第5話 起動準備完了
「…そういえばさ、あんたらって、何時入籍すんの?」
いよいよ、新しいAIシステムを載せたアンドロイドの完成が近づいてきた、
ある日。
搭載データの最終調整に追われていたところに投げ掛けられた突然の美咲からの
その質問に、隆幸はつい反射的に振り返ってしまった。
視線の先には案の定、ニヤニヤした顔の美咲が愉快そうな目をしながら、いつも
のように紅茶の入ったカップを傾けていた。
…しかし、今日の紅茶には砂糖が入っていないため、すぐにその目は不愉快そうな
ものに変わったが。
「…それなら、この子が起動する予定の日に籍を入れることにしました」
隆幸が質問に答えようとした矢先に、隣で自分と同じように最終調整をしていた
美月がパソコンの画面に視線を向けたまま、淡々と答える。
少し無愛想な声色で答えているのは、美咲の雰囲気が“からかいモード”になって
いることを察知したからだろう。
…そして同時に、姉に対して暗に『あまり調子に乗らないで下さいね?』と、牽制
しているのだ。
だが、それでおとなしく引き下がる美咲ではなかった。
「私達の愛娘の起動日に入籍とは……なんともロマンチストだね。
はは~ん? 私の読みでは……これは美月の提案とみた!」
「………っ……」
無言で作業を進める美月だったが……微妙に顔が赤い。
…図星だった。
「そういうチーフはどうなんです?
そんな風に妹をからかってる場合じゃないでしょう」
「あー……私はいいんだよ。そういうのには向いてないし」
照れて俯いている美月の代わりに反撃を試みた隆幸だったが……すぐにあっさり
と躱されてしまった。
…こういう話題を振られた時の美咲は、何故だかいつも素っ気無い。
再び隆幸は美月の様子を伺ってみるが、もう既に顔色が戻っていた。
どうやら落ち着いたようで、今は集中しているのか真剣な表情でパソコンの画面を
見つめている。
改めて眺める美月の横顔は、いつ見ても心配になるくらい白い肌をしている。
そういえば、つい最近完成した新AIシステムを載せる予定の素体も同じように
怖いくらいに白い肌をしていたな、と数日前の記憶が頭を過ぎった。
…まぁ、美月の遺伝情報をベースにした人工細胞から造った擬似人体なのだから、
理論的には少女時代の美月の姿そのままなので、当然ではあるのだが。
そう……先日、ボディ開発チームの方から最終調整が完了した旨と見学のお誘い
が来ていたので、美咲と美月も一緒に3人で見学に行ってきたのだ。
・
・
・
アンドロイドの開発は、大きく2種類に分類される。
素体の開発を主に担当する『ボディ開発部門』。
そして、美咲達のようなAI開発を主にした『ブレイン開発部門』だ。
更に細かく言うなら、ボディ開発部門は擬似人体の開発を担当している生物学を
中心とする生物学部門と、機械部分である脳と眼球部分の開発を担当している機械
工学部門とに分かれている。
…だが、アンドロイド開発の業界では、隆幸達の担当するようなAI開発の分野は
研究室の広さも肩身も、揃って狭いケースが多かった。
生物学部門では素体の研究だけでなく、実際に擬似人体を作る必要もあるので、
そのための設備も大掛かりなものとなってくる。
実際、美咲達の勤めるこの研究所も、施設内の敷地の半分近くはこの生物学部門
である。
そして、機械部分を担当する機械工学の部門も、ある程度の広さを必要とする。
理由として、まず細かな部品も含めて全て研究所で生産しているため、それだけ
でも結構な広さが必要になるというものがある。
更に、その生産した部品も工業製品である以上は、同じ材料、同じ形、同じ構造
の部品を作ったとしても、やはり多少の“良し悪し”というのは出てきてしまう。
その中で、最も精度の高い部品のみを組み込むためには、その性能を逐一テスト
する設備のスペースも確保する必要もあるからだ。
…しかし、それに比べてAI開発チームは……というと、多少大きなコンピュータ
を設置した専用の設備は必要なものの、基本はパソコンの中での作業が中心の為、
他の部署に比べればスペースは少なくて済むというわけだ。
では何故、肩身まで狭くなってしまうのか? というと、それはAI開発は他の
部署に比べて悪目立ちするからだった。
アンドロイドは高価で、構造も非常に複雑であることから、現状では大量に生産
されるような代物ではない。
それ故に、機械部分の製造時には全ての部品がテストをクリアした最高の品質の
ものが使われている。
更には、擬似人体の部分を構成している人工細胞は、特殊な培養液で維持されて
おり、それは人間の血液のように全身を循環しているのだが、その培養液は2週間
に一度は新しいものと入れ替える必要がある。
そのため、全てのアンドロイドは隔週に一度、各担当の研究所に帰ることになる
のだが、この時に、ほとんどの研究所が念のためにと機械部分も含めて定期メンテ
ナンスを施している。
…そういった行き届いた管理状態から、通常の環境下でボディ部分に不具合が出る
可能性は、ほぼ無いと言えるような状況だった。
しかし、AIの場合は機能に問題がなくても人間との会話や不測の事態への対処
といった部分で、突発的に不都合が出る例もある。
そして、そうなれば当然、すぐにそれはクレームとなって研究機関に報告されて
くることになる。
結果的には、アンドロイドの使用現場からの改善要求のほとんどが、AI部門へ
寄せられることになってしまい、現場では『不具合があるのはAIばかり』という
イメージが浸透していったのだ。
以上の理由から、世間的にみてアンドロイド開発の世界では、AI部門は肩身が
狭い思いをさせられるケースがほとんどだった。
しかし、そんな中で、美咲達がいる研究所は数少ない『例外』だ。
過去の原田美雪の功績と、現所長の夏目洋一が揃ってアンドロイド開発の権威で
あり、その専門もAI研究だったという影響で、研究室の広さこそ他と変わらずに
所内で最も狭いが、立場と言う意味で言えば、肩身が狭いどころか、むしろ好優遇
と言って良いほどだ。
更には、勤続年数の長いベテランの研究者達が、何故か揃って美咲達に対しては
とても甘いところがある。
美咲達の居るAI研究分室は、コの字型に建てられた研究所の一番端に位置して
いるため、同じく一番端に位置する生物学部門は、機械工学部門を挟んでちょうど
反対側になっている。
当然、歩いて行き来するともなれば、長距離を歩く羽目になり、そこそこ時間も
掛かるはずなのだが、なぜか比較的近い機械工学部門の研究者だけでなく、遠くに
ある生物学部門の担当者までが、頻繁に美咲の下を訪れる。
…しかも、大した用事という事でも無く、大体は世間話をするために、だ。
そんな彼らは、美咲の性格もあって、かなり遠慮無く……というか、普通に邪険
に扱われているのだが……何故か皆、最後にはニコニコして帰っていくのだった。
・
・
・
完成したというボディの保管場所は、生物学部門の研究室の中でも最重要の場所
にあるのだが、通常ならば完成後すぐに他の開発室の所員に素体を公開するような
ことは、まずありえない。
それどころか、生物学部門においては特に部外秘の研究記録も数多くあるため、
美咲のような責任者クラスならばまだしも、隆幸達のような一般の研究員相手には
入室許可すら下りないのが普通だ。
つまり、今回の見学は、純粋に生物学部門の方々の厚意あってのことだった。
美月や隆幸にとっては、本当にありがたい話だ。
研究所内をぐるっと回って、ついに素体の保管場所に到着した3人。
隆幸は、密かに入室する直前までSF映画で見るような、筒型の水槽の中に完成
した素体がプカプカと浮かんでいる光景を想像していたのだが……。
実際に案内されたボディの保管場所では、横倒しになったカプセル形状の装置の
中に、ただ素体が寝かされているだけの状態だった。
だからだろう……パッと見た印象では、美月そっくりな15、6歳の裸の少女が
酸素カプセルで眠っているようにしか見えない。
…ただ、そんな見た目のインパクトは無かったものの、目の前の存在にこの7年の
成果を託すのか……と思うと、隆幸は正体不明の不思議な感動を覚えた。
「この娘に、僕達の研究の集大成を託すことになるんだね……。
ふふっ、何だか感動して……柄にも無く興奮を覚えるよ」
この娘は初めて自分を見た時、一体どんな表情を浮かべて、どんな感想を持つの
だろう?
何であれ、この美月にそっくりな自分達3人の娘には、出来るなら幸せな未来が
待っていて欲しいものだ。
そんな風に純粋に感動して、その素体に見入っていた隆幸……だったが――
「生殖器の無いアンドロイドの体とはいえ、少女の裸を見つめて『興奮している』
だなんて……ここだけ切り取って見ると、高槻君は条例違反で即お縄だね!!」
…という、美咲の身も蓋もない一言で、一気に感動がどこかに吹き飛んでいった。
まぁ……もういっそのこと、意識も一緒に吹っ飛んでいた方が、隆幸には幸せ
だったのかもしれないが。
「ね、姉さん!?
突然なんてことを言うんですか!! すぐに隆幸さんに謝ってください!!」
子供のようなキラキラした目で素直に感動している婚約者を微笑ましく後ろから
見守っていた美月だったが……その美咲の発言に驚いて、珍しく即座に大きな声で
発言の訂正を訴えた。
突然の姉の暴走はいつものことだが……ここには他に人が沢山居る。
周囲に多大な誤解を生みかねない……問題発言そのものだった。
美月は周囲の研究員に『大丈夫です、そういう人ではないです』と必死になって
フォローに回る。
…だが、美月のフォローも空しく、ボディ開発チームの女性陣からの視線が隆幸に
容赦なく突き刺さった。
一応、『原田AI開発チーム3人の娘のようなものだから』と、3人全員で見学
する許可は取ってはいたものの、普段は倫理的な観点から女性型のボディを作って
いる研究棟においては、男子禁制が基本。
…つまり、今、この場所は隆幸を除く全員が女性だった。
美咲に指摘された無自覚な不謹慎発言による羞恥と、突き刺さる視線に、隆幸が
縮こまって懸命に耐えていると――
「ああ……いや?
よく考えたら、数年前とはいえ美月の体なんだし……高槻君なら見慣れてるか」
…と、美咲が更に追加の爆弾を投下してくる。
「ちょっと、チーフ! いい加減、勘弁して下さいよ!!」
流石にこの発言には堪らなくなって、隆幸は情けない声で美咲にそう訴えた。
「あははっ! いや~、小声で叫ぶだなんて、高槻君は器用なコトするね!」
美咲は先ほどからずっと楽しそうに笑っていた。
隆幸にとっては不幸な事だが、今日はいつにも増して絶好調なようだ。
…だが、周囲の様子を恐る恐る確認した隆幸は、その雰囲気が少々変わっている
ことに気が付いた。
先ほどの美咲の追撃によって、隆幸に刺さる視線は侮蔑から一転して、好奇を
含んだものに変わっていたのだ。
…まぁ、どちらにしても隆幸には歓迎できない種類の視線だったが。
今度は違った意味での居心地の悪さを感じながら、隆幸は不意にハッとなって
慌てて後ろを振り向いた。
美月のことが心配だ。
人前であんなことを言われて、恥ずかしさで泣いていないと良いのだが――
「――――ふふっ…」
隆幸の予想に反して、美月は笑っていた。
右手で口元を隠して綺麗に。上品に。
…ただ一点。薄く開けた瞳の奥に――夜叉が居た。
「……………………」
隆幸は声を掛けること無く沈黙した。
本能的に気配を消したのだ。
…というより、美月のその低い笑い声を聞いた瞬間。
その場の全員が、魔法にでもかけられたように固まっていた。
隆幸には、その時……周囲の時間が全て止まったような――そんな気がした。
「…あ、あー……あはは、は……えーと、その~…………ご、ごめーんネ!」
美咲は若干顔を引き攣らせながらも、なおも軽いノリを維持したままで謝る。
…これも『度胸がある』と言うのだろうか?
「フフッ……姉さん?」
「…は、はい……なんでしょうか……?」
「……後でお話しがあります。……絶対に逃げないで下さいね?」
美月が満面の笑顔のままでそう告げると、美咲は蚊の鳴くような声で――
「………………はい」
…とだけ、呟いた。
その後、研究室に戻った美咲は、みっちりと『女性としての慎み』をテーマに、
2時間に及ぶ個人指導を妹から受けることになった。
そしてその上で“一週間角砂糖の使用禁止”の罰が言い渡されることになる。
美咲が今日、甘くない紅茶を飲んでいるのはそのためだった。
…しかし罰ですら本人の健康にとっては良いものにする辺り、何とも美月らしいな
と隆幸は思った。
美咲もその辺りの事を解っているのだろう。
大人しくその罰には従っていた。
…決して本気の美月に今も怯えているからではないはずだ……そうに違いない。
そんな先日の出来事を回想しながらも、搭載データの仕上げ作業をしていた隆幸
だったが、やがてそれも遂に終盤に差し掛かってくる。
「…完了しました。こちらは特に問題ありませんね」
「こっちも終わったよ。問題は……無し」
これで隆幸と美月の『感性データ』の最終調整がほぼ同時に終わった。
後は美咲が最終チェックを行ってから、その完成した7年分の成果を先日の素体に
インストールするだけだ。
「これで僕達は、後は起動日を待つばかり……だね?」
「はい。今から楽しみです」
美月は少し恥ずかしそうにしながらも、そう言って幸せそうに笑った。
…先程、美咲にも言っていたが、予定では2人は起動の日に入籍も同時にすること
になっている。
幸せそうなその笑顔には、そういった意味も含まれているのだろう。
「チーフ、こちらの最終調整は完了しました。
一応、これで僕達に出来る実動までの全工程は終了です」
「はーい、ちゃんと聞こえてるよ。
後でこっちでもチェックしとく。
まだ起動するまで油断は出来ないけど……とりあえず、2人共お疲れさん」
美咲は紅茶の入ったカップを傾けながら、適当そうに労ってくれた。
だが、紅茶は先ほどと同じく甘くはないはずなのに、美咲は愉快そうな目のまま
それを飲み干していく。
…なんでもないように装ってはいるが、本当はとても喜んでいるようだ。
すると、ふと先日の騒動の時の美咲の様子が頭を過ぎる、隆幸。
…そういえば素体の見学中もずっと今と同じような目をしていた気がする。
更に思い返してみれば、美月のお説教を聞いている時も、どこか楽しそうな目を
していたような――
(あぁ……なんだ。そういうことか……)
何のことはない……あの日も、今日も。
最も感動してはしゃいでいたのは、どうやら隆幸ではなかったということらしい。