第3話 夏目所長と原田美雪
美月に相談して、開発のヒントを得た日から、2週間後。
美咲はこの2週間で纏め上げた企画書を手に、所長の下を訪れていた。
「人の心を持つアンドロイドAIの開発案……ね」
所長の夏目洋一は美咲の持ち込んだ企画書を受け取りながら呟いた。
美咲と洋一は本来は緊張するような堅苦しい間柄ではなかったのだが、この時の
美咲は若干緊張している様子だった。
…原田姉妹は両親を5年前に交通事故で亡くしている。
そして、その時から身寄りの無い彼女達の後見人として姉妹の生活の様々な部分
を支えてきたのが、生前の両親の上司でもあった……この夏目洋一だ。
洋一は優秀で真面目な研究者だった部下の娘姉妹が、葬儀場の隅で小さくなって
泣いている姿を見て、どうしても放って置けなくなったのだ。
当初は妻、由利子との間に子供がないこともあり、2人を養子にする案もあった
のだが、『原田の名前を捨てたくない』という美咲の意思を尊重し、代理の保護者
として、後見人になるのに留まった。
そういった経緯から、その後に美月が中学を卒業するまでの間は、自宅に2人を
下宿させていたこともあり、今まで洋一は美咲たち姉妹を本当の娘のように思い、
可愛がってきたのだった。
祖父と孫、と言っても差し支えないほどに歳が離れていた洋一と美咲だ。
ふと気付いた時には、洋一は既にわかり易いくらいの親バカになっていた。
そんな、可愛い娘のような美咲の持ち込んだ企画書だ。
本心では『内容など関係なく、すぐに通してやりたい!』とすら思うが……残念
ながら洋一は公私混同が許されるような立場でもない。
だから、洋一はそんな自分の気を引き締めるために、極めて真面目な顔を意識的
に作ってその企画書を受け取った。
…そして、詳しい内容の確認をする前にチラリと美咲の様子を盗み見る。
美咲は真面目な表情を浮かべていたが、その雰囲気はどこか楽しそうだ。
…恐らくは、既にこの企画案が通った後の研究を想像して、半分そちらに意識を
持っていかれているのだろう。
洋一はこの美咲の表情を見て、なんとなく懐かしさが込み上げてきた。
何故なら、美咲のその様子は彼女の母親、原田美雪が同じように企画書を持って
直談判に来た時にそっくりだったからだ。
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洋一は数十年前、こことは別の研究所でAI研究者として働く傍ら、美雪が通う
大学の特別講師をしていた。
不定期とはいえアンドロイドAIの開発をテーマにしたその講義は好評だったの
だが、今の研究所を新たに設立するに当たって、当時勤めていた職場の上司の推薦
を受けて、その所長に就任することが決まった。
大学での講義は、洋一も学生達のやる気が直に伝わってくるようで、気に入って
いたのだが、流石に研究所の責任者になる以上は講師との兼任は難しいという判断
から、大学での講義は辞めざるをえず、そのまま所長職に集中する決意をした。
…しかし、洋一が大学での講義を辞めてしまってから程なくして、熱心な学生の内
の数人が『まだ教わりたい事がある』と、研究所を訪ねてくるようになった。
そしてその中の一人が、春に卒業を控えた当時大学4年生になる美雪だった。
彼女は成績優秀で容姿も整った、まさに才色兼備を形にしたような学生だった。
真面目で熱心な性格で、何より社交性に優れており、明るく朗らかな彼女は多くの
学生に慕われていた。
そんな美雪が将来の夢として目指していたのが、洋一と同じアンドロイドAIの
研究者だったのだ。
「近い将来、きっとアンドロイドが社会の中に居るのが当たり前の時代が来ます」
そう言って、いつも気になることがある度に洋一の研究所に来ては、色々な事を
質問してきていた。
そんな彼女は、大学を首席で卒業後『夏目先生の下で研究をしていきたい』と、
この研究所に就職を希望してくる。
無事採用された彼女の研究成果はどれも素晴らしく、すぐに個別の研究チームを
任される事になるほど優秀だった。
そして、その時の研究題材が『アンドロイドの感情表現』だ。
当時のアンドロイドはまさに“ロボット”といった体で、会話時に口を動かす程度
のものでしかなかった。
表情など全く無い、冷たい印象を持たせる“工業製品”という側面が強かった。
そもそも、洋一が研究員になった当時は、機械で作った体を人工の皮膚で覆って
作るのが主流だったのだが、全身が金属で出来ているため重量が重くなりがちで、
万が一倒れた際に人間が下敷きになれば命に係わる危険性もあった。
更にパーツを全て含めると生産コストもかさむ傾向があり、当初はとても実用に
足るようなものではなく……。
しかし、同時期に医療目的で進んでいた人工細胞の研究技術をアンドロイド用の
人工素体の作成に転用することに成功し、美雪が研究員になった時期には、現在と
同じ形式の“脳と眼球以外は、人工細胞による擬似人体”を採用するアンドロイドが
主流になっていた。
擬似人体は重量もほとんど人間と変わらない程度に抑えられる上、高価とはいえ
全て機械で作るよりは、維持費の面でコストも大幅に軽減出来る。
そして、その疑似人体を完成させたのが、まさにこの夏目洋一とその妻だ。
その成果は世界中で称賛されることとなり、最終的に、一研究者に過ぎなかった
洋一を国内最大の研究施設の所長に就かせる要因になったのだった。
美雪が研究所に入って来た当時は、そういった技術的な進歩もあって、ようやく
アンドロイドの社会進出の目処が立ち始めた……そんな時期だった。
…だが、実際にそうして出来上がった実用可能なアンドロイドには、致命的なまで
に足りないものがあった。
人間なら当たり前のようにある『表情』というものが、まるで無かったのだ。
機械で出来ていた頃とは違い、その顔にはちゃんと表情筋も存在する。
試しに『笑って見せてくれ』という指示を出せば、一応は口角を上げて見せる。
…だがそれは、知識として“笑顔とは口角を上げて表現する”という情報を元にそう
しただけのものであって、真顔で口角のみが上がっている状態は……正直に言えば
不気味そのものだった。
つまり……結局のところ、当時のアンドロイドは子供が見れば高確率で怖がって
泣き出してしまうような表情しか作れなかったのだ。
しかも、あくまでも『笑え』と指示を出されたから表情を変えたというだけなの
で、当然ながら何も指示を出さなければ、その口角を上げることすら、自発的には
行わない。
しかし、当時の研究者は予算や開発期間の問題もあって『表情は仕事の能率には
関係ない』として、この問題を後回しにすることにしていた。
その上で、早速この完成したプロトタイプの試用実験を行ってはみたのだが……
実際に試した現場から返ってきた報告書の内容は、まさに散々なものだった。
『何を考えているのかわからなくて怖い』
『下手な質問をしたら混乱して暴れまわりそうな気がする』
といった、能率以前にイメージの段階で実用化とは程遠い意見が並んでいたのだ。
当時のAIは参照するデータが少なかった上に、インターネットによる検索機能
すらもまともに実装されていなかった。
だから、彼らアンドロイドに業務外のことを尋ねると、ほとんどの場合――
『わかりません』
『データを参照致しましたが、回答が見つかりません』
『質問の意図が理解できません』
といった回答が、繰り返し返ってきていたのだ。
…しかも、漏れなく最後に『申し訳ございません』と無感情に謝罪されるという、
オマケ付きで。
実際に試験的に導入した現場の人達からすれば、気が休まるはずの何気ない日常
の会話で『わかりません、申し訳ございません』と堅苦しく頻繁に返され、結局は
逆に息苦しい雰囲気になってしまっていたらしい。
そこで、こうした声を受けた研究者の大半は参照できるデータの拡張や、ネット
環境への常時通信等の機能の追加、そして万が一の暴走時への安全な対処方の開発
に乗り出していった。
データ量の不足や暴走時の対処法の確立が成されていない事がこういった不満や
不安の主原因だと判断したからだ。
そんな状況下で美雪が独自の判断で持ってきたのが……表情だけでなく、身振り
手振りも含めた『アンドロイドの豊かな感情表現の確立』を目指した企画案だ。
実際、研究者の中にもこの感情表現の確立が何より先決で、重要であると考える
者も決して少なくなかった。
しかし、データ拡張も、暴走への対処法も必要である事には違いない上に、その
実現にはとにかく人手と時間が必要だと見込まれていたため、またしても後回しに
なったのだ。
研究所の方針としても、本来ならば美雪もそちらの研究に参加する予定になって
いたのだが……どうしても『感情表現の確立を優先したい』という彼女が、企画書
を片手に洋一に直談判しに来たのだった。
普段なら、こういった新人の意見など門前払いされるような事ではあるのだが、
当時の洋一はこの提案を個人的な判断で無碍にするのではなく、現場の研究員達に
も意見を募ってみようと考えた。
いずれは必要になる技術であることは間違い無いのだから、有能な研究者達全員
を手間と時間がかかるというだけの作業に充てるのは、環境的にももったいないと
いう判断からだった。
だが、まだまだ課題も山積みな上、目の前に別の取り組むべき仕事もあるという
現状では、いかに優秀とはいえ、新人の持ち込み企画が会議で通る可能性は、正直
低いだろう。
…所員達に意見を募る前の、洋一はそう考えていた
しかし、“ものは試し”と所員達を集めて臨時会議を開いて意見を聞いたところ、
その予想を覆し、ほとんどの者がこの企画案に賛成してくれたのだ。
あまりにも簡単に企画が通ったことに驚いた洋一だったが、当時のある研究員の
言葉で、すぐにこの結果に納得することになる。
「あの子が研究熱心なのは、所員の皆が知っていますからね。
ほら、学生時代から所長の所にも足繁く通って来ていたじゃないですか。
その時からずっと、みんな真面目で明るいあの子が大好きなんです。
新人研究員っていうよりも、“みんなの妹”って感じで。
そんなあの子が『未来のために、どうしてもやってみたい』って言うんですよ?
特に内容に問題が無いのなら、何が何でもやらせてあげたいじゃないですか」
蓋を開けてみれば、答えはとても単純だった。
美雪の真面目な仕事振りと、その人柄がこの結果を引き寄せていたのだ。
「それに、所長こそ何を言ってるんです?
そもそも新人の企画案なんて、この忙しいタイミングで普通は通りませんよ?
なのに、臨時の会議だなんて……所長が一番あの子に甘いんじゃありませんか」
清々しい表情で笑うその研究員を見て、気付けば洋一自身も微笑んでいた。
そして、改めて美雪を囲んで『良かったな』『応援してる』と笑いあう研究員達
の笑顔を見た洋一は、その『表情があるということ』の大切さを痛感した。
だからだろう。
美雪のその企画案は、これから皆が多忙を極めることになったとしても、実行する
だけの確かな価値がある、と洋一は信じることが出来た。
その後、美雪をチーフに据えたその研究チームは、少人数ながらも有能な人員を
選抜して、充てられることになったのだった。
研究は、元々少人数であった事と、先に挙げた情報等の機能充実の作業が優先
されていたこと、更には、その表情の研究が当初の予想以上に困難であったため、
最終的な完成には、じつに15年という長い時間を要することとなった。
しかし、後に完成した『表情が自然で豊かなアンドロイド』は、アンドロイド
研究の世界で非常に高い評価を得る事となり、同時に『原田美雪』の名前を世界に
轟かせる結果にもなるのだった。
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母である美雪が完成させた、アンドロイドの感情表現の研究。
そして、まるでそれを補完するかのような、“人の心そのもの”をアンドロイドに
与えるという企画を、他ならぬ娘の美咲が持ち込んできたことに、洋一は感動にも
似た、何とも言えない感情を覚えていた。
…美雪は夫と買い物に出かけた際に、居眠り運転のトラックの暴走に巻き込まれ、
突然、この世を去っていった。
当時は『真面目で明るいみんなの妹』との突然の別れに、葬儀では研究所の皆が
別れを惜しんで目を赤くして、悲しみに暮れたものだった。
だからこそ、娘の美咲がこの春にこの研究所にやってくる事を耳にした、昔から
勤めている研究員達は、皆一様に嬉しそうにしていた。
中には、美雪との日々を思い出して涙する者も居たほどに。
…しかし、実際に入ってきた新人社員は……容姿こそ母親譲りの美しさだったが、
性格は母とはまるで正反対の無愛想さだった。
初めは、その親子の印象の違いに驚いた所員達だったが、その真面目さや熱心さ
は美雪に通じる物がある。
その性格から、美咲が自分から進んで研究員と明るく談笑しているところなど、
今までほとんど見たことが無い。
…それでも、研究所の皆が、熱心に研究に励む美咲を温かく見守ってくれている。
そんな『みんなの妹の娘』……美咲の研究企画案なのだ。
(…余程酷い企画案でもない限り、また今回も満場一致で可決するのだろうな)
洋一は美咲に見つからないように微笑み、そんな事を考えながら、ゆっくりと
企画書に目を通し始めるのだった。