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第35話 こんな世界に誰がした?

「短い間でしたが、本当にお世話になりました」


 9月30日。

最終日の業務を終えた美幸は、同僚の千尋と渚に最後の挨拶をしていた。


「こっちこそ、助かったよ。

渚ちゃんもこの一月の間に大分頼りになるようになったし、

これなら、とりあえずは何とかなりそうだよ」


「実由ちゃん、元気でね。近くに寄ったら、また顔を見せてね?」


 ある程度、予想通りではあったが…今、この場所に佐藤夫妻は居なかった。


 経営者である以上は最低限の礼儀くらいはあってほしいものだが…。

…まぁ、出来る限り隆幸とは顔を合わせたくないのだろう。


「はい! その時は必ず!」


「! …ふふっ、やっぱ天然記念物モノだ。実由ちゃんらしいね」


「え? 何か変でしたか?」


 千尋のその言葉の意味を理解できない美幸は不思議そうにしていたが、他の3人

はそんな美幸を微笑ましく見ていた。


 千尋は、渚の社交辞令的な言葉に対して大真面目に答え返したことを言っていた

のだが…それが解らないところも、何とも美幸らしかった。



 そうして千尋達とは明るい雰囲気で別れた美幸だったのだが、隆幸の車に乗った

途端にしゅんとしてしまった。


 まだ走り始めたばかりで、研究所に着くまでは少し時間がある。

隆幸は帰るまでの間に美幸を元気に出来ないかと思い、話かけてみることにした。


「…やっぱり、寂しいかい?」


 美咲から短期留学の最終日の美幸の様子は聞いていた。

それもあって、今回も美幸は同僚との別れを悲しんでいるのではないか…と思った

隆幸だったが――


「いえ、そういうのとは少し…。あ、全く無いというわけではないんですが…」


「じゃあ、何か悩みごと…かな?」


 信号で停車したタイミングで隣の美幸の表情を見てみると、悲しいというよりも

落ち込んでいる…といった様子だった。


「はい…。…あの、私は本当に役に立っていたのでしょうか?」


「…どうして、そう思ったんだい?」


 隆幸から見ても千尋達は本当に美幸に感謝している様子だった。

少なくとも事務員としては十分に役に立っていたはずだ。

…しかし、この様子だと、美幸には何か引っかかることがあるのだろう。


「確かに一時的な戦力にはなっていたのかもしれません。

ですが…結果的に見てみれば、土屋さん達の環境は何一つ変わっていません。

本当に、ただ時間稼ぎが出来た…というだけだったように思うんです」


「美幸は…その環境を変えたかった?」


 美幸はその隆幸からの質問に対して、少し考えた後…曖昧な表情で答えた。


「…分かりません。でも、何か…私にも何かが出来たんじゃないか…って」


「…うん。何となく美幸の言いたいことは分かったよ。

でも、正式な社員ではない以上はどうやったって、僕らは外様(とざま)なんだ。

職場環境の改善って話なら、やっぱり美幸では難しかったと思うよ」


 いつかの電話で遥も言っていた。

『変えるためには経営者の認識を改める必要がある』と。


 それにはやはり、一時的に居るだけの美幸には難しいのだろう。

短期間で辞めることが決まっている人間の言葉に、説得力が無いということくらい

は分かる。


 それでも、佐藤夫妻が自分に必要以上に気を遣っているのは分かっていた。


 恐らく、今、隣で運転している隆幸の仕業なのだろうとは思うが…。

…道彦も安恵も、美幸に対してある種の恐れすら感じている様子だった。


 自分でもずるい考えだと思う美幸だが、あの賃上げ交渉の場に適当な理由をつけて

自分も同席していれば、交渉は違った結末になったのではないだろうか。


「もしも、私が一緒にあの交渉の場に居れば…

広瀬さんも辞めさせられずに済んだのかもしれないなって…。

そう、思ってしまって…」


 しかし、耕太の名前を聞いた隆幸はやはり難しい顔をしていた。


「なるほど…。そのことか…。

うん、でもそれも…やっぱり最終的には同じ結果になっていたと思うよ?」


「最終的には…ですか…」


 佐藤夫妻の対応を目の当たりにしてきた美幸には、隆幸の言わんとすることが

何を意味しているのかがすぐに分かった。


 美幸…というよりも、その背後の何かへの恐れから千尋達への待遇を改善させた

としても、その美幸が職場から居なくなった途端にその待遇も元に戻すのだろう。


 それこそ、美幸との繋がりが強いことが面倒だと思ったのなら、耕太どころか

ついでに千尋達も一緒に解雇されかねない。


「結局、こうして振り返ってみると…

私が働いたことで、社員の方が2人も辞めさせられる事態になってしまいました。

今になって改めて考えると、私の存在は助けになったどころか、

更に環境を悪化させて追い詰めただけのような気がして…」


 正直、悠貴が辞めていった件に関しては、美幸も心が痛んだりはしない。


 しかし、それが引き金となって耕太の負担が増えて、交渉に参加したという事実

がある以上、美幸にはどうしても耕太の解雇が自分に無関係とは思えなかった。


「美幸、物事には流れってものがある。

結末が思った通りのものではなかったとしても、

そこに至る全ての判断が悪かったということにはならないんだ。

僕の私見ではあるけれど、美幸は何かを間違ったというわけじゃないと思うよ?」


 隆幸から見て、美幸は今回のことで必要以上に色々な物事に責任を感じて背負い

込もうとしているように思えた。


 もともと悪環境の職場だったからこそ、今回の試験に起用したのだ。

本来なら美幸の責任など、初めからほぼ全く無いと言っても良い。


「隆幸さん。私は美月さんに似た姿に生まれて…とても、恵まれていたんですね」


「うん? 急に…どうかしたのかい?」


 唐突に話題が変わったように感じた隆幸は、美幸にその言葉の真意を尋ねた。


「はい…。昨日の、広瀬さんの話を聞いて…そう思ったんです」


 そう言って美幸はその耕太との会話を振り返った。




  9月29日。今日は休み明け2日目に当たる火曜日だった。


 佐藤運輸は休み明けの月曜日は配達件数も多く、文字通り目が回るような忙しさ

になることがほとんどだったが、それ以降は配達数も一旦は落ち着いて、また週末

に向けて徐々に忙しくなるようなパターンが多かった。

…それもあって、翌日の火曜日の荷物は比較的少ないことが多い。


 今日もその例に漏れず配達スケジュールに少し余裕が出来たのか、耕太は屋外の

休憩所代わりに使われているガレージの中で、休憩も兼ねた遅い昼食を取っている

ところだった。


「あの…広瀬さん」


「あぁ、東条さん。どうかした?」


 業務連絡だと思っているのだろう。

声を掛けてきた美幸に、用件を聞き返してきた耕太。


 人柄が良いこともあって、解雇を言い渡されたにもかかわらず、その口調は

それを感じさせない明るいものだった。


「あ、いえ。配達の件ではなくて…その…」


「あー、そっか。昨日の話? 土屋さん辺りからかな?」


 その様子から感じ取ったのだろう。

美幸からは言い出し辛かったことを、自分から話題にあげてくれた。


「いやー、参ったね。

余計な心労を増やしかねないし、内緒にしてもらうように言っとけば良かった」


「…あの、広瀬さんはこの後は…どう…されるんですか?」


 本来ならこういう込み入った内容を詮索するのはあまり褒められたことではない

ことは美幸にも分かっていた。


 しかし、美幸は自分が耕太の解雇の遠因だという自覚を持っていたので、それが

どのような結果になったのかを知っておきたかったのだ。


「あー、うん。再就職だね~。

まぁ、僕の場合はちょっと厳しいから頑張らないといけないかも…」


「そう…なんですか?」


 以前に千尋達から再就職の難しさは聞いていた。

しかし、耕太に関して言えば千尋や渚の事情には当てはまらない。


 耕太の年齢は20代半ばとまだ若く、大学も一流のところではないものの、卒業

自体はしていたはずだ。


「うーん…。

こういう言い方をすると東条さんの気を悪くさせてしまうかもしれないけど…。

きっと…君には一生、解らない感覚だと思うよ」


 そう言って耕太は、解っていないだろう美幸に理由を説明してくれた。


「ほら、よく土屋さんが言ってたでしょ? 『これで見た目が良ければ』って。

まぁ、あの人の場合はすぐに冗談って分かる言い方だから嫌味が無いんだけどさ」


 耕太の容姿はお世辞にも良いとは言えなかった。

町行く人々に意見を募ったとしたら、10点満点評価で言えば1~3点といった

ところだろう。


「『人は見た目じゃない』って、みんなが言うけど…

僕みたいに実際にその見た目が悪くないと分からないこともあるんだよ。

…ただ町を歩いてるだけで笑われたりなんて、普通は無いでしょう?」


 美幸はその質問に何も答えられなかった。

耕太も返答を期待していたわけではないようで、そのまま話を続ける。


「普通の容姿の人がね? 普通に生きて得られる幸せが10段階中で5だとする。

そんな普通の人が、真面目に努力すれば得られる幸せは7か8くらい。

死ぬ気で頑張って、その上で運が良ければやっと10…って感じだとすると…」


 耕太は諦めのこもった目で笑いながら、空を見上げて言った。


「僕みたいな容姿の人間は普通に生きたら1か2。真面目な努力で3か4。

死ぬ気で頑張ってやっと5。運が良ければ6ってのが関の山なんだよ。

こんなこと言うと、大体の人は『負け惜しみだ』とか、『努力が足りない』とか、

好き勝手に言ってくるんだ。

でもね…就職の話に戻るとさ、やっぱり会社としては従業員の容姿は良いに越した

ことは無いからさ。

結局は同じ条件なら見た目の良い方が採用になるんだよ。

これは自分自身の経験なんだ…まず、間違いないよ」


 耕太の視線が美幸に向かう。それは羨望の眼差しだった。


「容姿が一定以上良いとね? ほとんどの相手の対応が明らかに変わる。

でも、そんな人達は、今までの人生もずっとそうだったから…自覚が無いんだよ。

だから…簡単に言えてしまうんだ。『人は見た目じゃない』って。

彼らは普通に生きているだけでも7か8の幸せを…努力すれば10どころか15、

20の幸せを手に出来る。

更にそこに運が加われば、50や100だって夢じゃない…」


 そして、美幸を見ていた耕太の視線は今度は会社の方へと向かう。


「でも、容姿が悪いからって絶対に駄目になるわけじゃない。

運や何かの才能が、他人より特出していれば逆転も出来る。

ここの社長…容姿が良いわけでも、経営手腕が良いわけでもないけど…

幸せって意味じゃ、十分幸せそうでしょ?

で、奥さんはと言えば、若い時は美人だったみたいだし。

さっきの話に当て嵌めれば、社長は運が、奥さんはその容姿が他人より良かった

ってことなんだと思うよ」


 そこまで言うと、耕太は『はぁ…』と1つ、溜め息をついた。


「でも、運も才能も無い僕には再就職っていうのはとても難しいことなんだ。

だから、悪条件だって知っていても、ここで今まで働いてたわけだしね」


「広瀬さん……」


「…あーゴメンね! 年下の女の子にこんなに愚痴って。本当に格好悪いなー。

なんか止まらなくなっちゃったよ…。ハハハ…」


 耕太は気不味くなったのか、後半の配達をこなしにその場を立ち去っていった。




「私、皆さんの色々なお話を聞いて、気付いたんです。

自分が、とっても恵まれているってことに…」


 美幸はアンドロイド故に『就職』という概念は無い。

身も蓋も無い言い方をすれば、『運用される道具』と言って良い立場だ。


 そんな事情もあって知識としてあったこととはいえ、年齢、学歴、容姿。

そういったものの実際の影響や価値というものに対して深く考えてこなかった。


 しかし、美幸は心を持つ初のアンドロイド。

人の生活に寄り添う以上はそういった事実にも理解があるべきだ、と考えていた。


 だが、美幸は歳を取らず、容姿は端麗で、学歴に至っては必要な知識を必要な分

だけ簡単に得られるため、ほぼ関係が無いと言って良い立場だ。


…結局、美幸は佐藤運輸で出会った人達の苦悩を、自分では何一つ実感出来ない。


「……そっか。うん。研究室に戻ったら、また少し話そうか」


 今も暗い顔で色々と葛藤している様子の美幸を横目に、隆幸はそう言って運転に

意識を傾けることにした。



 面倒なことは沢山起こったものの、一応は無事に終わった今回の試験。

その狙い通り、上への報告としては十分な資料を得ることは出来た。


 しかし、美幸に関しては、当初の想定とは少し違った影響があったようだ。


 世間のあり方。そして、それに対して自分に何が出来るのか…。


 隆幸には、そういったとても大きな課題を美幸は一人で抱え込もうとしている

ように見えた。

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