幕間 その24 MI-STY
個体識別コード。
美幸にとってそれは、あくまで書類上で見かける程度のものであり、美幸自身は
ほとんど口にしないものだった。
しかし、だからといって嫌いというわけでもない。
何故なら、そのコードにも美咲達の愛情がしっかりと反映されていたからだ。
「隆幸さんに由来を聞いた時に、何となく判っていたんですが…。
私のコードは『美幸』っていう名前が決まってから付けられたんですよね?」
それは『Y』の文字に『幸』の意味があると聞いた時に、美幸も気付いていた。
『美幸』という名前が先に無ければ、意味を込めること自体が出来ないからだ。
「…ん? ああ、そうだよ。
そもそも研究が始まった当初は、簡単に『プロトタイプ』って呼んでいたからね。
一定以上の研究が進んだ時に、書類上の名前もやはり必要だってことになって…。
そこで改めて、正式なコードを付けようって話になったんだよ」
「へぇ…やはりそうなんですか。…でも、何だか珍しい流れですよね」
美幸の感覚では、プロジェクトが始動する以前にそういったコードは付けるもの
だと思っていたのだが、自分の場合はそうではなかったらしい。
「そうなんだよ。
まぁ、私としては『美幸』って名前さえ付けられれば、満足だったんだけどね。
でも…いざ付けるってなったら『H-01』とか『PA-01』だとか、いかにも
“工業製品”って感じの名前の案ばっかりでさ…。
確かに識別は出来るだろうけど、なんか可愛くないから全部却下してやったよ」
「クスッ…それなのに、MIシリーズには『MI-01』なんですね?」
「それは…しょうがないだろう?
彼女達には悪いけれど、販売を視野に入れたアンドロイドのコード名にまで口出し
出来ないからね…」
実際には、しようと思えば十分に口出しくらいは出来たのだろうが…正直な話を
するなら、美咲にとって彼女達のコード名はさほど重要ではなかったのだ。
逆に言うなら、そこまで口出しするほどには、美幸のコードは重要視していた…
ということなのだが。
「その点、『MI-STY』は良いコードだろう?
日本語的に読むと『ミスティ』ってなって、なんか可愛い響きだし」
「クスクスッ…可愛さ重視だったんですか?」
美咲の『工業製品のようで嫌』というのは、ひとえに美幸を家族として迎えよう
という心の表れだったのだろうが、基準になったのが“可愛らしさ”だったことに
美幸は笑いを堪え切れなかった。
普段の美咲のイメージには、全く合わなかったからだ。
「…何となく、美幸の言いたいことは判るけど…。
私のコードじゃなく、あくまでも美幸のコードの話だからね…。
自分のキャラじゃないとか、そういうのを気にして後悔したくなかったんだよ。
ただでさえ以前の美幸のボディは15、6歳当時の美月のものだったんだから、
それにふさわしい可愛いものにしたかったのさ」
「それじゃあ…ふふっ。今の私の容姿に『ミスティ』は合わないんですか?」
「う~ん…そうだね…。
もっと私を甘やかしてくれるような、昔の美幸みたいな態度に戻ってくれたら
もしかしたら似合ってるかもね?」
「へぇ…それは残念ですね。
それでは私は、もうコード名に似合う女性にはなれそうもありません」
澄ました顔でそう答える美幸に、美咲は小さい声で『ちぇっ…ダメか』と呟く。
しかし、言葉とは裏腹に美咲はとても嬉しそうでもあった。
…今の美幸も、これはこれで気に入っているらしい。
「さてと、ここからがさっき言ってた『残りの半分』なんだけど…」
「はい。聞かせてくれますか?」
「うん」
美幸は落ち着いた様子で尋ねていたが、内心ではワクワクしていた。
誰もが自分の名前を付けた理由を親から聞かされる瞬間というものには、心躍る
ことだろう。美幸もそれは例外ではないようだった。
「まずは、既に美幸も気付いているだろうものからいこうか。
『Y』の部分には『幸』と同時に『雪』…つまり、母さんの名前である『美雪』の
意味も含まれているんだ」
「やはりそうでしたか」
これは美咲の言う通り、美幸の予想の範疇だった。
そもそも漢字が違うというだけで読みは全く同じなのだから、当たり前といえば
当たり前だろう。
「うん。確かに、AIは私達の研究チームが開発した物だよ?
でも、私みたいな新米が提案した企画がこんなにあっさり通ったのには、やっぱり
母さん達の功績も大きかったからね。
『あの原田美雪の娘』っていう言葉に、どれだけ影響力があったか…。
娘ながら想像以上でね。…本当、当時は驚かされたものだよ」
研究所内だけでなく、国からの研究の認可がすぐに下りたのは、実はその影響が
最も強かったらしい。
長期間に及ぶ開発計画、それに伴う多額の研究費。
そういったものを投資する価値を見出されたのは、やはり母の名という“前例”が
既にあったからだった。
「だから、開発者の名前から取るのなら、母さんの名前も入れないと…って。
私達の後ろにある『Y』って文字が母さんってことにすればさ、後ろから見守って
くれているようにも感じられて…。
私としても、とても心強かったんだ」
「………」
美咲のその言葉に、美幸は無言で感動すると同時に、少しだけ驚いてもいた。
美幸の印象では、昔から美咲は(少なくとも研究については)自信満々に突き
進んでいるように感じられていた。
そんな美咲が『心強かった』と口にしたのだ。
その一言から、美咲もこの美幸に関する研究について、迷いや不安を抱きながら
やってきていたのだ、ということを察することが出来てしまったからだった。
そんな美咲の意外な一面に美幸が驚く中、美咲はそれ以上深くその話題に触れる
こともせず、もう一つの込められた想いの話をし始めた。
…まるで美幸が察したことに気付いて、それを誤魔化すかのように。
「それから、次の理由だけど…。
英語の『misty』って単語には『霧の深い』って意味があってね。
このプロジェクトが、目指すものは分かっていても、企画段階ではどういう結果を
もたらすのかまではっきり分からなかったってことで…。
それで、ちょうど良いかな? って思ったんだよ」
「ちょうど良い…ですか? でもそれは、何と言うか…」
一旦、頭を切り替えて再び美咲の話に耳を傾けていた美幸は、そこで少し疑問を
感じた。
意味自体は通るが…ここまで聞く分には、その“霧が深い”という部分は、明るい
印象とは言えない。
…どちらかというと“先が見えない”という、マイナスのイメージが浮かぶ言葉だ。
ここまで前向きな理由ばかりだったこともあり、そこに違和感があった。
「…美幸のコードはさ、『MI』と『STY』で別れてるだろう?」
「え? ええ、そうですね」
「『Mission Impossible』。
海外の映画のタイトルなんかでも有名な言葉なんだけどね?
日本語の意味としては『困難な任務』っていうものになる。
このAI開発は『アンドロイドに人の心を持たせる』という、まさに困難な任務
そのものだったからね。
そんな困難にも『STY』…つまり『美咲、美月、美幸』の3姉妹が一緒になって
挑めば、負けずにその深い霧も晴らせるっていう願いも込められているんだよ」
「はぁ…そんな意味が隠されていたんですね…」
この言葉に込められた意味合いは、流石に美幸も予想外のものだったため、素直
に感心した声が漏れた。
記号を含めてもたった6文字の個体識別コードに、こんなに多くの意味や想いが
隠されていたとは知らなかった。
「…というのが、表向きの主なコードの秘密だね」
「………え?」
感心して、同時に感動もしていた美幸は…その美咲の『表向きは』という言葉で
急に現実へと引き戻されてしまった。
…しかし、美咲の方も思わず『しまった!』という表情を浮かべている。
先ほどの『表向きは』という言葉は、無意識につい出てしまっただけらしい。
「…美咲さん?」
「ちょ、ちょっと美幸!? そんな怖い顔しないでよ!
今回のは、別にからかっていたわけじゃないんだって!!」
素直にコードの由来を聞き、その話に感動していたことが逆に腹立たしくなった
美幸は、目を細めた鋭い視線で美咲をじっと見つめる…。
そんな美幸に対し、美咲の方は焦った様子で更に言葉を付け足した。
「別に適当に話してたわけじゃなくて、今、話した内容も本当なんだって!
ただ、私的にはまだもう一つ大きな意味があったっていうだけの話なんだよ!」
「…もう1つの意味?」
「…そうさ。むしろ私としてはそれがメインっていうか……まぁ、何と言うか…」
視線の鋭さは緩めず、問い詰めるような雰囲気で短くそう聞き返す美幸。
しかし、美咲は滅多に見せない、奇妙な反応を返してきた。
…微妙に言い辛そうにしながら、そのまま黙り込んでしまったのだ。
「……………」
そんな様子の美咲に、美幸は更に美咲の目の奥を覗き見て、その感情を詳しく
探ってみることにした。
平常時には読み取り辛い美咲だったが、こういった焦ったタイミングでは割と
素直な感情がその瞳に宿ることが多かったからだ。
「……………?」
だが、美幸が見極めたその時の美咲の感情は、微妙に色々な感情が混ざり合って
いて、はっきりとしなかった。
しかも、気不味いというよりも、どこか照れくさそうな…そんな色が強く見えた
ために、自らのコードの話題で美咲がその感情を持つ理由に心当たりが無い美幸は
少し反応に困る事態になってしまう。
そんな無言の時間に終止符を打ったのは、何かを諦めたような美咲の『はぁ…』
という、深いため息だった。
「…まぁ、美幸になら良いかな。…いい加減、もう時効だろうし。
美月本人も私の想いには、当時から既に気付いていただろうからね…」
「…美月さん、ですか?」
突然、飛び出してきた美月の名前に一瞬で毒気を抜かれた美幸は、今度は不思議
そうな表情を浮かべる。
そうして、空気が弛緩して美幸の表情が厳しいものではなくなったタイミングを
見計らって、美咲は急に身を乗り出すと、美幸に自分の顔を近づけて、囁くような
小さな声で言った。
「それじゃあ、美幸にだけは最後の隠された意味も、今から教えてあげるけれど…
皆には、絶対に内緒だよ?」
「…もしも他の方に言ったら…どうしますか?」
「…泣くね。もうマジ泣きしてやる。『美幸、酷い!』って言って」
そう即答する美咲の顔は、至極真剣なものだった。
この分だと美幸が他言したなら、本当に本気で泣き出しそうだ。
話の流れから推察すると、恐らく個人的な思い入れのようなものなのだろうが…
その真剣な表情から察するに、それだけ美咲にとっては重要なのだろう。
美幸にはその内容はまるで想像がつかなかったが…とりあえずは最重要事項を
聞くようなつもりで、深く頷いて返すことにした。
「…分かりました。内緒にします。誰にも言いません」
「信じるからね? 本当、頼むからね?」
「はい。約束です」
美咲にとっては余程、重要な秘密なのだろう。
再度、そう念を押した後、美咲は分かりやすいように落ちていた木の枝で砂浜に
その文字列を書きながら、美幸のコードに秘められた最後の意味を話し始めた。
「私にとってはね? 『MI-STY』じゃなくて『MIS-TY』なんだ」




