幕間 その27 記憶の共有
「…ええっと、美咲さん? ということは…」
美咲の話が一通り終わったところで、美幸は改めて尋ねた。
「『MI-STY』じゃなくて、『MIS-TY』だというのは、つまり―――」
「………ああ、そうだよ。
『MIS』が『美咲』で、『TY』が『隆幸』ってこと」
自分でも打ち明けるのが照れ臭かったのだろう。
そっぽを向きながら、ぶっきらぼうな口調で美咲がそう簡潔に答えた。
「…………ぷっ…クスクスッ…!」
「ああっ! 美幸!! 笑ったね!?」
「あはははっ! だって、美咲さん。流石に…それは可愛過ぎです」
なんとか漏れる笑い声を堪えようとしながら、美幸は美咲にそう返す。
確かに『MIS』の所で区切ってしまえば、『美咲』の意味は残っても『美月』
の意味では取れなくなる。
…ただし、普段は男勝りな口調や態度の印象が強い美咲の発想としては…あまりにも
その思考は乙女チックだった。
浜辺に居ることも相まって、波打ち際に自分と隆幸との相合い傘を密かに書いて
ニヤけている美咲の姿をイメージしてしまった美幸は、その微笑まし過ぎる想像に
笑いを堪え切れない。
「…だー! もうっ! だから、あんまり言いたくなかったんだよ! 私は!」
「ふふっ…まぁ、良いじゃないですか。
私は聞かせて頂いて、嬉しかったですよ?」
「…そういう台詞はね、その笑いを止めてから言うもんだよ?」
不機嫌な様子の美咲に対して、楽しそうに笑う美幸。
からかわれて不機嫌になっている自分と、愉快そうに笑う美咲…という構図が
定着しているいつもとは逆のその状況に、不思議な心持ちの美幸だった。
「…ですが、本当に意外でした。
私のコードには、そんなにいくつもの意味が含まれていたんですね」
込み上げる笑いがやっと収まった美幸は、感慨深そうにそう呟く。
そんな美幸の言葉に対して、まだどこか恥ずかしそうなままの美咲は、念を押す
ように返した。
「…最初も言った通り、あくまでも私的には…ってことだよ?
本来は、最後の理由は含まれて無いんだからね?
…別に忘れてもらっても、一向に構わないんだよ?」
「ふふっ…残念ですが、『忘れる』というのは無理な相談ですね。
身体こそ人間になれた私ですけれど、脳はアンドロイドのままですから。
数十年後でも、一言一句違わずにしっかりと記憶していられます」
「ぐっ……やっぱり、話すんじゃなかったかも…」
勢いで口を滑らせたことを心底悔やんでいるのだろう…。
美咲は固く歯を食いしばり、頭を抱えていた。
「…ですが、聞かせて頂けたことは嬉しかったのですけれど…。
どうして、ご両親を亡くされた時のことまで一緒に話して下さったんです?」
明るく楽しい空気の中、動揺していた美咲が落ち着いた頃を見計らって、美幸は
一転して真面目な口調でそう尋ねた。
すると、美咲も先ほどまでとは打って変わって、真面目な表情を作る。
「ああー……それは、まぁ…ね…。
何ていうか、美幸も…私の『あの想い』には、気付いていたんだろう?」
「それは…さっきの話の中の『隆幸さんへの想い』のこと…でしょうか?」
「…うん。まぁ…そんな感じの」
「そうですね…。
ふふっ…実は以前、美月さんからそれとなく伺っていたんです」
「…は? ええっと、それはつまり…美月本人から…ってこと?」
「ええ、そうです」
美幸は簡単にその時のことを話して聞かせた。
すると、美咲は一通り聞き終わると同時に、クスクスと笑い始める。
「あははっ! まさか、姉妹揃って同じ浜辺で話して聞かせてただなんて…。
何だか示し合わせていたみたいで、妙に気恥ずかしいね」
偶然にも同じ場所での告白だったことに、思わず笑顔が零れる美咲。
…しかし、次の瞬間には、どこか悲しそうな困り顔に変わっていく。
「でも…そっか。
やっぱり、そんなことを気にしていたのか、美月は…。
…いいや、ちょっと違うね。
気にさせてしまっていたのか……私が」
…その呟くような言葉と共に、僅かに眉間に皺を寄せて押し黙った。
先ほどの美月から聞いたという話を美幸の口から聞いていた時にも、美咲は終始
驚くことなく耳を傾けている印象だった。
…恐らく美咲の方も、出てきた内容のほとんどに心当たりがあったのだろう。
「…………」
ただ、これに関しては、どちらの責任…という話でもない。
自分の立場から『今、ここで私が何かを言うのも違うだろう』と考えた美幸は、
美咲に倣うかように、無言で返した。
3度、波が打ち寄せた頃合いで、『…あ』という言葉と共に物思いから現実へと
帰って来た美咲は、何かを誤魔化すように美幸に話しかけた。
「ええっと…何の話だったっけ?
あー…なんで両親の葬儀の時の話まで一緒にしたのかってことだったか」
「…え? ええ、そうです。
先ほど、美咲さんが最初にその話をし始めた時には、その…。
少々、驚いたものですから…」
話題が話題なだけに、どこか遠慮がちな様子でそう答え返す美幸。
美咲はそんな美幸の表情を確認すると、『あー…それもそうか』と呟きながら、
後頭部に軽く片手を当てた。
「初めにあの話をした理由としては―――
まぁ…美月に対しての“私の感覚”みたいなものが、美幸にも伝わり易くなるかな?
っていうのが、その理由の1つかな」
「美月さんに対する感覚、ですか…」
「…うん。『姉妹』って一言で言っても、そこは人それぞれだからね。
自分で言うのも何だけど…私の場合、ちょっとシスコンっぽいレベルでしょ?
だから、その発端と言うのか…切欠を知ってもらえたら、少しはその辺りの部分も
共感してもらえるのかなぁ…と思ったんだ」
先ほどとは別の意味で恥ずかしいのか…。
美咲は再び明後日の方向を向きながら、そう言った。
「でも、そっか…。
美月はあの当時、私のことをそういう風に思ってたんだね…。
ふふ…私も随分と美化されたもんだ。
実際には、葬儀の準備の大半は、おじさん達が手配してくれてたのにさ。
それに、この性格だって…今となっては気楽に過ごせるから、気に入ってるし。
“奪った”だとか、別にそんなんじゃないんだけどな…」
「それは美月さんの立場から見れば、そういう風に見えてしまうものなんじゃない
でしょうか?」
「あ、あー…そう言われると、私にはもう何も言えないね。
確かに逆の立場だったら、私もそういう風に思いつめちゃうだろうし…」
美咲が『逆の立場だったら』と自分に置き換えて、すぐに共感しているのを見た
美幸は、“本当に仲の良い姉妹なのだな”と再確認する。
『自分以外の人間の立場になって考える』ということは、実はとても難しい。
それを瞬時に置き換えて結論を出せるのは、相手を理解出来ているからこそだ。
…それだけ、美月に対する美咲の想いが強いのだろう。
「…でもさ、本当に美月は何も気にしなくても良いんだよ。
高槻君のことだってさ…ついさっき話した美幸のコードの件で、自分でも驚くほど
気にせずに居られるようになったんだから」
「そうは言っても、全く気にしていない…というわけでもなかったのでしょう?
あくまでも、気を紛らわせるようになった、というだけですし。
美月さんは、きっとそういった誤魔化しきれなかった部分…ちょっとした“何か”に
気付いていたんでしょう」
「誤魔化しきれなかった部分、ねぇ…」
「…ええ。分かりやすいところで言えば、その“呼び方”でしょうか?」
美幸のその指摘に、美咲は『これは痛いところを突かれたなぁ…』といった表情
をしてみせた。
「ふふっ…。やっぱり、美幸には気付かれてたか…」
「…ええ。美月さんにその件を教わって、改めて少し記憶を辿って確認してみたの
ですが……その時に」
「あはは……そっか」
「だって、美咲さん…身近な人はみんな名前で呼んでいるじゃないですか。
それなのに、隆幸さんだけがずっと名字に敬称付けなんですから…。
注意しながら思い返せば、誰だってすぐに気が付きますよ。
それに、あの美咲さんが大学の後輩を相手にそんな風に丁寧な対応なのは―――
…よく考えてみれば、もの凄くおかしいことですからね」
「いや…『あの美咲さん』って…。
ねぇ…美幸の中で、私は一体どういう印象なの?」
「色々な意味で、“遠慮”というものを人生の途中で落として、それを見失ったまま
生きてきてしまった人物…といったところでしょうか?」
さも当たり前のことを言うように、自然な様子ですらすらとそう答える美幸に、
美咲は何とも言えない渋い顔をする。
「あの~…美幸? 私は今、とっても心が痛いんだけれど?」
「そうですか?
ふふっ……ですが、これも私からの仕返しですからね。
美咲さんは、我慢していて下さい」
「…はい? これも“仕返し”?
……私、これに関することで美幸に何かしでかしてたっけ?」
美幸のその回答に、今度は本気で不思議そうにする美咲。
そんな美咲に、美幸は『しょうがないなぁ…』という表情で種明かしをする。
「ええ、しでかしていますよ。
美咲さん、私が起動した当初は、滅多に『美幸』って名前では呼んでくれなかった
じゃないですか…。
大体の場合、私と話す時には『君』っていう二人称で呼んでいましたよ?」
「…………あ」
指摘されて、初めて気が付いたのか…。
忘れものを不意に思い出したような顔で、美咲は美幸に謝る。
「あ~…それは何と言うか……うん、ゴメンナサイ」
美咲のその素直な謝罪を受けて、美幸は少しばかり拗ねたような表情を浮かべて
続けて言った。
「あれはあれで、ちょっと寂しかったんですからね?
せっかく素敵な名前を頂けたと思って、喜んでいたのに、自分の生みの親…しかも
その中心人物の方にだけ、ほとんど呼んでもらえないなんて…。
しかも、美月さん達は普通に呼んでくれていましたから、余計に気になって…。
私、当時は美咲さんに嫌われているんじゃないかと不安になっていたんですよ?
…まぁ、少ししたらきちんと『美幸』と呼んでもらえるようになったので、それは
良かったんですけれど」
「あはは…それは本当に申し訳なかったね。
まぁ…それについての理由も、さっきの話の通りさ。
美月と高槻君の顔がちらつくから『美幸』っていう名前を呼ぶのに、ちょっとだけ
抵抗があったんだよ」
「一応、確認しておきますが…それが途中で『君』から『美幸』に変わったのは、
正式に娘として認めてもらえたから…なんですよね?」
今度は美幸が、少し拗ねたような顔をしながら美咲に尋ねる。
すると、美咲はニカッと明るい笑顔を浮かべながら答えた。
「それは、初めからきちんと娘だと、そう思っていたよ? 本当に。
…ただ単純に、個人的に踏ん切りがつかなかったっていうだけの話さ」
「…それでしたら、良いんですけれど。
てっきり、私は『家族とは名ばかりのものなのでは?』と疑っていたので」
「ぐ………美幸も、随分と辛辣なことを言うようになったね?」
「『美咲さんには率直に、且つ厳しく』と、美月さんに習いましたから」
「むぅ……そういえばそうだったよ。
…あの純真無垢な美幸を、ここまでのキャラに育て上げるとは…。
美月め…我が妹ながら恐ろしいヤツだ」
美月の澄ました顔を思い浮かべているのだろう。
美咲は渋い顔をしながらも、口元だけでニヤリと笑う。
…しかし、再び真剣な表情になった美咲は、美幸に目を合わせて続けた。
「…でも、私相手にここまで言えるくらいに心が強くなったから、さっきの葬儀
の時の話が出来たんだけどね…」
「…どういうことでしょう?」
「さっき『理由の1つ』って言ってただろう? もうひとつの理由がそれさ」
美咲はそこまで言うと、視線を美幸から外して遠くの海へと移した。
「本当はもっと早く…それこそ、可能なら起動した直後に話して聞かせたかった
くらいなんだけれどさ。
あの頃の純真な美幸に、突然あんなことを話したら、私のまだ見ぬ私の親戚達を
必要以上に嫌っちゃったりしそうだったからね…。
まぁ…それだけならまだ良いんだけれど…。
それを切欠にして、いつか遥ちゃんが言っていたように、それこそ人間そのもの
を嫌いになられたりなんかしたら…私も悲しいし。
だから、美幸が色々な物事を経験して、心が成長していって…。
あの親戚共の話を聞いても『まぁ…世の中にはそういう人も居るものだから』って
冷静に受け止められる土台が出来るまで、待つことにしたんだよ」
「…それが、今…なんですか?」
「…うん。それに、ちょうど良いのかな? とも思っててさ。
美幸は、もちろん起動した時から私達3人の娘だったけれど…。
私も美月も、どこか美幸を妹みたいに思っているようなところもあるでしょ?
その上、最近では遂に本当に“義妹”として世間に知られるようになったんだし…
だから、ある意味では私達姉妹の“原点”というか…転機になった出来事を、この
機会に美幸にも知っていてもらいたかったんだよ」
「………そうですか」
そう短く返すと、美幸も美咲に倣って、無言で海をぼんやりと眺める。
不意に温かい空気が、2人の頬をくすぐる…。
初夏の潮風が緩やかに吹き抜けると、それはとても心地良く感じられた―――。




