幕間 その1 得体の知れない後輩
「美幸ちゃん、大丈夫でしょうか…」
「う~ん…大丈夫じゃないかな。ま、今回は旦那に任せておきなよ」
「あら? 普段の姉さんなら親バカを全開にしているでしょうに…
今回は意外と心配していないんですね」
佐藤運輸での試験がなんとか無事に終了して数日。
報告の内容も問題無かったようで、美幸の引き続きの運用も正式に許可が下りた。
少なくともこれで、強制停止させられるような理由は無くなったわけだが…。
今回の試験において美幸が悩みを抱えることになったため、今も別室で隆幸による
カウンセリングいう名の“お悩み相談室”のようなものが行われていた。
「美幸がこういう悩みを抱えるのは想定の範囲内だったからね。
…美幸は起動当初から、自分が『アンドロイド全ての未来を背負ってる』って意気
込んでたんだよ。
だからさ、その責任感の強さから、いつかはこういった根本的な解決が難しい類の
悩みを抱えるんだろうなって…」
「立派なことじゃないですか。
確かに解決は難しい問題なのでしょうけれど…
それでも、真面目に悩んでいるのは悪いことじゃないと思います」
「確かに悩むこと自体は悪くない。そうしないと精神的に成長しないからね。
…でも、世の中のあり方なんて、たった一人じゃどうにもならないよ。
だから…っていうわけじゃないけれど、
人間にとって時には“諦める”っていうことも重要なんだ。
でもさ、美幸の性格上、放って置いてもモヤモヤし続けるだけだろ?
だからこそ、高槻君がちゃんと話を聞いた上で説得してるんじゃないか」
「それは…確かにそうなんですが…」
美咲の口から『諦める』という言葉を聞いた美月は複雑な心持ちになった。
…目の前の姉は、今まで一体どれほどの物事を諦めてきたのだろうか。
「…それに美幸の中には高槻君の要素も含まれてるんだし、きっと大丈夫だよ」
「…それは一体…どういう意味でしょう?」
美咲のその物言いに何か含みを感じ取った美月は、その根拠を聞き返した。
そう言えば…以前に遥の居る学園に初めて3人で向かった日、研究室の留守番を
願い出た際の隆幸の妙な雰囲気に対しても、美咲は何か知っている様子だった。
よく考えてみると、美月は姉から大学の後輩だということで今回のプロジェクト
の主要メンバーとして隆幸を抜擢したという事情は聞いていたが、その詳しい狙い
を聞いたことは、今までに一度も無かった。
勿論、隆幸は成績も優秀だったし、人柄も良かった。
しかし、だからといって、それだけで美幸の人格形成の主要部分に採用するには
説得力に欠けるところがある。
理由がただそれだけなら、美月だけでも事足りるだろうからだ。
恐らく、何かそれ以外の譲れない理由が美咲の中にはあったのだろう…。
成績や人柄ではない、隆幸でなければならなかった…決め手が。
そして、それは美月には備わっていないもののはずだ。
でなければ、わざわざ隆幸の人生経験まで組み込む意味が無い。
「…姉さん。どうして隆幸さんを美幸の人格形成に組み込もうとしたんですか?」
「ん? あー、そういう話かぁ…。う~ん。
うん、そうだね。もう2人とも結婚して、仲も良いみたいだし。良いか」
美咲は一見関係無さそうなことを口にした後、美月に向き直った。
「んじゃ、とりあえず…私が高槻君と出会った頃の話からしてみますかね…」
そう、今晩の献立を発表するような気楽さで美咲は話し始めた。
それは美咲が大学の3年生になって間もない頃のことだった。
例年通り、在校生が各自のサークルの勧誘に奔走する中、美咲はとある学生の下
を訪れていた。
その学生は、新入生の中でトップの成績で、尚且つ、自分と同じAI研究の道を
志しているという噂だった。
しかし、噂とは何時の時代も面白おかしく余計な尾ひれが付くものだ。
美咲が耳にしたその噂では、なんでもその学生は、大学入学時からずっと首席の
成績を修め続けている美咲に憧れてこの大学へ入学して来たらしい。
…そして、今では2人は恋人同士で、既に同棲もしているということだった。
正直、自分が首席であるという事実を除いては、身に覚えが全く無い。
それどころか、その名前すら噂で初めて聞いたくらいだ。
だが、相手は同じ道に進む人間。しかもトップの成績らしいのだ。
いつも自分に声を掛けてくるような、下心見え見えの学生達よりは多少はマシな
話が出来るかもしれない。
それに何より……面白そうだった。
そんな単純な動機で探し当てた学生が、高槻隆幸という人物だったのだ。
初めて見た隆幸は思っていたより容姿は整っていて、真面目そうな風体だった。
しかも、愛想も良く、話しかけてくる学生には常時にこやかに対応している。
一目見て、美咲は『なるほど』と心の中で納得した。
美咲は自分の容姿が周囲からどう見えるのかを自覚していた。
妹の美月という規格外の美人が傍に居る時ならともかく、平常時なら十分に人目を
引く程度には整っている。
そんな人物が近付いて来る男の誘いを片っ端から断っているのだから、周囲から
すれば既に恋人が居るか、興味が無いかのどちらかを想像するのは無理も無い。
しかも、そこに隣に立っても似合いそうな容姿で、同じく成績優秀な同門の学生
が突如同じ大学に現れたのだ。
…さぞかし噂好きな学生の妄想は捗ったことだろう。
「…ねぇ、君。君が高槻隆幸君…だよね?」
「え? あ、はい。そうですが…
…そういうあなたは先輩の…原田美咲さんですね?」
確認口調で話しかけた美咲に対して、向こうは確信しているような口調だった。
…どうやら噂の高槻君の方は、既に美咲のことを知っていたらしい。
「あれ? 私のこと、知ってんの?」
「ええ、この業界じゃ原田先輩は有名人ですから」
「ああ、そっか。んじゃ、話が早い。ちょっと話がしたいんだけど…時間ある?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
「そ。なら、ちょっと付いて来て」
そう言って隆幸の返事を待たずに背を向けてスタスタと歩き出した美咲に、隆幸
は特に動じることも無く、手早く荷物をまとめて付いて行く。
周囲の学生は『あの原田美咲が男を誘った!』と騒いでいたが、美咲はその一切
を無視して、食堂でも特に人気の無い最奥のテーブルへと向かった。
…台詞だけ聞けば番長の呼び出しと変わらないだろうに、よく付いて来たな…と、
内心で思いながら。
席に着いた美咲は、まず一番気になっていた件を聞いてみることにした。
「高槻君は、なんでAI研究を目指そうと思ったの?」
「あぁ、それはですね…。
アンドロイドが人間みたいに考えて話をするようになったら、
きっと面白いだろうな…と、思ったのが最初の動機です」
隆幸が答えた内容はAI研究者を目指す学生としてはよくある理由であり、特に
不思議でもなんでもないものだった。
…しかし、美咲はその尤もらしい回答を口にした時の隆幸の様子に、微かな違和感
を覚えた。
美咲も将来的にはアンドロイドに心を持たせることを夢見ているが、その勉強の
一環として心理学も併せて学んでいた。
その中で、目線や呼吸のリズムなどの些細な行動から相手の心理を探る癖が付い
てしまっていたのだが…その時の隆幸の口調は妙に平坦で流暢に感じたのだ。
…まるで用意していた言葉をそのまま口にしただけのような…そんな感じがした。
だが、隆幸の回答に感じたその違和感を、美咲が指摘しようとした――その時。
まるでそんな美咲の心を読んだかのように、逆に隆幸の方から切り出してきた。
「…と、流石にコレじゃ先輩は誤魔化されてはくれませんか…。
流石はこの大学で一番の才媛…という噂の原田先輩ですね」
美咲はその先回りするような隆幸の発言に少々驚かされた。
心理学を習っていることもあって、美咲はポーカーフェイスが得意だったからだ。
…少なくとも自分は向こうを疑っているような様子を見せた覚えは無い。
「へぇ、驚いたね…。なんで私が君の発言を怪しんでるって分かったんだい?」
「そういう目をしていましたからね」
隆幸にそう言われて、美咲は先ほど出会ってからずっと感じていた違和感に気が
付いた。
…隆幸とは、不自然なくらいに常に目が合っていたのだ。
今まで話をしてきた男のほとんどは、時折、胸や尻といった部分に視線を感じる
ことがあった。
勿論、あからさまにジッと見つめて来るような男は居なかったが、それでも不意
にチラリと視線を感じることくらいは日常茶飯事だった。
しかし、それは男性の本能的な部分でもあるため、相手も無意識に視線がいって
しまうこともあるのだろう…と美咲はさほど気にしていなかった。
…だが、この高槻隆幸という人物からはそういった視線を一切感じなかったのだ。
そして、その代わり…と言っては何だが、やたらと視線が合う。
女慣れしている遊び人も過剰に目を合わせてくることがあったが、そういう意図が
あるような目付きでもない。
更に言うなら、この高槻隆幸という人物は終始にこやかであるにもかかわらず、
その目の奥だけは鬼気迫るような真剣さが常に宿っていた。
…まるで、相手の瞳から全てを読み取ろうとするかのように。
「なるほど…。…君は相手の目を見て、その心理を読み取っているのか…」
「ええ。そうですよ?」
「………………は?」
相変わらずの笑顔のままで、あっけなくそう認める隆幸に美咲は拍子抜けした。
美咲からしてみれば『見破ってやったぞ!』という気持ちで図星を突いたつもり
だったのにもかかわらず、何て事ないような様子で、すぐに認めてきたのだ。
見破られたことに驚いて、その笑顔が真顔に変わる展開を想像していた美咲は、
その隆幸の反応が予想外で、逆に自分が動揺してしまった。
そして、それを切欠に、もう一つの違和感にも気付いた。
初対面の時から浮かべられていたその笑顔が…ずっと変わらず一律だったのだ。
にこやか…と言えば聞こえは良いが、その張り付いたような、本当に変わらない
笑顔からは一切の感情が読み取れなかった。
…まるで仮面のようなその笑顔は、見続けていると何故か不安を感じさせる。
先ほどは、その口調から何となく違和感を感じて、嘘を見抜けた美咲だったが、
気付けば全く隆幸の心理を見抜ける気がしなくなっていた。
得体の知れない化け物と話しているような気になって、ここにきて美咲は目の前
の後輩に対して、初めて明確に恐怖を感じ始める。
“トゥルルル”
と、まさにそんなタイミングで、突然携帯の呼び出し音が周囲に鳴り響いた。
緊張していた美咲は突然の音に思わずビクッとなったのだが、それが自分の携帯
の音だと気付くと、ホッと安堵の息を漏らした。
…これでこの場を離れる口実が出来た、と。
「あ…っと。ゴメンね。電話だ。
こっちから呼び出しといて何だけど、話の続きはまた今度で良いかい?」
「はい、構いませんよ。僕で良ければ、また何時でも誘って下さい。
原田先輩は学生の身でありながら、AI研究の分野においては既にこの大学内でも
最も知識をお持ちの方だと伺っています。
むしろ、こちらから色々とご教授をお願いしたいくらいですからね」
そう言った後、丁寧にお辞儀をした隆幸は、その変わらぬ笑顔を貼り付けたまま
その場から去っていった。
危機は去った…とばかりに胸を撫で下ろした美咲は、一度『ふぅ…』と安堵の息
を吐き出して、今も呼び出し音が鳴っているその電話を確認した。
電話の相手はちょうど下校したばかりであろう、小学5年生になる美月だった。
相変わらず歳に似合わない落ち着きぶりではあったが、『今日の夏目家の献立が
自分の好物だから早く帰って来て欲しい』というその無邪気な話題に心癒される。
美咲はその妹からの電話に助けられ、何とか平静を取り戻したのだった。




