表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/140

第43話 順調な滑り出し

 開始するまでは色々とごたごたとしていた今回の試験だったが…。

実際に始まってみると、拍子抜けするほど順調そのものだった。


 まだ3日目ではあったが、ほとんど不安要素は無いだろうと判断出来るくらいに

何も問題が起こりそうにない。


 それもそのはずで、そもそも由利子はあまり長い時間起きていないのだ。

これは、病気で体力が落ちているので、睡眠時間が長い傾向にあるためらしい。


 特に最近では、食事後に仮眠をとる習慣がついていることもあって、各食事後に

1、2時間…長くても3時間程度で一旦は眠ってしまう。


 だから、付きっきりでお世話をする…ということでもなく、美幸は一日に数時間

だけ、由利子の話し相手をしているだけで良かったのだ。



 そうして、何事もなく順調に試験が続けられている中、今日は2人とも早く帰宅

出来たため、美咲達は由利子の部屋で4人揃って夕食を取ることにしていた。


「ねぇ、あなた。私の日記帳、まだ置いてあるかしら?」


「うん? ああ、あの赤いやつか。机の引き出しに仕舞ってあるぞ?」


 それは、由利子が今のように本格的に寝込んでしまう前に、美月からプレゼント

されたものだった。


 鍵付きの可愛らしいデザインのその日記帳は、日付の記載がないタイプのもので

いつからでも使えるようになっている。


 だから、美月から貰った当初に、『勿体無くて使えないわ』と言った由利子は、

ここぞという時に使おう…と、大事に仕舞っておいたのだ。


「出してきてくれるかしら? 明日から使いたいの」


「それは構わないが……急にどうしたんだ?」


「最近、なんだか毎日がとても楽しくてね。日記に残しておきたくなったの。

それに……今、使っておかないとね。…私もそう長くないでしょうから」


「…! おばさん! そんなこと言わないで下さいよ!」


「あらあら。ふふふ、美咲ちゃんに怒られちゃったわ」


「…あ。いや、その……」


 何気なく漏らした由利子のその言葉に反応して、思わず大きな声を出してしまう

美咲。


 相変わらず元気そうに見える由利子だったが、以前とは違って毎日顔を合わせて

いると…時折、苦しそうにしている瞬間を目撃してしまったりする場面もあった。


 そんな時、こちらに気付いた由利子が急に元気なフリをして話しかけてくると、

その度に罪悪感に襲われる。

 

…私達はこんなに健気(けなげ)な人を、今もずっと騙しているのだ、と。


 だからこそ、由利子が自らの死を匂わせたことに過剰反応してしまった。


 騙されたまま、最期まで幸せな気持ちで過ごして欲しい…。


…そう思う反面、騙していることをちゃんと謝るまでは、何としてでも生きていて

欲しい…という感情が、美咲の中で入り混じる。


(これじゃ、美月が言った通りじゃないか…。いわんこっちゃない)


 美咲は、偉そうに強がって美月の話を無碍むげにしておいて、実際に始めてみてから

罪悪感に苛まれている自分が…酷く滑稽に思えた。


「ふふ、ごめんなさい。美咲ちゃんの言う通りね…。

でも、ここ最近の毎日が楽しいから日記に残したいというのは、本当よ?」


 あくまで穏やかな口調で美咲を軽く慰めた後、由利子は美幸に向き直ると――


「だからね、美月ちゃん。毎朝、私にこの日記帳を書くように言ってくれる?

歳の所為かしら…何だか最近、忘れっぽくてね。…お願い出来るかしら?」


と、頼み込んできた。


…しかし、その頼みは、良く考えてみると少々変な内容だった。


「あ、はい。それは勿論、構いませんが………朝…で良いんですか?」


 日記帳とは、その日の出来事を振り返って書くものだ。

当然、ほとんどの人は夜になってから…つまり、寝る前に書くだろう。 


 それなら…朝ではなく、夜寝る前に声を掛けるべきではないだろうか?


「ふふふっ…。それなんだけどね? 

せっかく書くんだから、普通に書いても面白くないでしょう?

だから…まずは朝、一度予定を書いてから、その内容に沿って一日を過ごすの。

それで、夜になったらもう一度日記帳を開いて、その日の出来・・を書き足すのよ。

…どう? これなら朝決めたことを夜評価するまでは、死ねないでしょう?」


「それは…良いですね。わかりました。忘れずにお伝えします」


「ふふ…よろしくね?」


 由利子の言うことが実現するなら、朝に日記を書き続けている限り、少なくとも

寝るまでの間は死なないということになる。


…勿論、そんな都合の良い話はないのだろうが、その明るい考え方はとても素敵な

もののように感じた。


「ははは、これは重大な任務だね。美月ちゃん」


 そう言って笑う洋一は、美幸にこの試験を受けてもらえて本当に良かった…と

思っていた。


 ここ数日の由利子は空元気なだけではなく、本当に・・・元気そうにしている。


 しかも、ここに来て、明日からは新しいことまで始めようというのだ…。

洋一にとってそれは、生きるという意志の表れのように思えて…ただ嬉しかった。


 そんな会話をしている間に洋一から日記帳を受け取った由利子は、早速、何かを

書き込み始めた。


「おいおい、今はまだ夜だぞ?」


「そんなの分かっているわ。忘れない内に、今の思いつきを書き留めておくのよ。

せっかく面白いことを思いついたのに、翌日になって忘れてたら残念だもの。

…あ! 覗き込まないで頂戴! 他人の日記帳を見ようだなんて、非常識ね…」


 嬉しさのあまり、つい覗き込みそうになった洋一が由利子に叱られてしまう。


「そうですよ、おじさん。女の子の日記帳は誰にも秘密なんです」


「そうだよ、おじさん。そんなことをしてたら、おばさんだけじゃなくて、ここに

いる全員から嫌われちゃうよ?」


「ははは、それは勘弁願いたいね。…やっぱり男一人は肩身が狭いなぁ」


 そう言って実際に肩を(すく)めて狭そうにしている洋一の姿が妙に可笑しくて、3人

揃って一緒に笑った。


「あ…でも、美月ちゃんには卒業した時にお祝いに見せてあげようかしら?」


「えー! なら私も! 私も見たいなー」


「ふふ、美咲ちゃんは駄目よ。だって、もうとっくに卒業してるじゃない」


 子供のように駄々をこねる美咲の前で、由利子は日記帳に鍵を掛ける。


 美幸はその『日記帳の中身を見せる』という言葉に、多少の戸惑いを感じたが…

いつか、その中に記された言葉を読み返しながら、由利子と2人で並んでその日々

を振り返るのは意外と楽しいのかもしれない…と、今からそれが少しだけ楽しみに

なったのだった。




「真知子さん、どうにか私達が中に入る手助けをしてくれませんか?」


「ごめんなさい。…私にはやっぱりそれは出来ないわ」


 12月5日の土曜日。

連絡を受けた真知子が待ち合わせの場所に着くと、開口一番に美月からそう言って

頼み込まれた。


 美幸の携帯電話は、一時的に隆幸達からの着信を拒否する設定にされていたため

繋がらない状態になっていた。


…美咲達の方は呼び出しこそするものの、当然…取ってはくれない。

では洋一はといえば、こちらも美咲に言われているのか、一向に反応がなかった。


 現状で美月達から連絡がついて、夏目家に出入りしている人物は、真知子くらい

しか居なかった。


「僕からもお願いします。

穏便な方法で屋内に入るには、乾さんの協力が不可欠なんですよ」


「…何だか物騒な言い様ね。穏便じゃなかったら、どうやって入るつもり?」


 今の隆幸は謹慎中で、研究所にも入ることすら出来ない。

前回の佐藤運輸での部隊も国を経由して研究所が手配したものであり、隆幸個人の

伝手で用意出来る人員は、ほとんど居ないはずだった。


「いえ…物騒も何も、玄関先からおばさんに大声で呼びかけるか、

それが無理なら、普通に壁をよじ登って侵入…くらいしか思いつきませんよ。

そもそも、相手が夏目所長の家ですからね…。

流石に無茶なことは出来ません」


「まあ、それはそっか…。別に親の(かたき)ってわけでもないもんね…」


「ええ。だからこそ、可能なら穏便に済ませたいのが本音なんですよ」


 いつも通りの笑顔の中に、微かに困った表情が混ざる隆幸。


 その隆幸の隣の美月も、真知子を説得しようと、試験が始まる直前にした質問を

再度ぶつけてみることにした。


「真知子さんは…まだ今回の試験が正しいって、思ってらっしゃるんですか?」


「それがね、私も初めは上手くいくのかな? っていう心配もあったんだけど…。

これが、今のところ凄く順調でさ。

先生、とっても幸せそうでね…。毎日、凄く嬉しそうなのよ。

…美月ちゃんには、ちよっと複雑かもしれないけど」


「…ええ。正直、倫理的なことを度外視したとしても、とても複雑です。

…美幸ちゃんが悪くないのは、私にだって分かっています。

ですけれど…このまま、おばさんの中の『私』が『美幸ちゃん』に取って代わって

しまうのかと思うと…。

これまで通りに美幸ちゃんを見れなくなりそうで…それも怖いです」


 腹が立つ…というよりも、悲しそうな顔で美月はそう答えた。

横でその様子を見ていた隆幸は、その瞳から美月の感情を見極めようとするが…。

読み取れた感情は…はっきりとしないものだった。


 本人の言う通り、複雑なのだろう。

僅かな怒り、焦り…それに悲しみ、痛みや迷いといった感情が混じって、それが

めまぐるしく入れ替わり立ち代わりしていた。


「ねぇ…美月ちゃん。もう始まっちゃったから…とは言わないけどさ。

少しだけ…様子をみてあげてくれない? 

つい昨日も一緒に折り紙を折って遊んでたんだけど…本当に楽しそうでね。

勿論、先生だけじゃなくて、美幸ちゃんも。

だから、せめて先生が楽しみにしている年越しまでの間は、このまま平和な時間を

過ごさせてあげられない?」


 最近の話をするついでに、今度は逆に真知子が美月を説得しに掛かる。

事前に阻止できなかった以上、今から強引に真実を突きつけたのなら、どうしても

誰かが傷つくことになるだろう。


 だからこそ、由利子が幸せそうにしている、今のこのタイミングでは最悪の結果

しか生まないだろうと真知子は思っていた。


「………ふぅ。…わかりました。

でも、私だって今後ずっとおばさんに会えないのは、流石に嫌ですからね…。

…いつかは必ず、おばさんの夢を覚まさせます」


「…美月、本当にそれで良いのかい?」


 案外すんなりと引き下がった美月に、隆幸は改めて確認する。


「…はい。結局、私は『現状を認められない』というだけですから。

必要以上に悲しみをもたらしたいわけではありませんし」


「そう。美月が良いなら、とりあえず僕らは年明けまで大人しくしておこうか」


「すみません、隆幸さん。何だか私の都合で振り回してしまって…」


「いや、構わないよ。気にしないでくれ」


 そんな美月達の会話を傍で聞いていた真知子は、突然、笑い始めた。


「うふふ、相変わらず高槻君は美月ちゃんに甘いのねぇ…。

でも、いかにも夫婦って感じがして良いわね。そういうの」


 真知子のその言葉を受けて恥ずかしくなったのか、美月は黙って俯いた。


「ええ。実際、夫婦ですからね…僕達は」


「初めて交際の件を美咲ちゃんから聞いた時には、高槻君がヤバい人だったのかと

思ったものだけどね…」


「ヤバい人って…酷いですね。…まぁ、その手のことは散々言われましたけど」


 隆幸が正式に美月と交際をし始めたのは美月が高校生になった時、隆幸が研究所

に正式に所属することになった頃でもある。 


 学生と社会人…年齢差があったこともあって、当時から周囲にからかわれていた

隆幸はそういった台詞を聞き飽きるほど聞いていた。


「まぁ、でも…美月ちゃんもこういう時に無条件に味方になってくれる人が居る

のは嬉しいでしょ?」


「……ええ。とても」


 やはり恥ずかしそうにしていた美月だが、その返答ははっきりと言った。


「ははは…少し、照れくさいね」


 隆幸は頭の後ろに手を当てて…こちらは少しも恥ずかしく無さそうに言う。


…いや、単純にポーカーフェイスが上手過ぎて、真知子には感情が読み取れない

だけなのかもしれないが。


 そんな会話をしている美月達からは、先ほどまでの張り詰めた雰囲気がいつの

間にか消えていた。

…この様子なら、約束通り、少なくとも年明けまでは手を出してこないだろう。


 そのことにホッとしたと共に、やはり原田AI研究分室のメンバーはこうして

和やかな様子の方が落ち着くなぁ…と、改めて思う真知子だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ