幕間 その4 隆幸の真価
美月がアンドロイド開発の道に進むことを決めた切欠は、家族だった。
自らの母、姉、そして自分にとっては育ての親とも言える夏目夫妻もまた、
アンドロイド開発の第一人者だった。
そんな中で、美咲からの依頼で美幸の開発に関わるようになったことから、
自然とこうなっていったようなところがある。
だから…だろうか。
隆幸がそんな願いを持ってこの道を志していたなんて、想像もしていなかった。
てっきり、研究者に良くあるような、探究心や好奇心の延長線上だと思っていた
美月にとって、美咲から聞かされた話はあまりに衝撃的だった。
「それでは…ある意味では美幸ちゃんという存在は、隆幸さんの求めていた理想の
存在そのものなんですね」
美幸の隆幸に対する愛情は、まさに隆幸が求める家族愛そのものだ。
親と子の立場こそ逆転しているものの、悲願だった“偽り無い家族愛”を手に入れた
ことになる。
それは、隆幸にとっては念願が叶った、祝福すべき喜ばしいことであるはずだ。
…しかし、美月はそれをどこか素直に喜べなかった。
その正体には美月自身、自覚はある。これは…嫉妬心だ。
自分でも心が狭いとは思うのだが、やはり隆幸に素直に慕って、甘えられる美幸
を羨ましく思う時が、今までも何度かあった。
そこにきて美咲の話の通りなら、美幸は隆幸にとって自分と出会うよりも前から
ずっと、長い間求め続けた“特別”なのだ。
…いけないとは思っていても、嫉妬心が刺激されてしまうのは当然だった。
「駄目ですね…隆幸さんが追い求めていた物をやっと手に入れられたんですから、
素直に喜んであげられれば良かったんですが…。正直、少し嫉妬してしまいます」
「へ? いやいや! 美月さぁ…なに言ってんの!?」
美月が自らに生まれた嫉妬心に少し落ち込んだような表情を浮かべると、その
反応に心の底から呆れたような顔で、美咲は妹の致命的な勘違いを指摘した。
「『やっと』もなにも…高槻君はとっくに手に入れてたじゃん!」
「? 何を言っているんですか?
隆幸さんが求めていたのは『アンドロイドからの偽り無い家族愛』でしょう?」
「いやいや! 美月、いくら自分の自己評価が低いからってそれはないよ!
高槻君が求めてたのは『疑いようの無い愛情』なんだよ?
それなら『美月からの疑いようの無い愛情』っていう…
ある意味では最高のものが、美幸の起動よりも以前に既にあるじゃん!
それなのに、その美月が『やっと』とか言ったって知ったら、流石の高槻君でも
きっとマジ泣きしちゃうよ!?」
その、姉からのストレート且つ破壊力抜群の発言に、美月は一瞬だけポカンと
した後、瞬間沸騰して赤面した顔を俯かせた。
「はぁ…。美月さぁ…。
さっき『隆幸君に愛されてる』って言ったばかりでしょ?
祖父母の…育ての親からの愛情を得られなくてさ、愛情を得ること全般を諦めて、
常に表面的にしか人付き合いをしてこなかった…。
そんな人間が、結婚を決意するくらい本気になったのが美月なんだよ?
そんなの…高槻君が美月からの愛情を疑ってるわけが無いでしょうが…」
「…あ、えと…そう…ですね……すみません」
赤い顔のまま、なんとかそう返事を返す美月。
普段は落ち着きと余裕のある、大人の女性の見本のような態度の美月だが…
今は照れて碌に返事も出来ず、まるで思春期の少女のようになってしまっていた。
「それに、今さっきも『素直に喜べない』って言ってたけどさ…。
美月も言ってる通り、美幸に対しての高槻君の感情は家族としての愛情…父親的な
ものなんだ。
自分が満足に得られなかった分、少し行き過ぎなくらいの親バカだけど…
それなら私達もあんまり変わらないだろうし、多少は許してあげなよ?」
「はい。そう…ですね」
美月が多少冷静さを取り戻してきたのを確認した美咲は、脱線していた話の主軸
を修正しにかかる。
「まあ、初めの美月の疑問に答えるとするなら…だ。
高槻君を美幸の構成要素にしたのは、幼い時に両親を亡くしてるって共通点もある
から美月との“感性”の部分で親和性が高いかなって思ったことと、
私達と違って孤立無援で色んな状況に耐えてきた…その心の耐久力だね。
それから、そんな環境下で育ちながらも、変な感じに捻じ曲がったりしないで良い
人間のままだった…ってところが、まぁ…主な理由かな」
「そういった理由でしたか…。
確かに、私は洋一おじさんや由利子おばさん、姉さんにも守られて、多くの人達
に味方してもらっていましたから…。
『心の耐久力』という意味では、雲泥の差があるのでしょうね…」
幼い頃から家庭の中ですら味方が居ないというのはどういう心情なのだろう。
美月は想像しただけでも寒気がする思いだった。
「あと、なんだかんだ言っても、美月は今回みたいに理不尽な物事に対しては
諦めたり許したりしないだろう?
でも、どうにもならない場合は、それを諦める勇気だって時には大事なんだ。
少し悩むくらいなら良いんだけど、悩み過ぎて前に進めなくなったら、
それこそ“人と共に歩めるアンドロイド”にはなれないだろうからね」
言っていることは夢も希望も無いが、美咲は至極冷静に分析する。
「厳しいことを言うようだけど、『諦めなければ、いつか夢は叶う』なんてのは
成功した人間だから言える…嘘っぱちなんだ。
諦めないっていうのは、夢を叶える上での最低条件ってだけで、その成功を保証
してくれることとは違う。
だから、叶わないと判った時に“諦める”っていうのは、必ずしも後ろ向きだとは
限らないんだ…。
それを選択出来る心のあり方ってのは、本当はとても重要なことなんだよ」
例えば、コンクールでの受賞経験がある遥が『諦めなければ、いつか叶う』と
言えば、一瞬、説得力があるように感じるだろう。
だが、それならその遥の母親は諦めたのか…と言えばそうではなかったはずだ。
彼女もあらゆる事を犠牲にしてピアノに打ち込んでいたのだと言っていた。
だがそれでも、『チャンスすら訪れなかった』と本人も語っていた。
結局は、“生まれ持った才能”という…自力ではどうしようも出来ないものが、
致命的なまでに足りなかった…。
…諦めずに、努力を欠かさなかったにもかかわらず…夢は叶わなかったのだ。
だが…その時に、彼女が若き日の自身のピアニストへの憧れを完全に諦めきって
いられたのなら、娘とのすれ違いもそもそも起こらなかったのではないだろうか。
確かに遥の件に関して言えば、そのすれ違いがあったからこそ、美幸達は親友に
なれたのだろうし、無事に解決したことで逆に親子の絆も深まった。
…ただ、あそこまで全ての問題が丸く収まったのは、色々な要素が上手く働いたと
いうだけであって、普通に考えて問題は起こらないに越したことはない。
そういったことも含めれば、不可能な物事を未練を欠片も残さずに、すっぱりと
諦められるというのは、一種のスキルといえるだろう。
美咲も、何も『完全に投げ捨てろ』と言いたいわけではない。
一旦は諦めても、それが可能な状況になれば再度挑戦してみるのも良い。
…要は、意固地になって囚われ過ぎない心のあり方を持つことが重要なのだ。
そして…その発端は悲しい経緯ではあっても、隆幸にはそれが備わっている。
「そういうことなら、確かに隆幸さん以外には適任者が居ませんね…」
「そうだろう?
でも、この話を持っていった時は高槻君は驚いてね、すぐに断られたんだ。
『僕みたいなのより、他に適任者が居るはずです』ってね」
「それで…姉さんが説得したんですか?」
「うん。これ以上の適任者は居ないって確信してたからね。
死んだ両親から教わったことを信じて、ずっと笑顔で過ごしてたんだよ?
金の亡者と言っても良い、冷たい家族が少しでも幸せになれるようにって…。
高槻君も馬鹿じゃないから、途中で気が付いた。でも、笑顔だけは止めなかった。
財産もね? 研究者になるのに必要な分以外は、全額置いてきたらしいんだ。
…私なら、腹いせに根こそぎ取り上げて家を出てるよ」
再び空になったカップを手の平で遊ばせながら、美咲が美月を覗き込んできた。
その表情は…少し珍しい。
いつも通りのイタズラが成功したような顔でありながら、どこか安心したような…
慈しみの感情が混じって伝わってくる。
「私は…さ。美月と同じで負けず嫌いでね…諦められなかったんだ。
だからかな…好奇心で踏み込んでおきながら、自分勝手に腹が立ったんだよ。
人間からの愛情を諦めて、アンドロイドからの愛情に期待…
いや、逃避しようとしてた高槻君にさ」
そこで、美咲は美月の鼻先を人差し指で指差して言った。
「だから思ったんだ。
それなら、この諦め癖のある男に自分の知りうる限りで最高の人間からの、誰もが
羨むような愛情を獲得させてやろうって。
だから、美月。アンタが高槻君と結婚を前提に付き合うことになったって報告して
きた時は、内心思ったもんだ。
『ざまあみろ! 勝手に諦めたって意味無いんだぞ!』…ってね」
『諦められる』というのは確かに重要なスキルだろう。
だが、隆幸は不可能な物だけではなく、得られるかも知れない物も早々に見限って
諦め続けてきた。
…家族だけでなく、友人も、恋人も何もかもを。
だから、美咲は美幸の開発が終わる前までには、何としてもこの悪い部分を克服
させておきたかったのだ。
そして、それは美咲なりの責任の取り方でもあった。
出会って2度目の…好奇心だけで踏み込んだ浅はかな先輩に対しても、真摯に対応
して辛い過去までを約束通りに包み隠さず話してくれた…隆幸に対しての。
それに、美咲には何となく確信があった。
この、自覚は無いが本当は底抜けに優しくて、愛情に飢えた高槻隆幸という人物と
ならば、きっと美月は幸せになれるだろう…と。
その優しさから美月を本当に大切にしてくれるだろうし、その飢えから決して
失くすまいと、あらゆる物から全力で守ってくれるだろう。
「…道理で。…突然の報告でしたのに、簡単に交際を許したはずですね。
まったく…初めから織り込み済みでしたか…」
「うん。…でも実際、人柄も良かっただろう?」
「…はい。本当に…ありがとうございます。隆幸さんに会わせてくれて…。
姉さん…私は今、とっても―――幸せですよ」
仰々しくお礼を言ってくる美月を、今日の美咲はからかったりはしなかった。
美咲は今にも泣き出しそうな顔で頭を下げ続ける美月を優しく見つめながら、
1ヶ月程前の夜のことを思い出す。
美幸が悠貴によって誘拐されそうになった、あの日。
美幸を引き取った際に見た隆幸の表情は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
その笑顔の向こう側には、何か…言い知れない迫力があった。
数年ぶりに、初めて話した時と同じように…その笑顔からは恐怖を明確に感じた。
そして…やはり、というべきか。
美咲の危惧した通り、過剰なまでのレベルで佐藤社長に警告を施した隆幸。
事後報告の際は、流石にやり過ぎなところを注意せざるを得なかったものの、
美咲はどこか安心していた。
何故なら、そこまでの対処をしたのは美月だけではなく、美幸という存在も諦め
の対象にしていなかったことの証明だったからだ。
そして同時に、美幸にそこまで出来るということなら、美月のことも同じように
この先も大切に…ずっと守っていってくれるのだろう。
殴る蹴るが得意なわけではないが、隆幸はきっと全力で美月を守ってくれる…。
それが美咲にとっては嬉しく、そして何より価値のあることだった。




