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第23話 臨戦態勢

「何とかならないんですか!? 夏目所長!!」


「君の気持ちは分かる。…が、少し落ち着いてくれ。原田君」


 時刻は正午過ぎ。

所長室の室内に、美咲大きな怒鳴り声が響いていた。


 美幸が学生生活を終えてから、ちょうど一月が過ぎようかという頃、その連絡を

受けた美咲は、研究室から急いで所長室に駆けつけ、洋一に抗議していた。


「美幸の佐藤運輸での試験実施のタイミングはこちらで任意に決められるという話

だった(はず)です!

それが何故、向こうからの要請に応じなければならないんですか!?」


 佐藤運輸とは、地元では有力企業として業界内で名の知れた運送業者だったが、

その実態は俗に言う『ブラック企業』であり、退職者からの評判はすこぶる悪い、

という側面がある会社だった。


「私だって美幸に劣悪環境での職務経験をさせることの必要性は解っています。

…ですが、やはり急過ぎます!

あの子は……最近になって、やっと笑顔が戻ってきたばかりなんですよ!?」


『心を持つアンドロイド』である以上、美幸は色々な感情を持っている。


 そこには当然、世間一般的に言う歓迎されない感情……“怒り”や“恨み”といった

負の感情も含まれている。


『佐藤運輸』という、調査した上でブラック企業と確認出来ている職場で敢えて

働かせる事で、この世の理不尽や社会への不満……そういったものに触れさせて、

その反応が反社会的なものにならないかどうかを確認する必要があった。


 いくら心を持っていることで、コミュニケーションが改善されていたとしても、

社会や人間全体に対して危険な思考に辿り着くようなら、実用化は難しくなる。


 もしもそんなアンドロイドを量産してしまったら、それこそ映画のような人類と

アンドロイドの全面戦争の引き金にすらなりかねないだろう。

 

 しかし、逆に美幸がこういった劣悪環境での業務でも危険な思考を抱かない事を

確認出来れば、その思考システムの安全性が確かな説得力をもって証明される。


「美幸の性格を考えれば、最悪の結果……つまり、殺人やその他の凶悪犯罪という

危険な思考にまで発展する可能性は、ほぼゼロと言っても良い。

ですから、我々研究チームも、初めからその心配はしていません。

…ですが、もう少し時期を先延ばしにするか、先に他の運用試験を受けさせるわけ

にはいかないんですか?

本人ではない私達から見ても、今の美幸には少し時間が必要だと思います」


 学校での学生生活を体験して、美幸は色々な感情を“実感”出来た。


…だが、“別れの(つら)さ”は起動して間もない美幸には、やはりダメージが大きかった

らしく、しばらくはふさぎ込んでいたのだ。


 それが、つい数日前に入所証の準備が完了して、約束通りに会いに来た遥と再会

した事で、やっと以前の笑顔が戻ってきたところだった。


 とはいえ、それも本当にごく最近の話。

これは美咲の私見ではあったが、美幸にはもう少しだけ心を休ませる時間を与える

必要があると考えていた。


 個人的な感情として『休ませてやりたい』という部分も勿論あったが、そもそも

危険性の確認以前に、現状で正確なデータが取れるのかすら疑問だ。


 仮に美幸が『今は何もかもがどうでもいい……』と思考放棄をしていれば、試験

としては無事に終えることが出来たとしても、そんなデータでは肝心の安全性まで

は到底、証明など出来ないだろう。


 つまり、今のこのタイミングで実施しても、最悪の場合、美幸が更に辛い思いを

するというだけで、全く得るものが無い試験結果になりかねない。


…しかし、洋一の口から告げられた返答は、無情なものだった。


「…すまない。それは……ちょっと難しいんだよ」


 ただ、洋一自身も本当に申し訳なさそうにしながら言っているように見える。


…そして、その様子を見た美咲は少し冷静になることが出来るようになった。


 今、確かに洋一は『難しい』と言った……だが、その理由が分からない。


 この試用試験を行う会社に佐藤運輸を選んだのにはいくつか理由があったが、

その理由の一つに“その気になれば簡単に対処出来る”というものがある。


 美幸の存在は、国家レベルのトップシークレットに該当する。


 今回の佐藤運輸での運用に当たっては、美幸は“某名家の娘の社会勉強の一環”

という名目での協力要請を予定している。


 そして、万が一、雇用者側に美幸の正体がバレた場合には即座に試験を中止し、

美幸を回収出来るよう、怪しまれないように注意しながら時間を掛けて周辺の物件

を買い取り、そこに人員を配置出来るようにも手配していた。


 その上で、佐藤運輸の社長の佐藤道彦、その妻の安恵の経営者2人も面倒な権力

との繋がりが無いか併せて調査し、それも問題が無い事を既に確認している。


「その気になって叩けば、いくらでもほこりが出る会社でしょう? 

こちらとしても、そういったところを敢えて選んだんですから。

それなのに何故、逆にこちらが言いなりになっているんですか?」


 そもそも調査してブラック企業だと確信しているからこそ候補に挙がったのだ。

…当然だが、その調査の過程で数々の不正の証拠も掴んでいる。


 美咲は、どうしても面倒ならその証拠の存在を臭わせれば、不正の発覚を恐れて

こちらに譲歩してくるだろう……と考えていた。 


…しかし、次に洋一から返ってきた言葉は美咲の予想外のものだった。


「…あちらさんがね、逆にこちらを脅してきたんだよ」


…と、洋一には珍しく、怒りと呆れの入り混じった表情で状況を説明してきた。


「なんでも、8月いっぱいであちらの事務員が一人、辞めるらしくてね……。

9月中、電話番だけでも構わないから、人員を確保したいらしい。

その上で『人員が足りなくて事業に支障をきたしたら、出た損害の分だけ口が軽く

なってしまいそうだ』と、こちらに言ってきたんだよ」


「…はっ! それはまた、ふざけた話ですね。

…報酬の額を吊り上げて、あちらの口を黙らせられないんですか?」


 相手方の呆れた物言いに、美咲は早くも先が思いやられた。

これは、どうやら相手はこちらの予想よりも遥かに()()()()人物だったらしい。



 今回、試験の実施場所を佐藤運輸に決めた理由は、協力を要請をするにあたって

金額を提示してすぐに応じてきたから……というものがあった。


 アンドロイド研究機関からの依頼であるということを隠すために『国家機関から

の極秘依頼』という内容で、普通に考えれば情報が少な過ぎて怪しいレベルの協力

者募集を、こちらでリストアップした中小企業規模のブラック企業数社に、メール

で一方的に連絡したのだ。


“短期間、とある人物を雇用してもらう” 

“雇用期間一ヶ月につき、三百万円の協力報酬”

“当依頼、及びその内容は貴社の被雇用者は勿論、他者への一切の口外を禁止する”


 この3項目しか内容を伝えない状態で、相手の出方を待ってみたのだ。


 当初はこちらの予想通り、ほとんどの会社が追加の詳しい情報を要求してきた。


…だが、それも当然の事と言えるだろう。

いくらブラックだと言っても、相手も一応は“企業”なのだ。


 どういうものであれ、取り引きをするのなら内容の確認くらいはする。


 むしろ、あまりに提示した内容が不透明過ぎて、悪戯だと思われたのか……。

完全に無視されるというケースも、少なくなかった。


 そんな中、この佐藤運輸からの返答は、本当に国家機関からの依頼であるのか、

ということと、報酬の額に間違いが無いかの内容確認()()だった。


 高い報酬にすぐに喰いついてきて、こちらに必要以上に踏み込んでこない姿勢、

その反応速度から、洋一はこの佐藤運輸を『扱い易そうだ』と判断していた。


 正直、三百万円程度の金額で即座に応じてくれるのなら、万が一、美幸の正体を

含めたこちらの都合が露呈しても、ある程度の金銭で解決出来るだろう……とも。


 美咲もこの話を聞いた時、ブラックだとはいえ曲がりなりにも会社の経営者なの

だから、無闇にこちらに踏み込んでこないのは警戒心の表れだと考えていた。


 それもあって、美咲もこの企業にOKを出して、準備を進めていたのだが……。


…どうやら、相手を買いかぶり過ぎていたらしい。


「勿論、それは私も考えてみたよ?

…だが、ここで報酬金額を上げれば、あちらは間違い無く今後もこっちの足元を

見てくるようになるだろう。

そんな状態で、もし美幸ちゃんの正体があちらにバレて見なさい。

…あまりに法外な口止め料を要求してこられたら、こちらも望まない対応をせざる

を得なくなるよ?」


 これに関しては洋一の言う通りだった。


 なにせ、“国家”という、いち中小企業では到底太刀打ち出来ない巨大な力を持つ

存在からの極秘扱い……しかも、怪しいぐらいの好条件の依頼だ。


 頭の良い人間なら、そもそも警戒して受けないだろうし、仮に受けたとしても、

必要以上に詮索してきたり、ましてやこちらに脅迫まがいの発言など、普通ならば

してこないだろう。


 向こうからしてみれば、こちらがどの程度の規模の組織で、どこまでの事が可能

な相手なのか、予想すら出来ていないはずなのだから。


「確かに、そうですね……。

はあぁ……ブラック企業なんて(ろく)なもんじゃないってのは解ってましたけど……。

いくら何でも、頭が悪過ぎでしょう。

将来的な価値も考えれば、美幸の価値はそれこそ計り知れないレベルです。

…美幸のことを知った後であちらが欲をかいたら……比喩でも何でもなく、ホント

に首が飛びますよ?」


 機密漏洩の危険性が高い上に、能天気にこちらを脅迫してくるような人間なら、

美咲達が指示を出さなくても、国の息の掛かったどこかしらが、彼らを危険視して

物理的に消してしまいかねない……。


 美咲達から見れば、一応は研究対象とはいえ、あくまで美幸は可愛い家族だが、

国からしてみれば、その存在とAIシステムの技術は将来的には莫大な利益を生む

であろう“金の卵”そのものなのだ。


「…ああ。それも分かっているよ。

だが、冷たいようだが……正直、私は彼らの身の安全などどうでもいい。

…しかし、他にも現実的な問題があるのも事実なんだよ。

美幸ちゃんが起動するよりも前ならともかく、今から他の企業を探すのでは時間も

予算も掛かり過ぎる」


 詳しい調査や非常時のための下準備も含めれば、既にかなりの予算を注ぎ込んで

いるという理由もあるが、何よりも今から条件に合った環境の企業を探す時間の方

が無かった。


 美幸の安全性の証明は最重要の確認事項の一つであり、『起動から一年以内には

施行するように』と、国からの指示が出ていたからだ。


 美幸が起動したのは3月3日。

…あと半年では、下準備も含めれば流石に今からでは間に合わないだろう。


「原田君の報告では年明け頃が望ましいという話だったね。

私も、正直に言えばその意見には同感だよ?

…だが、ここであちらの要求を断って、仮にこの試験の話自体が立ち消えになって

しまうと、今度はこちらが面倒な状況になるのも確かなんだ。

そして、この試験が期間内に実施出来ないという事態にでもなれば、最悪の場合、

美幸ちゃんの強制停止も視野に入れなければならなくなるだろう。

君の気持ちも理解出来るが……なんとか今回は勘弁してくれないか? 原田君」


 そう言って、仮にも部下である美咲相手に頭を下げてくる洋一に対して、美咲は

渋い顔で『はぁ……』と、深い溜め息を漏らした。


「…わかりました。

ただ、その代わり……というわけではありませんが、

実施するに当たって、こちらからも追加でいくつか条件を提示させて頂きます。

…よろしいですか?」


「…どういった内容かね?」


「相手は予想を超えるほどの考え無しみたいですからね。 

美幸が勤務する準備段階……詳細な説明をする際には、初めにこちらから()()()()

あちらへ忠告させて頂きます。

警護の意味合いでこちらが美幸を監視しているという旨も含めて……ね。

その上で、勤務が実際に始まった後も、想定していたより警戒レベルを上げさせて

頂きます。

それに伴って、有事の際にこちらが対処したことによって起こるあらゆる影響への

フォローも、同時に約束して頂きます」


「…何やら物騒な物言いだね。具体的にはどの程度の話なのかね?」


「警護スタッフには銃器を持たせます。

必要と判断した場合は、あくまで威嚇射撃が前提ですが……発砲も許可します」


「おいおい! 流石にそれは……」


 美咲の口から飛び出した『銃』という言葉に、敏感に反応する洋一。


…しかし、美咲は表情を変えることも無く、冷静なまま言葉を続ける。


「仮に、ですが……美幸が誘拐でもされて他所にでも売られるような事態になれば

今度は私達が首を(くく)る羽目になりますよ?

…これはいつもの過保護ではなく、あくまで我々の自衛の意味もあるんです」


 先日の学校は、まだ環境が良かった。

元々のセキュリティが異常なほど厳しかったということもあり、誘拐等の可能性は

極めて低かったのだ。


…だが、今回は対象がごく一般的な企業であるため、当然だがその所在地も普通の

街中だ。


 前回と同じような感覚で臨むというわけにはいかないだろう。


「…どうです? この条件を呑んでいただけますか?」


 一瞬も目を逸らさず、睨みつけるようにこちらを真っ直ぐ見てくる美咲に、洋一

は観念せざるを得なかった。


「…はぁ……分かった。分かったよ。

その方向で手配するように、関係者各位には連絡をつけておくことにしよう。

…しかし、そうなれば少なくとも経営者側からの美幸ちゃんへの態度は目に見えて

軟化する事になるはずだ。

それで今回の目的……彼女の心にストレスをかけることが本当に出来るのかね?」


「それは恐らく、問題はないでしょう。

先日の短期留学での様子から鑑みて、彼女はそのベースとなった高槻美月、及び

高槻隆幸の両名と比べても、非常に感受性が豊かなようです。

短期の就労でも、同僚の状況を目にすれば、十分なストレスを感じるかと」


「…うむ、そうか。

君がそう言うのなら、その点は問題は無いのだろう。

外部での試験だからある程度は仕方が無いとはいえ、ここまで大掛かりに準備して

おいて『実施はしたが、十分なデータが取れなかった』とは言えないからね」



 そこまで言うと『ふぅ……』と、部屋中に漂う張り詰めた空気を追い払うように

深く息を吐いた洋一は、先ほどまでの上司としての厳しい表情を崩して、一転して

明るい元保護者としての顔を覗かせる。


「いや、本気で怒った美咲ちゃんは、やっぱり美月ちゃんよりずっと怖いな。

思わず足が(すく)んだよ。まったく……80前の爺には、少々堪える」


 その洋一の様子に、緊張していた美咲の顔にもようやく笑顔が戻ってくる。


「それこそ冗談じゃない。

美月が本気で怒ると、足が竦むどころか空気が凍りますよ? 

先日も旦那をからかい過ぎて“指導”を受けたばっかりなんですから……」


 ちなみにその時、美幸はその様子をずっと微笑ましそうに見ていた。

あの美月を見て笑顔を浮かべられるのは、きっと美幸くらいなものだろう。


「旦那……か。隆幸君とも、かれこれ7年以上の付き合いになるからね。

私も彼が悪い男じゃないというのは、もう十分に分かってはいるんだが……。

まさか、美咲ちゃんじゃなく、美月ちゃんの方へ行くとはね。

…私も流石に、予想外だったよ」


 隆幸と美咲との仲を怪しんで警戒していたら、ある日突然、美月の口から結婚を

前提にした交際の事実を報告され、当時の洋一は(あご)が外れそうになったものだ。


「また、そんな事を言って……。

美月本人が幸せそうなんだから、いい加減に子離れして下さいよ。洋一おじさん」


『いや、わかってはいるんだがなぁ……』と頭を掻きながら渋い顔をする洋一に

美咲も苦笑しながら、その隆幸の顔を頭に思い浮かべた。


 次の美幸の試用試験は予想よりも厄介な展開になりそうだ。

しかも、今回は学校の時とは打って変わって、主に隆幸に担当してもらう予定に

なっている。


“これは義弟くんには死に物狂いで頑張ってもらわないといけないな”と、美咲は

浮かべていたその苦笑を、更に深める事となるのだった。

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