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第100話 『普通』の価値

 美咲の入院当初の話を終えた美幸は、先の2人の時のように続けて亡くなる前の

話を語るのではなく、一旦、遥達に対して話しかけてきた。


「…遥、莉緒さん。

先程までの2人は違ったのですが、これからお話しする美咲さんとの会話は、

()()()()()()()()()()お話です」


 神妙な様子で言った美幸のその言葉に、真っ先に反応したのは莉緒だった。


「…ああ、そっか…。

確か、美咲さんを傍で看取ったのって、美幸ちゃんだったっけ…。

美月さんの時は美咲さんで…隆幸さんの時は私だったけど」


「…はい。

あの時もお伝えしましたが…隆幸さんの時は傍についていてあげてくれて、本当に

ありがとうございます。

…お陰で、最期の瞬間の隆幸さんを一人きりにせずに済みましたから」


「…ううん。そんなの、当たり前だよ。

…でも、私なんかで良かったのかな、とは今でも時々思っちゃうけど…ね」


「いいえ。むしろ、莉緒さんで良かったのだと…私は思っていますよ。

…きっと、私や美咲さんなら大声で泣きついてしまっていたでしょうから。

あの時、最期に付いていたのが莉緒さんだったからこそ、隆幸さんも今際の際に、

美月さんのことだけを想って逝けたのだと思います。

…静かに見守ってくれていたという話だったでしょう?」


「…うん。ホントに、ただ何となく…なんだけどね?

あの時は何故か、声を掛けちゃいけないような…そんな気がしたんだ。

…でも、そっか。それじゃあ…黙ってて良かったよ。

ちゃんと、隆幸さんの最期の言葉も、美幸ちゃん達に伝えられたから…」


「…はい。私も美咲さんも、その言葉を聞いて安心できましたから。

莉緒さんには、いくら感謝してもしきれませんよ」


「……………うん、ありがと」


 美咲もあの当時は隆幸の最期の呟きを聞かされて、泣きながらも喜んでいた。

『あの2人は本当に最期までイチャイチャしやがって』と。


 そんな隆幸の亡くなった時の話を美幸と莉緒がしていると、不意に遥から美幸に

1つの質問が投げかけられた。


「…美幸。

あの……こんな話の途中で何なのだけれど…ちょっと良いかしら?」


「…え? はい、何でしょう?」


「さっき、今から聞かせてくれる話は『美咲さんが亡くなる直前の話』って言って

いたわよね?」


「はい。確かにそう言いましたが…。それが何か?」


「…確か、美咲さんは肺炎で亡くなられた…のよね?

…私のイメージだと、“肺炎”といえば、ずっと高熱にうなされがら咳き込んでいる

ように思っていて…。

…少し不思議に思ったのだけれど、そんな状態で会話なんて出来るものなの?」


 遥の考える状況ならば会話はおろか、意識を保っていられるかどうかも怪しい。

とても意思の疎通が出来る状態とは思えなかった。


「…ああ、なるほど。そのことですか…。

…そうですね。確かに普通ならそうなっている可能性が高いのかもしれません」


「…普通なら? 美咲さんの場合は違った…ということなの?」


「ええ。ただ、美咲さんの場合、“肺炎の症状がみられた”というだけで、直接の

死因は高熱が続いたためにずっと解熱剤を投与し続けていて、結果、遂に体力の

限界が来た…というのが、正確なところなんです。

ですから、熱の方は亡くなる少し前まで薬の効果が残っていて、そこまで高くは

無かったですし、咳もほとんどしていない状態だったんですよ。

それでも、熱に関しては、そう低くも無かったようなのですが…。

…ただ、遥の言うようなほどの状態ではなかった、というのは確かです」


「…成る程、ね。

つまり、小康状態を保つために投薬を続けていた…まさにその時の会話の話という

わけね? 

でも、そういう時って、普通はお医者様が必死になって治療…というか対応をして

いるものなのではないの?」


 『限界が来た』と言うのだから、通常ならば医師は患者の傍で必死に延命行為を

行っている状況だろう。


…そんな中で、暢気に会話をすることなど、許されないはずだ。


「それが……そういったことを事前に考慮していたようで、美咲さん本人が事前に

対策していたようなんです」


「…対策?」


「はい。お医者様に『私の残り体力が危ない域になったら、美幸に連絡してくれ』

というものと、『美幸が到着したら、以降の延命行為は不要』というものを伝えて

いたらしくて…」


「…よく判らないのだけれど、そんな個人的な希望が通るものなの?」


 サラリと言っているが、美幸が言っているのは途中で医療行為の一切を中断して

病室から出て行け…というものだ。


…危ない状態の患者を、そのままその場に残して。


「それが通ったようですよ?

まぁ…美咲さんがまた、かなり強引な手を使ったようですが…」


「……………」


…一体、美咲は今度は何をした…いや、()()()()()のだろう?


物凄く気にはなった遥だが、考えるのが怖いような気もする…。


 数秒の間、無言で思案した結果、遥は眉間に寄った皺を指で揉み解しながら、

搾り出すような声で答えた。


「…………その詳しい方法については……今は聞かないでおくわ」


「ふふっ…。ええ、わかりました」


 これから美幸から聞く内容はシリアスなものになるはずだ。


 遥は、その時間がいつもの美咲節によって作られたものだと知ってしまうと、

真剣に話を聞ききれないような気がした。


「あ…ですが、あともう一点…お2人にお伝えしておきたいことがあります」


「…何かしら?」


「…ん? 何か重要なこと?」


「いいえ、さほど重要というほどではないのですが…一応は念のために。

遥が先ほど、“私と美咲さんの会話”と言っていたのですが…。

実は美咲さんは喉の痛みが酷かったようで、ほとんど声が出せなかったんです。

一応、会話は出来たのですが…状況としては、私1人が声を出している状態で…」


「…え? それじゃあ、どうやって美幸ちゃんは美咲さんと意思疎通したの?」


 莉緒は不思議そうにそう聞き返す。


 言葉を発することも満足に動くことも出来ず、筆談すらも難しいような相手と、

どうやって“話をする”というのか。


「あぁ…それについては、私が()()()()()()()()()()()()()()ました」


「…読唇術どくしんじゅつ? ふぅん…美幸にそんな特技があったのね。初耳だわ…」


「へぇ~、そんなの出来たんだ。凄いね、美幸っち」


「う~ん…読唇術、というよりも、“データ照合”といった感じでしょうか?

美咲さんとの付き合いは数十年と、特に長かったですからね…。

照合に必要なデータ量自体は、本当に沢山ありましたし。

後は、それを自動的に実行するようにすれば、割とスムーズに話せましたよ?」


「……とんでもないわね…それ」


「なんか……凄いね、美幸っち…」


 ついさっきまでは美幸の隠された特技に感心していた遥達だったが…その正確な

回答の内容に、思わず声のトーンが一段階下がっていた。


…悪いことをしたというわけでは無いはずなのだが…自分達の感覚とはあまりにも

かけ離れたその解決法に、軽く引いてしまっていたのだ。


 要は『目で見た唇の動きを過去のデータを元にリアルタイムで照合、解析して、

咄嗟とっさに読唇術の真似事をした』ということだろう。


 実際に読唇術という技術があるのだから、普通の人間も訓練さえすれば出来なく

もないのだろうが…。


 美幸のように咄嗟に、なお且つ“タイムラグ無しでの実行”は不可能に近い。


 更に言えば、その正確さという意味でも、人間の比ではないだろう。


「…暫く忘れていたけれど、あなたは身体こそほぼ人間と同じに食事や呼吸が必要

になったというだけで、今もアンドロイドとしての機能は何一つ変わらずに使える

のだったわね……盲点だったわ」


「あはは…。

別に常に意識する必要は無いんだろうけど、不意にそういう内容を聞かされると、

まず初めに『なんでそんなこと出来んの!?』って頭に浮かぶよね、実際」


 昔、莉緒は美幸にアンドロイドであることを『そういう設定を忘れていた』と

冗談で言ってはいたが…。


 身体が“自分達と似たもの”になったというだけで、本当にすっかりとその事実を

忘れてしまっていた…。


 勿論、()()()()()()忘れてはいなかったのだが…()()()()()()そういう感覚が

無くなってしまっていたことに、2人は初めて気が付いた。


…“同じ速度で歳を取る”というのは、思った以上に重要なものだったらしい。


「ふふっ…。

でも『アンドロイドとして生み出してもらったことが一番の誇りだ』と伝えた、

まさにその美咲さんの最期の大切な瞬間に、それが活かされたというのなら…

美幸としても良かったんじゃないの?」


「ええ。遥の言う通りです。

あの時は必死に理解しようとして、咄嗟の判断でそういうことをしましたが…

後から振り返ってみた時、自分がアンドロイドであったことに感謝しましたよ」


「あはは…そっかぁ。

でもさ、それじゃあやっぱり、美幸っちは今も『アンドロイド』が良いの?」


 不意に投げかけられた莉緒のその質問に、美幸は少し考えてから答える。


「そうですね…。そうかもしれません。

誤解がないように先に言っておきますが、人間の身体を頂けたことは嬉しかった

ですし、そこに後悔があるわけではありませんよ?

私の夢だった“素敵な花嫁”や、“皆さんと同じ時間を生きる”ということの実現は、

あのままでは絶対に不可能だったわけですし。

…ただ、そういったことを除けば、私は自分が“アンドロイドとして生まれたこと”

自体に不満があったというわけではありませんからね」


「あ、そっか。言われてみれば、美幸っちは自分で『人間になりたい!』って主張

して、そうなったわけじゃないもんね?」


「はい。このボディは、あくまで美咲さんの“思いやりのかたち”ですから…」


 代理出産が可能かどうかの検証だけなら、ほぼ完全な人間のボディなど本来なら

必要なかった。


 特に年齢を重ねる必要はないし、メンテナンス性を考えれば、病気等にならない

ように改良したボディの方が良いのは間違いない。


 実際、その後に実現した代理出産が可能なアンドロイドは、美幸ように作られて

はいないことからも、それは証明されている。


 しかし、そこを敢えて美幸に対してのみはクローン技術を使ってまで、より完全

に近い人の身体を与えるように決めたのは、他ならぬ美咲の指示だったのだ。


…正真正銘、美咲から美幸へ…“愛娘へのプレゼント”だったのだろう。


「…それはそうと、莉緒さん?

もう1つ、私がアンドロイドとして生み出してくれたことに感謝すべき、大事な

理由を忘れていらっしゃいますよ?」


「…ん? え? 何それ? それって、私が知ってること?」


「…何故こっちを見るのよ。私が知るわけないでしょう?」


 美幸の質問の意図が分からずに、思わず遥を振り返る莉緒だったが…遥には

冷静にそう一言、素っ気なく返されるだけだった。


 美幸本人が『アンドロイドで良かった理由が他にもある』と言ってきたが、莉緒

には特にこれといった心当たりが無かった。


『忘れている』と言うからには、莉緒も知っているはずのことなのだろうが…。


「ふふっ…答えはとっても簡単です。

私がアンドロイドだったから、あの学園に通い、莉緒さん達に会えたんですよ?

私からすれば、それだけでも十分に自分がアンドロイドであったことに感謝する

理由になります」


 美幸の回答に、『あっ!』という表情で、思わず顔を見合わせる遥と莉緒。


…そして、2人は数秒後には込み上げる笑いを堪えられなくなった。


「…ぷ……あははっ! そういえばそうだったよ! 何か、ホントに忘れてた!」


「ふふふっ…本当にそうね。

私なんて、まさにそれが理由で一緒に音楽室で歌の練習を始めることになっていた

はずなのに…」


 普通の友人として接している内に、いつの間にか美幸がただの自分達の学生時代

の短期留学生のように考えていた。


 “慣れ”とは恐ろしいものだと、2人は改めて実感する。


「ふふっ…。ですが、私としては、嬉しい限りですけれどね?

つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()…ということでしょうし」


 完全に忘れていた…ということは、つまり『考える必要がなかった』ということ

でもある。


 初めは違ったのかもしれないが、本人達も気付かぬ内に、遥達は美幸と共に居る

のに、人でもアンドロイドでも特に関係なくなっていたのだ。


 美幸はそれを改めて実感して…堪らなく嬉しくなった。


…しかし、そんな美幸の“どこか満足気な得意顔”は、不意に遥達のイタズラ心に火

を付ける切欠になってしまった。


「あら、それは違うわよ?

だって、こんな天然ボケのアンドロイドなんて、他に知らないもの。

きっと私達が忘れていたのも、それが理由に違いないわね」


「あははっ…それは言えてるね!

美幸っちの天然は確かに可愛いけど、肝心のメカっぽい有能さは、まるでこっちに

伝わってこないもん!」


「なっ…失礼ですよ! 2人とも!

自分で言うのも何ですが、これでもアンドロイド界では『史上最高の傑作』って、

有名なんですからね!?」


「ふふっ、そんなの当てにならないわよ。

海外の映画とかも、公開前には必ずそう言ってるじゃない?」


「それに人として暮らすようになってからは、アンドロイドとしての美幸っちって

世間的には“居なくなった”ことになってるんでしょ?

それなら、その噂も今となっては傑作()()()ってことにならない?」


「もうっ! 2対1だなんて、ずるいです! もう知りませんっ!」


 こうして気兼ねなくものが言え合えるのは、仲がいい証拠…なのだが、真面目な

話の最中に2人がかりでからかわれた美幸は すっかり拗ねてしまう。



…結局、ご機嫌斜めになった美幸を宥めるのに時間が掛かってしまい、美咲の話の

続きを2人が聞き始めたのは、この後、暫く経ってからのことだった…。

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