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第95話 救いの女神

「…隆幸さんがいつも笑顔だったのには、きちんと理由があったんですよ?」


 遥達の雑談が落ち着いてきたタイミングを見計らって、美幸はそう切り出す。


 そして、以前に美月の口から聞いた、隆幸の生い立ちの話を遥達に一通り語って

聞かせていった。


「…強い人だったのね、隆幸さん。

もしも私が同じ待遇で、家族からそういう感覚で見られ続けていたとしたら…。

それでも笑顔をずっと保ち続ける…なんてこと、とても出来そうにはないわ」


「…何だかんだ言って、私も長く生きてきたからさ『お金なんて全然必要ない!』

なんてことは、簡単には言えないよ?

本当にお金が全く無かったら、それが原因になって悲しい目に遭うことだって、

世の中には沢山あるのも事実だからね…。

でも、さ……それでも、そのお爺さん達の態度は酷過ぎるね…。

それまでに一度も会ったことが無かったっていっても、隆幸さんは正真正銘、自分

の孫だったんでしょ?

しかも、結果的にはその孫のお陰で贅沢を出来るようになったのにさ…。

それは多少は必要かもしれないけど…そこまで“お金”って重要なもの?

家族の絆より? 自分の孫の…純粋な想いよりも?

どうかしてる……本当、馬鹿みたいな考え方だよ!」


「遥…莉緒さん…」


 静かに隆幸の境遇を憐れむ遥に対して、莉緒はまるで自分のことのように怒りを

あらわにしていた。


 美幸はその莉緒達の優しさが嬉しく、そして誇らしかった。


 本当に、“良い親友達”だ。


 そんな2人の優しさに触れて、心が温かくなった美幸は、明るい口調でその後の

隆幸の変化を語っていくことが出来るようになった。


「そういう経緯もあって、隆幸さんは暫くの間、心から誰かを信用するということ

を諦めてしまっていたらしいんです。

…ですが、そんな隆幸さんも、美月さんとお付き合いをするようになってからは

徐々にそういった部分も軟化していったようですよ」


「ふふっ…そうだったの。

それなら、美月さんは隆幸さんにとって、まさに“救いの女神”だったのね」


「美男美女で、見た目にもお似合いの2人だったけど…。

そういう話を聞いたら、改めて文句なしにピッタリの2人だって思えるね!」


 美幸のそのフォローとも言える言葉で、遥達の顔に笑顔が戻ってきた。


「ええ、私もそう思います。ですが―――」


…だが、逆に今度は美幸の表情が少しだけ、困ったような苦笑に変わる。


「…ただ、これはあくまでも私から見た感覚だった・・・のですが…。

最期まで、隆幸さんが“心の底から信頼出来ていた”のは、やはり美月さんだけ・・

だったようなんです」


「『感覚だった』…?

過去形で言うということは、確認を取れたということなのかしら?」


「…はい。

私も、なんとなく普段から何処かそんな印象ではあったのですが…。

これからお話しする、隆幸さんとの会話の中で、そういったことをご本人から

聞かせて頂きまして…」


「…それは、あなたや美咲さんを含めても、なの?」


「…はい。そうおっしゃっていました。

私も、起動しめざめてからの長い間、すぐ近くで過ごしてきましたが…。

それでも、『本物の感情』というべきものは、あまり見せてもらえていなかった

ような…。

今になって振り返ってみると…そんな気がしています。

あっ、勿論“嘘を吐かれていた”といったような意味ではないですよ?

…ただ、美月さんに対しては、きちんとその辺りも見せていらしたらしくて。

ですから、きっとそういうこと・・・・・・なのでしょうね」


 美咲にからかわれて、焦っていた隆幸の姿は日頃からよく見かけていた美幸…。


…だったのだが、それも改めて思い返してみると、その焦った反応ですら、どこか

意図的なものだったように感じる。


 全てが演技で、美幸が信用されていなかった…というわけではないのだろうし、

愛されていなかった…ということでもないだろう。


 しかし、それが“少しの疑いも無く”ということになってくると―――


「なるほど…だから・・・、だったのね。

私達がいくら記憶を辿っても、笑顔しか印象に残っていなかったのは…」


 美幸の話を受けて、遥は先ほどの疑問の答えに思い当たった。


…そして、そんな遥の零した言葉に静かに頷いて返した美幸は、少し離れた場所に

ある、隆幸と美月の眠る『高槻家之墓』へと視線を送った。


「きっと、あの穏やかな笑顔の向こう側を知っていたのは…ただ一人。

“美月さんだけ”だったのではないかと……そう思います」


 そう言った時の美幸は、少し寂しそうで…しかし、どこかスッキリしたような、

不思議な笑顔を浮かべていた。


「…美幸。確か…隆幸さんはご自宅で亡くなられたのだったわよね?」


 遥は美幸にそう問い掛けた…のだが、その返答は隣の莉緒から返って来た。


「…うん、そうだよ。

たまたまだけど、隆幸さんの最期の時に傍に居たのは私だったからね…。

今でもその時のことは、良く覚えてるよ。

ええっと、本人が入院じゃなく自宅療養を希望したんだったよね? 確か」


 莉緒は疑問を口にした…というより、知っていた事実の確認をするような口調で

美幸にそう言った。


「はい、おっしゃる通りです。

病院に居ても、自宅で過ごしていても、ほとんど変わらない病気でしたし…。

それに、亡くなる少し前に美月さんが亡くなっていたこともありましたから。

…やはり『美月と過ごしてきたこの家で、最期の時までずっと居たい』という本人

の強い希望もありまして…。

結局、体調が悪化しても最期まで入院はせずに、そのまま…という状況でした」


「病気、か…。

美幸ちゃん。隆幸さんが亡くなったのって、診断を受けてからは、だいたい何年後

くらいだったんだっけ?」


「約2年半ほど、ですね。

健康診断で異常が見つかったので、念のために精密検査をしてみたら…という経緯

でした」


 夫婦仲良く、揃って笑顔で出かけて行った…数時間後。


 酷く沈んだ様子で帰ってきた美月と、いつもの笑顔でそんな妻を隣で慰める隆幸

の姿が、美幸の脳裏に鮮明に蘇ってくる。


 その時の美月の沈みようは相当なもので、一瞬、美幸は『美月本人の診断結果が

悪かったのか?』と、勘違いをしてしまったほどだった。


「治療が難しい病気だったこともあって、皆で相談した結果、暫くは通院で経過を

見つつ、とりあえずは自宅で療養することになったんです。

…とはいっても、最初は病気だとは思えないくらいにお元気だったんですよ?」


 美幸はそう言いながら、当時のことを思い返しつつ、本格的にその出来事を遥達

に話し始めた。




「…すまないね、美月。

僕の方が年上だから、先に逝くだろうと覚悟はしていたんだけど…。

ちょっとだけ、その予想よりも早くなりそうだ」


 隆幸が謝りながらそう告げると、すぐに美咲達が姉妹揃って非難してくる。


「もう…今からそんな弱気なことを言わないで下さい。

お医者様もおっしゃていましたが、今すぐにどうにかなる…というような病気では

ないんですよ?

…それに、治る可能性だってまだゼロでは無いんですから」


「まったく…美月の言う通りだよ?

本当に、高槻君は昔から肝心なことに限って諦めるのが早過ぎる」


「…そうですね。すみません。

確かに、まだ諦めるには早かったですね」


 深刻な病ではあるが、まだつい数時間前に発覚したばかり。


…それに実際、現状では自覚すら出来ないくらいに元気そのものなのだ。


『今から気分で負けていては話にならない』という2人の言葉は、ごもっともな

意見だった。


 隆幸は2人に叱られて、先ほどの自らの台詞を振り返って、反省していた。


「とりあえず、私は今から研究所に行って、佳祥にも知らせてきます。

…これは電話で伝えるよりも、直接話しておいた方が良いでしょうから」


「よしっ、それなら私も一緒に付いて行くよ。

…今の美月を1人で外出させるのは、ちょっと心配だしね…」


「大丈夫です。私なら1人でも問題ありません。

それよりも、姉さんは隆幸さんに付いていてあげて下さい」


「はぁ~…。

あのなぁ…美月。そういうのは、まず鏡で自分の顔を見てから言えってんだ。

そんなに青い顔で言っても、説得力なんてゼロだよ。

今日はちょうど美幸もここに居るんだし、ただ付いているだけなら、医療知識が

豊富な美幸さえ傍に居てくれていれば十分だよ」


「それは……ですが―――」


「…美月」


 その言葉に尚も反論しようとする美月。


 美咲はそんな美月の肩をそっと掴むと、至近距離で視線を合わせながら、静かに

相手を落ち着けるように、その名前を呼んだ。


「……っ…………」


 すると…数拍置いて、美月の目の奥に次第に理性の色が戻ってくる。


「ふぅ……わかりました。

いつまでもここで揉めていても、仕様がありませんし…。

…それでは姉さん、一緒に行きましょう」


 冷静になった美月は、口論している暇があるのなら、早く研究所へ向かった方が

良いと判断したのだろう。


 美月は、ここは大人しくその案に乗ることにしたらしかった。


…それに、今回に限っては美咲の意見は何も間違ってはいなかったし、むしろ精神

的な意味では、一緒に来てくれるのはありがたいくらいだった。


「…ホントに、今日が美幸の休みの日で助かったよ」


 納得した美月を確認すると、美咲は溜め息を吐きつつ美幸を振り返った。


「それじゃあ、ちょっと美月と研究所まで一緒に行ってくるから…。

ま、そういうことなんで…美幸、高槻君を頼んだよ?」


「あ、はい。任せてください。

美咲さん達もどうか焦らずに、お気をつけて行ってきてくださいね?」


「…うん。ありがと」


 そんな会話を交わした後、そのまま玄関で美咲達を見送った美幸と隆幸。


…閉まった扉を数秒間見つめた後、思わず2人はお互いの顔を見合った。


「…さて、と。

それじゃ……美幸、僕らはこれからどうしようか?」


「『どう』もなにも…。

…とりあえず、隆幸さんは部屋に戻って、横になっていて下さい」


「あー…やっぱり、そうなるか…。

まぁ、そうしないと美月達が心配するのは、僕も解っているんだけれど。

でも僕個人としては、まだ全く実感が無いからさ。

調子が悪いわけでもないのに横になるというのも、逆に気が滅入るんだよ」


「それは……う~ん」


 隆幸のその言葉に、美幸は思案顔になった。


 現状ではまだ症状が出ているわけではない隆幸を、今、休ませる主な目的とは、

美月達を安心させることと…何より、隆幸本人にゆったりしてもらうためだ。


 平気そうに見せていても、今回のニュースには、流石に隆幸もまいっていること

だろう。


 だからこそ、一旦は横になってもらうように提案したのだが…それで更に隆幸の

気分が沈んでいくというのなら、本末転倒だった。


…そこで、考えた美幸は隆幸に1つの提案を示すことにした。


「それではこれから少しの間、2人で居間でお話しでもしていましょうか?

お2人が帰って来るまでに、寝室に向かえれば大丈夫でしょうし」


「うん。そうしてくれると、僕も助かるよ。ありがとう、美幸」


「いいえ。感謝されるようなことではありません。

それに…実を言えば、私の方もまだ現実感が無いと言いますか…」 


 今の隆幸は自覚症状すらないくらいに元気なのだ。

本人ですら実感がない状態なのだから、美幸には実感も何もなかった。


『ただ“何かしなければいけない”という焦りを心の何処かでは感じていたものの…

実際には、特にすべきことは思い当たらない』


…それが、今の美幸の正直な感覚だった。


 身体こそ人間と同じになったとはいえ、本質的にはアンドロイドの美幸だ。


 病名を知った時点で、すぐにネットにアクセスして詳しい情報を取得しており、

既にその対処法等も確認していた。


 その上で、現状ではどういう生活を送ろうとも、直接病状に影響を及ぼすような

段階ではないということも確認済みだった。


 以上の点を考慮すると、やはり今は本人の気が楽になる方が良いはずであり、

美幸の判断は決して間違いではないはず…。


…にもかかわらず、その漠然とした“焦り”は、何故か消えてくれなかった。


「いや~、本当…今回の件は流石に参ったね。

健康診断の再検査なんて、そう珍しいことでもないから、僕も気を抜いていたのは

事実だけど…。

流石に、この展開はちょっと予想外だったよ」


「…随分と、余裕があるんですね?」


 その正体不明の“焦り”が、自分にとって何かとても重要なもののような気がした

美幸は、密かにその意味を内心で探っていた、のだが…。


 隆幸のあまりに暢気のんきな反応に、真剣に考えている自分が急に滑稽に感じて、少し

ムッとしてしまう。


「あ、うん。さっきも言ったと思うんだけれど…自覚がまだ全く無いからね」


 居間に移動して、対面に座った隆幸の口から最初に出たその言葉は、やはり軽い

空気をまとっていた。


…とてもではないが、『貴方は重病だ』と宣告された直後の人間とは思えない。


「…それにしたって、先ほどの美月さん達と話していた時までとは随分と雰囲気が

違い過ぎませんか?」


 玄関での会話時には、口調は軽くとも雰囲気には緊張感があった隆幸。


…だが、美幸と共に居間に来てからは目に見えて肩の力が抜けていた。


「ふふっ、それはそうさ。

美月が傍であれだけ心を痛めてくれているのに、あまりにも暢気に構えていたら、

流石に可哀想だしね…」


 そこまで言うと、少し雰囲気が変わって笑顔の中にも真剣さを含めた顔になった

隆幸は、そのまま言葉を続ける。


「それは…僕だって完全に楽観視しているわけじゃないけどね?

ただ、元々は僕の方が年上だし…そもそも、男の方が平均寿命も短いんだ。

だからさ、美月より僕の方が先に逝く覚悟は、何処かでしていたんだよ。

…まぁ、それが予想よりも少し早くなりそうだ…ってだけさ」


「…諦めないんじゃ、なかったんですか?」


「ふふっ、そうだね…。

勿論、僕だって今から簡単に諦めるつもりは無いよ。

でも、だからといって頑なに目を逸らす…というのも、違うだろう?

その可能性・・・・・だってちゃんと見据えておかないと…悔いを残しかねない」


「それは…確かにそうですが―――」


「それよりも、だ。

こうして2人だけでじっくりと話すのは、久しぶりだよね?

美咲お義姉さんの場合、退職してからほぼ毎日来てくれているからそうでもない

けど、美幸はまだ研究所に勤めてる身で、忙しいからね…」


 湿っぽい雰囲気を嫌ってだろうか…。

隆幸が美幸の言葉を遮るようにしながら、少々強引に話題を変えてきた。


 そこで美幸も、その隆幸の意思を瞬時に察して、明るい声で返す。


「ふふっ…。ですが、私ももう今年で50歳ですよ?

勤め始めてからの時間よりも、定年までの方が短くなってしまいました」


「そうか…美幸が生まれてから、もうそんなになるのか…。

ふふっ…道理で、僕も歳を取るはずだね」


 美幸の起動の瞬間は、研究者をしてきた中でも特に記憶に残っている。


 半世紀経った今でも、隆幸は昨日の出来事のように思い出すことが出来た。


「あぁ、思い出すなぁ…。

起動の予定日に美月と入籍したから、研究所の皆に冷やかされて…。

美幸の起動が上手くいったのも手伝って、もうお祭り騒ぎでさ。

あの日は、あの後も一日中大変だった記憶があるよ」


「ふふっ…あの時は、私も突然のことによく状況が飲み込めなくて…。

正直、起動早々に随分と戸惑いましたよ?」


「はははっ、それはそうだろうね。

…でも、僕の方だって結構、大変だったんだよ?

美月は密かに…でも何でもなく、研究所のマドンナ的な扱いだったからさ。

あの日は、あの後も随分遅くまで皆に引っ張り回されたよ。

美月が酒を飲める歳になって、すぐに結婚したものだから…。

男連中に『お前の嫁と一緒に飲める、最初で最後の機会だ』って言われて」


「ふふっ…。

でも、あの日の皆さんはとても良い笑顔でした。

私としては目覚めて最初の光景が明るいものであったのは嬉しいことでしたよ?

自分が誕生した瞬間に、あれだけの大人数に同時に喜んでもらえるなんてこと、

今思えば、そうは無い経験でしょうからね」


「あはは…それは良かったよ。

それじゃあ、僕らの美幸への歓迎は、上手くいっていたんだね?」


「はい。それはもう」


 2人で当時の光景を思い返しながら、顔を見合わせて笑い合う。


 心なしか…美幸にはその時の隆幸の笑顔は、平常時よりもずっと…本来の感情

が込もっているように感じられた。


「…僕は美月に出会って、恋人になって、そして…結婚して。

なんて言えば良いのかな……心が救われた気がしたんだ」


「それは………はい。わかります」


 隆幸の生い立ちやその思想は、以前に美月から聞かされていた美幸。


 その過酷な境遇を鑑みれば、確かに本人の言葉の通り、隆幸の心は『美月と共に

過ごす時間によって救われた』と言っても、決して過言ではないだろう。


「でも、美幸? それを言うなら、僕は君にだって救われていたんだよ?」


「…え? 私…ですか?

救ってもらったことは、これまでに何度もありますけれど…」


 その隆幸の言葉にいまいちピンと来ない美幸は、首を傾げる。


「…何かありましたでしょうか?

ちょっと私には具体的な内容が思い当たらないのですが…」


 物理的にもそうだが、精神的にもいまいち思い出せる記憶がない。


 今までに悩み事を抱えたりした際に、こちらが相談に乗ってもらうようなことは

あっても、その逆には覚えがないし…。


…どれだけ記憶を探っても、やはり美幸には特に思い当たる節は無かった。


「う~ん…何て言えば良いのかな?

僕は美幸の存在そのもの・・・・・・に救われていたんだよ」


「ええっと…『私の存在そのもの』ですか?」


「うん。“君という存在”が、そのまま“僕の救い”になっていたんだ」


 隆幸はそこで、視線を美幸から横にある窓の外の空へと移す。


…目を細めて美幸の起動から今までの記憶を、頭の中で駆け足で振り返った。


「僕は美月のお陰で、ずっと求めていた“自分にとって大切な誰かからの愛情”を

獲得することが出来た。

こう言うと少し大げさに聞こえるかもしれないけれど、僕は両親を亡くして以来、

初めて真っ当な…人間らしい感覚・・・・・・・で、他人と心を通わせることが出来たんだよ」


「…はい。とても素晴らしいことだと思います。

それに、決してそれが『大げさだ』とも…私は思いませんよ」


「…うん。ふふっ…ありがとう」


 美幸のその言葉に込めた思いが、正しく隆幸には伝わったのだろう…。


 隆幸は噛み締めるように、美幸にそう言って感謝を伝えた。


「そうして僕は、期せずして自身の目標を達成することが出来た。

“人からの愛情を諦めて、代わりにアンドロイドからの偽りの無い愛情を求める”

という僕の考えが成就するよりも前に、ね…」


「…はい」


 そういえば、隆幸がアンドロイド研究者の道を志した元々の理由は、家族からの

愛情を得るためだったことを美幸は不意に思い出す。


「だからさ、その時から僕の中で“美幸に対して求めるもの”が変わったんだ。

“自分に本物の愛情を与えてくれるかもしれない可能性を持つ存在”というものから

“僕と美月の情報を元にして生まれる、初めての存在”というもの…。

実際の子供より一足早かったけれど、“僕達2人の娘”という、今の感覚にね…」


「ああ、なるほど…。

今の身体もそうですが、当時の私の素体も美月さんが元になっていましたものね」


「そうそう。その見た目の効果もあってさ…。

初めて美幸の素体を見学させてもらった時には、僕も本当に嬉しくて―――」


「ふふっ…。それで、美咲さんに思い切りからかわれたんですよね?」


 隆幸の言葉を遮って、美幸が可笑しそうにしながらそう言うと、それまでは嬉し

そうに笑っていた隆幸が…その笑顔のまま、表情を固まらせた。


…そして、眉間に皺が寄るのと共に、徐々に困った顔へと変わっていく。


「美幸……その話、知ってたのかい?」


「ふふっ…はい。

何時だったか、美咲さんが武勇伝を語るように自慢げに教えてくれました。

『あの高槻君を本気で追い詰めた、あの時の私は凄かった!』と」


「それは……恥ずかしいなぁ…」


 口ではそう言うものの…その表情は明るかった。

当時のことは、隆幸にとって今では良い思い出となっているに違いない。


「勿論、開発者としての“生みの親”っていう認識はあったんだけどね?

そういうのとは違った意味の…『親の感覚』とでもいうのかな。

今、考えれば…より普通の・・・親の感覚があったんだよ。

…まぁ、あの時にはただ“嬉しい”って思うばかりで、それが“親になった実感”だと

いうことには、自分でも気が付かなかったんだけれど」


 美幸の起動時にはまだ親という立場ではなかった隆幸も、その数年後には、佳祥

の親になることが出来た。


 そしてその時になって隆幸は初めて、美幸が起動した時の感覚が、我が子の誕生

を実感した時に似ていたのだ…ということを、感覚で理解した。


…後になって、それが“親になったことに対する喜びだったのだ”と分かったのだ。


「ふふっ…」


 話を聞いた美幸は『感覚が鋭い隆幸さんにしては、随分鈍いですね』と笑う。


 隆幸もそんな美幸に対し、『返す言葉が無いよ』と答え、笑って返す。


 そして、隆幸は更にそれ以降の美幸との日々を振り返っていく…。


「…美幸が今まで経験してきた、新型アンドロイドとしての数々の試験。

振り返ってみるとさ…最後の代理出産の試験を除けば、美幸は必ず何かしら悲しい

思いをしてきただろう? 

由利子さんの時のように『結果的には良かった』と言えるものでも、その経過や

終わり方では、悲しい思いをしてきた」


「…ええ。確かにそうかもしれません」


「でもさ…どの試験でも、美幸は必ず悲しみから立ち直ってきただろう?

決して『もう試験を受けるのは嫌だ!』と、投げ出したりはしなかった。

それだけじゃない。

美幸は試験の最中、どんなトラブルに見舞われても決して途中で諦めずに、懸命に

頑張ってきた。

途中で中断した例の4度目の試験だって、厳密には美幸が自分で諦めたのではなく

あくまでも愛ちゃんの心情を思ってのこと、だったし」


「……そんなに大層な者ではないですよ、私は」


 正面からベタ褒めされた美幸は、そう返して少し困ったような顔をする。


 当時は“アンドロイドの未来のため”と、必死になっていた…ただそれだけ。


 隆幸が言うような、“必死に耐えてきた”というような感覚は、少なくとも当時の

美幸には無かった。


「…僕は、ずっと心配だったんだよ。

諦め癖のある僕は、果たして自分にとって大事な人を…『美月を最後まで諦めずに

居られるのかな』ってさ。

何か切欠が…些細な喧嘩とかが原因で、一度大きな仲違いをしてしまったら、ただ

それだけで、心が諦めてしまうんじゃないかって」


「………………」


 隆幸その発言には、その言葉以上の重みがあった。


 かつて、心から信じようと何年間も笑顔を保ちながら思い遣ってきた祖父達は、

結局は自身に付随している資産以外には目を向けず、肝心の隆幸には愛情を与えて

くれることは無かった。


 そして、その時も隆幸は自分でも驚くほど簡単に諦めることが出来てしまった。


 そんな隆幸が、祖父達を諦めたように美月を諦めてしまわない保証は無い。


「…でも、美幸は決して諦めなかった…それがどういうものであっても。

その思考の半分は、僕の要素が含まれているはずなのに…ね。

だから、そんな美幸を見ていて、こう思ったんだよ。

『こんな諦め癖の治らない僕でも、“強く想う気持ち”さえあれば、途中で諦めずに

見つめ続けられる…そんな可能性が、自分ではまだ気付けていないだけで、きちん

と備わっているのかな?』って…そう思えるようになっていった。

…だから、僕は美幸を見ていて、少しづつ自分を信じられるようにもなっていった

んだよ」


「『自分を信じる』…ですか」


「…うん。

“諦める”っていうのはさ、その物事にもよるだろうけれど…

つまりは“自分を信じきれない”っていうことなのだと思う。

そして…僕にとってそれ・・が出来たのは、とても大きいことなんだよ」


 そこで一度目を閉じた隆幸は、再び目を開けるのと共に、いつもの笑顔より一層

明るい雰囲気を纏った表情になって美幸を見つめた。


「…だからさ、確かに僕は『美幸に救われていた』んだよ。

この歳になるまで、美月と共に幸せに暮らしてこられたのも、きっと…

いや、確実に美幸の存在があったからだ」


「隆幸さん…」


 隆幸のその言葉を聞いた美幸は、ホッとした気持ちになっていた。


 同時に、先ほどまで心のどこかにあった“漠然とした焦り”のような感情が、

じんわりと解されていく。


…そこで、美幸はその“焦り”の正体に、ようやく思い当たった。


「私、隆幸さんにはお世話になってばかりで、まだ何も恩返しが出来ていないのに

って、今回の病気を意識した時に、漠然と思っていたんですが…

自分でも気づかない内に、きちんと助けになれていたんですね…」


「うん、それは勿論。

でも…それはきっと僕だけじゃないんだよ?

美月や、お義姉さん、佳祥、それに遥ちゃん達や、他の皆も…。

目には見えなくても、ずっと美幸に助けられてきたはずさ。

何故なら美幸と居る時間は…周囲の人達にとって楽しい時間だったんだから」


「ふふ…それは嬉しい言葉ですね…。アンドロイド冥利に尽きます」


「あははっ! それは良かったよ。

…でも、もう今の美幸は“人間”だろう?

それなのに、今でも口をついて出るのは『アンドロイド冥利』なのかい?」


 明るい雰囲気を保ったまま投げ掛けられたその質問に、美幸も明るい表情のまま

少しだけ困った様子で答え返した。


「『人間』ですかぁ…。

“そうありたい”とは、一応は私も思っているのですが…。

それでも…やはりこれは、私のアイデンティティのようなものですから。

…ただ、美咲さんや遥には、今の言葉は秘密にしておいて下さい。

この身体になる時に散々お世話になったので…何だか、叱られそうです」


「あはは! そうだね。

うん、わかった。2人には黙っておくことにするよ」


 そこで、不意に隆幸は『そろそろ寝室へと向かうよ』と立ち上がった。


「!! えっ!? あ、あのっ…」


「ああ…違うよ、体は大丈夫。

満足いくまで色々と話が出来て、何だか気が楽になったってだけだよ」


 急に調子が悪くなったのか!? と、心配する美幸だったが…どうやら美月達に

心配をかけさせないように少し早めに横になっておきたいだけらしかった。


 そして…寝室へ向かう隆幸は、しみじみと隣を歩く美幸に言った。


「でも、アレだね。こんなことを言うのも何だけど…。

今日みたいな話を美幸とじっくり出来たのも、病気が発覚したおかげ・・・だね。

…これが美雪さん達のような突然の事故なら、どうしようもなかったわけだし…

そういう意味では、病気の方でまだ良かったのかもね?」


「…そんなことを言ったら、また美月さんにお説教されてしまいますよ?」


「あー…それは、どうにか避けたいなぁ…。

この件にかんしては物凄く真剣に怒られそうだし…。

…怖いから、今の発言は美月には秘密にしておいてくれるかい?」


「ふふっ…わかりました。

先ほどの私の『アンドロイド』発言を黙っていて頂く代わりに、今の言葉は、美月

さん達には黙っておいてあげますね?」


「あはは。うん、そうだね。

お互いのささやかな平和のために、今日の会話は無かったことにしよう」


「ふふ、そうですね」


 こうして、隆幸と美幸は小さな秘密の交換をして、笑い合った。



…その後、臨時の休憩を取った佳祥を連れて帰って来た美月が、機嫌良さそうに眠る

隆幸の寝顔を確認し、美幸に深く感謝を伝えてくる、という出来事があった。


 傍から見ても、その表情の良し悪しは到底判別は出来なかったのだが…。


 隆幸を誰よりも知る美月が言うには、どうやらそうらしい。


 その感謝を聞いた美幸は―――


『私は、また1つ…隆幸さんに恩返しが出来たのかな?』と心の中で密かに喜んだ

のだった。

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