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第91話 笑顔のままで

 その後、炎天下で長時間話すことで健康を害する危険性を考慮した3人は、墓石

の傍にあった大きな木の陰で、その話をすることにした。


 先ほど、美幸が言った“家族の前”からは少し離れてしまったが、直線距離でも

約3メートル程度…これくらいの誤差なら、きっと美咲達も許してくれるだろう。


「さて…それでは一人ずつ順番に、ということで…まずは美月さんですね。

入院が決まって、すぐの頃と…それから少し後、亡くなる少し前の会話の2つに

分けて話すことにします」


「美月さんは…突然倒れて、それで病気が発覚したのだったわよね?」


「…ええ。急性の病気で、亡くなるまでは、僅か2ヶ月程度…。

これからお話しする3人の中では、入院していた期間が一番短かったのは美咲さん

でしたけれど、印象としては“最も急に亡くなられた”という気がしています」


「まぁ、確かにそうだよね…。

実際、私も美幸ちゃんと全く同じ感覚だし。

美咲さんの場合は、何だかんだ言っても高齢での入院だったし、今の私達くらいの

歳でも、“風邪は気をつけないと危ない”っていうのは、わかってたからね。

…だから『こじらせて、入院することになった』って聞いた時に、もしかしたら…

って、覚悟してたところも…正直、あったからね」


 美咲が亡くなったのは、彼女が85歳の時だ。


 こう言っては何だが、女性の平均寿命から考えれば、さほど早くも遅くも無い。


 更に、高齢になると些細な切欠で重篤な状態になるのも珍しくはないため、突然

亡くなった…という印象は、あまり無かったのも事実だった。


 そういう意味では、美月の72歳での別れというものも、年齢的な話で言えば、

極端に早過ぎるというほどまでのものでもないのかもしれない…。


 だが、美しさゆえの独特の儚さは感じられても、やはり3人の中では一番若く、

且つ、年齢以上に若く見えたその容姿から、何となく死のイメージが湧かなかった

…というのが、主な理由なのだろう。


「ご本人も突然の告知には、さぞかし驚かれたでしょうね…」


「それが…意外とそうでもなかったんですよ?」


「え? そうなの?」


 遥の言葉に返答した美幸の言葉に、莉緒の方が驚いた様子で聞き返してくる。


 美幸は穏やかな表情のままに、遥から莉緒へと視線を移しながら、その質問に

答えた。


「ええ。当時の美月さん本人は、とても落ち着いていらして。

…むしろ、それを聞いた私の方がうろたえていたくらいです」


 美幸はそう答えながら、当時の記憶を頭の中で再生しながら伝え始めた。




 その日、美月が倒れたという知らせを聞いて、急いで訪れた病室に入ると―――


「あら? 早かったんですね。

…お仕事の方は、大丈夫なんですか?」


…と、その美月本人が穏やかな口調で声を掛けてきた。


 その反応と対応が、いつかの由利子の姿を思い起こさせたからだろうか…。

思わず、その枕元に走り寄る美幸。


「美月さんっ! あのっ…そのっ……だ、大丈夫なんですか!?」 


 想像よりも勢いよく傍まで駆け寄ってきた美幸に驚き、一瞬、目を丸くする美月

だったが、美幸のその自分以上に慌てた様子に、自然と笑顔が零れる。


「ふふっ…。美幸ちゃん?

心配してくれるのは嬉しいんですけれど、まずは一旦、落ち着いてください」


「あっ…ええっと………はい、すみません」


「ふふふ…」


 胸に手を当てて、落ち着こうと努める美幸の姿に、愛しさを覚える美月。


 美幸のその焦りは、それだけ自分のことを心配してくれた…ということだろう。


…しかし、だからこそ美月は、その質問に対して微妙な反応をせざるを得ない。


―――何故なら、美幸が期待する回答は出来そうもなかったからだ。


「そうですね…。

正直、大丈夫…と言いきって良いのかどうか迷う…といったところでしょうか?」


「それは…どういうことですか?」


 美月のその言い辛そうな様子に嫌な予感がした美幸は、神妙な顔で、その真意を

尋ねる。


 すると美月は困ったように眉を寄せながらも、落ち着いた口調で美幸にその理由

を答え返してきた。


「いえ…今は・・元気なんですよ? 

ただ…つい先ほど、お医者様から自分が倒れてしまった理由を詳しく伺いまして。

それが、まぁ……あまり良い内容ではなかったもので…」


「……どういうもの、だったんでしょう?」


「それが……ちょっと、深刻な病気らしくて、ですね…。

具体的には、その……持ってあと2、3ヶ月とのことなんです」


「なっ……えっ…いや、そんな……!」


 なるべくショックを受けないように、致命的な言葉を避けつつ、そう伝えてくる

内容は、しかし美幸にとって十分な破壊力があった。


 美幸は、ショックから思わず視線を彷徨わせるが、結局は美月に返すべき言葉を

見つけることが出来ず、そのまま二の句が継げなくなってしまう。


 そして、美月もその反応は予想していたのか…そのまま言葉を続けた。


「まぁ、病状が病状ですし…私も、自分のことはどうでもいい…とは言いません。

姉さんも美幸ちゃんも、こうして私を心配して駆けつけてくれたんですから。

ですが…やはり今、私がこの状況で一番心配なのは…隆幸さんです」


 美月の口からその名前が出ると、美幸もハッとしたような反応を返した。


 美月の夫である隆幸も、今は重い病気を患って自宅療養しているのだ。


 美月ほど急な進行のものではないが、もうその闘病生活も2年近くになる。


…しかも、特にここ最近は、その病状もあまり良い状態だとは言えなかった。


 美月の心配を聞いた美幸は、言葉を失ったままどうすればいいのか…という様子

で『あ…』と小さく呟くので精一杯だった。


…しかし、そんな美幸を見た美月は、再び思わず僅かに微笑んだ。


 姉の美咲は知らせを聞いて真っ先に駆けつけてくれて、今は医者から詳しいこと

を聞いている最中だ。


 だが、その美咲も、美月から病気を聞いた時こそ驚き、涙すら見せていたが…。


 隆幸や美幸、佳祥らに“その病状をどう伝えるのか”という件について話が及んだ

際には、特に美幸のように驚く様子は見せなかった。


…恐らく、事実を聞かされた地点で、頭の端では既に考えていたのだろう。


 しかし、先ほどの反応を見るに、美幸の方は病状を聞いてから今の今まで他への

影響など考えてもいなかったらしい。


…だが、逆にそれは、美幸が“純粋に美月のことだけを心配してくれていた”という

証拠でもある。


…とはいえ、美月は美咲が冷たい…と言いたいわけではない。


 恐らく、姉と自分が逆の立場でも、美咲と同じように周囲への対応を頭のどこか

では考えていただろう。


 そして、そういう意味で“美幸は美月達とは違った”ということだ。


 これまで色々な経験を得て、いつからか美幸は『若い時の美月にそっくりだ』と

言われることが本当に多くなっていた。


 その理由には、確かに換装後の外見の変化の影響も大きいのは間違いない。


 しかし、何よりも大きな原因は、佳祥の面倒を見てもらっていた当時に美幸自身

に求められて教えていた、美月の考える『大人としての様々な心得』だろう。


 当時の美幸としては、半ば母親代わりと言っても良い立場になるのだから、自分

も大人の自覚を持たなければ…という意識だったようなのだが…。


 必死になって立派な大人になろうとする美幸が可愛くて、教えている美月の側も

つい、熱が入ってしまった。


 そして、気付いた時には、あの美咲にして『まるで美月が2人になったようだ』

と言わしめるほどに、美幸の思考や口調は、美月に似てきてしまっていたのだ。


 美幸本人を初めとして、そんな美幸の成長を周囲の人のほとんどは、概ね喜んで

くれていた。


…しかし、そんな教育を施した美月自身はというと……少々、複雑な心境だった。


『もしかしたら…自分は、美幸の良い部分まで無くしてしまったのではないか』


 美咲の『昔の美幸は可愛かった』という言葉を耳にする度に、美月はそんな感情

が湧いてきてしまっていた。


 だからこそ美月には、美幸がこうして“ちゃんと自分とは違う存在なのだ”という

ことをはっきりと実感できるのは、嬉しいことでもあった。


 こんな風に美幸特有の純粋な部分が見え隠れする度に、美月はどこか安心して、

嬉しい気持ちになれる。


『ああ…優しい美幸ちゃんは、きちんとその心に残っていてくれているんだ』と。


 美幸の反応を見て、穏やかな感情が心を満たしたからだろうか。


…美月は先ほどまでは言い辛いと思っていた言葉を、スッ…と自然に口にすること

が出来た。


「私、この病気のことを隆幸さんには暫く黙っていようと思うんです」


「え……?」


「…今の隆幸さんには、この情報は…少々、重過ぎると思うんです。

勿論、その時・・・が来るまでには、きちんと私から伝えるつもりですよ?

ですが…それまでは出来る限り、元気に振る舞って居たいんです」


「それは…伝えれば、隆幸さんの病状が悪化する…ということでしょうか?」


 尋ねる…というよりも、むしろ確認するような口調で美幸がそう言うと、美月は

ゆっくりと頷いた。


「ええ…恐らくは。

…隆幸さんは、とても優しい人ですから。

今は私を1人にしないように…って少しでも長く生きられるように頑張って病気と

戦ってくれている状態です。

…ですから、その私の方も、もう長くないということを知ってしまったら…。

生きる気力を著しく損なう可能性が高い…と思うんですよ」


 隆幸の世話をして、その様子を最も近い場所から見てきた美月のその意見には、

確かな説得力があった。


…だが、それでも美幸は、隆幸に美月の病気を秘密にすることに抵抗を感じた。


「…これは、あくまでも個人的な意見なのですが…残りの時間が少ないなら尚更、

私は隆幸さんにもなるべく早く伝えるべきだと思います。

早く知っていた方が、それだけ残された時間を…お互いに大切に出来るのではない

でしょうか?」


 一瞬、その意見を伝えるべきかどうかを躊躇ためらった美幸。


 しかし、事が事だけに、取り返しがつかなくなる前にきちんと言っておくべきだ

という思いから、意を決して美月に伝える。


 真っ直ぐに見つめながらそう言ってきた美幸のその真剣な表情…。


 その様子から、心中の葛藤を察した美月は、心の中で『ありがとう』と呟く。


 きっと、先が長くない人間の出した答えを真っ向から否定するということは、

相当な勇気が必要だったことだろう。


…だが、これは美月にとっても譲れない問題でもあるのは事実。


 美幸に倣って真剣な表情になった美月は、威圧的にならないように、口調だけは

穏やかになるよう心掛けて、美幸に答えた。


「…ええ。確かにそういう考え方もあります。ですが――」


 そこまで言うと、美月は美幸から視線を外して自らの手を見つめた。

今朝も握った隆幸の痩せた手の感触を思い出しながら…その続きを話していく。


「…きっと、そこまでは変わりませんよ。

こういうことは、あまりはっきりと口に出して言いたくはありませんが…。

その隆幸さんも、ここ最近は決して良い状態だとは言えません…。

今現在でも隆幸さんの病状が急変して、何時お別れの時が来ることになっても後悔

を出来る限り残さないように…と、そうお互いを思い遣って日々を大事に過ごして

いますから…」


「……それは…確かに、そう…なのですが……」


 美月にそう言われてしまうと、もう美幸は何も言えなくなってしまった。


 隆幸の主治医の話では、今のところは小康状態を保っているものの、今後は何時

どうなるかはわからないような状況らしい。


 どちらにしても『来年の今頃まで生きるのは難しいだろう』という話は、美幸も

既に聞かされていた。


「…そういうことだから、美幸ちゃん。

気遣ってもらって申し訳ないのですが…隆幸さんには内緒にしておいて下さい。

いいえ…“隆幸さんに”というより、出来れば“誰にも”言わないでくれますか?

…何処から隆幸さんに伝わるか、分かりませんから…」


「……わかりました」


「ふふっ…ありがとうございます。……本当に、ごめんなさいね」


 美月は微妙な表情を浮かべながらも、美幸が了承してくれたことに感謝した。


…やはりどうしても、隆幸にだけは隠しておいて欲しかったのだ。


 そして美幸からしても、何を憂うことも無く、出来る限り穏やかに残りの時間を

過ごして欲しい…と思っているのは同じだった。


…それは隆幸にだけではなく、美月にも。


「美幸ちゃんは隠し事は嫌いでしょうし、苦手だと思いますが…。

…でも、大丈夫ですよ。

あくまで『私の病状が悪化して、もう隠し切れないって思って自分から隆幸さんに

打ち明けるまでの間』ですから…。

…だからまぁ、そう長い間、黙っている必要も無いでしょう」


「………そんなこと、言わないで下さい…」


「ぁ……そう、ですね…。…すみません…気をつけますね」


 美月が視線を戻すと、美幸は涙が流れるのをなんとか堪えているところだった。


 仮にここで泣いてしまったとしても、美月は笑って慰めてくれるだろう。


 だが、美月はつい1時間ほど前に倒れ、余命を聞かされたばかりなのだ。


 いくら美月本人が落ち着いた様子を見せているとはいえ、美幸はそんな状況の

美月に甘えるようなことになるのは避けたかった。


 すると、不意に美月は何かを思い出したようにわざとらしく『あ…』と言って、

急に明るい雰囲気で両手を胸の前で合わせて見せる。


「そういえば、美幸ちゃん。

以前は約束を破って、遥ちゃんに私の過去の話をしてしまったでしょう?

あの時は隆幸さんとの馴れ初めを知っていると思うと、何だか恥ずかしくなって、

遥ちゃんにどんな顔をして会えば良いのか分からなくて大変だったんですよ?」


「…えっ? あ、ええ…そういえば、そんなこともありましたね」


 突然、明るい声色で話題を変えてきた美月に、多少戸惑いつつも、美幸は何とか

そう答える。


 そんな美幸に、美月は穏やか…というよりも、明るい笑顔を向ける。


「今度の秘密は、話しては駄目ですよ? 約束ですからね?」


 更に美月はそう言って、いつものように唇に人差し指を当てて茶目っ気たっぷり

にウインクしてきた。


 その様子が、あまりにもいつも通り過ぎて…何だか拍子抜けした美幸は、自然と

笑みが込み上げてくる。


「…プッ…クスクスッ。分かりました。今度はちゃんと約束を守ります!」


「ええ。是非、お願いしますね?」


「はいっ、任せて下さい!」


「次に約束を破ったら、姉さんと2人がかりでからかってしまいますから…。

…覚悟しておいて下さいね?」


「うっ…それは大変ですね。もう絶対に、誰にも話せなくなりました」


「ふふっ…それは安心です。たまには姉さんも役に立つものですね…」


「クスッ…。流石にその言い方は、美咲さんが可哀想じゃないですか?」


「いいえ、これくらいが丁度良いくらいです。

それでなくとも、姉さんはすぐに調子に乗るんですから」


「…困りました。そう言われると、もう返す言葉が見当たりませんね」


「ふふふっ…そうでしょう?」


「……ッ…クスクスッ…」


 その美月の雰囲気に乗せられて、先ほどまでの暗い空気が流されていく…。


 いつの間にか美月もクスクスと笑い始めていて、気付けば病室で2人揃って声を

殺して笑うことになってしまっていた。


―――その時、不意に美幸の頬を一筋の涙が流れて…ポタリと床に零れ落ちた。


 目の前で笑う美月も、よく見ると美幸と同じように、目元に涙が滲んでいる。


 だが、これは『悲しい涙』ではないはずだった。


 何故なら…美幸も美月も、会話が可笑しくて笑っているだけなのだから。


 これは、きっと笑い過ぎて涙が出てしまっているだけ……そうに違いない。


――――――今はただ、そう思うことにした。

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