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番外 その2 親友の始まり 後編

「―――あのまま終わっていれば、綺麗な話になっていたでしょうに…。

どうして、いつもあなたは騒ぎにしないと気が済まないのかしらね?」


「何だか懐かしい話をし始めたと思ったら…何十年越しかのクレームだった!」


 遥の昔語りに耳を傾けながら、その当時の光景を思い返していた莉緒は、最後の

言葉で突然、現実へと引き戻されてしまった。


「ふぅ……美幸、まだかしら…。

莉緒と2人きりだと、私が疲れるから困るのよね…」


「……遥ちん、そういうのって本人に聞こえてたら、ダメだと思う」


「あら? 大丈夫よ。だって、これはわざと聞かせているのだもの」


「ぐっ…まぁ、なんとなく分かってたけどさ…!

あれっ? というか…これも直接本人に言うことではないのでは…?」


「ふふっ…自覚があるというのは良いことよね」


「何というか…私に辛辣なのは当時と変わらないよね…」


 口元に手を当てて上品に笑う遥とは対照的に、莉緒はがっくりと肩を落とす。


 今日は美幸の仕事が半日で休みだというので、軽く喫茶店にでも集まろうという

話になり、2人は先に店に到着し、後から来る美幸の到着を待っていた。


「でもさぁ…何だかんだ言って、最近はこうしてよく2人でお茶してるよね?

つまり…本当は遥ちんも私と話すのが大好きだってことだ!」


「………あら? 美幸、少し遅れるみたいよ?」


「ガン無視しないで!?」


 端末を眺めていた遥が、立ち上がりつつ抗議する莉緒に画面を見せてくる。


 そこには『渋滞につき、少し遅れます』という短い文面が表示されていた。


「ええっと…それで、何だったかしら?」


「うぅ……もういいよ…」


 年齢を重ねてもこうして親友同士で集まる際には、ついオーバーリアクションに

なりがちな莉緒は、しかし…若干疲れた様子で再び椅子に腰掛けた。


 若い頃ならまだしも、高齢といって差し支えない今では、莉緒のハイテンション

は今のようにあまり長続きしなかったりする。


 それでもいつも騒がしくなってしまうのは…やはり、“親友達と会うのが嬉しい”

という、莉緒の心のあらわれなのだろう。


「ふふ……私だって莉緒と話すのが好きじゃない、とは言わないわ。

けれど…頻繁に会おうと思ってしまうのは、いつの間にか“周囲が静かであること”

に対して、私が違和感を覚えるようになってしまっていたから…なのでしょうね」


「……あぁ…そっか。そうだよね……」


 遥のその言葉で、莉緒の表情が急激に深刻なものに変わっていく。


 美咲が亡くなってからというもの、美幸達が仕事に出た後には、遥が1人きりで

あの広い家に残されることになる。


 そして………それは想像しただけでも、寂しい光景だった。


 そういう莉緒も、出勤していく息子夫婦と学校に向かう孫達を見送った後には、

少々寂しい気分になってしまうこともあった。


 それでも、孫達が帰ってくるまでの時間を過ごすのは、自分の家なのだ。


 遥のように、由利子や美咲と過ごした思い出があちらこちらにある、あの家・・・では

ない。


「……やっぱり、寂しい?」


「そうね………きっと、そういうことなのだと思うわ。

私はどちらかというと、そういうのは平気な性質たちだったのだけれど…。

美咲さんが寂しがり屋だったから、それがすっかり移ってしまったみたいね…」


「…………」


 つい先ほどまでの空気から一転して、しんみりとした雰囲気が漂う。


 歳を取ると、昔を懐かしむことが増えてくるものではあるが、その思い返す“昔”

があまりにも楽しすぎて…どうにも心が沈んでしまうことが多くなってくる。


 これが、あるいは『歳を取るということ』なのかもしれない。


「あ、あのさ! そういえば、さっきの話の続きだけど…!」


 沈黙が息苦しかったのか、それとも単に遥を励ましたかったのか…。


 莉緒が気持ち、大きめの声で遥に話しかけてくる。


 一方、その遥の方は、内心で『なんだかんだで優しい子よね…』と思いながら、

小さく微笑んで、今度はそんな莉緒の話に耳を傾ける。


「遥ちんは、結局は私のことを渾名では呼んでくれなかったよね?」


「…ええ。まぁ、そうね」


『それが何か?』とでも言いた気な様子で、素っ気無く返事をする遥。


 そんな遥に、莉緒は(雰囲気を変えるために明るく振る舞おうとしているわざと

らしさは感じられるものの)楽しそうな表情を浮かべて、とある提案をしてきた。


「最近は以前よりも更によく会うようになったことだし…。

これを機会に、今からでも私のことを『莉緒ちん』って呼んでみない?

当時は恥ずかしかったんだろうけど…もうこの歳になれば、流石にそんなのは気に

ならなくなってきてるでしょ?」


「…この歳で渾名で呼び合うというのは、それはそれで恥ずかしいのだけれど?」


 遥は少し呆れ気味な顔で、そう指摘して見せるが…今日の莉緒はめげなかった。


「いいや! お婆ちゃん同士が渾名で呼び合ってるのは、それはそれで可愛いもん

だから、きっと大丈夫だよ!」


「……それ、自分で言うのね…」


 ここにきて遂に、遥の呆れ気味の表情から“気味”の部分が無くなっていく…。


 しかし、莉緒の方は、先ほどまでの暗い雰囲気が無くなり、遥がいつもの調子に

戻ったのを確認できたことで、密かにホッとした気分になっていた。



―――だからこそ、次の遥の切り返しに、莉緒は反応が遅れることになる。



「でも…それを言うのなら、あなたこそ―――

そろそろ私達を呼び捨てで呼んでも良い頃合い…なのではないかしら?」


「……………………え?」


 莉緒が『渾名で呼んでよ!』というのは、この数十年の間に数え切れないほどに

何度もしてきた、お決まりの台詞だった。


 そして、その度に遥の『…嫌よ』という短い返答を聞くのが、ある種のお約束の

流れでもあった。


 しかし、今日の遥のその提案は、今までで初めての展開であって…。


「…な、ナニカナ? ソレハ」


 思わず、莉緒は胡散臭い外国人のような片言の返事をするので、精一杯になって

しまったのだった…。




「それで、何で今日は急にあんなこと言ってきたの?」


「そうね…さっきも言ったけれど、そろそろ頃合いなのかしら? と、思ったのが

一番の理由かしらね」


「あの~…その“頃合い”ってのが、私には良く分からないんだけど?」


「ふふっ…本人が忘れているだけなのか、それとも私の考え過ぎだったのか…。

これはいったい、どちらなのかしらね?」 


「? 遥ちんって、たまにワケわかんないこと言うよね…」


 自分のことを言われているはずなのに、遥がいったい何の話をしているのかが、

さっぱり解らない莉緒は、軽く首を傾げる。


 すると、遥はそんな莉緒にヒントらしき質問を投げかけた。


「あの時のあなたが私に渾名を付けたのは、『これで私とあなたは友達です』って

言いたかったのでしょうけれど…」


「…あ、改めてそう言われると、なんだか恥ずかしいね…」


 遥の口から当時の自分の気持ちを言われるのは、どうにも気恥ずかしい。


 莉緒には珍しく、照れくさそうな笑みのまま、困った顔になる。


…のだが、次の遥の言葉に、莉緒は再びそのまま固まってしまうことになった。


「…けれど、どれだけ親しくなっても、“名前を呼び捨て”に変えなかったのは…

『周囲の友人達との差をつけないため』だったのだと、思っていたのだけれど?」


「………………うわー……何時から気付いてたの? それ……」


「ふふっ…これは、やはり私の予想通りだった…ということかしら?」


「……私、ちょっとだけ遥ちんが怖いかも」


「ふふふ…」


 何とも言えない微妙な表情でそう答える莉緒に、遥はただ、優しげな笑みを返す

だけだった…。



 当時の莉緒は、学校のクラス内という複雑になりがちな人間関係の中で、敢えて

バランサーのような立場を自ら進んで演じている節があった。


 それ故に、他のクラスメイト達と扱いを変えないことによって、遥への“特別感”

を無くさせて、もしも遥が今後、教室で過ごしたくなっても、何時でもクラス内に

馴染めるように、下地を用意しておきたかった。


 だから、莉緒は教室で他の生徒と話をする際にも、自分がクラスメイト達を渾名

で呼んでいるのと同じように、遥のことは意識的に『遥ちん』と渾名で呼ぶ・・・・・ように

心掛けていたのだ。


「何時、気付いたのか…ということなら、あなたと話している内に、あなたが相手

の呼び方を“普段”と“深刻な場面”とで使い分けているのに気付いた時、かしらね」


「…それ、かなり始めの段階だよね…? うわぁ…凄い洞察力…。

これは、美咲さんがしきりに『敵わない』って言ってたはずだよ…」


 渋い顔をしながらも、妙に納得したような反応をする莉緒。


 そんな言葉を零す利緒に、遥は更に続けた。


「普段は渾名で呼ぶのに、真剣な時には“ちゃん”呼びに変わる…。

普通の人は、そんな面倒で不思議なことはしないものだわ」


 そこまで言うと、遥は莉緒から窓の向こうの景色へと視線を移した。


「初めは、莉緒のことをただの騒がしいだけの子だと思っていたのだけれど…。

…あなたと一緒に過ごす時間が多くなるにつれて、本当はとても頭の良い子なのだ

ということに、気が付き始めたわ」


「……………」


 普段は散々な言われようなのに、急に遥に真正面から褒められた莉緒は、反応に

困って、照れ臭さから何も言い返せなくなる。


…そして、それはきっと遥も同じだからこそ、今も窓の外を見つめているのに違い

なかった。


「そこで、ふと思ったのよ。

“この子は何故、こんなに頑なに渾名で呼ぼうとするのかしら?”ってね。

真剣な場面で不意に『遥ちゃん』と呼んでしまうのは、心の中でいつもそう呼んで

いるから…?

でも、それが真実なら…むしろ不自然なのは“渾名”の方ということになる。

そこまでいけば、後は自然とさっきの結論へと思い至ったわ。

…だって、あなたは道化を演じるのが上手いだけの…優しい子だったのだもの」


 そう言うと、遥はゆっくりと視線を利緒の方に戻しつつ…優しい声で言った。


「でも、それもそろそろ良い頃合いでしょう?

学校も卒業してから半世紀以上経つし、私達ももういい歳なんだから…。

“道化を演じ続ける”というのは、思いの外、疲れるものだもの。

人の間に立って『万人に好かれる、明るくて騒がしい子』で居続けなくても、

あなたの周りの人達の絆は、簡単に無くなってしまったりなんかしないわよ」


 まるで親が子供を見守っている瞳のように優しい目で、そう告げる遥。


 その言葉で、莉緒の目には何故か、涙が滲んでくる。



 あの時、この子と友達になれて―――本当に良かった。



「…ふふっ…ありがとう、遥ちゃん・・・・

やっぱり、美幸ちゃんが最初に言った通り…『とっても優しい人』だね」


 滲んだ涙を軽く拭いながら、明るい声を意識しつつ莉緒が笑顔で答える。


「あら…美幸がそう言っていたの?」


「うん。本当に初めの時にね。

音楽室に通い始めた美幸ちゃんに、私が好奇心で遥ちゃんがどういう人だったのか

って尋ねた時に、そう教えてもらった」


「……そう」


 その遥の短い返答と共に、少しばかりその場に沈黙が訪れる。


 ただ、その沈黙は気まずいものではなく、どこか温かい沈黙だった。


 自分達が知りうる限り“最も優しい親友”の顔が、2人の脳裏に浮かぶ。


「…それで、どうかしら?

あの頃のあなたの言葉を借りるなら…

『親友同士なのだし、名前を呼び捨てるのなんて普通でしょう?』」


「ぷっ…あはははっ! そうだね…うん。そうかもしれない。

…でも、今さら呼び捨てで呼び始めるなんて、変じゃないかな?」


「別に良いんじゃないかしら。

お互い、もういい歳のお婆ちゃんだけれど…ここから改めて『親友』を始めてみる

のも、案外楽しいと思うわよ?」


「ふふっ…面白さ重視だなんて、まるで美咲さんみたいな意見だね?」


「ふふ…あの人とも長い付き合いだったもの。

少しくらい私が影響を受けていても、不思議じゃないわよ」


「ふふふ…」

「あははっ」


 2人揃って、自然と笑いが込み上げてくる。


 これだけ長く生きてきて…これから起こるであろう、こんなにも些細な変化に、

ここまで心躍るのが……何だか、無性に可笑しくなった。


「それじゃあ……これからもよろしく! !」


「ええ。莉緒、こちらこそよろしく」




 その後、合流した美幸に今までの経緯を説明した莉緒は、美幸とも今後は名前を

呼び捨てで呼び合うこととなった。


 ただ、美幸に『それでは、莉緒は今後は落ち着いた人になっていくのですか?』

と尋ねられると、莉緒は『そっちはやめておくよ』と答えた。


 理由を尋ねられた莉緒が『私が大人しいと遥が寂しがるでしょ?』と答えると、

遥が嫌そうな顔で『…面倒だわ』と答えて、また騒がしくなっていく…。


 だが、莉緒は誰が何と言おうと、この性格だけは変えたくはなかったのだ。


 莉緒にとって、自分の周りの大切な人達が楽しそうに笑っている姿は、学生の頃

からずっと、何よりも好きなものだったから―――。

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