第38話 夏目夫妻への親孝行
11月23日。勤労感謝の日の当日。
美咲達姉妹は、2人揃って夏目家にやってきていた。
美月は手料理を振舞うために、美咲は…その手伝いをするために。
「いやはや、まさか本当に作りに来てくれるとはね…。ありがたい話だ」
「いえ。洋一おじさんには、いつもお世話になっていますから…」
「ま、たまには顔を出さないとね。由利子おばさんにも会いたかったし」
「…ん……あぁ。そうだね…。自室に居るから、後で顔を見せてやってくれ」
美咲から由利子の名前が出ると、洋一は一瞬、表情を曇らせた。
現在、洋一の妻の由利子は病気を患っており、寝たきりというわけではないが、
一日のほとんどの時間を寝て過ごしているような状態だった。
「あ…そういえば、普通の食事でもおばさんは大丈夫なんでしょうか?」
「ん? あぁ、それなら大丈夫だよ。
硬い物でも、消化に良いように多少崩してから口に運べば食べられるだろう」
「わかりました。では、その辺りはあまり気にしないでおきますね?」
「あぁ、そうしてやってくれ。
つい先日、『久しぶりに美月ちゃんの料理を食べたい』と言っていたんだよ」
「そっか。それじゃ、今日は来て正解だったね…。
……それで、おじさん。おばさんの病状は…実際のところ、どうなんです?」
美咲がその質問をした瞬間、室内の時間が止まったように感じられた。
その…あまりにも直球の質問に、洋一も暗い雰囲気を隠し切れない様子だった。
その洋一の心中を察して、一瞬、美咲を諌めようかとも思った美月だったが…
やはり美月も気にはなっていたので、敢えて姉のその質問を非難しなかった。
血は繋がっていなくとも、夏目夫妻とは第二の両親…家族として接してきた。
だからこそ、どれだけ厳しかろうと現実を知っておくことは必要だったからだ。
「…そうだね。幸い…病状の進行そのものはとても緩やかでね。
今すぐにどうこう…ということではないらしいよ。幸いなことに…ね」
「そう…ですか。それなら良かったです。
私も姉さんも、おばさんのことはずっと心配ではあったので…」
「あぁ。まぁ、今は一番大変な時期だからね。
顔を合わせる機会が減っても、それを薄情だとは思わないさ。
由利子も元々は同じ研究員なんだ…その辺りはきちんとわかっているさ。
私もそうなんだが…美月ちゃん達『原田AI研究分室』のメンバーも、これからは
なかなか時間も取れなくなってくるだろう…。
しかし、身体は大事だからね……あまり、無理はしないでくれよ?」
「…はい。わかりました。…心得ておきます」
美幸が起動してから最近まで、ある程度は時間に余裕があった美咲達だったが、
前回の危険度の確認試験を無事にクリア出来たことを切欠に、徐々に慌ただしく
なり始めていた。
美幸のAIプログラムに問題が起きる可能性が低いことが事実上実証されたこと
によって、国から正式に製品化の話が挙がって来たのだ。
引き続き、美幸に対しての試用試験は実施していくものの、平行して新型AIを
内蔵したアンドロイドを製品として生産していく準備として、美咲達はその量産型
に適したAIの調整作業に追われている真っ最中だった。
とはいえ、現在一番忙しい部署は、むしろボディを担当している部門だろう。
載せられるAIの出来が想像以上に良く、国内外の各研究所からの期待値が高く
なったことで、『それならばボディ側も最新鋭の物を!』と国の担当者側から提案
され、試験段階だった新素体を急遽用意する運びとなったためだ。
…そんな状況のため、徐々に忙しくなってきてはいるが、肝心の新素体が完成して
いないので、まだ美咲達が本格的に開発に追われるまでは少し余裕があった。
「私も妻が病を患っていると聞いた時には驚いたものだよ。
可能なら投薬治療を受けさせるんだが…。
…アレも今年で77だ。もともと体力があるタイプでもなかったし…
あまり、強い薬は使えないらしくてね…。
最近はその少ない体力も落ちてきているようで…起きている時間も随分と減った。
せめて、体力だけでも戻ってくれれば、まだ多少の希望も持てるんだが…。
…今は、主に痛み止めをメインにしているような状態なんだ。
私としては……もう後は一日でも長く生きてくれることを祈るのみ、だよ」
「医者は……あとどれくらいだって言ってるんです?」
「姉さん! 流石にそれは…」
「美月。ちゃんと聞いておくべきだよ。知らない間に…なんて、嫌だろう?」
「それは……確かにそうですが…」
返す言葉が見つからないのか、思わず視線を彷徨わせる美月。
だが、洋一はそんな美月に優しく声を掛ける。
「…良いんだよ、美月ちゃん。美咲ちゃんの言う通りだ。
私達のことを本当の家族だと思ってくれているのなら、むしろ知っていて欲しい。
もしもの時に別れを告げるのが私だけ、というのは……流石に寂し過ぎる」
「…………はい。わかりました」
神妙な様子で頷いた美月を見届けた洋一は、再び美咲に向き直って…答えた。
「お医者様の話だとね…早ければ半年…。
長くもっても一年、といったところ…らしいよ」
「それは……思っていたよりも、随分…短いんですね…」
洋一の返答に驚きを隠せない美咲。
確かに眠っている時間は長かったが、起きている時の由利子は比較的元気そうに
見えていた。
…そのこともあって、告げられた期間の予想以上の短さに言葉を失う。
「…驚いたかい?」
「え…ええ…。正直、とてもそうは見えなかったので…」
「ははは…アレも負けず嫌いだからね。
美咲ちゃん達の前だと、つい虚勢を張ってしまうんだよ」
美咲達には弱ったところを見せたくなかったのだろう。
由利子は、いつも二人が訪ねて来た時には元気そうに振舞っていた。
…しかし、洋一は美咲達が帰宅した後、穴が開いた風船のようにフッ…と気力を
失くして、すぐに床に就く姿を何度も見てきている。
今まではその妻の努力を無駄にすることを心苦しく思い、黙っていたのだが…
先がそう長くないことを知った今は、そうも言っていられない。
「幸い…と言って良いのかわからんが…
このままいけば意識が戻らないまま数ヵ月後に…なんてことにはならなさそうだ。
眠っている時間は増えたが、ちゃんと毎日起きてはくれているしね…」
「そうですか、それは良かったです。
…美月、今日はちゃんと手料理を味わってもらわないとね」
「…ええ。そうですね。なら、腕によりを掛けて作らないといけませんね」
「よし! がんばれ美月! 私は横で野菜を洗う係を担当するよ!」
「……………まぁ、姉さんがそれで良いのなら構わないのですが」
「ははは。相変わらず美咲ちゃんはブレないなぁ…」
明らかに全員が空元気ではあったが、それを指摘する者はそこには居なかった。
…由利子が元気に見せてくれているのだから、美咲達が暗い雰囲気で居るわけには
いかないのだ。
“コンコン”
「……はい。どうぞ」
控えめにノックされたドアに向かって、由利子は返事を返した。
「由利子、今日は美月ちゃんが料理を作ってくれたよ。食べられるか?」
「…まあ、それは嬉しいわね。是非、ご馳走になりたいわ」
由利子のその返答を確認して、3人は連れ立って室内に入っていく。
「おばさん、お久しぶりだね。なんか最近は来れなくてゴメンね?」
「良いのよ。あなたは母親の跡を継いで一生懸命、研究しているんだから…
私のことなんて気にしなくても構わないの。
それで、美咲ちゃん…後ろの方は? 同僚の方かしら?」
「……え?」
美月を見つめながら何気なく口にした由利子の質問に室内の空気が変わる。
しかし、状況を把握していたらしい洋一は、すぐにその会話に割って入った。
「何を言ってるんだ由利子…。この子は美月ちゃんだよ。
子供の成長ってのは私達が思っているより、ずっと早いんだ」
「あらまぁ! そうなの? また美人さんになって…。見違えたわ」
「クスッ…ご無沙汰しております、由利子おばさん。
そんな美人だなんて……おばさんには負けてしまいますよ」
「ふふ…ありがとう。そんなこと言ってくれるのは美月ちゃんくらいよ」
洋一の手を借りて上体を起こした由利子は机に並べられた料理に視線を向ける。
「まぁ、豪勢ね。食べ切れるかしら…」
「残しても保管の利くメニューにしておきましたから、問題ありません。
だから、おばさんが食べられるだけで大丈夫ですよ?」
「ありがとう。やっぱり美月ちゃんは気遣い上手ね…。
…それで、このサラダが美咲ちゃんの作…かしら?」
由利子はイタズラっぽい表情を浮かべると、大きさの揃っていない野菜が乱雑に
入ったボウルを指差して美咲の顔を見つめてくる。
「おお! 流石はおばさん! 慧眼だね!」
「ふふふ…。これは、美咲ちゃんの旦那さんになる人は料理が出来る人じゃないと
いけないわね」
「大丈夫! ベジタリアンの人なら問題ないからね!」
「姉さん。勘違いしているようですので一応言っておきますが…
ベジタリアンの人の方が野菜だけで工夫して料理しなければいけませんから、
きっと普通の人が相手より遥かに大変ですよ?」
「えぇ!? 駄目じゃんベジタリアン!」
「いえ。駄目なのは姉さんです」
自然と始まった姉妹漫才に、思わず顔を綻ばせる由利子。
「ふふふ…。やっぱり美咲ちゃん達が来てくれると家が明るくなって良いわ」
そんな楽しい雰囲気が漂う食事会で、由利子は想像以上に多くの量を平らげた。
…その様子はやはり、美咲達には元気そうに見える。
体力をつけるには食事をきちんと摂るのが一番だ。
そういう意味でも、今日のところはひとまず安心した美咲達だった。
「そういえば…今日はお揃いの髪飾りを着けているのね。
それは…椿かしら? とっても似合っていて、可愛らしいわ」
「あ…ええ。良いでしょう?
今日、ここに来る前にみゆ…いえ、先日起動した私達の娘のアンドロイドの子に
もらったんですよ」
『美幸』と名前を言おうとして、美月は敢えてそう言い直した。
近々、美幸も一度は連れて来ようと、今さっきまでキッチンで美咲と話していた。
…どうせなら、自己紹介は美幸自身にしてもらうのが一番だろう。
由利子も、以前からその完成を楽しみにしてくれていたのだ。
だからきっと、その方がより感動出来るに違いない…。
美幸からこのヘアピンを送られた時、美月は思わず感動で泣きそうになった。
美咲は、すぐ髪に着けてはしゃいでいたし、隆幸はずっと鏡で胸元のタイピンを
見ながらニコニコしていた。
美月も流れでその場ですぐに髪に着けたところ、『白い花でお揃いですね』と、
美幸が自分の髪で輝く鈴蘭の髪飾りを指で触れながら言ってきたので、思わず抱き
締めてしまった…。
そんな髪飾りを第二の母と慕う由利子にも褒められたことが嬉しくて、つい声が
大きくなってしまう美月。
その様子が微笑ましく、由利子も幼い子供を見るような優しい顔をしていた。
「それにしても、流石は美咲ちゃん…と言うべきかしら…。
予定よりも随分早く完成させていたのね。全然知らなかったわ。
…私も一度はその子に会ってみたいわね」
和やかな雰囲気の中で何気なく発せられたその由利子の言葉に、再び室内の空気
が変わる。
何かが、噛み合っていない。
体調不良から現役を引退したとはいえ、元は由利子も同じ研究所に勤めていた。
夫の洋一と共に研究したその成果は世界的に評価され、今なお多くの研究者から
尊敬されている。
そんな由利子の元には、洋一が制限するほんの2、3年前まで現役の研究員達が
多くの相談やアドバイスを求めて訪れていたのだ。
…そして当然、美幸の開発計画の話も伝わっていたはずだった。
だからこそ、その由利子の言葉は明らかにおかしかった。
美幸の開発には、構想の段階から決めていた通り、7年という長い期間を要した。
それは当初の予定通りの開発期間であり、決して早くはなっていない。
「…はははっ、そうだろう! 私も美咲ちゃんの優秀さには驚いたよ!」
美咲達がその違和感に固まっていると…突然、洋一が気持ち大きめの声で美咲を
褒め始めた。
強引に会話に割って入ったその洋一の様子から、空気を読んだ2人はとりあえず
調子を合わせておくことにして、その空気を誤魔化す。
「そうでしょう! もっと言ってください! 私は凄いんですよ!」
「おじさん。姉さんが調子に乗ると面倒なので、あまり褒めないで下さい」
「面倒は流石に酷いよ! 美月!」
美咲のその台詞に再び笑いに包まれる室内…。
多少無理やりな感はあったものの、由利子は上手く誤魔化されてくれたらしく、
笑顔を浮かべてくれていた。
…結局、そのまま30分ほどの雑談が続いたところで由利子が疲れを見せ始めた
ので、その場はお開きとなった。
「ねぇ、おじさん…。おばさんって…もしかして…」
「…美咲ちゃん。詳しい話は明日、研究所で話すよ。
だから、今日はこのまま…楽しい夕食会のままでお願い出来ないかね?」
部屋を出てすぐに質問しようとしてきた美咲に、洋一は頼み込むような口調で
詮索を止めてもらえるように促した。
「…そうですね。少し無粋でした。…今日はもう帰ります。美月、良いね?」
「ええ。…それでは洋一おじさん、また伺いますね?」
「あ…あぁ。…うん。……是非、頼むよ…」
何故か去り際のその言葉に、洋一は一瞬、返答に困ったような様子だった。
美月には、その洋一の微妙な反応が―――妙に引っかかった。




