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第32話 手荒な教育

 隆幸は美幸を少し離れたところに待機してもらっていた美咲に預けた。


「それじゃ、美幸のことを宜しくお願いします」


「うん、任された。…でも、高槻君はどうするの?」


 美咲のその質問に答える前に、隆幸は美幸の様子をチラリと横目でもう一度確認

してみる。


 ようやく震えが収まった美幸だったが、まだ恐怖心は拭いきれていないようで、

美咲にしがみつくように抱きついていた。


 なにせ美幸にしてみれば、生まれて初めて明確な悪意に晒されたのだ。

しかも、それが最低な質のものだったのだから、こうなるのは無理も無いだろう。


「僕は…今からクズの親玉に引導を渡してきます」


「…腹が立ってるのは私も同じだけど…あんまりやり過ぎないようにね?」


「ええ…まぁ、努力はしますよ…」


 正直、隆幸には途中から今回の事態はある程度は予想出来ていた。


 千尋が不在であったのは、予想外ではあったが特に不審な点はなかった。

しかし、そんな日に安恵が席を外したタイミングで悠貴が道彦に呼び出されたこと

で、何らかの企ての疑いが生まれ…。

…そして、その後の悠貴の様子から、疑いが確信に変わっていった。


 今までの監視によって分かっていたのだが、悠貴が美幸を何かに誘ってくる時の

ほとんどが千尋が席を外しているタイミングであり、そして、その後に戻ってきた

千尋に追い払われるのが大体のパターンであった。


 だからだろう。

今日は千載一遇のチャンスと言わんばかりに、顔を合わせた瞬間からいつも以上に

しつこく言い寄っていた。


 にもかかわらず、そんな悠貴が道彦との密談の後は急に大人しくなったのだ。

その計画の詳細まではわからなくとも、何かをしようとしているということは容易

に想像出来ていた。


 平常時なら、多少不自然であっても、美幸が仕事を終えたタイミングで店の前に

車で乗り付けるなどして、未然にこの状況を防いでいただろう。


 だが、何と言っても今回の試験の主な目的は美幸の精神に負荷を掛けることだ。


 そんな理由もあったため、ギリギリまで細心の注意を払いながら待機しておき、

いざ事が起こったら、すぐに飛び出せるようにしていた。


 だからこそ、事前に連絡して、万が一に備えて美咲にも離れた場所で待機して

もらうようにしていたのだ。

…状況によっては、美幸の身を預けて即座にその場から逃げてもらえるように。


 その何らかの企てが今日実行される保障は無かったが、終業後も不自然に悠貴が

職場に残っていたことと、駐車場にも不審な車が確認されたため、決行が今日だと

判断した隆幸は、美咲にもこの時間まで引き続き残ってもらっていた。


「それじゃ、私は美幸を研究所まで送ってくるよ」


「ええ。あの、チーフ…」


「ん? 何?」


「…美幸はよく耐えてくれました。今日はずっと付いていてあげて下さい」


「……勿論だ。言われるまでもないよ」


「はは…そうですね。余計な台詞でした」


「………大丈夫かい? 今回の君の判断は試験の方針としては正しかったんだ。

悪いのは向こうなんだし、あんまり自分を責めるんじゃないよ?」


「……はい。すみません。お気遣い、ありがとうございます」


 予想出来ていた凶事を敢えて見逃した…という罪悪感。


 その感情を美咲に見抜かれた隆幸は、素直にその言葉を受け入れて感謝の言葉を

伝える。


「そんなことを気にする暇があったら、親玉にさっさと仕返ししてきなよ。

美幸の悲しみの分だけ、徹底的にね」


「…ええ。わかりました。そうします」


「あ、でもやっぱり所長の首が飛ばない程度でヨロシクね?」


「……徹底的なのか手加減するのか、どっちなんですか…」


 美咲のいつも通りのノリに、思わず笑みが零れる隆幸。

誰よりも美幸に対して過保護で…恐らくは今も自分よりももっと怒りを感じている

はずなのに…。

…まったく、本当にこの人には敵わない。


 その後、美幸を乗せたその車が見えなくなるまで見送った隆幸は、くるりと後ろ

を振り返る。


『さぁ、さっき美幸の感じた恐怖が生易しく感じるくらいの恐怖を与えてやろう』

と、隆幸は部隊を引き連れて道彦が待つ佐藤運輸へと向かっていった。




「チッ! あんのガキ! 肝心のところでヘタレやがって!」


 道彦は社長室で一人、怒り狂っていた。

原因となったのは、ついさっき掛かってきた悠貴からの電話だ。


『オレ、今日で仕事辞めます! 給料も要らないんで勘弁してください!』


 悠貴はそれだけ言って、道彦の返答を待たずに一方的に通話を切ってしまった。


 電話の向こうでは悠貴の友人らしき男の怒鳴り声が行き交っていたが、叫び声の

ようなそれは、混乱しているのか…まるで要領を得ないものだった。


 ただ1つだけ解ることは…今回の策が失敗に終わった、ということだ。


 道彦は、昔から他人の悔しがる顔を見るのが大好きだった。

何故なら、今までは仕事を含めたあらゆることで、他人が悔しがった分だけ自分が

得をしてきたからだった。


 他人のその顔を見るたびに、道彦は最高の優越感に浸ることが出来た。

だから、今回も実由の弱みを握った後、悔しがる兄役の男の顔を見るのを楽しみに

していたのだ。

…生意気にも自分に意見して歯向かってきた、その男の悔しがる顔を。


 しかし、何があったのかまではわからないものの、まず間違いなく今回の失敗は

その男の仕業だろう。


 相手は取るに足らない若造…にもかかわらず、自らの思惑を妨害されたのだ。

その上、人員不足の状況で貴重な労働力まで一人分失う羽目になってしまった。


 傍から見れば因果応報というべき状況だが、道彦からすれば(はらわた)が煮えくり返る

ようだった。


 だが、そんな道彦のところへ――


“ピーンポーン”


『…すみません、東条ですが佐藤社長はいらっしゃいますか?』


と、時刻はもう夜中にもかかわらず、その当の本人が訪ねてきたのだ。


 道彦は、“怒りに任せて怒鳴り散らしてやろう”と、何も考えずに裏口へ走り、

その扉を乱暴に開け放った。


 その時、少しでも冷静になってインターホンのカメラで確認していれば気付いて

いただろう。


…そこに、兄役の男以外にも…武装した黒服の男達が、後ろに控えていたことに。




 美咲に美幸を預けた後、改めて佐藤運輸に戻ると、既にそこに明かりは点いて

いなかった。


 会社の監視を続けていたスタッフによれば、渚を含めた社員と安恵は既に帰宅

しているが、社長の道彦のみまだ会社から出てきていないらしい。


 案の定、裏口にまわると、微かに屋内から漏れる明かりが確認出来た。

恐らくは社長室に一人で残って、悠貴からの連絡でも待っていたのだろう。


 だが、相手が屋内に一人で居るのなら、こちらとしてもむしろ好都合だった。


 隆幸は居留守を使われた場合には、多少強引に押し入ることも考えていたが…

とりあえず、初めはインターホンで呼び出すことにした。


“ピーンポーン”


「…すみません、東条ですが佐藤社長はいらっしゃいますか?」


 そう告げると、すぐにドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。

その音を聞いた瞬間、隆幸は素早く指でピースサインを作る。


 事前に黒服達…特殊部隊の隊員達と打ち合わせていたのだ。

パターン1ならこの裏口で、2なら道彦を社長室に連行して話をする…と。


 そこで、その激しい足音から道彦の興奮を感じ取った隆幸は、咄嗟に『2』を

選択した。


…そこから先は、流石はその道のプロ。

専門家に協力を依頼しただけあって、実に鮮やかな動きだった。


 道彦が扉を開け放って『この…』と怒鳴りつけようとした瞬間、口内にタオルを

突っ込んで黙らせ、そのまま別の隊員が後ろ手に手錠を掛けると、持ち上げるよう

にして両腕を拘束して、あっという間に屋内に押し込んでいった。


 本当に何の抵抗もする暇も無く、ほんの数秒で、気が付けば社長室のソファには

体の自由を奪われた道彦が転がっていた。


 口に突っ込まれたタオルはそのままに、更に別の布で口全体を上から覆うように

縛り付けているため、今は呻き声を上げるのが精々の状態だ。


…だが、通常の人間ならその地点で既に怯えていそうなものなのだが、流石は美咲

によって『想像以上の馬鹿』と評されていただけの人物。


『殺されるかもしれない』よりも『この俺にこんなマネしやがって!』という感覚

が勝っているのか、まだ恨みがましい目で隆幸を睨みつけてきている。


 いや、そもそもあらゆる物事を自分に都合良く考えるこの男のことだ。

自分が死ぬ可能性など、初めからその思考の端にすら上っていないのだろう。


…その浅はかさによって美幸の心が深く傷付けられたのかと思うと…隆幸にしては

珍しく本気で腹が立ってきた。


 もう声を聞くのも馬鹿馬鹿しくなってきた隆幸は、えて口の布を解かないまま

一方的に話すことにした。


 まずは、その思考の端にすら上っていない『死の可能性』を自覚させてやろう…

と、後ろに控えていた部隊に隆幸は合図を送った。。


“(パシュ)ボシュッ”


 隆幸のその合図に、鈍い音と共に道彦のすぐ傍のソファに穴が空く。

その音に反応してサイレンサーの付いた拳銃を構えた黒服に目を向けた道彦が一瞬

目を見開いた。


 しかし、それでもまだ恨めしい目のままでこちらを睨んでくる道彦。

…呆れることに、この地点でもまだ自らの命の危機を実感出来ていないらしい。


「…後片付けの準備は出来てますか?」


「はい、手配は済んでいます。

遺体の処理は勿論、電話一本で戸籍等を含めたあらゆる記録も抹消できます」


「そうですか。…だ、そうですよ? 佐藤社長?」


 そう言って、隆幸は満面の笑みを浮かべながら、自らの手に持っている銃を道彦

の額に狙いを定めて至近距離にピタリと突きつける。


 実は隆幸の銃だけは精巧に作られたモデルガンだった。

引き金を引けば火薬が爆発して銃口からリアルな音とそれっぽい火が出るが…。

効果としては、ただそれだけだ。


 傍目から見れば本物だが、間違っても人が死ぬようなことは無い。

仮にこの距離で誤って撃ってしまっても、道彦は銃口から出た火で軽い火傷を負う

程度だろう。


 だが、勿論、道彦にはそれを見破るほどの眼力など無い。


 目の前で行われた会話と今の自分の状況…。

ここにきて、やっと道彦の目から反抗的な光が消えていた。


「ふぅ…やっとまともに話を聞いてくれそうになりましたね」


 道彦は首をブンブンと縦に振っていた。

やっとのことで道彦が素直にこちらの言葉を聞ける心境になったようだ。


 だが、隆幸はその道彦の様子に見覚えがあった。

はて、どこだったか? と、記憶を探ってみると…すぐに思い当たる。


 以前、喫茶店で安恵に警告した際の様子にそっくりだったのだ。

…全く喜ばしいことではないが、佐藤夫妻は本当に似た者夫婦だったらしい。


「さて、良いですか? よく聞いて下さいね?

あなたは世間を知らないから解らないのかも知れませんが…

この世には超法規的措置っていうものがあるんです。

もし実由に何か決定的な危害が加えられた場合はですね?

こちらは問答無用でそういう対応を取ることになるんですよ。

もしそうなったら、あなた御自慢の弁護士も、財力も全く役に立たないんです。

なにせ、弁護どころか裁判すら起きませんからね。

そうしたら、結果的にあなたは初めからこの世に居なかったことになります。

あなたのようなクズを国が擁護するとは思いませんし…

…そうなってしまったら、あなたの人生は終わりなんですよ?」


 隆幸は以前に道彦に浴びせられた脅し文句をなぞらえて警告し返した。


 その言い回しに対して再び怒りを見せるかと思った隆幸だったが、道彦にとって

その内容は衝撃的過ぎたのか…驚いた表情のまま固まっていた。


「随分と意外そうですね? 本当に少しも考えなかったんですか?

相手が国家機関と名乗っているとはいえ、結局は正体不明の組織からの依頼。

しかも、内容は協力者から見れば不自然なくらいの好条件。

…普通はそれだけでも警戒くらいしますよ?」


 そこまで言うと隆幸はモデルガンの銃口を道彦の額から離して仕舞った。


 他の黒服達が本物を構えているのだ。

道彦も素直に話を聞いているし、これ以上は必要ないだろう。


「その上、いざ本人が来て見れば芸能人かと思えるくらいの容姿の持ち主。

…ここまで来たら、あのような行動に出る前に、

相手がどの程度の重要人物かの確認ぐらいは事前にするものですよ?

もし調べようとしていたら、あなたでも分かった筈なんです。

どうやっても…その正体を調べられないって。

そうしたら、いくらあなたでも事の重大さに気付けたのかも知れません。

あなたは私を恨んでいるかもしれませんが…

もし今日のあなたの企みが、たとえまぐれでも成功していたら…今頃は…ねぇ?」


 道彦がうめき声を上げながら首を横に振っていた。

今更ながら自分は関係ないとシラをきろうとしているのか、それとも死にたくない

と言う意思表示なのか…。


 呻き声だけでは判別の仕様がなかったので、とりあえず隆幸は、どちらの可能性

も潰しておくことにした。


「あぁ、今になってとぼけても無駄ですよ?

こちらは、あなたが最近になって個人で不動産を買い取ったことも、

その物件の内部に不自然な鍵のつけ方をした部屋を用意したことも、

全ての調べは付いていますからね。

…それに、あなたの指示があったことは内田悠貴に既に確認しています」


 道彦の動向は特に重点的にチェックしていたため、その不動産の購入にはすぐに

気付いていた。


 鍵について言えば、何故か窓を潰した屋内の一室に何かを閉じ込められるように

内側からは開けられない鍵を設置させていたのだ。


…怪しい購入物件に出入りしていた業者に犯罪の共犯者になる危険性を匂わせれば

この鍵の情報はすぐに提供されることとなった。


 最後の悠貴からの証言は完全にハッタリだったが…。

悠貴を追い払う直前に隆幸が脅した際、社長のことを絡めて言ったその発言に一切

疑問を持った様子がなかったことから、関与はほぼ確実と言えた。


 それに…多少乱暴な考え方だが、必要なら今度は悠貴の身柄を拘束すればいい。

恐らく、その物件のスペアの鍵ぐらいは持っているはずだ。



 道彦は、こちらが予想以上に情報を持っていたことに驚き、そして同時に抵抗を

諦めたようだった。


…今は命だけでも助けてもらおうと、懇願するような目で見つめ返してきている。


「はぁ…。まぁ、警告としてはこんなものですか。

では、今から拘束を解かせますが、こちらに対して弁明も謝罪も必要ありません。

あなたは一言も喋らずにこの場を立ち去る我々を見送るようにして下さい。

あと、今日起こったことは決して他言しないように。

まぁ、こちらとしては他言して頂いても別に構わないのですが…

その後、あなたがどうなるかは……もう、お解かりですよね?」


 コクコクと頷く道彦を確認したところで、隆幸は拘束を解くよう指示を出すと、

すぐにその部屋を後にした。


 こんなに胸糞悪い日は本当に久しぶりだった。

…今日はもう、早く休んでしまいたい。



『今の感情が顔に出てしまうと大変だな』と思った隆幸は、その場を他のスタッフ

に任せると、美月の待つ我が家ではなく、予め用意しておいたビジネスホテルの方

へと向かうのだった。

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