第94話 謎多き存在…?
夏の日差しはまだまだ厳しいままだったが、少し風が出てきていた。
そのお陰か、今は美幸達の居る木陰は体感的にはかなり涼しく感じられる。
あまりに暑くなってくるようなら、後の話は日を改めようかと思っていた美幸
だったが、この様子だと大丈夫そうだった。
「さて、美月さんの話の次…というと……順番的に今度は隆幸さんになるわね」
「あー…隆幸さんかぁ…」
遥の言葉を受けて、莉緒がそう小さく呟く。
正直に言って、美月の時のそれに比べると…莉緒のその反応は鈍かった。
「…どうかしたの?」
「ええっと…。
正直、私って隆幸さんのことはあんまりよく知らないんだよね…」
「あら、そうだった?」
「…う~ん。
ウチの京介が咲月ちゃんと結婚したから、正式に親戚関係にはなったんだけど…
単純に“いつも爽やかな笑顔の良い人”ってイメージがあるくらいなんだよね…」
生前の隆幸とは、当然だが何度も顔を合わせて話をしたことがあった莉緒。
…だが、改めて振り返ってみると、美咲や美月のような“こう”というイメージが
いまいち浮かび難かった。
勿論、美月の夫であり、同時に美幸の主要な開発者の1人でもあるため、決して
『その他大勢』というカテゴリの人物ではない…はずなのだが―――
「なんだか、不思議なんだよね~…。
“よく美咲さんにからかわれてた”とか、“美月さんと仲良さそうにしてた”とか、
情景を思い浮かべると、そこにはちゃんと居るには居るんだけど…。
メインで『隆幸さん』が思い浮かぶ記憶が、何故かあんまり出てこないんだよ。
別に、私が避けられていたってわけじゃないはずなんだけどさ…」
そう言って首を傾げている莉緒を見た遥の方も、『そういえば…』と呟きながら
その言葉に同意してくる。
「…私の場合、美幸の佐藤運輸の試験の時にはメインの担当をしていらしたから、
美幸の口からその経緯を含めて良く名前を聞いていたし、その辺りを考慮すれば、
莉緒よりも知っていることは多いかもしれないけれど…」
「あー…そっか。
遥ちんは美幸っちの昔の試験のことも、ある程度は把握してたんだったっけ?」
「…ええ。
でも…思い返してみれば、私も『詳しい』というほどでは無いのよね。
あの当時には、毎週のように週末は研究室に通っていたのだけれど…。
…莉緒と同じで、具体的な思い出よりも“にこやかな笑顔の良い人”っていう方が
印象が強いのよね」
週末の朝は、遥のピアノを聴くために早めに研究室にやって来ていた美月。
そして、夫である隆幸も、その美月と共にその場に居ることが多かった。
当然だが、ある程度は会話も交わしていたし、そういう意味で言えば莉緒よりも
遥かに接していた時間は長かったはずなのだが…。
改めてそう言われて見ると、何故か不思議と……その印象は、とても薄い。
「ええっと…莉緒さん。
それって……もしかして、なんですけれど……」
そんな会話を交わしていた遥達の話を傍で聞いていた美幸は、その疑問に対する
答えになるかも知れない、自分なりに思い当たった、とある“理由”を口にした。
「普段から、ほとんど笑顔以外の表情を見たことが無くて、感情の変化らしきもの
を感じ取れたことがあまり無いから…とかではないでしょうか?」
「……え?
あー、あー! そっか! そう言われてみると、そうかも!?」
美幸に言われて、昔の記憶を辿った莉緒は、隆幸がどの記憶でもほぼ同じ表情で
あることに気が付いた。
「ん…? でも……なんでそれだとイメージが湧かなくなるんだろ?」
納得したような雰囲気になりそうだったところで、今度は別の疑問が浮かんで
きた莉緒は、そう言って再び思案顔に戻ってしまった。
しかし、その莉緒の疑問に答えるように、今度は遥が美幸に答え合わせを求める
ような口調で、自分の考えを口にした。
「恐らく、なのだけれど…どの記憶でも同じ印象だと、思い描いてもインパクトが
無いから、具体的なイメージが浮かび難い…ということなのかしら?」
「…ええ。多分、そういうことなのではないかと思います。
それに、元々、隆幸さんは“受身”というのでしょうか…。
自分からアクションを起こすというよりも、他の人にリアクションを返すタイプ
でしたから」
美幸の解説を聞いた莉緒達は、揃って『なるほど…』と納得した様子を見せる。
だが、ここで更に違う疑問が浮かんだ莉緒は、その疑問をそのまま口にした。
「隆幸さんって…本気で怒ることってあったのかな?」
「ああ、それならさっき話に出た佐藤運輸の時にはかなり怒っていたらしいわよ?
私も直接見たわけではないから、何とも言えないけれど…。
…その辺りはどうだったの? 美幸?」
莉緒の疑問に答えつつ、その事情に最も詳しいであろう美幸に話を振る遥。
…しかし、そんな遥に対し、苦笑を浮かべながら美幸は答え返す。
「仮に、美咲さんがまだ生きてらして、正式に許可を仰ごうとしたなら『莉緒さん
が相手なら、別に良い』ということになっていたとは思いますが…。
遥? 一応はあの試験の詳細は、関係者以外には秘密の情報なんですよ?」
「…そういえばそうだったわね。
勿論、当時から情報漏洩には自分なりに気を遣ってはいたのだけれど…。
いつの間にか、私の中で“親友の近況”程度の感覚になっていたみたいね。
少し軽率な発言だったわね…ごめんなさい」
「…あー、話すのがマズいなら、別に話さなくても良いよ?」
莉緒が若干申し訳なさそうにそう答える。
何気なく呟いた疑問が、機密情報を聞き出す事態になってしまいそうになり、
心苦しくなったようだ。
「あ、いいえ。そこは気にしないで下さい。
私も攫われそうになったところを助けて頂いた後は、美咲さんと一緒にその場を
離れましたので…その後のことは、実はそこまで詳しくはないんです。
だから、それほど重要な情報が含まれているわけではありませんから」
「ええっ!? 美幸ちゃん、攫われそうになったの!?」
「当時、そういう救いようのないクズが実験の場に居たのよ。
…まぁ、今さっき美幸が言ったように、隆幸さんが救い出して事無きを得たから
良かったのだけれどね」
「うわっ、何それ!? カッコイイ!! もうヒーローじゃん!?
見た目もイケメンだったし、そこまで行ったら完全に主人公キャラだよ!!」
「あ、いえ…。それが……ですね―――」
莉緒が軽く感動を覚えたような反応をしているところに、美幸がその当時の状況
を順を追って詳しく説明していった。
すると…話が進むにつれて、莉緒の表情が目に見えて引き攣っていく。
「…あ~……ええっと…。
何て言って良いのか、わかんないけど…その~……」
「救い方が、もう完全にマフィアのやり方よね。
『ヒーロー』というより、どちらかと言うと『ドン』って感じね」
「ああっ…遥ちん! 人が敢えて言わなかったことを、そんなあっさりと!」
「あ、あはは…」
莉緒達の反応を見て、乾いた笑いを漏らす美幸…。
確かに『颯爽と現れて美幸を取り返した』というより、『部下を使って包囲して
脅した』という方が正しい。
当然ながら、悪いのは相手側だったのだが…莉緒のささやかな夢が、跡形もなく
打ち砕かれた瞬間だった。
「…ですが、その時も基本的には笑顔でしたよ?
まぁ…相手の方は、むしろ“その笑顔”に怯えていらっしゃいましたけれど…」
「…いつも大人しい人の方が、怒ると怖いと聞いたことがあるし…。
頭も良い方だったから、その時も選ぶ言葉もわざと恐怖を煽るものを選んで口に
していたのでしょうからね…」
遥はその情景を思い浮かべて、表情を凍りつかせる。
その、いつも超然とした態度の遥には珍しい反応に、莉緒は冷や汗が出た。
…本当に自分が美幸の敵にならなくて良かった、と。
「…でも、美幸っちって、あの頃は軍隊に守られてるレベルだったんだ…。
厳重に警備される存在だっていうのは、やんわりと遥ちんに聞いてたけど…。
正直、私の予想以上だったよ…」
「あ…その人達は軍の人じゃなかったらしいですよ?
どちらかというと警察に近い人達で、普段はSPとかそういう仕事をメインにして
いらした方達らしいです」
「いや、だとしてもだよ!?
本物の銃を装備してるなら、私的にはあんまり変わんないよ!?」
今でこそ警備などは付いていない美幸だが、当時は多額の国家予算をつぎ込んだ
研究の成果であり、将来において更に多くの利益を生むはずの最重要機密そのもの
だったのだ。
美幸本人にその自覚はなかったのだろうが、彼らにとってはちょっとした資産家
などとは比べ物にならないレベルの護衛対称だったことだろう。
「うわー…私、そんな時の美幸っちに変な味のアイスとか食べさせて笑ってたよ…
場合によっては狙撃されるレベルの暴挙だったよ…」
「…何か忘れてるみたいだけれど、あなたは『将来の世界的なピアニスト』にも
同じ暴挙を働いていたのよ?」
「え? 遥ちんは別に良いじゃん。
指が無事ならピアニスト的には大丈夫だろうし…お腹壊すくらい軽い軽い!」
「…私にとっては自分の体調は決して軽くはないわ…あなたの頭の中と違って」
「一言余計だよ!?
私相手だとホントに呼吸するように罵倒してくるね!?」
「流石に今のはあなたの自業自得よ」
そこからいつものように盛大に脱線していく会話に、思わず笑みが漏れる美幸…
話題が昔の思い出に触れたことで、その場が懐かしい空気に包まれたようだ。
結局、隆幸の話から派生したその雑談は暫く続くことになったが、美幸は敢えて
その会話を遮らなかった。
それは、そういう会話の拡がり方を美幸が好ましく思っている部分があったのも
理由の1つではあったのだが…。
その最大の理由は、次の“本題”に触れることで、どうしても場の空気が暗くなる
ことが分かっていたからだった…。




