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幕間 その3 隆幸の生い立ち

 隆幸の昔の話を聞いている途中、突然、美咲が立ち上がった。


 何か意味があるのだろうかと思った美月だったが、美咲の手元と進行方向を見て

すぐにその目的がわかった。


「美月は(なん)か要る~?」


「それでは、コーヒーをお願いします」


 美咲の手には愛用のカップ。

…どうやら、いつもの甘い紅茶が欲しかっただけらしい。


「ほい、コーヒー。砂糖とミルクは?」


「あ、今日は頂きます」


 美月も紅茶は好きだったが、ここ最近はコーヒーもよく飲むようになっていた。


「…それにしても、こういう時は素直に甘えてくれるんだね」


「それはそうです。今は一応は休憩時間ですし…それなら、ただの姉・・・・ですから。

姉妹とはいえ、流石に研究室のチーフを(あご)で使うわけにもいかないでしょう?」


 一応はまだ美幸の開発の協力者という立場ではあるが、既に内定をもらっている

以上は、いずれはこの研究所に入社する予定の美月だ。

 普段なら、将来の上司に飲み物を用意させるようなことは決してない。


「というより、高槻君と美幸が居ないからだろう?」


「ええ。それもあります。

隆幸さんには怠惰な嫁だと思われたくありませんし…。

美幸ちゃんは、私なんかのことを尊敬してくれていますから」


 美月は美咲に対しては、こうゆう時に思った事を包み隠さずに言ってくれる。

…ただ、美咲は美月の言葉の中の『なんか』の部分が気になった。


 謙虚なのは悪いことではないが、美月が言うと普通は嫌味に取られかねない。

しかし、昔から美月は妙に自己評価が低ということを美咲は知っていた。


 他人にならともかく、美咲に対して言っているのだから謙遜でもなんでもなく

本気で言っているのだろうし、今そこを深く突っ込むのは野暮だろう。


 それに…自己評価的な自分の価値は、やはり自分で見つけるべきだ。


「まぁ、いいや。でも…いつもはブラックだよね? なんで?」


「それは…その…隆幸さんはいつもブラックで飲んでいますし…。

それに…美幸ちゃんが前に『カッコイイですね』って言ってくれていたので…」


「あー…あはは、そっか。美幸の夢を壊さないためか」


 美幸は思ったことを本当にそのまま真っ直ぐに伝えてくる。

まぁ、そこが美咲達にとっては最高に可愛いのだが。


「さっきの話の続きだけどさ…結論から言うと、初回の会話の時に高槻君が私の

言葉に素直に答え返していたのは、その…予想通りだったというか…。

単に当時の高槻君が極端に素直な性格だったってだけだったんだよ。

だから、美幸の性格があそこまで純粋なのはね? 

単純に起動して間もないっていうのも、勿論あるんだろうけれど…

恐らくは高槻君の“感性”の部分の影響もかなり大きいんだと思うよ」


「そう…なんですか?」


「あ、別に美月が素直じゃない…ってわけじゃないよ?

でも、高槻君の場合は何と言うか…ちょっと毛色が違うんだ。

『愚直』っていう言葉があるだろう?

その言葉どおりにね…時に愚かしいほどに素直だったんだよ」


 いつも通りに角砂糖を紅茶のカップに放り込みながら、美咲は話を再開させる

ことにした。




『何でも答える』と宣言した隆幸に対して、美咲は手始めに前回聞き出せなかった

話から聞いてみることにした。


「んじゃ、まずは前回と同じ質問。AI研究を目指そうとした本当の(・・・)理由は?」


「それは…真実の愛情を得るため…でしょうか」


「………………は?」


 美咲は一瞬、隆幸のその回答に反射的にツッコミそうになった。

…そんな生粋のロマンチストが口にするような口説き文句が返ってくるとは思わな

かったからだ。


 しかし、自分に問いかけるように考えながら回答しているその様子には、こちら

をからかうような雰囲気も無ければ、とっておきの口説き文句を披露した得意げな

空気も感じられない…。


 その言葉の意図が掴めなかった美咲は、本人の宣言通りに真正面から質問して、

詳しい説明を求めた。


「あ、いや。えーっと…だね。抽象的過ぎていまいち理解出来ないんだけど?」


「あ、はい。そうですね、僕は5歳の時に両親を事故で亡くしてるんです」


 変わらずニコニコ顔で答えたその内容は…浮かべられている明るい表情と違い、

随分と重いものであった。



 隆幸が5歳の時、彼の両親は友人の誘いで、その人物の所有するクルーザーで

沖合いまで遊びに出掛けることになった。


 しかし、子供の頃は乗り物酔いが酷かった隆幸は、こういった乗り物の遊びへの

参加が難しく、その日もお留守番ということで、港の近くの喫茶店で両親の帰りを

待つことになっていた。


…だが、隆幸の両親は……そのまま息子の元に帰ることは無かった。


 両親の乗るクルーザーはホエールウォッチングが目的で出掛けたのだが、目的の

鯨を探す作業に夢中になってしまい、周囲の天候が急激に変化していた事に気付く

のが遅れてしまったのだ。


 それは、俗にいう『ゲリラ豪雨』という一時的なものであり、突然の雨風と強風

で海が荒れはしたものの、冷静な対処をすれば特に問題はない程度のものだった。


 ただ、免許は取得していたものの、まだ経験が浅かったその友人は、焦りからか

操舵ミスを起こし、荒れた波に正面からぶつかってしまった。


 結果的に弾みで海に投げ出されてしまった隆幸の両親は、救命胴衣を身に着けて

居なかったのもあり、そのまま行方不明となしまったのだそうだ。


 その知らせは、なんとか港まで戻った友人の口から隆幸にもすぐに伝えられて、

同時に警察の捜索も行われたのだが……。


 結局、その日には両親の姿を見つけることは叶わず、近くの浜辺で変わり果てた

姿で打ち上げられている2人が()()()()()のは、事故から3日後のことだった。



 そんな突然の凶事に周囲の大人が慌ただしく動く中、親類間で隆幸の引き取りを

誰がするのか、という問題が持ち上がる。


 隆幸の両親は資産家と言って差し支えないほどの財産を持っていたが、結婚当時

に家族から反対されて駆け落ち同然に家を飛び出した過去があった。


 そういった背景もあり、隆幸にとっては両親の葬式で見かける親戚達は初対面の

人物ばかりで…『誰の元に行きたいか』と聞かれても、決めようが無かった。


 しかし、周囲の大人達からすれば降って湧いたチャンスだった。


 子供一人引き取るだけで、結構な額の財産が手に入る。

更に、事故の責任を感じたクルーザーの所持者からも慰謝料としてかなりの金額

が隆幸に渡されることも決まっていたのだ。


 これから掛かるであろう隆幸の養育費を差し引いても、余裕を持って一生遊んで

暮らせるような金が自動的に転がり込んでくる…。


 本人のあずかり知らぬところで遺産と親権を巡って、親戚達の争いが行われ、

最終的に隆幸は父方の祖父母の家に引き取られることとなった。


 だが、元々が財産目当てであったことと、両親が駆け落ち同然の結婚で結ばれて

いたこともあって、祖父母からすれば、隆幸は遺産にくっついてきたオマケ程度の

存在に過ぎなかった。


 これが、隆幸の誕生時にでも両親が報告に訪れて、顔を合わせていたのなら何か

違ったのかもしれないが…。


 今の今まで存在自体知らなかった『孫』というものに対して、祖父母は何の感情

も持たなかった。


 隆幸が何を言おうと、どんなことをしようと、まるで対岸の火事を眺めるように

ただ無感情な視線を送るのみだった…。


 そして、その日から幼い隆幸の孤独な戦いが始まった。


 祖父母に恥をかかせぬように、その期待に応えられるように…と懸命に勉強し、

常に成績トップをキープし続けた。


…しかし、どんなに好成績を修めたとしても、隆幸には『そうか…良かったな』と

いう無感情な言葉しか与えられなかった。


 顔色…特に目を見て、祖父母が何を望んでいるのかを探ろうともしてきた。

その甲斐あって、相手の目からその心情を読み取ることも得意になった。


 この特技のおかげで友人達との付き合いも上手くなった隆幸。


 だが、肝心の祖父母達は望んだ通りの結果や物がもたらされれば、それに対して

は喜んではくれたが…実際にそれを実現した隆幸自身には興味を示さなった…。


 それでも祖父母からの愛情を諦め切れなかった隆幸は、生前に両親から教わって

いた『笑顔が人を幸せにする』という言葉を信じて、常に笑顔を絶やさないように

努めた。


「当時の僕は、祖父達が自分に興味を持たなかったのは幸せじゃないからなのだと

思っていたんです。

幸せになって余裕が出来れば、きっと自分を見てくれるんだ…って」


「…それは……」


 幼少期の隆幸の話を一通り聞いた美咲は、早くも後悔し始めていた。

…どう考えても“ちょっとした好奇心”で踏み込んで良い領域ではなかったからだ。


「ですが、流石に高校受験を受けようかという頃には気が付きました。

それまでまるで自分に興味を示さなかった祖父達が、遠くの高校に通うのかどうか

を何故かしきりに気にしていたんですよ。

そこで、僕は…会話の流れとその時の目付きから気付いてしまったんです。

祖父母が、僕が独立したら財産も持って行かれるんじゃないかってこと…

ただそれだけを危惧して…お金が奪われることだけ・・を恐れて焦っていたことに…」


 その時には、隆幸の目は相手の心情を読み取ることに関してほとんど完成されて

いた。


…ましてや、10年近く見続けてきた人達の目なのだ。


 皮肉にも他の人に比べて、より正確に、そして事細かに読み取れてしまった。

いかにその祖父母が自分自身に対して興味を持っていないか…ということを。


「その時の絶望は…悲しみは大きかった。

正直、自分でも立ち直れないんじゃないかって思うくらいに。

でも、結局は驚くくらいに早く悲しく無くなったんですよ」


「それは何か…切欠でも?」


「いいえ、何も。本当に何も無かったのに、簡単に立ち直れたんです。

ただ…その時に、ふと気付いたことはありました」


「…それは?」


「お恥ずかしい話なんですが、あらゆることに諦め癖がついていたらしくて…」


 以前に美咲が恐怖を覚えていた、変化の無い笑顔でそう答える隆幸。

しかし、今はその笑顔を見ても美咲は恐怖を感じることは無かった。


…ただ、恐怖とは違う…何とも言えないような感情にとらわれる。


 自分達姉妹も4年前、隆幸と同じように両親を亡くしていた。

そして、美咲達の両親もある程度の遺産を残していたことで、ちょっとした問題

も無いわけでは無かった。


 だが、最終的に夏目夫妻という温かい家族に見守られながら過ごすことになった

この4年間に、不満などは一切無かった。

…隆幸に比べれば、自分達は本当に驚くほど恵まれていたのだ。


 目の前の人物は、その笑顔でどれだけの痛みを、哀しみを誤魔化し、押し殺して

きたのだろうか。

それを想像して……しかし、結局は何も言葉が出てこない。


「そんな時です。テレビの報道で世界初の偉業を成し遂げたとして、

原田美雪さんの…アンドロイドの感情表現の研究成果が話題になっていたのは」


「え? 母さんの…?」


 突然、隆幸の口から母の名前が出てきたことに驚きつつ、美咲は話の続きに耳を

傾けた。


 最初は単なる好奇心から介入したことだったが…ここまで聞いてしまった以上、

美咲には最後まで聞く義務がある。そう…思った。


「報道されていた表情豊かなアンドロイドの映像は、僕にとっては衝撃的でした。

本当に自然な表情の動き…もし、これでその心まで人と同じになったなら…

もう人間との見分けなんてつかない。

いや、そもそも生まれ方が違うというだけであって、わざわざそんな区別をする

必要性すらない…」


「…それで、AI研究を志したの?」


「はい。

これも自分の諦め癖に気付いた時に同時に分かったことなんですが…

どうやら僕は、とても疑り深いらしいんです。

祖父達が自分に向けた言葉、態度。その心情が本物かどうか常に疑ってしまう…

そんな癖もいつの間にか自分の中にあったんですよ」


 常にその瞳から祖父母の感情を読み取っていた隆幸。

実際、そのほとんどが上辺だけのものだったのだから、ある意味そうなったのは

当然の結果だった。


「だから…僕は将来、本当の心を持ったアンドロイドを開発したいんです。

下世話な考えかもしれませんが…アンドロイドが相手なら、その心情が本物か

どうかはデータを参照すれば一目瞭然でしょう? 疑う余地すらありません。

…歪んでいる、と言われても構いません。

僕は、それがたとえアンドロイドであったとしても、

嘘偽りの無い…本当の愛情というものを…いつか手に入れたいんです」


 隆幸は美咲にしっかりと目を合わせたまま、そう本心を語った。

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