第4話 新型AIの企画書案
「ふむ、思考回路の複数設置……か」
企画書に目を通した洋一が初めに見せた反応は、とても鈍いものだった。
わかり易いくらいに落胆した表情で、眉間にも皺を寄せている。
…しかし、その反応はある意味、美咲の予想通りでもあった。
一般的にAIの思考を豊かにしようとすれば、思考するための領域の拡充や参照
データの追加、または平行思考が可能になるように、複数のAIを組み込んでAI
同士で相談させる方法を取る。
つまり、今のところ理屈の上ではとても正しい。
正しい……のだが、だからこそ、そこに特に斬新さや面白みは無く、当然ながら
そんなことは既に何度も試行されている。
洋一も、『新しい企画案としては凡庸過ぎる』と、そう思っているに違いない。
…だが、その表情も企画書を読み進めるに従って、次第に変化してくる。
そして、少しずつその眉間の皺は無くなっていき、最後には少し嬉しそうな表情
にすら変わっていった。
美咲はそんな洋一の表情の移り変わりを確認しながらも、静かに緊張していた。
第二の父、あるいは祖父。
洋一に対してそんな風に感じている美咲にとって、こうして企画案をチェックして
もらうことは、両親に学校の通知簿を見せていた子供の頃に返ったような心持ちに
させていた。
そして、洋一が一通り目を通したのを確認すると、美咲は気を引き締め直して、
企画概要の説明に入っていく。
「企画書にも明記していますが、今回、複数設置する思考回路には、アンドロイド
自身にはアクセスの権限を与えません」
…その考え方は、妹の美月から教わったものだった。
ちょうど2週間前、美月に相談した際に返ってきた言葉の中のヒント。
心とは“感情ではなく衝動”、そして、それを生み出す“人生経験や感性”……。
そして、それらは“自覚できない”ということ。
美咲はアンドロイドに心を持たせようと考えて『どう理解させれば良いのか』
という問題の回答を、当初は探し続けていた。
何故なら、AIは“学習して進化するもの”だからだ。
それならば、進化するきっかけとなる、その物事の基本……つまり、構成要素や
原理といった“その情報を理解させる材料”を与えてやれば、そこから自ら学び、
修得していくはずだ、と考えた。
…しかし、美咲はその最初の地点で早くも悩むことになる。
“人の心の構成要素や原理”と言われても……そもそもそれ自体、自分には明確に
説明出来そうになかったからだ。
アンドロイドの思考とは通常、起こった物事に対して『自らの中のデータを参照
して関連情報を集める』ことから始まる。
次に、『インターネット等の情報媒体からも同じく関連情報を集める』となり、
最後に『集まった情報に環境等の情報も加えて、現状で最適な回答を導き出す』と
いう流れになる。
この最後の回答を導き出す地点で、AIはそれ以前の学習した内容も踏まえて、
『自ら考えて』結論を出すのだ。
美咲は、そういった思考の流れから考えて、『心の正しいあり方』というものを
正しく理解させることが出来れば、最後の回答を導き出す段階で、その判断を人の
考え方に近付けさせることが可能なのではないかと、結論付けた。
つまり、『心の正しいあり方』という比較的影響力の高い参考資料を与えて、
それを法律の如くあらゆる判断の基準として使わせよう、という理論だ。
…だが、美咲はあの日、美月の何気ない言葉にハッとなった。
言われてみれば当たり前の話だが、頭の中で何らかの結論を出す際に、しっかり
『この結論は人間らしいだろうか?』等と、いちいち自分は考えていない。
もっと言えば、出した結論の理由でもある“自分らしさ”というものを詳しく他人
に説明できる人間が、この世に一体どれくらい居ることだろう?
人間なら、普通は気付いた時にはこうという結論が自然に出ているものではない
だろうか。
そう……そもそも、より人間らしく思考させたいのであれば、正しく理解させる
どころか、何故その結論に達したのかと認識させる必要すら無いのだ。
そうが解れば、もう答えは簡単だった。
参考資料として明確に設置して、辞書のように能動的に参照させるのではなく、
メインの思考を行っているAIに、無断で強制的に介入させればいい。
つまり、人間の“本能的な感覚”や“感性”といったような普段は自覚出来ない物事
の判断基準を情報としてプログラムしたサブAIを、メインのAIとは別に内蔵し、
アンドロイド本人には、アクセス権どころかその存在すら知らせないでおく。
そして、回答を導き出す段階でメインAIが出した結論を、サブAIが一方的に
検証して、それに干渉してしまえばいい。
そうすれば、アンドロイドからすれば“気が付けばこの考えに達していた”という
具合になるだろう。
但し、何故その結論になったのかを疑問に思ったメインAIが、その過程を精査
しようとすれば、不審な干渉に気が付いて、正体不明のサブAIの存在に混乱する
可能性もある。
そこで、それを回避するために、美咲はメインAIにも更にフィルターを掛け、
自分の思考回路の構造を気に留めないようにすることにした。
調べ物をする際などの自主的な検索時を除き、一切、『自らの意識部分』を分析
させない。
更に、無意識下の情報収集……感性や感覚の効果を常態化する形をとって、それ
がメインAIに干渉はしても、その詳細な報告まではさせないでおく。
結果、このアンドロイドは無意識のうちに情報を収集して回答を出し、更にその
出した回答を認識できないAIに干渉される。
ここまで来て初めて人間により近い“気付けばそう思っていた”という思考回路を
持つAIが出来上がるというワケだ。
勿論、アンドロイドとしての自覚や、基本機能としてのデータベースの参照等は
通常通り出来るようにはしておく。
要は、人間が無意識下で感じていることを違和感無くアンドロイドの意識と融合
させるのが、今回の美咲の企画案のキモだ。
そして、そこで最も重要になってくるのが、干渉するAI側のデータ内容だ。
“本能的な感覚”は比較的簡単だ。
実装したい本能によって起こる人間の生理現象をプログラムして再現すればいい。
例えば睡眠欲を再現したいなら、サブAIが時間と共に自発的にスリープモード
に移行する指示の優先レベルを上げていくようにすれば可能だろう。
こうすれば、アンドロイドはなぜだか無性にスリープモードに入りたくなる。
後はあくびのモーションを自動的に引き起こさせたり、思考機能を段階的に妨害
するなどの処理をすれば、再現度も上がられる。
…だが、問題は“感性”の部分だ。
この部分だけは個人差があるため、ベースにする人間の選択を誤れば、危険な思考
のアンドロイドが出来上がってしまう可能性もある。
そのため、特定の誰かをベースにするのなら、可能な限り『善人』である方が、
後のトラブルも少ないだろう。
「…なるほどね。そこで、美月ちゃん……か」
「はい。メインの感性のベースは美月に協力を依頼します」
この件は夏目所長に企画を提案するよりも前に、既に美月からも了承をもらって
いる。
姉の贔屓目で見ても、美月は美咲が知る限り最も優れた人格者で、常識人だ。
“感性”部分のAIプログラムへの協力を依頼するのは、当然の流れだった。
「この7年構想というのは、美月ちゃんが20才になるまでということで、そこは
分かるんだが――」
美咲の構想では、人の感性を作り上げられる元となる“人生経験”の代わりとして
7年の間、被験者に毎日、その日に体験した印象深い出来事と、それに対する感情
を記録していってもらう計画だった。
7年……しかも、それが2人分ともなればデータベースとしては十分だろう。
後は、それに平行して『本能的な感覚』の方のAIも微調整しながら完成させて
いけば良い。
「その、だね……。
この『2人目の協力者』となっている、高槻隆幸とは……一体、誰なんだね?」
「私の大学の後輩です。
まぁ、ちょっと変わったところもありますが……。
私の知りうる限りでは美月に負けず劣らずの、まともな“善い人間”ですよ?」
美咲の『大学の後輩』という言葉に、洋一は微妙な反応を示した。
恐らく、娘のように思っていた研究一筋の美咲に、突如現れた男の影に対して、
反応に困っているのだろう……。
「…所長? 念の為に言っておきますが、本当にただの後輩ですよ?」
美咲は気持ち強めに“ただの”を強調して、もう一度言い直してはみたのだが……
洋一の表情は浮かないままだった。
「それより、この企画案はどうでしょう?
上手く通りそうでしょうか?」
「あ……あぁ、この内容なら恐らくは大丈夫だろう。
完成が7年後だというのなら、その頃には今よりも格段にAIのCPUも高性能に
なっているだろうし。
任せなさい……私が意地でも通して見せるさ。
ただ、発案者として、美咲君にはこのプロジェクトの責任者になってもらう流れに
なるとは思うが……それは構わないね?」
「ありがとうございます。勿論、そのつもりです。
私も、初めから他人に美月を任せるつもりは、毛頭ありませんし」
洋一の言う通り、完成が7年後ならメインのAIも随分高性能な物になっている
ことだろう。
勿論、失敗するつもりはない美咲だが、もしかしたらその頃には想像以上のもの
が作成可能な状態になっているかもしれない。
…美咲はもう、今から既に完成の時が楽しみで仕方がなかった。
「…ところで、この高槻君という後輩君にも協力の了解は取れているのかい?」
「いいえ。
ですが、以前から研究に必要な場合の協力ならすると了解を取っていますから。
まず、そちらは問題無いでしょう」
恐る恐る聞いてくる洋一に、至極簡単に美咲は答えた。
そして、話がまとまったところで美咲は、速やかに退室することにする。
…これで企画案が正式に通れば、これから急に忙しくなるだろう。
そう思いながら『失礼します』と所長室を退室する美咲の耳には――
『ぐぅ……わ、私だって、こんな早口言葉みたいな名前の男に大事な美咲ちゃんを
任せるつもりはないぞ……!』という洋一の呟きが入ってきて……思わず噴き出し
そうになった。
それじゃあ企画も無事に通りそうだし……早速、その『早口言葉君』に連絡でも
しておくか……と、美咲はこれから始まるであろう研究に胸躍らせながら、プラン
の相談のために隆幸を大学の食堂に呼び出したのだった。