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第36話 勤労者に感謝を送ろう

「初めまして…というわけではないけど、

こうして正式にご挨拶するのは初めてだったかな? 

私は(いぬい)真知子(まちこ)っていいます。今日はよろしくね?」


「はい。初めまして、私は富吉遥と申します。

確か…学園へ美幸の送迎をされていらっしゃった方…ですよね?」


 遥は目の前の人物に見覚えがあった。


 演奏の合間のタイミングに美幸が登校してきた時には、ノックの音に反応して

遥は音楽室の入口で迎え入れていたのだが、その時に一瞬ではあるが、軽く会釈

した後に立ち去る真知子の姿を見掛けたことがあったのだ。


「そうそう! 憶えててくれたんだ…。

一応はボディ部門の担当責任者やってます」


「そうなんです。

普段の私の定期メンテナンスも、この乾さんがしてくれているんですよ?」


「責任者の方だったんですか!?

美咲さんもそうですけれど、

あちらの研究所にはお若いのに優秀な方が多いんですね」


 真知子の今の年齢は34歳だ。

国内でも有数の研究施設で、一部門とはいえ責任者を勤める年齢としてはかなり

若い部類に入るだろう。


 美咲とも歳が近く、同じ責任者の立場として研究所内では比較的仲が良い。


「ふふ…私を(おだ)てても、デザート代くらいしか出ないわよ?」


「え? デザート!? やったー! 遥ちんお手柄だー!」


「はぁ…。あなたは…またそんなに騒いで…。

もう少し落ち着きってものを身に付けられないの?

…それと、『遥ちん』はめてちょうだい」


 遥が『デザート』の一言に、はしゃぎ始めた莉緒を呆れ顔で注意する。

…相変わらず認めていないのか、その渾名(あだな)を止めるように付け加えながら。


「ぶー! まだ言ってる!

もう諦めて、私のことも『莉緒ちん』って呼べば良いのに」


「何時までだって言うわよ。

油断して、なし崩し的に定着されたら困るもの。

…あと、私はあなたをその名前では呼ばないわ…一生ね」


「ふふっ…二人とも相変わらず仲良しですね。良かったです」


「美幸。仲が悪い…とまでは言わないけれど、本当に莉緒の相手は疲れるのよ?

普段から猫みたいに他人の言うことを聞かずに暴走して走り回るし…

少しは犬みたいに従順で素直な美幸を見習って欲しいわ」


「クスッ…わたしは犬なんですか?」


「ええ。間違いなく犬系ね」

「うん! 絶対に犬だね!」


 美幸の質問に対して、遥と莉緒が同時に返答してきた。

正反対の性格にもかかわらず、息の合ったその様子に思わず『クスクス』と笑って

しまう美幸。



 今日は11月22日の日曜日。

翌日の23日は勤労感謝の日ということで、美幸は美咲達への贈り物を買いに遥達

と共に町へ買い物に繰り出していた。


 プレゼントの内容を秘密にするために、今日は美咲達は同行していない。

その代わりに真知子と、(美幸には秘密にされているが)数人のスタッフが警護して

いる状態だった。


 今回は前回とは違って事前に準備していたので、近所の小さな商店街ではなく、

前回は断念したショッピングモールに訪れることが出来ている。


 今は目的のアクセサリーショップへ向かっている最中だった。


「ところで美幸? 今日は一体何を買う予定でいるの?」


「あ、はい。美咲さんと美月さんにはお揃いのものを買おうかな…と。

隆幸さんにはネクタイピンとかが良いのかなぁ…といったところでしょうか」


「あら? あの所長さんの分は要らないの?」


「あ、はい。それなんですけれど、所長さんには美咲さん達から贈り物をするそう

なんです」


 なんでも、美月が夏目宅にて料理を振舞う予定だったとのことで、美咲はそれに

便乗して『適当に一品作るのを手伝って、誤魔化すことにする!』らしい…。


「そう。それで? ある程度は目星は付けてあるの?」


「髪飾りかブローチ辺りが良いかな…って思っているんです。

それでしたら指輪やネックレスに比べてアクセサリーとしての主張が強くないので

研究室でも普段から身に付けてもらえるかな…と」


「へ~。そっかー。美幸っちは偉いね~、そこまで考えてるんだ~。

それにしても初任給でプレゼント! なんて、良い子の典型じゃん!」


「そうね。きっと美咲ちゃん達も喜ぶでしょうね…。

ただでさえ、研究室でも普段から可愛がってるみたいだし。

確か、美幸ちゃんが前の試験の時に働いた分のお給料だったっけ?」


「あ、はい。そうです。佐藤運輸さんでの勤務で頂いた分です」


「…それを聞くと微妙な心持ちになるわね。金額を聞いて逆の意味で驚いたもの」


「あはは…。…遥は私の代わりに怒ってくれていましたよね?」


「当然よ…。あの金額は、流石にどうかと思うわ」


 アルバイトとはいえ25日間、8時間きっちり働いた美幸に支給された金額は、

驚くべきことに10万円に満たないものだった。


 美幸自身は試用試験の一環だったとはいえ、自身の力で得られた初めての給料で

あったため、金額に頓着することなく喜んでいたのだが…。

…遥はその金額を聞いて、すぐに不機嫌になった。


 酷い目にあったにもかかわらず、1日しか休まずに出勤し続けた美幸。

しかし、その臨時の休みを取ったために金額が少なくなった…ということらしい。


 元凶が自分であることが分かっていながら、美幸への給料を削れるその精神は…

ある意味、尊敬に値する。

…ここまで無神経なら、生きていくのもさぞかし楽しかろう。


「でもプレゼントですし、やっぱり自分の働いたお金で買えるのは嬉しいです」


「まぁ、貰ったお小遣いでその人にプレゼントって…実質は自腹になるものね」


 さいわい、これから向かう店舗は高級ブランド店というわけではないので、質の良い

ものを選んだとしても精々せいぜい1万円前後だろう。

…3つ買ったとしても、十分に予算の範囲内におさまるはずだ。


「確かこれから行くお店って、美幸ちゃんが事前に調べておいた所なんでしょ?」


「お! リサーチ済みなんだ! さすがは我らの美幸っち!

それでそれで? それってどんなお店なの?」


「あ、はい。そのお店ではですね…

アクセサリーの組み合わせを自分で選べるらしいんです」


 事前の電話で知っていた遥以外の2人に、これから行く店の説明をする美幸。


 その店は『花言葉』をテーマにしていて、様々な花の形をかたどったチャームが用意

されている。


 その中から好きな花のチャームを購入すると、それをリングやペンダントトップ

といったものに加工してもらえるサービスがあるらしい。

 

「だから今日は、ヘアピンとネクタイピンでお願いしようかと思っているんです」


「へぇ…なるほどねぇ。

でも、そういうのって今時は通販でも頼めるんじゃないの?」


 真知子の言う通り、そのお店では通販も行っているので、事前に注文しておけば

別に店舗まで足を運ぶ必要は無かった。


「はい。でも、やっぱり微妙な個体差とかがありますし…。

同じデザインでも、なるべく良いものを選びたいですから。

…それに、せっかくのプレゼントなんです。

どうせなら、自分の手で買った物を送りたいじゃないですか」 


「成る程ね、そういうことだったの。

でも、それならお店で一番綺麗な物を選ばないといけないわね。

それで? 美幸は誰にどの花のアクセサリーを買うかはもう決めてあるの?」


「あ、はい。

まず隆幸さんのネクタイピンですが、青いバラにしようと思っているんです。

花言葉は『夢かなう』だそうですよ?」


「『夢かなう』かぁ、私達研究者には嬉しい言葉ね。

でも、高槻君が青いバラかぁ…。

ただでさえイケメン系なのに、タイピンとはいえ胸元にバラって…。

気障(きざ)ったらしさに、更に磨きが掛かるわね…」


「え? あの…駄目だったでしょうか?」


「あ! いやいや! そんなことないと思うわよ!

高槻君、中身はちゃんと好青年って感じだし。大丈夫大丈夫!」


 何気ない呟きに美幸が不安そうにしたので、真知子が慌てて前言撤回する。


「まぁ…そうね。

でも、色もよくある赤じゃなくて、青なのだし…。

デザインにもよると思うけれど…結構、似合うんじゃないかしら?」


 真知子の言葉に一瞬、不安を覚えた美幸だったが、遥のその感想を聞いたことで

『そうですか…良かった』と胸を撫で下ろした。


…一方、真知子は自分の失言のフォローを入れてくれた遥に、苦笑を浮かべて軽く

頭を下げる。

 遥はそんな真知子に、ほんの少しだけ口元を綻ばせて、無言で頷き返していた。


「それじゃあ、高槻さんの花はそれでいいとして…。

美咲さんと美月さんの分は? 何の花にするつもりなの?」


椿(つばき)です。美月さんには白、美咲さんには赤の予定です」


「あ、姉妹で色違いなんだ~。でも、椿の花言葉って何だったっけ?」


「実は花言葉って一つの花に対していくつもあったりするんです。

だから、その中で一番イメージに合った物を参考にしているんですが…

白の椿には『完全なる美しさ』というものがあるので、

それで美月さんに送ろうかな…と思いまして」


 美幸の言葉に、その場の全員が『あー…』と静かに呟いて納得していた。

…確かに、美月にはこれ以上無いくらいにピッタリな花言葉だった。


「それから、赤の椿には『気取らない優美さ』というものがあるんです。

それで、こちらは美咲さんにぴったりだなぁ…と」


「…え? 美咲ちゃんが……『優美』…? いやいやいや…え? どんな時が?」


 美幸のその発言に、真知子が目を丸くして反応する。

『優美』…とはつまり、“上品で美しい”という意味だ。


 美人であるのは確かだったが…無気力に見える目つきと、横柄な態度をとること

も多い美咲に“上品”という表現がいまいちピンとこない。

…“気取らない”という部分なら、確かにピッタリなのだが。


「え? 早朝に窓際で静かに紅茶を飲んでいる時とか…そんな感じですよ?」


 美幸のその説明に、数秒遅れて真知子が『あぁ、なるほど…』と声を漏らした。

…密かに同じ感想を持っていた遥も、内心で納得していた。


 朝日の差し込む窓から外を眺めながら、紅茶を静かに飲んでいる美咲のその姿を

頭の中で想像してみたのだ…。


 美幸は基本的に早寝早起きだ。

そんな美幸の言う『早朝』とは、ほぼ日の出からそう経っていない時間帯になる。


…つまり、その時間に研究室にいる美咲は大概は徹夜明けで…とても眠いはずだ。

だから、その早朝の紅茶は、恐らく軽い眠気覚まし代わりだろう。


 その睡魔の影響で、浮かべた表情は憂いを帯びているように見えるだろうから…

傍から見れば、その姿は見事に『何処か影のある、上品な美人』になるはずだ。

…やっぱり、美人って(ずる)い。


「あ! あの店だよね!? よし、遥ちん! 行こ! 一番乗りだー!」


「ちょ…莉緒! ひっぱらないで…! ちょっと!」


 目的のアクセサリーショップが見えてくると、莉緒が遥の腕を掴んで、美幸達を

その場に置き去りにして、引っ張って行ってしまった…。


 美幸もそれに続こうかと一瞬、迷ったのだが…。

自分まで一緒になって走って行くと、きっと付き添いの真知子が大変だろう。

…目的地は同じなのだし…と、今回は見送ることにした。




 先に店内に入った莉緒は、くるりと体ごと遥に振り返った。


「ねぇねぇ、遥ちん。私達からも秘密で美幸っちにプレゼント買わない?」


「………成る程ね。それを言いたくて、私を引っ張ってきたというわけね…」


「えへへへ…」


 莉緒はこう見えて、他人にはちゃんと気を遣えるタイプだ。

そんな莉緒が美幸を放って、遥を強引に引っ張って来たことには、何か意味がある

のだろうと、あえて必要以上には抵抗せずに付いて来た遥。


 思った通り、用件自体はまともなものだったが…。

引き()られるように強く引っ張られたせいで、今も若干腕が痛いままだ。


「まったく…まだ腕が痛いわ…。

ちゃんとした用件があるなら、もっと自然に呼び出せないの?」


「ゴメンゴメン! でも、私らしい感じだし…あれなら怪しまれないでしょ?」


「…はぁ。もう良いわ。本当、あなたは時々、凄く難儀な子になるのよね…」


 溜め息混じりにそう言って、呆れた様子で莉緒を見る遥。


 しかし、その表情を見る限り、呆れはしているようだが、怒っているような様子

ではない。


 要件がまともだったからか…とりあえず莉緒は許してもらえたようだった。

…だが、それで気が緩んだ莉緒は、思っていたことがつい口をいて出てしまう。


「『難儀』って…。それ、なんだかオバサンっぽいよ? 遥ちん?」


「失礼ね。私は同い年よ。…あと、『遥ちん』は止めてちょうだい」


…結局、その余計な一言で遥の怒りをかってしまう莉緒だった。


「あはは、ゴメンって。それで? どうかな? 遥ちゃん」


 とはいえ、その提案自体は悪くない。

勤労感謝という意味ではつい先日まで美幸も働いていたのだし、それを(ねぎら)って何か

を送ったとしても、別におかしくはないだろう。


 それに…莉緒としても真面目な提案であったらしい。

いつの間にか、呼び方がちゃんと『遥ちゃん』に変わっている。


「…まぁ、それについては賛成よ。でも、そうね…。

なら、まずは急いで一通り回って、美幸にピッタリの花言葉の花を探さないとね」

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