第44話 美幸と由利子の楽しい日々
12月4日。
由利子が日記を付け始めた初日。
昼食を終えた美幸達は、裏庭まで出て来ていた。
夏目家は洋風建築の建物であり、裏庭にはカフェのオープンテラスに設置されて
いるような陽射しを遮るための傘がついた机と、椅子が3脚設置されている。
冬にしては暖かい陽気の今日、美幸と由利子はその椅子に対面で腰掛けていた。
由利子はその日の日記に『庭で仲良く折り紙を折った』と書き記したらしい。
それを現実にするため、今日はここで折り紙をすることになったのだ。
「美月ちゃんは、鶴の折り方は憶えているかしら?」
「…はい。大丈夫です」
ネットにアクセスして検索をかけた美幸は、瞬時に鶴の折り方を把握する。
「そう、なら美月ちゃんは赤い鶴ね、私は白いのを折るわ」
「紅白ですか。おめでたい組み合わせですね」
「ふふふ、そうね。私としては折鶴はこの色合いが一番良く似合うと思うの」
「ええ。きっと完成したらとても綺麗でしょうね」
「なら、美月ちゃん。どっちが綺麗に出来るか、競争しましょうか?」
「クスッ…わかりました。受けて立ちましょう」
その後、完成した2人の折鶴は、時間を掛けて丁寧に折ったこともあり、とても
綺麗な仕上がりになった。
「ふふふ、勝負は私の勝ちね」
「そうですね。でも、次は負けませんよ?」
当たり前の話だが、アンドロイドの美幸がその気になれば、それこそ寸分狂わぬ
ものを折ることが出来る。
しかし、由利子に勝って欲しいと思った美幸は、羽を広げる直前の頭を折り込む
際に、僅かにずらして折ったのだ。
折鶴の頭の部分はどうしても目立つ。
案の定、2つ並べてみると、やはり美幸の方が不恰好になったため、目論見通りに
由利子の勝ちという判定になった。
「…ねぇ、美月ちゃん。この鶴、私が貰っても良いかしら?」
「え? あ、はい。勿論です。
折角ですから、おばさんのと一緒にお部屋に飾りましょう。
あ…でも、どうせ飾るのならもっと綺麗に出来ればよかったですね…すみません。
なんでしたら、もう一度折りましょうか? 次は綺麗に出来る気がするんです」
「いいえ、私はこれがいいわ。
せっかく美月ちゃんが一生懸命に折ってくれたんですもの。
ふふふ、これならどんな千羽鶴よりも元気をもらえそうよ」
穏やかな笑顔で手の平の上の折鶴を愛しそうに眺める由利子。
その眼差しはとても優しいもので、それを見た美幸も思わず笑顔になっていた。
その後も風車や兜、亀など色々な折り紙を折って遊んだ2人。
研究所から返ってきた美咲達も、その話を聞いて羨ましがり、結局夕食後は4人で
折り紙大会を開催することにまでなった。
その日の夜、由利子は楽しげに日記に評価を書き足していた。
『思っていたより凄く楽しかった』と言ってニコニコしながらペンを握る由利子は
とても病人とは思えないほど生き生きとしていた。
12月10日。
この日は、前日にひょんなことから学校の友達の話を振られた美幸が、遥と一緒
に歌を歌ったことを話したのを切欠に、歌を披露することになっていた。
実際の美月からは学生時代の経験をあまり聞いたことが無かった美幸は、遥との
出来事を少し設定を変えつつ話した。
美幸が嘘を吐くのが上手いタイプなら完全な作り話でも良かったのだが、性格的
にそれが難しかったため、ボロが出ないように実際の経験を語ることにしたのだ。
…何よりも、今も自分を美月だと偽って由利子を騙し続けていることも心の片隅で
引っ掛かっていた美幸は、せめて自分の思い出話くらいは偽りたくは無かった…と
いうのが一番の理由だったのだが。
そんな(美幸の思い出である)美月の友達の話を聞いて、由利子はその歌に興味を
持ったらしく、『それなら、明日はその歌を実際に歌ってみてくれないかしら?』
と言ってきたのだ。
「ふふふ、嬉しいわね。
このことをあの人に教えてあげたら、きっと悔しがって自分も聴きたがるわよ?」
そう言われて、すぐに羨ましそうな表情の洋一が思い浮かんだ美幸は、由利子と
一緒になってクスクスと笑った。
「それでは、歌いますね? 曲目は『虹の海』です」
「ええ、楽しみだわ。頑張ってね? 美月ちゃん」
「あ、はい。…頑張ります!」
ピアノがないこともあって、今日はアカペラで歌うことになった美幸。
しかし、遥の伴奏を自分の頭の中で再生しながら歌うことにしたところ、遥との
練習を思い出して、つい由利子を忘れて歌に没頭してしまうほど集中して歌うこと
が出来た。
「♪~♪♪~♪~……どう、でしたか?」
「……ええ。とっても…上手だったわ」
聴いている間、ずっと目を瞑っていた由利子は、ゆっくりと目を開けてパチパチ
と拍手をしながらその歌を褒め称えた。
「…本当、美月ちゃんは何をしても上手ね。…羨ましいわ」
「クスッ…ありがとうございます」
そうして美幸の歌を褒め称えた由利子は、何故か不意に遠い目をした。
その様子を不思議に思った美幸だったが……それが表情に出ていたのだろう。
美幸が尋ねるより早く、由利子がその表情のわけを教えてくれる。
「あ、ごめんなさいね…。この曲……美雪ちゃんも好きだったなぁ…って」
その台詞に一瞬、ドキッとした美幸だったが、すぐにその人物に思い当った。
…漢字違いで同じ読み方の名前だった美咲達の母、『原田美雪』のことだろう。
「あ、はい。…母さん達の思い出の曲らしいですね」
「…ええ。よく聴いていたわね」
そう言って、再び遠い目をする由利子。
その瞳の向こうには、由利子にとってかつては同僚だったらしい『原田美雪』が
映っているのだろうか?
邪魔をするのが憚られた美幸は、無言でそんな由利子に微笑みかけていた。
12月18日。
今日の天気は、生憎の雨模様だった。
流石に外に出られない2人は、暫く雑談をして過ごしている。
この日は一緒に本を読む予定になっていて、その話で盛り上がっていた。
この家の中には洋一の簡易的な書斎があり、そこには実用書や研究資料以外にも
様々なジャンルの小説等も保管されている。
そこで、それぞれが気になった小説を読んで、その内容をお互いに解説しながら
話し合う…といった遊びをすることにしたのだ。
「…そう。美月ちゃんはその人に幸せになって欲しかったのね?」
「…はい。途中までは、とても面白かったんですが…」
美幸は、無造作に選んで読んだ小説の内容に不満が残ってしまっていた。
その内容とは、とある青年が恋人の病を治すために懸命に勉強をして多くの病気
の治療法を発見、世界中の人々から賞賛を浴びる…といった展開の話だった。
「だって、あんまりじゃないですか。頑張って生きてきたのに…」
「ふふふ、そうね。でも、そういう展開のお話は意外と多いのよ?」
「…そうなんですか」
その小説では、結局、その恋人の病の治療法だけは見つけられず、思い悩む青年
に、その青年のおかげで病気が治った別の女性が恋をする。
そのことを知った青年の恋人は、もう治る見込みの無い自分と居ると青年が不幸
になると考え、わざと嫌われようと青年に辛く当たり始める。
そして急変した恋人の酷い態度に戸惑っているところに、その別の女性から想い
を伝えられて、最終的にその二人は恋人同士として結ばれることになった。
…そして、小説の最後では、一人ぼっちで…しかし満足気に息を引き取る元恋人の
女性の描写で締め括られていた。
「私は…やっぱり最後には無事に恋人の治療法が見つかって、幸せになった2人を
皆で祝福する展開の方が良かったです」
「…そう。…美月ちゃんは優しいのね。
でもね? 誰かを残して去る者からすれば、『思い残しが無い』っていうのは、
とても大事なことなのよ?
きっと、この本の作者はそれを伝えたかったのね…」
今、まさに病気を患っている由利子のその言葉には、とても説得力があった。
毎日楽しそうにつけているあの日記も、恐らくはその“思い残し”を失くすための
ものなのだろう…。
「それに、本当はこの恋人だって青年に酷い態度を取るのは辛かったんです。
恋人なら、それも見破ってあげて欲しかったです」
小説内でこの病気の恋人は、青年に厳しく接するたびに心の中で思い悩み、葛藤
を繰り返していた。
美幸は、恋人のその辛い気持ちを察することが出来なかった青年に対しても不満
を覚えたのだ。
「そうね…。確かに、この子はとても辛い思いをしていたわ。
でも、この子にとって一番の望みは、その嘘の態度に青年が騙されることによって
自分の元から離れて…そして、別の人と幸せになることだった…。
だから…それがどんなに悲しくても、その嘘は見抜かれなかった方が彼女にとって
は良かったのよ…」
由利子の口から出た『嘘』『騙す』という言葉が、美幸の頭にこびりつく。
そして、それが引き金となって、心の奥にしまい込んでいたはずの葛藤が再び顔を
覗かせ始める。
「最終的に先を生きる人達が皆、幸せになるなら…きっと、その嘘は正解なのよ。
…少なくとも、この恋人の女性にとってはね。
ほら、『嘘も方便』って、昔から言うでしょう?
その嘘が誰も不幸にしないのなら、それどころか幸せを導くものだったのなら…
嘘も、時には正義になるものなのよ…」
その由利子の台詞に、美幸はもう何も言葉を返せなかった。
もし、その考え方がそのまま由利子の心の中とリンクしているのなら、去り行く
由利子を優先して、先を生きて行く美月を悲しませている現状は、彼女からすれば
望まないものであり、同時にその正義に背く行為だろう。
そんな考えが頭を過ぎったからだろう。
美幸は、まるで由利子が自分に真実を告げることが一番の選択だと暗に言っている
ように感じられて、戸惑ってしまっていた。
「…ふふふ、本当に優しい子ね。大丈夫よ。これはただのお話。
身も蓋も無いけれど…作り話である以上、本当は誰も悲しんでいないわ」
「…そう…ですね。はい、わかりました」
「ふふ、あなたは感受性が豊かなのね…。それは、とても素晴らしいことだわ」
そう言って美幸の頭を優しく撫でてくれる皺だらけの手は、今はとても温かい。
…しかし、その手の温もりが消えてしまう時までには、この嘘を暴くべきなのか、
それとも貫き通すのか…。それを、きちんと決めなくてはならない。
そうして由利子に撫でられながら…美幸は一人、心の中で葛藤を続けていた。




