第16話 友達とクラスメイトの境界
「先日はどうもありがとうございました」
「ん? 何が? 私、美幸ちゃんに何かしたっけ?」
とあるお昼の休み時間。
一緒に昼食を取ろうと美幸の所へとやって来た莉緒は、突然言われたお礼の理由が
わからず、不思議そうに聞き返した。
「遥……富吉さんの居場所を教えて頂いた件です。
あれから無事にお会い出来まして、今ではピアノを聞かせてもらったり、一緒に歌
を歌ったり出来るようになったんです」
「あ~……なんだ、それか~。
いきなり仰々しくお礼言うから、何かと思ったよ。
それなら、そんなに堅苦しくしなくて良いよ?
私も自分で確かめて、確実に知ってたってわけじゃなかったからね。
私からすれば、ただ単に“聞いた事のある噂を教えた”って程度なんだし……。
まぁ、とりあえず無事に会えたんなら、それは良かったよ」
莉緒はそう言って一安心した表情で一息つきながら、弁当箱片手に美幸の正面に
腰を下ろした。
留学してからすぐに色々な事でお世話になって以来、この莉緒とは教室で過ごす
クラスメイトの中では最も仲の良い友人になっていた。
特に、美幸が初めて登校をした翌日の放課後に、学校内を案内して回ってくれた
事でよりこの学校を知ることが出来たのは、美幸にとってとてもありがたかった。
アンドロイドの美幸には、研究所の時と同様にデータ内に学校内のMAPが登録
されているため、やはり“迷子になる”ということは無い。
…しかし、折角の親切を無碍にするのも心苦しかった美幸は、莉緒の案内の申し出
を受けることにしたのだが……結果から言えば、それは大正解と言えた。
莉緒は、周囲が“情報通”と言うだけあって、色々なミニ情報を交えて学校を解説
して回ってくれたのだ。
すれ違った教師の好きな音楽のジャンルから、飼育されているウサギ達の名前、
学生食堂の人気メニューから、(授業をサボりたい時の)保健室のベッドの空いて
いるタイミングまで……その情報は多岐に渡った。
校舎の隙間の薄暗い場所まで連れて行かれた時には、こんな所に一体何があるの
だろうと思った美幸だったが……。
そこは以前、校内禁煙であるにもかかわらず隠れてタバコを吸っている不良教師
が、先輩の教師に見つかって叱られていた場所だ……という、なんとも至極平和な
エピソードのある場所らしかった。
『不良教師といっても覇気が無いって程度で、授業は面白い先生だよ』と聞いて、
美幸は美月に叱られている美咲を連想して、そこで思わず笑ってしまった。
そして、その話を切欠に、そのままその校舎の影に2人で座り込んで、沢山の噂
や過去の出来事を莉緒から教わった、美幸。
その話のどれもが、別に知らなかったとしても学生生活に影響があるようなこと
ではない……取るに足らないものだった。
しかし、人によっては『下らない』と言うかもしれない、その色々な話を聞いた
分だけ、美幸は不思議とこの学校に親近感が湧いてきていた。
…そういえば、研究所を美咲に案内してもらった際にも、色々な人物を知ることが
出来て、案内を終える頃には自然とその雰囲気に馴染んでいた。
たとえ、MAP等でその施設内のデータを持っていたとしても、その場所を知る
誰かに案内してもらう事は決して無駄にはならないのだという事を学べた、美幸に
とってとてもありがたい学校案内となったのだった。
そして、その学校案内があってから、莉緒は美幸にとって遥を除けば、学校内で
一番接する機会の多い友人になっている。
「それにしても……『遥』かぁ。
美幸ちゃんの口から誰かの名前が呼び捨てにされてるの、初めて聞いた気がする」
そう言うと、興味津々……といった顔で、莉緒は美幸の顔を覗き込んでくる。
莉緒はこう見えて意外に口が堅い。
美幸には、とある心配事があったこともあって、他の生徒には内緒にする事を約束
してもらいつつ、協力してくれた莉緒には遥との事情をある程度、話しておくこと
にした。
「…なるほどねぇ、歌の先生か~。
確かに音程とかテンポの正確さなら、美幸ちゃんに敵なし! だもんね」
「あ、あはは……いえ、まぁ……はい」
プライベートな部分だったこともあり、遥の母親との関係の部分は若干濁しつつ
現状を説明した美幸に、莉緒はそう笑って言って返した。
誰かと先生の座を競い合ったわけではないので、敵も何もないのだが……。
まぁ、莉緒が楽しそうだったので、美幸は深くは考えないことにした。
「でも、良いな~。私も呼び捨てが良いな~。
あー……でも、そしたら私も美幸ちゃんを呼び捨てになるのかな?
そっかぁ……それはちょっと惜しいな~。
美幸ちゃんは、やっぱり『美幸ちゃん』って感じだし……」
目の前でうんうんと一人で勝手に悩み始める、莉緒。
しかし、1分もしない間に『そうだ!』という声と共に明るい表情に変わる。
「………ふふっ」
美幸は、このコロコロと変わる莉緒の表情を見るのが好きだった。
見ているだけで、何だかこちらも不思議と楽しくなってくるのだ。
遥もいつかはこうなってくれるだろうか? と思った美幸だったが……。
『そんなわけないじゃない』と、静かに答える遥が容易に想像出来てしまった。
そしてその想像の遥に、思わず噴き出して、更にクスクスと笑っていた美幸……
だったが……その時、莉緒が突然大きな声を出して、
「よし! それなら、私も美幸ちゃんに何か教わればいいんだよ!!
そうすれば合法的に美幸ちゃんからの呼び捨て権がゲットできるじゃん!!」
…と、ひらめいた! といわんばかりに立ち上がった。
…だが、少々オーバーリアクション過ぎたのか……弁当組で教室に居た周囲の生徒
が好奇心を刺激されて、すぐに集まって来てしまう。
「ま~た莉緒がいきなり変なこと言い出したよ……」
「っていうか、呼び捨て権って何? 何!?」
「ねぇ~、なんか2人とも楽しそうだし、明日から私とも一緒に食べようよ~」
途端に騒がしくなった周囲の生徒達に、ついさっき秘密にすると言った遥の事情
を話すわけにはいかないと焦った莉緒は、
「美幸ちゃんに何か教わって先生になってもらったら、
『莉緒さん』から『莉緒』にクラスチェンジ出来るって話だよ!」
…と、集まって来ていた皆に、そう説明して誤魔化した。
しかし、予想外というか予想通だというべきなのか……。
普段からノリの良いクラスメイト達は、その話に即座に喰いついてきてしまう。
「ほほぅ……それはそれは。
これは、また……自分だけ抜け駆けですかな、莉緒さんや?」
…そして、何故か気付けば、その日の放課後に『美幸ちゃんの呼び捨て権争奪戦』
という文字が黒板に大きく掲げられる事態となってしまっていた。
「………あはは……」
まるで美咲のような行き当たりばったりの展開に、教卓の隣に座らされた美幸は
乾いた笑いを漏らす……。
しかし、一度走り出したクラスメイト達は止まらない。
そんな美幸を尻目に、司会進行役の莉緒は、教卓の前に立って高々と「これより、
『ドキッ!? 美幸ちゃん呼び捨て権、大争奪戦』をはじめます!」という、謎の
開会宣言をするのだった……。
ルールは実にシンプル。
美幸から教わりたい授業内容を参加者が順に発表していき、最もクラスメイトから
の共感を得られた生徒が優勝。
その生徒は、晴れて美幸から呼び捨てで呼んでもらう権利を得られる……という
ものだった。
…ちなみに、生徒側は『美幸先生』は可愛くないという理由で『美幸ちゃん先生』
と呼ぶという事に、事前に決まった。
…だが、やはり美幸には、そのこだわりの理由がよくわからなかった。
こうして、呼び捨て権を賭けてクラスメイト達の激しい(?)争いが始まった。
「まずはシンプルに! 勉強を教わる!!」
「…はい、2票。ははっ、これは厳しいかもね~?」
挙手した人数を数えて、莉緒が一番手の生徒にそう告げる。
恐ろしい事に、教室内にはほぼ全員のクラスメイトが残って居たため、満場一致
すれば30票近くの票が得られる計算になる。
…確かに、2票では厳しい。
その軽いノリの割には、思いの外シビアな判定だった。
「いやいや! ちょ、ちょっと待ってよ!? みんな、真剣に考えてる!?
想像してみてよ! 自分に教えるためにうんうん悩んでる、美幸ちゃんを!!」
その言葉に、数秒間の無言の後『ほわぁ……』と、幾つかの溜め息が漏れたかと
思うと……一拍遅れて、更に複数人が追加で手を揚げた。
「…はい、18人ね。
こういうのを繰り返してたらキリが無いから、この案はこれで最終決定ね。
それと、面倒くさいからここからは、情景を想像してからの挙手ね~?」
…そして、序盤からいきなりそのシビアな判定が緩くなった。
「あ、ちなみに可愛い反応に期待してるとこ悪いんだけどさ……。
美幸ちゃんは、こう見えても超高性能なアンドロイドだから。
実際は全く悩む事も無く、ものすごくテキパキ教えてくれると思うよ?」
ただ、そんな莉緒の冷静なツッコミによって、先ほど挙手していた生徒達は、
『ええ~っ! そんな~……夢が壊れる~』と口々に零す。
…すると、その莉緒の結論があまりにも不満だったのか……。
そこからは、何故か『美幸が可愛く悩んでくれそうな事』を発表する場へと、
変わっていってしまった。
「はいはいっ! 男にモテモテになる方法とか、どうかな!?」
「…はい、5票」
「え、えーっ!? みんな、なんでよー!!」
「いやいや、アンタこそ何言ってんの……。
美幸ちゃんを改めて見てみなさいよ。
街中でただ立ってるだけでもモテるよ? 多分だけど……」
再び放たれた莉緒の冷静なツッコミに反応したクラスメイト全員に、突然バッと
注目され、「…!?」と驚いた美幸は小動物のように“ビクッ”となった。
しかし、その数秒後、『はぁ~~…』と、先ほどとは毛色の違った無数の低い声
の溜め息の重奏が教室内に木霊した……。
「は~いっ! 自分のその日の魅力!!」
「…は? 何それ?」
「生徒になった子の魅力的な所を、美幸ちゃん先生が毎日教えてくれんの!!」
「うっわぁ……超メンドクサイ奴ね、アンタ……。
っていうか、もうそれ先生でも何でもないじゃん!!
…まぁ、美幸ちゃん真面目だから、一生懸命考えてはくれそうだけどさぁ……」
そこでクラスメイト達はその情景を想像した。
毎朝、自分の所にやって来ては『えーっと……きょ、今日は○○が素敵です!』と
自分を褒めて、恥ずかしそうに走り去って行く……そんな美幸の姿を。
「…はい、25票……ってどんだけよアンタら!!」
「いやいや! そういう莉緒も司会なのに挙げてんじゃん!!」
「…ハッ!? か、体が勝手に!!」
『わざとらしいわ!』と、揃ってアハハハッ! と笑うクラスメイト達……。
その後も提案は続き色々と案は出たものの、やはりまともな内容の物はほとんど
出なかった。
結局、最終的に優勝したのは、司会の莉緒で『美月さんのメイク技術の伝授』が
満場一致で可決されることになったのだが……いざ美幸に聞いてみると――
『美月さんは研究に差し支えないように、普段からほぼノーメイクですよ?』
…という、信じ難い回答が返ってきて、
『うっそマジで!? ありえないでしょ!? ていうかそれじゃ駄目じゃん!』
…という莉緒の叫びを最後に、『ドキッ!? 美幸ちゃん呼び捨て権、大争奪戦』
は優勝者不在でお開きとなったのだった…。
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「あの……ありがとうございます。莉緒さん」
「…ん? 何が? 私、何かしたっけ?」
クラスメイト達が帰って行き、2人で教室の鍵を職員室に返しに行った帰り。
突然、美幸からお礼を言われた莉緒は、昼間と全く同じ台詞を返していた。
「私、今日は皆さんとワイワイ騒げて……とても楽しかったです」
美幸は防犯上の問題で放課後に皆で外に遊びに行く、ということが難しい。
今日も正門前には、研究所のスタッフが既に車で迎えに来ているはずだ。
「あ~……良いの良いの。
私達だって美幸ちゃんと遊びたかったし、丁度良かったんだよ」
そう言って明るく笑っている莉緒の顔を見て……。
美幸は以前からずっと心配だった件を、思い切ってお願いしてみようと決意した。
「あの、莉緒さん……1つ、私からお願いをしても良いですか?」
急に真面目な顔になってそう言ってきた美幸に、莉緒は――
「ん? 良いよ? 引き受けた!!」
…と、そのお願いの内容を聞く前に了承してきた。
そんな莉緒に『え? まだ、何も言ってませんよ?』と言う美幸だったが……
莉緒はそんな戸惑っている美幸に、明るい笑顔のままで、こう答えた。
「美幸ちゃんとは友達になってから、まだそんなに経ってないけどさ、それでも
そんな顔して冗談言うようなタイプじゃないってのは分かってるし。
何より、美幸ちゃんの事だから、きっと悪いことじゃないだろうから。
それなら、それがどんな話でも、私の出来る限り協力するよ。
“友達”と“ただのクラスメイト”の違いって、きっとそういうとこでしょ?」
「あ……」
その言葉を聞いて、美幸は自分が『この莉緒の友達である事』が、無性に嬉しく
なった。
…そして、今から言う“お願い”の相手として莉緒は最高の人選だと確信する。
「あの……莉緒さん。
先ずは、そんな風に思ってくれていて、ありがとうございます。
莉緒さんに友達って言ってもらえて……私、とっても嬉しいです。
それでその、お願いなんですが……」
「うんうん。どんなこと?」
「…私が学校を去った後、遥に会いに行ってあげて欲しいんです」
「…あー……なるほど。そういうのかぁ……」
美幸が留学期間を終えれば、遥はまた音楽室に一人ぼっちになってしまう。
たとえ遥がクラスメイトを嫌っていなくても、絶対音感という体質が同じ空間に
居るだけで精神的苦痛を与えてくる。
遥が孤独にならないためには、音楽室に足を運ぶ友人が必要不可欠だ。
…しかし、あまりに大人数で会いに行っても、環境は教室内と変わらない。
それなら、誰か1人でも事情を知っている人物が会いに行くのが、一番良い。
その点は以前『話してみたい』と言っていた莉緒なら丁度良いと思った。
明るくて、とても騒がしい性格だが……それ以上に思いやりもある莉緒のこと。
遥が不快にならないギリギリまで騒いでくれれば……きっと遥だって寂しくは
ならないだろう。
「絶対音感、かぁ……。
正直、私にはよくわかんないけど、美幸ちゃんもホントは良い子って言ってたし、
もともと私も富吉さんには興味あったしね。
…うん、良いよ。
美幸ちゃんの代わりになるかまではわかんないけど、会いに行ってみる。
でも……それまでに一度はちゃんと紹介してね?
今の距離感でぶっつけで会いに行くのは……流石にハードル高いしさ」
了承した直後に情けない顔をする莉緒を見て、また笑ってしまう、美幸。
「ふふっ……ええ、わかりました。
今はまだ難しいですけれど、必ず顔を合わせて話せる機会を用意してみせます」
「うん、ヨロシクねー?
まぁ、今までに私も一言も喋ったことないってワケじゃないから、ちゃんと話せる
機会があれば、それで大丈夫……だと思う」
本人は微妙に自信無さ気な様子だったが……きっと、莉緒なら大丈夫だろう。
そう思って、美幸は改めて莉緒に頭を下げてお願いした。
「…莉緒さん。
私がここを去った後も、遥が一人にならないように、どうぞお願いします。
これはあくまでも私の想像なのですが……。
遥はきっと、莉緒さんとも凄く仲良くなれると思うんです」
お互い思い遣りがあって、騒がしくて明るい莉緒と、逆に冷静でクールな遥。
組み合わせとしても、とてもしっくり来る気がした。
いつか3人で楽しく何処かに遊びに行けたなら、とても楽しいのだろうなと、
そんな情景を思い描く、美幸だった。
そうして美幸が『お願いします』と言いながら下げていた頭を上げた時、莉緒は
イタズラっ子の顔をして……最後にこう言ってきた。
「うん!
富吉さんとは美幸ちゃんよりも仲良くなって、いつか羨ましがらせてあげるよ!」
美幸はそんな返答が嬉しくなって、更にその莉緒に笑顔で言い返してみせる。
「私だって負けませんよ! きっと、遥の一番の友達になってみせますから!」
学校の廊下、初夏の夕日にお互いの顔をオレンジに染められながら……
――2人の生徒は、声を上げて笑い合った。




