幕間 その2 美咲探偵の聞き取り調査
「…それが姉さんと隆幸さんとの出会い…ですか」
「うん。そうだよ。
今考えれば向こうに悪意はまるで無かったんだろうけれど…
それまでは男って言えば単純な奴しか居なかったからね。
存在自体を舐めてたっていうかさ…簡単な会話で大体の人物像ぐらいなら
すぐに見抜けるって高を括ってたところがあったんだよ。
だから、あの時はホント焦ったよ…。
正直、最初の印象としては、はっきり言って“恐怖”しか無かったね」
「私は…あまり共感は出来ません。今の隆幸さんにそんな印象は特に無いですし」
話自体は理解出来たが、美月にはいまいちその“恐怖”が想像出来なかった。
記憶を手繰り寄せてみても、隆幸は第一印象から『にこやかな良い人』という印象
でしかない。
「そりゃ、そうだよ。
高槻君との初対面の時の美月は、まだ13歳だったんだよ?
しっかりしてたのは確かだけど、流石にそこまでは見抜けないって」
「ですが、今もそんな印象はありませんよ?」
「それは美月と一緒に居るようになって、目に見えて高槻君は変わったからね。
…これは冗談でもなんでもなく、美月はそれだけ愛されてるってことさ」
「……………」
姉の突然の言葉に、美月は言葉を失って顔を赤くした。
いつものようなからかいではない真面目な口調で投げかけられた『愛されてる』と
いうその言葉は、予想以上の破壊力があった。
「でもさ、美月も一度くらいは思ったこと、無かった?
胸とかには視線を感じないのに、話してて異常なくらいに視線が合う…って」
「確かに、当初はそういう印象はありましたよ?
ですが…私としては、ただ単純に『紳士なんだな』って思う程度でしたから」
「うん。いや、それも間違いじゃないよ?
高槻君の場合、そういう欲求が先行していないっていうのも事実だし。
…ん? というか、『当初は』ってことは………へぇ…そうかそうか。
つまり…美月は、今はたまにそういう視線を感じる時があるってことだね?」
「…っ、姉さん!」
今度の美咲は真面目な顔ではなくいつもの人をからかう時のニヤニヤ顔だった。
「いやいや! 健全で結構だよ。……うん、ホントに良かったよ」
「…? あの…姉さん?」
しかし、ついさっきまでニヤけ顔をしていたにもかかわらず、またしても真剣な
面持ちに変わった美咲。
思わぬタイミングで真面目な態度になった姉に違和感を感じた美月は、怪訝そう
な表情でその真意を尋ねるように顔を覗き込んだ。
「さっきの続きを話そうか…
…というか、ここからは別に本人から直に聞いても良いんだろうけれどね」
「本人? 隆幸さんからですか?
ですが…やはり本人の口からは言い辛いこともあるんじゃないでしょうか」
美咲が敢えて今まで美月に話さなかったのだから、当然、そこには相応の理由が
あるはずだ。
…いつも他人をからかって遊んでいる美咲だったが、美月はその優しさを誰よりも
知っているつもりだった。
恐らくだが、恋人であり、同じ立場として美幸の思考開発の中核を担っていた
美月にすら話さなかったのには、隆幸への何らかの配慮があったのだろう。
「う~ん。当時ならともかく、今はそうかもね」
「当時なら…ですか?」
またしても含みのある美咲の物言いに、美月が不思議そうに聞き返す。
「うん。当時ならね。
あの頃の高槻君はさっきの話にも出てきた通り、普通なら誤魔化すようなことでも
こちらが指摘して、その内容が合ってたらすぐに認めるのさ。
だから、相手が信頼できる人間だと判断したら、何を聞いてもすぐに答えてくれた
はずだよ?」
「それは…何と言いますか…」
それではまるでアンドロイドのようだ…と、美月は思った。
普通に生きている人間の思考としては、あまりにも無防備過ぎる。
「あの頃の高槻君にとってはそれが最善だったんだろう。それにしても…」
そこで言葉を切った美咲は、何故か突然、可笑しそうに笑い始める。
「あははっ…そうして首を傾げて可愛く聞き返す仕草は、美幸にそっくりだね。
やっぱり、美月の癖も美幸に影響してるんだ…って実感したよ」
「美幸ちゃんの癖…ですか…」
「うん。相手の目を見て、その細かい動きや違いから心理を読み取ろうとしたり
するところなんて、まさに高槻君の癖そのものだね。
まぁ、美幸はアンドロイドだからね…解析とかは出来て当然なんだけど、
高槻君は人の身で意識的に細かい違いを感じ取って心理を見極めてるんだよ?
その精度も含めて考えると…もう正直言って神業レベルさ」
「…それが、今回の美幸ちゃんの件の“決め手”だったんですか?」
協力を依頼した理由が、その人間離れした観察眼ということなら納得だった。
いくら美幸が相手の目の細かな違いを観測出来ても、その違いの意味を把握して
いなければ意味が無い。
それを知識として『こういう目付きの時はこういう心理だ』と理解出来ているの
が隆幸特有の感覚であるのなら、当然、それは替えが利くようなものではない。
「あー、いいや。違うよ。高槻君に協力してもらったのはもっと別の理由。
私達と似てるようで全く違う…その生い立ちを知ったからなんだよ」
美咲は美月に話の続きを促されるかたちで、その後の隆幸との当時のやり取りを
話し始めた。
あれから隆幸に更に興味が出てきた美咲だったが、前回の苦い経験を踏まえて、
今度は正面から探らずに周囲から調べを進めることにした。
だが、探りを入れ始めてすぐに気付いたのは、学生に聞き込みを行ってみても、
あまり詳しい人間が居なさそうだ…ということだった。
“居なさそう”というのは、隆幸はある程度は学内で有名になってきていたのにも
かかわらず、実際に調べてみると、表面的な情報しか入手出来なかったからだ。
結局、一通り聞き込みをしてみて判明したことといえば、全体的に隆幸を嫌って
いる学生の割合がやけに少ない…ということくらいだった。
これは美咲にも経験があることだったが、人気を得るということは、その分だけ
他人に嫉妬されるということでもある。
流石に大学生ともなれば、“それはそれ”として嫉妬心に折り合いをつけて冷静に
人間性を評価する人も少なくないのは事実だ。
…しかし、今回の隆幸の場合は、美咲との関係の疑惑もある。
自分で言うのも何だが、美咲の大学内での評判はかなり高い。
そんな中で、事実無根とはいえ恋人として噂になったのならば、好奇心から注目を
浴びると共に、嫉妬から隆幸を嫌う人間も一定の割合で出てきそうなものだ。
それに、美咲の経験上、同じ嫉妬心でも男女間の話題から来るものは比較的強く
なりがちだった。
能力面での優劣は本人の努力の影響も大きいため、特に隆幸のように熱心な様子
が周囲からでも見て取れるほどの勉強家ならばそういった影響はまだ少ない。
しかし、それが男女間の恋愛関係でのこととなれば、生まれ持った容姿の影響も
強いからか嫉妬心も大きくなるものだ。
…だが、隆幸の場合、その嫉妬から来るイメージへの悪影響が異常に少ないのだ。
美咲は当初、その点に疑問を持っていたのだが…学生への聞き取り調査を続けて
いくうちに、その理由が少しずつ見えてきた。
学生達が言うには『あいつは容姿だけじゃなく、性格も良い奴』らしいのだ。
これは、いつもニコニコしていて笑顔だから…という話ではなく―――
勉強についていけない学生を見つければ、自分から声を掛けて教えてあげたり、
探し物をしていると、周囲にも呼びかけて一緒に探してあげたり、
重い荷物を運んでいたら、講義に遅刻しそうでも一緒に運んであげたり、
と、とにかく人助けのエピソードが湧き出るように次々に出てくるのだ。
しかも、その親切に分け隔てが一切無いのも特徴の一つだった。
勉強についていけていないのが、サボりの常習者でも。
探し物の内容が、取るに足らないようなものであっても。
重い荷物を運んでいるのが、可憐な女性ではなく、むさ苦しい男であっても。
そういった普段の行動から、高槻隆幸という学生は周囲に敵が異常に少ない人物
になっているようなのだ。
美咲は別に悪人というわけではなかったのだが、自分と無関係の人物にそこまで
肩入れはしない主義だった。
自分で解決できることならば、自分ですれば良い…という考え方だったからだ。
そして、美咲が『今度は自分には到底理解出来ない、その行動の理由を探ろう』
と、更に詳しい調査を続けたところで、先の問題にぶつかることになった。
…隆幸は人助けには積極的なものの、人付き合い自体はとても希薄だったのだ。
その理由のほとんどが勉強のためだったので、悪印象こそ持たれていなかったの
だが、そもそも付き合いが深い人物が居ないこともあって、美咲が求めていた肝心
の部分である“隆幸の本質を理解できるような要素”を解明しきれなかった。
そして、痺れを切らせた美咲が『もうこうなったら関係している教授達にも探り
をいれてみよう』と動き出そうとした矢先に―――
「原田先輩…ちょっとよろしいでしょうか?」
と、若干困り顔の隆幸本人に声を掛けられることになってしまった…。
影でコソコソ…というようなレベルで探っていたわけではなく、心当たりのある
人物に片っ端から、手当たり次第に声を掛けて調査していた美咲。
…当然だが、その噂はしっかり本人の耳にも入ってしまっていたようだ。
「あの…僕のことをお調べのようですが…。
前回、お話しさせて頂いた時…何かお気に障りましたか?」
「それは…えーっと…」
先日、一緒に話をしたのと同じ、大学の食堂の奥の席までやって来た2人。
…だが、隆幸に開口一番そう尋ねられた美咲は、返す言葉に詰まっってしまった。
『興味が湧いたから』と言うのは簡単だったが、美咲の興味とは好奇心であって、
好意というわけではない。
…それ故に、どこか罪悪感もあって…正直に言うことが躊躇われたのだ。
「一つ、伺いたいのですが…。今、美咲先輩が行っていらっしゃる僕に対する調査
は、何かアンドロイドの未来に繋がること…なのでしょうか?」
「……え? どうして…そう思ったの?」
隆幸のその質問は、前回と同じくやはり美咲の予想とは違ったものだった。
大学で人気の才色兼備の女性が自分のことを周囲に聞いて回っていると耳にして
一体どれだけの男が『研究のためかもしれない』と真っ先に思うだろう。
「美咲先輩は『優秀な研究者候補だ』と、あの国立アンドロイド総合研究所の所長
である夏目博士が以前におっしゃていたと…ある教授から伺いました。
そんな先輩が調査しているのですから、何か意図でもあるのだろう…と」
「あー、うん。
えっと…高槻君は成績優秀だって聞いたからさ、同じ分野だし、将来的に研究仲間
になる可能性もあるかなと思ってさ。
それで、どういう人物なのかちょっと調べようと思ったんだよ。
本人には言い辛いこともあるかもしれないからね…。
まずは周囲の学生からの評判を聞いて回っていたんだ」
隆幸が相手の目から感情を見抜くことは、以前に話した際に知らされている。
だから、美咲は本心を見抜かれにくくするため、とりあえず全くの嘘ではない
理由を答えて、曖昧に誤魔化すことにした。
…この探偵じみた調査の発端が『面白そうだったから』とは流石に言えない。
「なるほど…。確かに、それもそうですね。
アンドロイドの要とも言える『AI』。
人で言えば思考回路…いや、心そのものと言っても良いものを研究する分野で、
将来は一緒に研究していくかもしれない相手のことですからね…。
能力だけでなく、その精神性も重要な要素であることは間違いない。
しかも、先輩からすれば僕はいずれは直属の部下になるかもしれない相手だ。
気になるのは当然…ということですね」
「いや、うん。なんか勝手に調査してゴメンね?」
「いいえ、そういう理由でしたら仕方ないかと思います」
いつも通りのにこやかな表情で、隆幸は美咲に対して極めて好意的な解釈をして
くれていた。
その反応に、美咲は誤魔化しきれたことに対してはホッとした反面、純粋に自分
を信じてくれた隆幸に若干の罪悪感を感じていた。
「……うん。そういうことでしたら、僕自身が直接お答え致します。
どのような質問でも包み隠さずお答えしますので、どうぞ遠慮なく、気になること
は何でも聞いてきて下さい」
少し悩んだ様子を見せたかと思うと、隆幸は美咲にそう言ってきた。
確かに本人が答えてくれるのならば、隆幸に嘘でも吐かれない限りは正確な情報を
手っ取り早く得られるのだろうが…。
ただ…美咲には何故、隆幸がそこまで自分を信用してきているのか、その理由が
解らなかった。
仮にもついさっきまで秘密裏に自分を調べていたのに、だ。
「それは、こっちとしてはありがたい提案だけど…。
君は…なんでそんなに私に協力的なの?」
「そうですね…。もともと美咲先輩は信用出来そうな方ですし…。
何より、それがアンドロイドの未来に繋がるのなら、僕は喜んで協力しますよ」
美咲は、そう当たり前のように答えた隆幸に対して、自分はとある大きな勘違い
をしているのではないか…という可能性を考え始めていた。
成績優秀者であり、人当たりも良いことから入学早々に有名になった隆幸。
美咲はそんな隆幸のことを、頭の良い、計算高い人物だと思い込んでいた。
…しかし、そもそもそこが違ったのかもしれない。
前回は隆幸の特性を見抜いたにもかかわらず、さらっとそれを認められたことに
ある種の恐怖を覚えた美咲。
だが、もしそれが『ただ聞かれたから、正直に答えただけ』だったのなら…。
そう。
もしかしたら目の前の人物は、美咲が思っていたよりも遥かに純粋で、真っ直ぐな
だけなのかもしれなかった。




