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MI-STY ~あなたの人生に美しい幸せを~  作者: 真月正陽
第二章 女子校短期留学試験
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第13話 お互い呼び捨ての仲

 遥に歌の先生の依頼をされた翌日の朝、美幸は早速、音楽室を訪れていた。

登校には早い時間にもかかわらず、既に音楽室からはピアノの音が響いている。


 ショパンの即興曲 第4番 作品66 『幻想即興曲』。


 クラシックの中でもかなりメジャーな曲であり、同時に完璧に弾くには演奏が

難しい曲でもある。


 昨日と同じく曲が一段落したタイミングで、美幸は少しだけ扉を開けて中を確認

してみる。


 すると……ピアノの前にはやはり、目的の人物、遥の姿があった。


「おはようございます。遥さん」


「…あぁ、原田さん。おはよう。

でも、ごめんなさい。ちょっと待っていて……」


 そう言って、演奏を再開する遥。

その様子を見て、すぐに美咲にメールで連絡を入れる。


…これは場合によっては、一時間目の授業には参加出来なさそうだ。



「…ごめんなさい。随分、待たせてしまったわね」


 遥がピアノの前から立ち上がったのは、一時間目が始まるチャイムが鳴ったのと

ほぼ同時だった。


「いいえ。

遥さんの演奏を聴いていたらあっという間でしたから、大丈夫ですよ」


「…昨日から少し思っていたのだけれど、原田さんはちょっと良い人過ぎね。

悪い人には騙されないようにしなさい」


「はい? ええっと……はい」


 いまいちその言葉の意味を理解出来なかったらしい……。

不思議そうに首を傾げる美幸を見て、遥は美幸の今後に一抹の不安を覚えた。


「そういえば、今日はクラシックの曲を弾いていらっしゃったんですね?」


 時間帯が早いこともあって、午後からしか居ないという音楽教師の可能性は低い

とは思っていた美幸だが、『遥はポップスの弾き語りをしている』というイメージ

が付いてしまっていたため、つい入室前に中を確認してしまった。


「あぁ……そうね。朝は大体いつも、クラシックを弾いてるのよ。

きちんとしたグランドピアノで練習出来る環境は、私にはとても貴重だから。

次のコンクールまではまだ少し間があるのだけれど、練習自体はきちんと毎日して

おかないといけないし」


 遥の話では、実家は特別お金持ちというわけではなく、ごく一般的な家らしい。


 自宅では、主にアップライトピアノという家庭用のピアノで練習しているという

事で、やはりそこは本物のグランドピアノとは多少違うのだとか。


 そのため、グランドピアノで弾く感覚を馴染ませるためにも、こうして朝の時間

は学校のピアノを借りて、コンクールの課題曲の練習に費やしているのだそうだ。


「…凄かったです。まるで計ったみたいに正確な演奏でした」


「ありがとう。まぁ、そういう風に弾いてるから。

…でも、あなたから『正確な演奏』って言われると嬉しいわね。自信が付くわ」


 遥の目に微かに嬉しそうな色が浮かぶ。

表情自体はほとんど変わらない遥だったが、よくよく見ると感情が読み取れる時が

あった。


 無感情に見えていた遥だったが、どうやら普段から感情が顔に出にくいタイプと

いうだけらしい。


「それであの、昨日のお話なんですが……」


「ああ、歌の先生のこと?

昨日も言ったけれど、別に急いで返事をしなくても構わないのよ?」


「いいえ。

昨日、家族と話し合って、自分なりによく考えましたので、大丈夫です」


「そう? それなら良いのだけれど……。

それじゃあ、そのお返事を聞かせてくれる?」


 仮に美幸が断る事になっても重い雰囲気にならないようにするためか、あくまで

自然に返事を聞いてくる遥。


…やはり、遥は人一倍他人に気を遣う人物のようだ。


 そんな遥へ返答すべく、美幸は心の中で小さく『よし!』と気合を入れる。


「どこまでお役に立てるかわかりませんが、宜しくお願い致します」


 そう言って引き受ける旨を伝えると、美幸はペコリと遥に向かって頭を下げた。


…そして、それを見た遥は一瞬目を見開いて、とても驚いた顔をした。


「いや、あの……お願いしたのは私の方なのだから……。

そんな……むしろ、頭を下げるのは私の方よ?」


 遥にしては珍しく慌てた様子で、すぐに美幸の頭を上げさせた。

しかし、顔を上げた美幸は申し訳なさそうな表情で、遥に返事の続きを話す。


「いえ、その……実はこのお返事には続きがありまして……。

お手伝いはさせて頂きたいのですが、授業にもちゃんと出ないといけませんし、

教室の方達とも仲良くしたくて……。

ですから、実際にその時間を取るのが、ちょっと難しいかもしれないんです」


 美幸がこうして学校に通えているのは、美咲を始めとした研究所の人達の助力が

あってこそだ。


 美咲はフォローしてくれると言ってくれていたが、とはいえこれからずっと授業

をサボり続けるというわけにもいかないだろう。


 遥の先生役も引き受けたいが、授業を受け、学友と笑い合う事は、美咲達の望み

でもある。


 美幸としては、そちらもないがしろにはしたくなかった。


 何より、アンドロイドの美幸に、学校に通う機会が今後再びやってくる可能性は

かなり低いだろう。


…この2ヶ月間が、本当に最初で最後の機会かもしれないのだ。


「成る程ね……それじゃあ、土日ならどう?」


 どのように時間を作れば良いのかを悩む美幸に、遥はあっさりとした口調でそう

提案してきた。


「私、土日もずっとここで練習しているのよ。

休日で授業も無いから、とても便利なの。

音楽室の使用許可は私が学校に取ってあるのだし、原田さんもタイムカードを発行

してもらえるように申請すれば、休みでも学校に入れるわ。

…まぁ、原田さんのお休みを潰してしまう事になるのは、申し訳ないけれど」


 週末、という発想がなかった美幸はその提案に目から鱗が落ちる思いだった。


「あ……は、はい!

確認は必要ですが、それなら私も大丈夫だと思います!」


 ぱあぁっ……と、美幸の表情が目に見えて明るくなる。

その顔は、遥も『提案して良かった』と思ってしまうほどに嬉しそうだった。


「それなら、早速、次の週末からお願い出来る?

確か原田さんは2ヶ月間の短期留学だと言っていたし……始められるならなるべく

早い方が私もありがたいの」


 美幸の短期留学の終わる月の末日は金曜日……。

ここまで協力してもらう以上、美幸には出来れば自身が母親に歌を聞かせる場にも

同席してもらいたかった遥だが、そうなるとその先の土日は翌月になるので、美幸

の留学期間が終わってしまっていて、それが難しくなる。


 ただ、そう考えて計算すると、美幸の留学期間内で最後の土日に母に聞いて貰う

予定にするとしても、レッスンを受けられる期間は最大で14回しかない。


「はい、今日帰ったらすぐに美咲さん……私の家族にお願いしてみます!」


 心底嬉しそうにしている美幸のその表情を見て、遥も週末が待ち遠しくなった。


…遥は改めて、美幸にお願いしてみて良かったと実感する。


「ありがとう、原田さん。心から感謝するわ」


 そう言って、美幸の手を取って軽く握手してくる、遥。


 すると、美幸はその手に少し力を込めて握り返し、思い切ってずっと気になって

いた事を遥に言ってみることにした。


「あの……遥さん。

出来れば、これからは私の事も『美幸』って呼んでくれませんか? 

私、この名前が大好きなんです」


 実は、美幸は昨日からずっと、遥から『原田さん』と名字で呼ばれている事が

気になっていた。


 教室では莉緒が勢いで『美幸ちゃん』と呼んでくれてからは、その呼び名が定着

していて、皆が既にそう呼んでくれている。


 しかし、遥はその場に居なかったからか、いまだに『原田さん』のままであり、

美幸はそこに少し距離を感じてしまっていたのだ。


「…ええ。わかったわ。

それじゃあ、今から私も『美幸』と、名前で呼ばせてもらうことにするわ。

…でも、生徒が呼び捨てなのに、先生が『さん』いうのも可笑おかしいでしょう?

だから……これからは私の事も『遥』って、呼んでくれるかしら?」


「ぁ……はい! わかりました……遥っ!」


 テンションが上がって、つい返事する声が大きくなってしまった美幸は、遥に

『…少しうるさいわ』と、すぐに(たしな)められてしまった。


…だが、美幸のその興奮はなかなか収まらなかった。


 ただ、それも仕方がない事だったのかもしれない。

何故なら、美幸が誰かを呼び捨てで呼んだのは、この日が生まれて初めてだった

のだから――

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