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幕間 その28 その名に込めた想い

 暫くの間、無言で海を眺めていた2人だったが…不意に美咲が口を開いた。


「ええっと…何時頃の予定なんだったっけ?」


 再び視線を美幸に戻しつつ、ぽんぽんと自分の下腹部を軽く叩きながら、そう

尋ねる。


 すると、一瞬だけ不思議そうな反応をした後、すぐに何のことを言っているか

に思い当たったのか…美幸は確認するようにして答え返した。


「…え? ああ、もしかして…出産の時期のことですか?」


「うん」


「移植手術をしてから、まだ2ヶ月程度しか経っていないですし…。

このまま順調に行けば、年明けくらい…ですね」


「あー…うん。そうだったそうだった

確か、手術の時にもそんなようなことを聞いた気がする…」


 美幸の回答に、手を一つ叩きながら納得した様子を見せる美咲。


「まぁ、あくまでも予定通りにいけば…ですけれどね。

…ですが、美咲さんがそういったことを覚えていないというのは珍しいですね?」


「いやー…手術が上手く行ったっていうので、すっかり安心しちゃってさ。

今のところ、その後の経過も順調だっていうし…。

私としたことが、その辺りの時期とかの認識が薄くなっていたみたいだね」


 一研究者だった頃と違い、所長に就任してからの美咲は、美幸のことだけに集中

するのが難しくなっている部分もある。


 そういった事情もあって、つい忘れてしまっていたようだった。


「それにしても、本当に今から楽しみだねぇ…」


「ふふっ…。ええ、そうですね」


「そういえば…。さっき、名前の話をしただろう?」


「あ、はい」


「『美幸』っていう名前は、母さんの『美雪』って名前と同じ音でしょう?

だから…本当は最初は、少し迷った部分もあったんだ。

こういう言い方するのも何だけどさ…。

音だけだとはいえ、早死にした身内の名前を娘に付けるっていうのは、あまり良い

こととは言えないからね」


「そんなこと―――」


 美幸は美咲のその発言を即座に否定しようとする…が、その美幸の声を遮るかの

ように、美咲は更に言葉を続けた。


「…でもさ、それでも『美幸』って名前にしようって決めたのはね、自分達の娘に

“どうか美しい幸せが訪れますように”っていう想いが勝ったからだったんだ」


「ぁ…」


 美幸は、その言葉で起動直後の記憶を思い起こした。


 美咲が自らの名前を敢えて事前に登録していなかったのは、あの時にかけられた

『大切なことだからちゃんと覚えておいてくれ』という言葉の通り、自分の意思で

その名前の意味を記憶して欲しい…という考えがあったからなのだろう。


 そのことに思い当たった美幸は、不意に言葉を失った。


「美幸は、これから生まれてくる子供の母親になる。

当然、美幸だって私達と同じように我が子に幸せになって欲しいと思うだろう?

でもね…人を幸せにするためには、自分が幸せじゃなきゃ駄目だ。

だから…美幸、まずは自分が幸せになることを最優先に考えなよ。

遥ちゃんも言っていたんだろう? 『これからはあなたが主役だ』って。

…美幸の人生は、まだまだ先も長いんだ。

これから、辛かったり悲しかったりすることを経験する時もきっとあるだろうさ。

それでも、やっぱり君には目一杯幸せになって欲しいと、私は思ってる。

私達はそう願って、あの時“美しい幸せ”って名付けることに決めたんだから」


「……っ……はい。ありがとう…ございます」


 その言葉の中に美咲の深い愛情を感じ取った美幸は、涙ぐみながらもしっかり

視線を合わせて、自らの姉であり母でもある美咲に、感謝の言葉を伝えた。


「私達は、必要なことだったとはいえ、美幸に色々な試験を受けさせてきた。

そして、それを元にして生み出されたMIシリーズは、確かに私にとって理想的な

存在になってくれた。

さっき話したアンドロイドの香澄さん…彼女を見かけた時に、それは確信出来た。

『やはり、私達が目指したものは間違っていなかったんだ』って」


 そう言って軽く微笑んだ美咲は、しかし今度は一転して暗い表情になる。


「…でもさ、それで美幸が悲しい思いをしていたんじゃ、意味が無い。

一年前、美幸のその出産のことを、遥ちゃんが“くだらない大人の事情の結果”って

やつにしたくないと…そう怒ってたって話を聞いたのを思い出してさ。

ちょっと――いいや…かなり、かな? 不安になったんだよ。

私達は、美幸にとっての幸せを…ちゃんと与えてあげられたのかな? って」


 美幸の当初の希望通り、あれから一年間、自由な時間を作ってみせた美咲。


 そして、その一年の間の美幸は傍から見ても本当に楽しそうであり、生き生きと

した様子だった。


 それは、人になって美咲達と同じ時間を生きられるようになったことと、何より

ずっと夢だった花嫁にもなることが出来たというものも影響していたのだろう。


 ただ、そんな幸せそうな姿をずっと近くで見ていたからこそだろうか…。


 美咲は、逆にここにきて急に不安な気持ちが強くなってきたのだ。


 この出産が、試験として意味…アンドロイドの未来が明るくなるのか、ではなく

それが美幸にとって・・・・・・の幸せであるのかどうか。


 美咲達が今まで課してきた全ての・・・試験が、はたして美幸にとっては本当に幸せで

あったのか…と。


「…ねぇ、美幸? 正直に答えてくれ…。

色んな試験を受けて、色々な経験をしてきた今の君は……本当に、幸せ?」


 一際真剣な雰囲気の美咲を前に、美幸はしっかりとその瞳を見つめ返した。


「ふふっ…。はい、勿論です」


 美咲の質問に、迷うことなく即座にそう答え返した美幸。

その表情は、穏やかであり…どこか誇らしげでもあった。


「美咲さん達の娘として生まれてこられて幸せだったと、胸を張って言えます。

…それは、試験は必ずしも良いことばかりではありませんでした。

けれど、それでも今回のこの試験…これから生まれてくるこの子の存在は、きっと

私にとってこの上ないほどの“美しい幸せ”になってくれるはずですよ…」


 そう答え返しながら優しく微笑む美幸に『そっか…』と、心底ホッとした表情を

浮かべる美咲…。


 そして、その美咲の反応に、美幸がクスッと笑いながら言った。


「私のことは『昔と変わった』って美咲さんは何度もおっしゃいますけれど…。

美咲さんは、何年経ってもずーっと、親バカのまま…なんですね?」


「ふふっ…ああ、私のこれ・・は一生治らないさ。

親バカしてるのは、開き直ったらそれはそれで結構楽しいからね。

…それに、美幸もその子が生まれたらそうなるよ? 間違いなくね」


 そんな美幸の指摘に対し、そう反撃する美咲。


 しかし、その美咲の言葉に、美幸は人差し指を口元に当ててウインクしながら

楽しそうに反論する。


「あら? それはわかりませんよ?

案外、子供には厳しい母親になるかもしれないじゃないですか。

だって、最近の私は美月さんにそっくりなくらいに似てきたんでしょう?」


 その仕草は、普段から美月がよくしているものだ。

身体も大人の美月と同じになった美幸には、良く似合っている。


…だが、美咲はそんな本当に美月にそっくりな美幸を見ながら、それでもきっぱり

と否定してくる。


「いいや、それは絶対にありえないね!」


「やけに自信満々に言い切るんですね…。

そこまで言うからには、美咲さんには何か根拠でもあるんですか?」


 得意げ…と言っても良いほどに不敵な表情でそう断言する美咲に、美幸がそう

尋ねると…美咲は母が娘にものを教えるような口調でこう返した。 


「ふふっ…。つい先日、結婚式を挙げた相手を誰だと思ってるんだい?

もし男の子が産まれても、今度は惚れさせない程度の親バカにするんだよ?」


「えっ…………あ」


 言われて見れば、“まさにその通り”な美咲のその指摘に、思わず間の抜けた声を

漏らしてしまう美幸…。


 そして―――その表情は、すぐに笑顔へと変わった。


「プッ…クスクスッ……あはははっ!

ええ! 本当にそうですね! 次はきちんと気をつけます!」


「ふふっ…。ああ、そうしなよ?」


 そう言うと、すぐに美幸に釣られるように美咲も声を上げて笑い始める。


 涙が出るほどに笑い合う2人は、そこにある“幸せ”を確かに実感していた。




 翌年、美幸は無事に子供を出産し、アンドロイドとしての最後の試験を終えた。


 アンドロイドの代理出産はこの数年後に実現することとなる。



 生まれてきた美幸の子供は…美咲の心配とは裏腹の、元気な女の子だった。 


 後に美幸は、その子に『咲月さつき』という名前を付ける。


 自分が知る中で最も強く、そして優しい2人の女性からもらった、その名前。


 その由来を、いつか成長した我が子に話して聞かせることが、美幸のその後の

人生の大きな楽しみの1つとなった。

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