいぐるみは、思っていたよりも
かなり大きかった。
隆幸達が見つけた時には、他の備品が入っているであろう大量のダンボール箱の
一番上に置いてあったので、見上げるような位置にあるその実物のサイズを、間近
で確認まではしていなかったのだ。
そして、届いた時に初めて見た、その実際のサイズには驚かされた。
その大きさたるや、大人の男性である隆幸でも余裕で抱えきれないレベルだった。
…いずれ運び出すにしても、間違いなく隆幸の車の後部座席はそのぬいぐるみだけ
でも、ぎゅうぎゅう詰めになることだろう。
「ふふ…。でも、あれなら間違いなく、美幸ちゃんは驚いてくれますよ?」
「まぁね。…買った本人でも驚いたんだから、間違いないよ」
ちなみに余談だが、その商品の明細書に記載された請求額にも驚かされた。
特注の一点もの…ということで、作りは良いのだが……その分、値段もよかった。
…暫くは節約生活をした方がいいかもしれない…と、2人に思わせるほどには。
「クスッ…。『何事も気の持ちよう』とは、本当によく言ったものですね…」
「ん? どういう意味だい?」
「いえ…。正直に言うと…ですね。
ほんの少し前までは、あれを見る度に微妙な気分になっていたんです」
月初めに真知子と会って年明けまで不干渉の約束をしてからというもの、隆幸達
の張り詰めていた雰囲気が徐々に薄れてきている。
それに従って、美幸に対して感じていた美月の中の負の感情も、今ではほぼ無く
なりつつあった。
美幸が悪いわけではないということは頭では理解出来ていた美月だったが、美幸
の存在が由利子の中の自分を上書きして、消してしまっているのは事実。
…やはり、僅かとはいえ悪い感情が湧いてきてしまうのは仕方の無いことだった。
「…今なら、あれを見ても純粋に美幸ちゃんの笑顔を望むことが出来ますから」
「…そうか。…それは、良いことだね」
「…はい。私もそう思います。
結果論ではありますが、真知子さんには感謝しなくてはいけないですね…。
冷静になる時間が出来たことで、こうして美幸ちゃんへの感情が浄化出来ました。
これなら、結果はどうあれ、美幸ちゃんとの関係は悪くなりそうにないです」
年明けからの展開をどうするかは、まだ決めていない。
しかし、今は試験の期間が終わってから行動することも視野に入れていた。
焦っていた気持ちに余裕が出てきたこともそうだが、真知子の話では今のところ
試験は非常に上手くいっているらしい。
不安要素は依然としてあるのは確かだが、現状では関係者の誰もが喜んでいる。
それなら、このまま1月末の試験終了まで静観していても良いのかもしれない。
…美月としては、最終的に由利子の認識さえ改められれば、それで良いのだから。
「とりあえず、今はあのぬいぐるみを渡すタイミングを考えましょう」
「あはは、そうだね。……それに、あれじゃあ家の出入りも苦労するしね…」
ぬいぐるみとしては“巨大”と言ってもいいそのプレゼントは、完全に玄関のドア
からの出入りを阻害していた。
ただ、その様子がおかしくて、それを見かける度に笑いが込み上げてくるのは、
悪くない気分だった…。
その後、美月は隆幸から送られた予想外のプレゼントに驚き、喜んだ。
こうして2人は、心穏やかにその年のクリスマスを過ごすことが出来たのだった。
一方、美幸達の居る夏目家では、いつもの4人に加えて、今日は真知子を含めた
5人でクリスマスケーキを囲んでいた。
「へぇ、これがみゆ…美月が作ったケーキか~」
美幸の作った見事な出来栄えの手作りケーキを前に、気を抜いていた美咲が失言
しそうになって慌てて名前を言い直した。
…大丈夫、かろうじて由利子には気付かれていない。
「本当、美月ちゃんは器用だねぇ…」
冷や汗をかいている美咲を一瞥しながら真知子は“美月ちゃんは”を気持ち大きめ
の声で言って、目の前のケーキを褒めた。
…後に続いて何か言うであろう、洋一への牽制だった。
「…あー、うん。流石だね…美月ちゃん」
速攻で美咲がしくじりかけたからだろう…。無難な発言をする洋一。
普段は穏やかな真知子が、『お前ら気を抜き過ぎるなよ』と言わんばかりに無言の
プレッシャーを放っている…。
最近の試験の経過が順調なことと、美幸の手作りケーキに興奮したのが原因で、
つい気が緩んでしまっていたらしい。
試験が始まってからは、夏目家では美幸が料理をすることがほとんどだったが、
由利子の手前、その作る料理の全ては美月の料理を再現したものだった。
幸いなことに、これまでに美月と一緒に何度か料理をした経験があった美幸は、
アンドロイドの記憶力を駆使して、ほぼ完璧にコピーすることが出来ていた。
しかし、流石にケーキまでは一緒に作った経験が無かったため、これに関しては
完全に美幸のオリジナルだったのだ。
当然、作り方などをネットで検索して、その手順通りに作っただけなのだろう。
…だが、美咲達にとっては、初めての美幸のオリジナル料理…まさにテンションは
うなぎ上りだった。
「ふふふ、本当に上手に出来ているわ…。お店で売っているケーキみたい」
「ありがとうございます。…でも、皆さん褒め過ぎですよ?」
全員が褒めてくれたことに喜びと少しの照れを感じて、美幸が皆にそう言う。
「そんなことはないわ。
だって、美咲ちゃんがあんなに喜んでるのを見るのは久しぶりだもの。
ねぇ、美咲ちゃん?
美咲ちゃんも、こんなに立派なケーキを食べられて嬉しいでしょう?」
「ええ! 当然です! 大事な娘の初めてのケーキですからね!」
「…娘?」
「あ、え…いやー。『妹の』です。あははは…」
「ふふふ、確かに普通の料理はともかく、お菓子はあまり作らないものね」
なんとか勢いで誤魔化せた美咲だったが……一瞬、血の気が引いた。
今度は途中で止められず、思わず口を滑らせてしまっていた…。
そんな美咲の向かい側に座っていた真知子は、もう完全に睨んでいると言っても
良い表情だった。
…美咲は、『あぁ、これは後でお小言を言われるんだろうなぁ…』と確信する。
新型ボディの開発が本格始動し始めている現在、この中で一番忙しいはずの真知子
には、美幸の試験を優先してもらっている状態なのだ。
そんな状況でつまらないミスで台無しにしたとなれば、大失態と言える…。
真知子の表情は“ごもっとも”だった。
「…それにしても、残念だわ。
せっかく今日こそは美月ちゃんのお友達と会えると思っていたのに…」
「遥達はクリスマスは家族と過ごすらしいので…。…ごめんなさい」
「ふふふ、良いのよ。軽い冗談なんだから。
だって、実際に私達もこうして家族で過ごしているんだもの。
もし、この場に美月ちゃんが居なかったら、私も寂しかったわ…。
だから、そのお友達のご家族だって、それは同じなのでしょうし…ね?」
「……ぁ…はい。そうですね…」
「あははっ! まぁ、遥ちゃんは次の機会に連れてくれば良いじゃん! ね?」
一瞬、暗い沈黙が訪れた室内の雰囲気を吹き飛ばすように、美咲が明るく笑う。
…その場の全員が、由利子の『美月ちゃんが居なかったら』という言葉に反応して
黙ってしまったことは、確認せずともわかっていたから。
「そうね、是非会ってみたいわ。
でも、そういう意味では…まちちゃんも、こうして会うのは久しぶりね。
研究の方はどうかしら? 何か困ってない?」
「あ、ええ。なかなか伺えなくて、すみません。
それと、研究の方ですが…こちらは大丈夫ですよ、先生。
私の部下は皆、とても優秀ですから」
「…そう。まちちゃんにはまだ教えておきたいことも残っているし…
こんな機会も滅多に無いし…他にも、色々とお話したいわ。
ねぇ…この後、私の部屋でその辺りの話も聞かせてくれる?」
「はい。喜んで」
「…ふふ、ありがとう」
その後、結局は終始テンションの高かった美咲の暴走を、いつもの美月の代わり
に美幸が四苦八苦しながら止めていた。
そして、そんな様子を他の3人が笑いながら眺める…といった流れになっていく。
いつも以上に元気な由利子の様子に、その場の全員は喜んだ。
そして同時に…その由利子を実質騙し続けている現状について、内心では深く考え
させられた。
試験が終わった後、美幸がこの夏目家を訪れる機会は激減するだろう。
本人が強く望んで通うのなら、その限りではないのだろうが…。
美幸の精神的な負担を考えれば、美月のふりを続けながら、この先もずっと頻繁に
通わせるのは現実的でないのは確かだった。
…医者の見立てでは長くても一年という話だったが、それも確実なものではない。
いずれ、美幸をこの家から…由利子から引き離すタイミングは訪れる。
そして、いざそうなった時、当初の予定通りに嘘を吐き通すのか、それとも正直
に真実を明かすのか…。
―――美咲達は今日、改めてそれを真剣に悩むことになった。




