表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/140

第40話 見解の相違

「それでは所長。会議を続けましょう」


「…私が言うのもなんだがね。構わないのかい?」


「美幸の試用試験は最優先事項の一つです。

個人的な感情で議論できないのなら、退室させるのは当然です」


 現在、所長室には美咲と洋一の二人だけしか居ない状態になっていた。

落ち着く様子が無かった美月は、美咲の指示に従うかたちで隆幸によって別室へと

連れて行かれたのだ。


「それより、早く細かい部分を決めてしまいましょう。

いかに反対していようとも、一度書類を上に提出してしまえば、

美月一人ではもう止めようがないでしょうから」


 先ほどからの美咲の態度は、冷た過ぎるほどに冷静だった。

その態度は、まるで美咲自身がアンドロイドになってしまったかのようだ。


「…本当にすまない。言ってみればこれは…単なる私の(まま)だ」


「お気になさらないで下さい。

先ほど美月にも伝えた通り、良い機会であることは事実です。

これはきっと…いえ、間違いなく美幸にとっては得難い経験となります」


「…そうか。ありがとう」


 あくまでも事務的な物言いではあったが、今の洋一にとって、その内容はとても

ありがたいものだった。


「とりあえず、開始日は年末までに間に合わせるとして…

具体的にはどのような準備が必要でしょうか?」


「それなんだが…美幸ちゃんに悪影響が出ない限界まで、

美月ちゃんの記憶からの影響を強める…といったことは出来るかね?」


「…なるほど。確かにそれは、より正確な再現には必要かもしれません」


 美幸は容姿こそ当時の美月に瓜二つだが、性格や所作はかなり違った。


 ふとした時に似た動作をすることはあるにはあったが…。

それは、ちょっとした癖が同じ…といったレベルだった。


 当時から、既に年齢とはかけ離れた落ち着きを見せていた美月だ。

そういう意味では、そもそも美幸はかもし出す雰囲気自体が既に似ても似つかない。


 しかし、美幸の中には13歳以降の美月の人生経験がほぼ丸々詰まっている。

その記憶領域からの干渉レベルを極端なくらいに引き上げてやれば、当時の美月に

近い状態に出来る可能性は十分にあった。


「…が、流石にそれは無理な相談です。

それを施してしまえば、ほぼ間違いなく今後の美幸の人格形成に強い影響を残して

しまいます。

私個人としても、研究チームのチーフとしても…断じて許可出来ません」


「そうか。それなら、由利子と美月ちゃんとの共通の記憶を検索機能などを使って

探れるようにすることは出来るかね?」


「そうですね…。その記憶だけをピックアップして…というのは時間的にも技術的

にも難しいでしょうね。

ですが、あくまで“美幸として”自身の中にある美月の記憶領域内を検索可能にする

ことは出来ます。

……これも、私としては出来れば避けたいことですがね」


 そもそも、美月の人生経験のデータがどの程度まで保管され、自身にどこまでの

影響を与えているのかということは、美幸には伝えられていない。


 AIのシステム的にも存在自体をひた隠しにしてきた部分であり、認識出来ない

ように設定していたその制約を解除することは、想定外の事態を招きかねない。

…はっきり言えば、危険な賭けのようなものだった。


「…うむ。それなら仕方ない。

美幸ちゃんには美月ちゃんのモノマネをするように心掛けてもらう…といった程度

で構わないよ。

…それなら、特に問題は無いのだろう?」


「え? ええ、それは勿論ですが……本当によろしいんですか?

それだと、ボロが出る可能性が非常に高くなりますよ?」


 洋一の適当とも言えるようなその判断に、美咲は再度、確認を取った。


「あぁ、それで構わないよ。

君達ほどではないにしてもね…私だって、美幸ちゃんのことは可愛いんだ。

あの子が君らの娘なら、私からすれば孫みたいなものだろう? 

妻のことは確かに大切だがね、これから居なくなる年寄りのために大切な孫を犠牲

にするようなことは、流石に私にも出来ないよ…。

…ただでさえ、その妻のために、大切な娘の一人にはもう既に悲しい思いをさせて

しまっているんだからね…」


「…わかりました。

でしたら、準備らしい準備がいらない以上、

美幸本人に説明さえすれば、すぐにでも始められますね。

所長は書類の準備が出来次第、上に提出しておいて下さい」


 その後、美咲達は少しでも早い方が良いということで、試験の開始日を一週間後

の12月1日からに設定することに決めた。


 試験場が夏目家の敷地内に終始するだろうということもあり、警備体制を含めた

下準備も突貫で何とか出来るだろう。


「…しかし、美月ちゃんには本当に酷な話だ。

あの日、本当の親のようになろうと決めて、保護者に名乗り出たにもかかわらず、

最後の最後に突き放すことになるなんてね…。

……私は、本当に酷い人間だよ」


「美月には、後ほど私からも説明しておきます。…あの子ももう大人です。

試験が無事に終わった後にでも、きちんと話し合えば理解してもらえるでしょう。

それに、ですね―――」


と、そこまで話したところで、やっと美咲にいつも通りの雰囲気が戻ってくる。


 まるでスイッチを切り替えるように、先ほどまでとは打って変わって柔らかな

雰囲気が漂う。


「それに、妹の面倒を見るのは姉の特権なんです。

いくらおじさんでも、この権利だけは絶対に譲れませんよ?」


 その柔らかな雰囲気は、両親を失くしてから隆幸に嫁にやるまでの12年もの間

で培われてきたものだ…。


…妹を自分なりに精一杯守り続けてきた、母性にも似た『姉の優しさ』だった。


「それにしても、今日が定期メンテナンスの日で良かったですね…。

もし今ここに美幸が居たら、大泣きしてどうしようもないことになってましたよ」


「ははは。流石の美咲ちゃんでも、やはり美幸ちゃんの涙には勝てないかい?」


「…ええ。あの子の涙は綺麗過ぎる。

以前に一度、私が原因で泣かせてしまったことがあったんですが…。

あの時も、罪悪感が半端じゃなかった。…あんなのは、もう二度とゴメンです」


「…そうか。綺麗過ぎる…か」


 洋一も、今年でもう79歳になる。

自身は至って健康な身ではあったが、人間、いつどうなるかは分からないものだ。


 だがしかし、もし自身の最期の時に美咲達だけでなく、美幸も一緒にその別れを

惜しんでくれたのなら…。


 それは、案外悪いものではないのかもしれない……そう、思ったのだった。




「少しは、落ち着けたかい?」


「……はい。面倒をお掛けしました。申し訳ありません」


「構わないよ。今回のことは僕も仕方ないって思うからね…」


 美咲に指示された隆幸は、美月を連れて所長室を出た後、ちょうど空いていた

会議室へとやって来ていた。


 今はメンテナンス中のはずではあったが、万が一、何かの都合で美幸が研究室に

戻って来ていたら、鉢合わせしてしまった時の説明が難しかったからだ。


「…私は、間違っているんでしょうか?」


 一度冷静になった美月は先ほどの会話を振り返っていた。


 確かに美咲の言うことも理解出来なくはない。

“親しい人との死別”は長く生きていればいつかは経験することだが、流石に美幸の

試用試験を、この先もずっと続けられるわけではないだろう。


 そういう意味では『知人の死』というものを経験させる機会としては絶好のもの

だと言えなくもない。


…想像もしたくないが、近い将来、由利子が亡くなってしまうことは、ほぼ間違い

ないのだから。


「おばさんは、とても熱心な研究者でした。

ですから、自らの死がアンドロイドの明るい未来の一助いちじょになるということなら、

きっと喜んで協力してくれるでしょう。

…ですが、今のおばさんはそのことをきちんと理解していない状態なんです。

それを隠して実施するというのなら、それはもう“協力してもらう”のではなく、

ただ単に“利用する”ということになるでしょう?

おばさんが亡くなった後で、美幸ちゃんがその事実に気付いてしまったなら…。

…きっと、美幸ちゃんは取り返しがつかないくらいに傷ついてしまいます」


 先日の試験でも、美幸は経営者に利用されるだけの立場の同僚達に対して、酷く

心を痛めていた。


 そんな美幸が利用する側に回ってしまうということは、とても危険なことのよう

に美月は感じていた。


…ましてや、今回の件に関して言えば、全て終わった後には由利子は居ないのだ。

どんなに後悔したとしても、美幸は相手に謝罪することすら叶わない。


「…正直に言うとね。

僕も、チーフの言っていたことは…間違いってわけじゃないと思う」


「…そうですか。…やはり、そうですよね」


「うん。…でも、あの意見ってさ。

ただ『間違ってない』ってだけ(・・)で、『正解だ』とも言えないと思うよ?」


「それはそうですが…。

私が美幸ちゃんをどれだけ個人的に可愛がっていたとしても、これが莫大な予算を

注ぎ込んだ研究であることは間違いないんです。

…そして、たとえ姉妹とはいえ、姉さんはその主要な責任者で…。

私はというと…表向きにはただの協力者でしかないんです。

“所長”と“チーフ”が決めた内容に口出しする権利なんて…本来はありません」

                 

「そうだね。でも、それはこの研究がただの(・・・)アンドロイドの実験ならば…の話だ」


「? それは…どういうことでしょう?」


 隆幸の言わんとすることがよくわからなかった美月は、不思議そうにしながら、

その言葉の真意を尋ねた。


「確かに、チーフの意見は理屈としては一理ある。

…でも、美月は今回の試験を危険だって思ったんだろう?

そして…当の美幸は、美月と僕のデータから精神性を構築している。

それなら、美月のその感覚は無条件に無視して良いほど軽くはないはずだよ。

むしろ、美月から見て『美幸が耐えられないくらい辛い思いをするだろう』という

のなら、そこは慎重に考慮すべきだ。

それこそ、美幸の心が壊れてしまってからでは、取り返しがつかなくなる」


「…はい。美幸ちゃんにとって一番危険なのは傷付けられることじゃない…。

むしろ、自分が誰かを傷付けてしまうことなんです。

…だから、私としては今回の件を決して許可出来ないんです。

もし、おばさんが満足して逝ったとしても…きっと、最後には皆が傷つきます。

あの美幸ちゃんが、私達のそんな状況を目にしたなら…

きっとまた…その悲しみの全てを一人で背負い込んでしまうでしょう」


 今回の試験が無事に終わったとしても、美咲や洋一には、やはり罪悪感が残って

しまうだろう。


 あの2人に限って、頭の中で都合が良いように解釈して、自分を騙しきることが

出来るとは、美月にはとても思えない。


 それに何より、洋一が言っていた通り、美月自身が由利子に二度と名前を呼んで

もらえなくなることにも耐えられそうになかった。


 試験が終わった後、そんな家族の姿を目の当たりにした美幸がどうなるのか…。


…最悪の場合、美咲達が最も恐れている『強制停止』という選択肢を選ばざるを

得ない状態にもなりかねない。


「それは僕も同意見だ。…うん。なんとか僕達で阻止出来るように頑張ろう」


「…よろしいんですか? 隆幸さんは、私とは違って問題になりかねませんよ?」


 隆幸は美月とは違い、正式な研究員であり…美咲の直属の部下だ。

それが、美咲の…というより研究所の決定に異議を唱えるどころか、試験の実施

そのものを妨害しようというのだから、最悪の場合…解雇されかねない。


「何を言ってるんだい? 

まだ、入籍して一年も経っていないとはいえ、もう僕は美月の夫なんだよ? 

美月が間違っているなら、その間違いを正して導く。

美月が正しいのなら、隣に立って一緒に歩む。

それが、夫である僕の意思であり…特権なんだ。

美月…これから先、少なくとも僕は、何があろうと……君の味方なんだよ」


「…っ…ありがとう…ございます。隆幸さんっ…」


 いつも美幸がしているように、美月がしがみつくように隆幸に抱きついてきた。


 夫というより、親に抱きつくようなその仕草で隆幸は美月がまだ20歳だという

ことを再確認させられる。


 普段から落ち着きのある“大人の女性”として振舞っているので、つい忘れがちに

なるが、美月はほんの数ヶ月前までは未成年と言われる年齢だったのだ。


 そんな子が母親代わりの人を亡くすだけでなく、最期までその存在すら認識され

なくなることが最善の策だとは思えないし、認めたくもない。

 

 美咲と知り合ってから正面から対立したことは今まで一度も無かった隆幸だが、

今、腕の中で静かに泣いている美月を前にして、『何があっても守らなければ』と

改めて決意するのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ