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第39話 身代わりの代償

 夏目家での夕食会の翌日。

美咲達『原田AI研究分室』のメンバーは所長室に集められていた。


 本来なら会議室を使うところだが、昼間ならともかく、朝一番のこの時間から

所長室を訪ねてくる人物はほぼ居ない。

…これから話す話の内容を考えれば、こちらの方が都合が良かった。


 今日の美幸は定期メンテナンスを受けるため、真知子に預けられている。

そんな事情から、今この所長室には部屋の主である洋一に美咲と美月、そして隆幸

の4人が顔を合わせている状態だった。


 しかし、いつものような和やかな雰囲気はそこには無く、昨日の帰り際の空気が

抜け切れないまま、今もどこか緊張感が漂っている。


「忙しいところ、わざわざ集まってもらって申し訳ない。

早速なんだが、美幸ちゃんの次の試験について説明しておきたくてね…」


「え? 美幸の試験…ですか? 

今は色々と立て込んでますし、しばらくは無いって話じゃありませんでしたか?」


 隆幸は突然の洋一からの宣言に、不思議そうにそう返した。


 これ以降の試験は前回の危険度試験と違い、特に期限の設定はされていない。


 そのこともあって、次回の試験は内容を含めて年明けに改めて話し合われる予定

になっていたはずだったからだ。


「…所長。もしかしてそれは…由利子夫人と関わりがあるんじゃないですか?」


「…あぁ、流石に原田君は察しが良いね」


「夏目所長。それは、どういうことでしょう?

私達にもわかやすく説明してくださらないと困ります」


 何かを理解し合っている美咲達2人に、美月が詳細の説明を求める。

その口調が硬かったこともあり、室内には先ほどより更に強い緊張感が流れた。


「次の美幸ちゃんの試験なんだがね…。

私の妻、由利子の面倒を見てもらおうと思っているんだ。

……美月ちゃんとして、ね」


「! それは一体どういう…っ…」


 声を荒げかけた美月の目の前に、美咲は腕を出して静止させる。

思わず振り返って見た姉は…酷く落ち着いた表情だった。

…そこに、はっきりと冷たさを感じさせるほどに。


「…うむ。それを今から説明させてもらうよ。

美月ちゃんにとっては辛い話になるかと思うが…先に謝っておくよ。

……本当に、すまない」


 そう言って深く頭を下げる洋一は、悲しそうな表情を浮かべていた。

そんな洋一の姿を見て、美月は少しだけ冷静さを取り戻した。


…普段の美月なら、ここまですぐに取り乱したりはしなかっただろう。

やはり、昨日聞いた由利子の病状の深刻さは、少なからず美月の精神状態に影響を

与えていたらしい。


「お騒がせして申し訳ありません。詳しい話をお願いできますか? おじさん・・・・


「…ありがとう。美月ちゃん」


 節度を保つために研究に対しての話をする時には『夏目所長』と意識的に呼んで

いた美月は、敢えて『おじさん』と最後に付け足した。


 そんな美月なりの緊張をほぐすための心遣いに、感謝する洋一。

そして、頭を上げた洋一は、その場の全員と視線を合わせた後、ゆっくりと説明を

始めた。


「美咲ちゃん達には昨日、話したんだが…。

…最近、由利子の容態がかんばしくなくてね。

早ければ半年もすればお迎えが来てしまうらしいんだよ…」


「……………」


 その話を初めて聞いた唯一の人物である隆幸は、無言ではあったが酷く悲しそう

な表情を見せた。


 美月と付き合い始めてからは由利子とは何度か顔を合わせていたとはいえ、毎回

洋一が微妙な態度をとっていたので、隆幸はあまり夏目家を訪れていない。


 だから、由利子とも片手で数えられる程度の回数しか会っていないはずだ。


 にもかかわらず、妻のためにここまで悲しそうにしてくれる隆幸が、美月の夫で

あることに洋一は喜びを感じると同時に…当時の自分の対応を後悔した。


「…それでね。ここ最近なんだが…その由利子の記憶に混乱が出始めたんだよ」


「記憶に混乱…ですか?」


「ああ。初めはついにボケが始まったのかと焦ったんだがね…。

医者の診断では、どうやらそういうのとは違ったらしい」


 そこまで話して、美咲達姉妹に視線を向ける洋一。


「美月ちゃんが中学校を卒業するまで、2人は(うち)で暮らしてくれていただろう?

それに…あの時はまだ、由利子も元気だった…。

だから、あの頃の生活が由利子にとっては一番幸せな時間だったんだろう…

…記憶が巻き戻ってしまってね。

今の由利子は…当時の時間を生きているんだよ。

医者の話では、病気の辛さからそういった症状になることは、割とあるらしい」


「…ですが、昨日はおじさんの一言で私を美月だと分かってくれていましたよ?」


「あぁ…毎朝、美咲ちゃん達に会いたいって言うものだからね。

『もうこの家では暮らしていないんだよ』と、言い聞かせているんだよ。

だから、その時に由利子の中で一年だけ記憶が進む…。

…つまり、美月ちゃんが高校一年の頃の認識になるみたいなんだ」


 洋一のその説明で、ようやく美月は昨日の違和感の正体を理解した。


 美月は高校に通う前から比べると身長が10cm以上伸びている。

それは高校在学中の2、3年の間に徐々に伸びた結果だったのだが…。


 今の由利子からすれば、たった半年足らずで今の身長になったことになる。

由利子が一目で美月だと分からなかったのは、ある意味…当然だった。


「なるほど…。だから美幸ちゃんの開発も『随分早い』って言っていたんですね」


「ああ、そういうことだ。初めは私も分かってもらおうとしていたんだが…。

何度話して聞かせても、毎朝起きたら…また時間感覚が戻っている状態でね。

…流石に、もう諦めざるを得なくなったんだよ」


 ある程度の由利子の状態を話し終えた洋一は『ふぅ…』と溜め息を漏らした。

妻の現状を改めて振り返りながら説明するのは、想像以上にエネルギーを使う作業

だったらしい…。


 だがしかし、洋一はここで話を終えるわけにはいかなかった。

むしろ…ここからが今回の会議の本題だったからだ。


「まぁ、由利子の現状は解ってもらえたと思うんだが…問題はここからでね。

その由利子が、ここ最近では特に美咲ちゃん達と過ごす年越しを楽しみにしている

みたいなんだよ…。

美咲ちゃん達も、覚えてくれているかな?

あの年は美月ちゃんの中学校の卒業の前祝いだ…と言って、由利子がいつも以上に

張り切って料理していたのを…」


「…ええ。ちゃんと憶えてますよ。

おばさんが過剰なくらい喜んで…私にすら料理をさせようとしていましたからね」 


 美咲は当時を思い出して遠い目をしていた。

あの当時はそんな由利子から逃げ回って、なんとか料理をしないで済むようにして

いた美咲…。


 今思えば、失敗していたとしても一緒に料理に参加しておくべきだった。

仮に正月から不味いおせち料理を食べる羽目になったとしても、それはそれで良い

思い出になっていたことだろう。

 

「私はね。その由利子の夢を叶えてやりたい……いいや、違うな。

夢を、見させ続けて・・・・・・やりたいんだよ」


 そう言った後、洋一は少しだけ困った顔をして…続けた。


「それにね…恥ずかしい話だが、私も少々疲れてしまったんだ。

毎朝毎朝、由利子に『美咲ちゃん達は?』って聞かれる度に…

『もううちには居ないんだよ』と伝えるのにね。

あの何とも言えない…寂しそうな顔を、もう見ていられないんだよ…」


 洋一のその切実な様子で伝えられた言葉を最後に、室内に(しばら)く沈黙が訪れた。


 各々がその胸中で複雑な感情の処理に追われている中、口火を切ったのは、

やはり、チーフを務める美咲だった。


「…わかりました。では、試用試験の詳細を決めて行きましょう」


「っ…! ありがとう! 原田君!」


 美咲の同意を得られた洋一は、思わず大きな声で感謝を伝えた。


 …しかし、美咲のすぐ隣に立っていた美月の――


「ちょっと待ってください! そんな重要なことを勝手に決めないでください!」


と、いう叫び声にも似た抗議の声に、その洋一の喜びは掻き消されることになる。


「姉さん! それが一体どういうことか、本当に分かっているんですか!?

病床に()している由利子おばさんを、

亡くなるまでずっと騙し続けることになるんですよ!?

それに、問題はそれだけじゃありません! 

美幸ちゃんにだって、嘘を吐かせ続けるということになるんです!

そんな試験、私は断じて認められません!」


 これまで見たことも無いほどに真剣に怒り、抗議する妹を前にした美咲は…

しかし、冷静な表情のままだった。


「…そんなことは十分に解っているよ。

でも、これも美幸にとっては最終的には良い経験に繋がるはずだ。

『親しい間柄の人間との死別』なんて状況は、そう簡単には用意出来な―――」



“パンッ”



 美咲がその言葉を言い切る前に、美月の手が美咲の頬を勢い良く張った。


「…っ、美月っ!」


 家族同士の話だと口を挟むことなく状況を見守っていた隆幸だったが、流石に

美咲に手をあげた美月を見て、即座に止めに入る。


「離してください! 隆幸さん!」


「駄目だ! 少し落ち着くんだ!」


「落ち着けるわけがないでしょう! 

美幸ちゃんが私を演じるのなら、本当の私(・・・・)はどうなるんです!?」


 美月のその言葉に、隆幸はハッとなった。

今回の試用試験の内容はつまり、夏目家での過去の環境の再現だ。

夏目夫妻と原田姉妹が4人で共に暮らしていた時期の。


 そして、その中で唯一、由利子の違和感を拭えない成長する前の美月(・・・・・・・・)の役割を、

当時の美月にそっくりな美幸が担当する…という流れだった…。


 しかし、それは同時にある問題も発生させることに繋がる。

冷静に考えれば、誰にでもすぐに解る話だった。


 そう…それは、つまり――


「もし…もしそうなったら! 私は私として(・・・・)

おばさんに『最期までずっと会えなくなる』ってことじゃないですか!」

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