第42話 それぞれの想い
「…流石に簡単にはいかないみたいだね。正面玄関からは難しそうだよ」
「やはりそうですか…。この警備体制は敵に回ると厄介ですね」
「でも、今までと同じで目立ちすぎないように最小限で展開してるみたいだし、
まだ付け入る隙はあると思う。諦めるのはまだ早いよ」
12月1日の早朝、隆幸と美月は夏目家を訪れていた。
今は偵察がてら隆幸が夏目家の周辺を歩いて探った結果を、車で待機していた美月
に報告している最中だった。
元々の夏目家の構造…敷地の四方が塀で囲まれていることもあって、出入り口を
塞がれてしまうと進入は難しい。
現実的な話をするなら、美月は洋一達の娘のように育ったとはいえ、あくまでも
“ように”なのだ。
養子ではなく後見人であり、戸籍上は親子ではない以上は、強引に進入して事が
大きくなった場合、『家族間の揉め事』では済まされなくなる。
…最悪の場合、不法侵入で警察に検挙されて前科者に仲間入りしかねない。
美咲達がそこまでしてくるとは考えたくはなかったが、由利子のためにどこまで
の対応をするのかが予想出来ない。
万が一にもそんなことになったら、誰より美幸が悲しむだろう。
…そうなれば、美月達としても本末転倒になってしまう。
「美幸達はまだ到着していないみたいだし、来たところを捕まえるしかないかな」
あれから、結局は美咲達とはお互いの妥協点を見つけることが出来なかった。
しかも、その意見が試験の実施に支障をきたす可能性が高いとして、即日、謹慎を
言い渡されてしまった。
幸い、常時監視がついている…というわけではなかったので、自由に動けはする
ものの、警備体制は既に整えられていて素人の隆幸達にはどうしようもなかった。
こうなったら、後は到着前から夏目家の付近に待機して、敷地内に入る時に美咲
と美幸を捕まえて直談判するしかなさそうだ。
「確か、美幸ちゃんに関してはおじさんの家に泊り込みの予定でしたよね?
それなら、今日、ここで止めないといけませんね…。
でないと、試験が開始されたら外部からでは更に阻止が難しくなるでしょうし…」
今回の試験では、美幸は隔週で実施しているメンテナンスの日を除いて、夏目家
に泊り込みで実施されるらしい。
期間も、年越しを由利子と共に過ごすことを目的の1つにしていることもあり、
12月と1月の2ヶ月を予定していた。
今回も警備が常駐しているため、決められた人物以外は出入りが出来ない以上、
美幸が一度、敷地内に入ってしまうと、2週間後まで会えなくなる。
…最終手段として美幸を攫うことも視野に入れていた2人にとっては、この決定は
都合が悪かった。
「時間的にそろそろ来る頃だろうから、美月も出て行く準備をしておいてね」
「はい、わかりました。…お手間をお掛けします。隆幸さん」
「いや、いいよ。適材適所だ」
美月は、その容姿の影響でかなり人目を引いてしまう。
待ち伏せをするにしても目立ち過ぎることから、ギリギリまでスモークのかかった
車の後部座席に待機していることになった。
「よし、来たみたいだよ! 行こう!」
「はい!」
夏目の愛車であるクラシック感漂う外国製の車が家の前に停まったところで、
隆幸達はその中から出て来た人物の前にタイミングを見計らって飛び出した。
「姉さん! ちょっと話を聞い…て……」
「あー……やられたね…これは…」
「あはは…。美咲ちゃんじゃなくて…ごめんね?」
勢い良く飛び出して、その人物の進路を妨害した隆幸達だったが…目の前にいた
のは美咲ではなく、ボディ担当の責任者である乾真知子だった。
ボディ担当という立場もあって、もしもの時のトラブルのために真知子も夏目家
の空き部屋に密かに下宿することになっている。
…この様子だと、どうやら今回は美咲達の替え玉にされていたらしい。
今頃、美咲達は悠々と美幸を連れて裏口辺りから敷地内に入っていることだろう。
失敗してしまったものは仕方ない…と、美月は頭を切り替えて、目の前の人物…
真知子に質問してみることにした。
「…真知子さんは……やっぱり姉さんの味方なんですか?」
真知子は研究所内でも数少ない、美咲に邪険に扱われない人物の一人だ。
特に美幸が起動してからは、友人同士のように接している姿を見かけることもよく
あった。
「うーん…。今回に関しては、美咲ちゃんは関係ないよ。
どちらかというと…私の個人的な感情、かな。
由利子先生には、随分お世話になったから……その恩返しのつもり」
由利子は研究者時代にはボディ担当、特に真知子の専門である生物学の分野での
第一人者だった。
残念ながら、真知子が研究所に入った時期に入れ替わるように退職してしまった
のだが、素体研究の分野において由利子以上に有能な人物が研究所内に居なかった
こともあり、当時の真知子は何度も夏目家に通ってその教えを仰いでいた。
「結局、先生にはあれからまともに恩返しの一つも出来てなかったし…
私としては、これが最後の機会だと思ったから。
そういう意味で言えば、今回の私は美咲ちゃんに賛成……かな?」
「…ですが、それはおばさんを騙すことにもなるんですよ?」
「…そうだね。でも、騙しきれれば、その嘘も本当になる。
私は先生が幸せになれるのなら、それを優先したいなって思うのよ」
「…………私は…間違っているんでしょうか?」
「ごめんね。それは私にもわからない。
だから、私は後で後悔しないように自分の思うようにしようと思っただけなの。
…無責任なこと言うようだけどさ、美月ちゃんも自分が思うことを信じているのが
良いんだと思う。
…今回の試験に関して言えば、誰もが納得する正しい答えなんて、きっと探しても
どこにも無いんだと思うわ」
そこまで言うと、真知子は美月達の脇をすり抜けて敷地内に入っていく。
その際、警護スタッフに隆幸達の処遇を尋ねられていたが『関係者だから手荒な
対処は必要ない』と答えてくれていた。
美月達はその真知子の配慮を無駄にしないよう、今日のところはその場を速やか
に立ち去ることにした。
…どのみちここに居ても、もう出来ることは無いだろう。
「…思った以上に出来ることが少ないね。すまない美月、あまり力になれなくて」
「いいえ。味方が居てくれるというだけで、十分に心強いですから。
とりあえず…今日のことは置いておいて、次の2週間後までの間に何か別の手段を
考えましょう」
「そうだね。一番良いのは、美月本人が由利子さんに会えることなんだけど…」
そう言って、改めて夏目家を振り返る隆幸。
しかし、警備に隙は無く、やはり見つからずに中に入るのは難しそうだった。
…協力者でも居ない限りは。
「…そっか。美月、やっぱり来てたか。予想通りだったね。セーフセーフ」
屋内で合流した真知子から、ついさっき美月達と会った旨を聞かされた美咲は、
真知子の予想よりも明るい反応を返してきた。
…美月達が鬼気迫る様子で飛び出してきたのに対して、随分と温度差がある。
数日前までは美咲もピリピリした様子だったにもかかわらず、ここ2、3日は
妙に落ち着いていた。
もし、あの状態のままの美咲だったなら、敢えて正面から小細工無しに入って
玄関先で美月と決闘するように口論を展開していたのだろう。
「ん? 何か不思議そうだね、真知子さん。どうかした?」
「いや…美咲ちゃん、なんか冷静だなぁ…って」
「あー…うん。つい最近、美幸の親友の子に怒られてね。
くだらない言い訳して放っておくな、美幸を第一に考えてやれー…って」
「…そっか。へぇ……。
美月ちゃん以外にも、美咲ちゃんを力ずくで矯正出来る人って居たんだね…」
「最近、高校生の頃の美月のことを思い出して、その上で思ったんだけどさ…
あの当時の美月より、むしろ遥ちゃんの方が凄いのかもね」
一週間ほど前に付き添いとして買い物に一緒に行った時には、遥は物静かな印象
なだけで、特にそんな大胆な行動に出るタイプには見えなかった。
そんな彼女が、数日前のあの不機嫌な美咲を相手に正面から説教したと聞いて、
純粋に驚いた真知子だった。
「さて、美咲ちゃん…そろそろ準備は良いかな?」
由利子の部屋の前で、洋一は美咲達に目配せしながら確認を取っていた。
時刻は朝7時過ぎ。
そろそろ、いつも洋一が由利子の寝室へ朝食を運んでいく時間だった。
「…ええ、私の方は大丈夫です。
あと、美幸? ここからの君は、おばさんの前ではあくまで『美月』だからね。
ちゃんと美月って呼ばれたら反応するように設定した?
それから、私を呼ぶ時は『姉さん』だからね?」
「はい。その点に関しては問題ありません。
…でも、本当にバレないのでしょうか? 私、演技には自信が……」
「大丈夫、大丈夫。
当時のおばさんといえば、美月にはまさに“猫可愛がり”って感じだったし。
コミュニケーションさえちゃんと取っておけば、特に問題ないって。
だから、別にそこまで難しく考えなくても良いんだよ。
おばさんを笑顔に出来れば…それで今回の試験は成功なんだから」
「…はい。そうですね。それでは、笑顔に出来るように頑張ります」
『笑顔に出来れば成功』という美咲のその言葉を聞いて、緊張した表情を崩して
優しく微笑んで頷く美幸。
そんな、試験だとか経験だとかをまるで意識していない様子の2人を見て、洋一
は心の中で改めて感謝した。
これからの2ヶ月間、この2人は試験だということを脇に置いておいて、本当に
由利子のためだけに5年前の日常を演じてくれるのだろうから。
「…美幸ちゃん。妻をよろしく頼むよ」
美幸達の準備が出来たことを確認した洋一は、扉を軽くノックした後、いよいよ
由利子の部屋に入っていく。
「おい、由利子。もう朝食の時間だよ、起きなさい」
「……あら、おはよう。あなた。……今朝は、美咲ちゃん達は居ないのかしら?」
「ん? ああ。美咲ちゃん達か…呼んで来ようか?」
「ええ。お願い。朝から美咲ちゃん達の顔を見るのは、私の楽しみなんだから」
「おいおい。私の顔だけじゃ不満かね?」
「何を言ってるんです…。あなたの顔はもう見飽きるぐらい見ましたよ」
「ははは、そうか。飽きられたのなら仕方ない。
では、今から呼んで来るから、少し待っていなさい」
「ええ…わかったわ」
そう返すと…一旦、部屋を退室した洋一と入れ替わりに、一拍置いて美咲達が
由利子の部屋に入っていく。
「おはよう、おばさん。今日も元気にしてた?」
「ふふふ。美咲ちゃん、病気で寝てる人に『元気にしてた?』はないわよ」
「そうですよ、姉さん。それを言うなら、『調子はどう?』です」
美咲は日頃の美月が言いそうなことを予想して言ってみる。
その発言の後、恐る恐る由利子の反応を確認する美幸だったが―――
「ふふふ…さすが美月ちゃんね。美咲ちゃんのツッコミ役はあなた以外いないわ」
と、何の疑いもない反応が返ってきていた。…どうやら問題はなかったらしい。
安心した美幸は、引き続き美月になったつもりで会話を続けることにした。
「いえ、出来ればツッコミ自体しなくて良いようになってもらいたいです」
「う……最近の美月はちょっと厳しいね…」
「ふふふ、美咲ちゃんは相変わらず美月ちゃんには敵わないのね」
「ええ! それはもう諦めてます!」
「姉さん…そんなことを偉そうに宣言しないで下さい」
「ふふふっ…楽しい。やっぱり美咲ちゃん達と話すと、朝から元気になれるわ」
そんな他愛のない会話の最中、おもむろに腕時計を見た美咲が、少し困った顔で
由利子に向かって言った。
「あー、おばさん。もう準備しないと遅刻しちゃうから、続きは帰ってからね!」
「あら、もうそんな時間なの?」
「うん。ここから研究所まではかなり近いけど…
私みたいに基本が歩きだと、ここからでも結構かかるしね」
美咲が車を運転するようになったのは、つい最近のことだ。
この当時の美咲は一日のほとんどを研究に時間を費やしていたので、免許など取得
している暇など到底なかったのだ。
「でも、その代わりに今朝は美月を置いていくからさ。それで勘弁してよ」
「あら、美月ちゃんは良いの? 学校もあるでしょう?」
「美月は3年生だからね。高校も受かってるし、もう卒業まで自由登校なんだよ」
「ええ。まぁ、そういうわけなんです。
…だから、おばさん。今日からは私と一緒に朝ご飯を食べましょう」
「そうなの。…なら、美咲ちゃん?」
「…ん? 何? おばさん」
とりあえずは部屋を出て、いつものように別室で試験の様子をモニタリングして
いる真知子とでも合流しようとしていた美咲。
その背に、不意に由利子から声が掛けられる。
美咲は…そんな由利子に何気なくそう答えながら、軽く振り返った。
「いってらっしゃい。気を付けてね?」
「あ……うん。…行ってきます」
美月の卒業と共にこの家を出てからというもの、久しく聞いていなかった由利子
の『いってらっしゃい』の言葉…。
その言葉を近い将来、2度と聞けなくなることにふと気付いてしまった美咲は、
思わず涙ぐみそうになって、急いで顔を背けると足早に部屋を去っていく。
「あらあら、あんなに急いで……転んでしまわないかしら?」
「…大丈夫ですよ、おばさん。姉さんも、もう大人なんですから」
「ふふふ、それもそうね。……あら?」
穏やかに笑いながら同意して、美咲から美幸へと視線を戻した由利子は、一瞬
だけ不思議そうにすると、何故か美幸の顔を数秒間、無言で眺めてきた。
「…………1…1、2……1、2」
「……?」
何か、不味かったのだろうか?
意味のよく分からない数字を呟いた後、由利子は今度は真剣な表情を浮かべた。
…由利子の目は、なんとなく何かを観察しているように感じる。
美月の性格を考えれば、今のやり取りに違和感はなかったと思うのだが…。
そんな状況に、内心ではヒヤリとしながらも、美幸は美月の口調を意識しつつ
思い切って直接尋ねてみる。
「ええっと…おばさん?
どうしたんですか? 急にそんなに真剣に見つめて…。
…私、何処か変なところでもあります?」
…口にした後、ドキドキしながら由利子の返答を待っていた美幸だったが…。
しかし、その質問に対する由利子の答えは、意外とあっけないものだった。
「…あぁ…いいえ。
ごめんね? 急に黙り込んで、じーっと見ちゃって。別に何でもないの。
ただ、美月ちゃんと一緒に朝ご飯を食べるのは久しぶりだな…と思ってね。
それで、これから暫くはそれが続くのかと思うと、嬉しくなったのよ。
あと、相変わらず綺麗ねぇ…って思って。思わず見惚れちゃったわ…ふふっ」
「あ…ええっと…。…それは、どうもありがとうございます」
どうやら、由利子は特に理由も無く“ただ単に見つめていただけ”らしい。
…そういえば、美幸も編入した当初は学園のクラスメイト達から、よくこういった
ことを言われていたな…と、その時のことを思い出した。
当時のクラスメイト曰く、『美幸ちゃんくらい可愛いと、ただ見ているだけでも
ちょっと気を抜くと、魂を持って行かれそうになる』らしい。
まぁ…あの時は、美月の写真を見せて以降には全く言われなくなったのだが…。
なるほど…美月を演じていくのなら、こういった類の言葉も上手くかわせないと
いけないようだ。
「…あら、お話が楽しいからって、折角の美月ちゃんの料理が冷めたら大変ね。
ごめんなさいね? それじゃあ、早速いただきましょうか?」
「クスッ…はい。それでは、いただきます」
何にせよ、とりあえずホッとした美幸は両手を合わせてそう言った後、由利子と
軽い会話を交えながら食事することにした。
…先ほど、去り際に一瞬だけ見えた美咲の顔は…今にも泣き出しそうだった。
恐らく、美幸には分からない、美咲の琴線に触れる何かがあったのだろう。
あの美咲が、何かを思い出すというだけで泣きそうになってしまう。
それほどまでに、美咲達にとって由利子は大事な存在なのだ。
…美月のフリをして騙しているという罪悪感は…勿論、今もあった。
しかし、美咲のその様子を見た美幸は『今はとりあえず由利子さんに笑顔を』と
思い、そういう心の葛藤も一旦全て、その朝食と一緒に飲み込むことにした。




