幕間 その22 『AI』とは
「あれ? 美咲ちゃん? 確か…今日ってお休みじゃなかった?」
「ん~? まぁね。ちょっと…さ」
そう真知子に答える美咲の格好は、白衣ではなく私服のままだ。
その格好からして当人が言う通り、休暇には違いないのだろうが…ちょっとした
用件でも一応は白衣を着てから訪ねて来ることが多い美咲にしては珍しい。
ましてや、ここは真知子の管轄するボディ開発の部門。
今や所長という立場となった美咲が、休暇とはいえ正式な用件で訪れたのならば、
そういった部分を軽視しない(というより美月がさせてくれない)はずなので、美咲
としてはありえないことだった。
「ええっと…誰か探してるの? 美幸ちゃんなら、今日は来ていないわよ?」
そんな着替えすらも面倒に思ってやって来て、返答もそこそこにキョロキョロと
室内を見回している美咲に、急ぎで誰かを探しているのだろう…と当たりをつけた
真知子がそう尋ねる。
「あ、あ~…ゴメンゴメン。今日、用事があるのは美幸じゃなくてさ。
ちょっとだけ気になってることがあってね。
あの最近入った笹村さんっていう子、今は何処に居るのかな~…って」
「ああ…沙織ちゃんのこと? 彼女なら今ちょっと出てて…。
…あ、ちょうど帰って来たわ。
沙織ちゃん! ちょっと今、時間良いかしら!」
少し離れたところでこちらに向かって歩いて来ていた若い女性が、真知子の声に
反応して『はい!』と答えながら、早歩きでこちらにやって来る。
「はい、乾室長…って……え? 原田所長まで…。
あの~…私、何かやらかしましたか?」
美咲達の反応を窺いつつも必死で記憶を探っているのだろう…。
視線を右往左往させながら済まなさそうにしている様子は、どこか小動物っぽい
印象を受ける…。見るからに人が良さそうな人物だ。
「あ…そういえば、用件までは聞いてなかったわね。
美咲ちゃん、何か彼女に問題があったなら、私も一緒に聞くけれど…どう?」
「あ~…いや、別に悪いことってわけじゃなくてさ。
ちょっと聞きたいことが出来たんで、探してただけなんだよ」
美咲のその発言を聞いて、沙織は目に見えてホッとした様子だった。
…よくよく考えてみると、彼女からしてみれば直属の上司と最高責任者に名指しで
呼ばれたのだ。
数年もすれば問題ないのだろうが…今年入ったばかりの彼女は、美咲のキャラを
まだ知らないのだろうし、気軽に声を掛けられれば緊張もするだろう。
「突然で驚かせてゴメンね?
ちょっと笹村さんが以前に言っていた、一緒に暮らしてるっていうアンドロイドに
ついて、いくつか聞きたいことがあってさ。
ええっと、その子の名前って『香澄』で合ってるかな?」
「え? ええ、そうですが…どうして香澄さんの名前が…?」
緊張は多少解れたようだが…今度は突然、美咲の口からその名前を聞いたことで
不安になったのだろう。沙織は再びその表情を曇らせた。
「あ、別にその子に何か問題があるとか、そういうのじゃないから…安心して?
実は、さっきここに来る途中で彼女を見かけたんだけれど―――」
そう言って、美咲は先ほどの出来事をかいつまんで沙織に説明する。
すると、最初は不安そうだった沙織も、美咲の目撃した出来事の話が終わる頃には
微笑みを浮かべていた。
「…そうですか。香澄さん、相変わらずお人好しだなぁ…」
「ふふっ…そうだね。
私も、見ていて心が温かくなった気がしたよ。良い子だね…あの子は」
「はい。私自身も香澄さんには中学生くらいの頃から忙しい両親の代わりに色々と
お世話してもらっていて…。
…私にとっては、香澄さんは自慢のお姉さんみたいな存在なんです」
「…そっか」
そう答える沙織は、とても温かな…優しい表情をしていた。
相当、大事に思っているのだろう。
その顔を見るだけで、大切さがこちらにも伝わってくるようだった。
「…ところでさ、その時にちょっと疑問に思ったんだけれど…彼女はどういう指示
を受けてるのかなぁ…と思ってさ。
アンドロイドが自ら提案した申し出を人間にはっきり断られたら、通常なら素直に
引き下がると思うんだけど…」
「ああ、なるほど…。そういうことですか」
ようやく“合点がいった”という様子で、沙織は一つ頷いた。
自分の家族のアンドロイドが人助けをしていたことに、何か問題でもあったの
だろうか? と思っていたのだが、そういうことか…と。
「それなら簡単です。
マスターである父に『大切なことだと思ったら、簡単に引き下がらないでくれ』と
言われているんです」
「…え? それは……」
沙織の返答を聞いた美咲は、思わずどこか気の毒そうな表情を浮かべる。
「ふふ…そうですね。
きっと香澄さんにとっては、とても難しい指示だったのでしょうね…」
美咲の顔から、言いたいことを察した沙織は、少し困った顔でそう答えた。
基本的に人間に対して忠実であることを求められて、あらかじめプログラミング
を調整されているアンドロイドが『自分の判断で“必要だ”と思えば、押し通せ』と
言われるのは、難しいことのはずだ。
勿論、非常時や理不尽な指示には従わないように対策されてはいる。
『ここを動くな』と指示された際、突然、事故などで人間に危険が迫った場合にも
その指示に頑なに従って動けなければ、その人が大怪我を負ってしまう結果になる
だろう。
それに、何も考えずにあらゆる指示に無条件で従うとなると、今度は犯罪などに
利用される危険性も出てくるからだ。
ただ、そういった意味での“緊急時の対応”は幾つか例外として設定がされている
ものの、そのケースに含まれない場面では、あくまでも人間のサポート役としての
立場である以上は、基本的に逆らわないようにされていた。
これも一般に販売されるアンドロイドに施されている“調整”の1つだった。
「…ですが、香澄さんは少しずつ…探り探りではありましたが、ずっと諦めずに…
『私のために』と、頑張ってくれたんです」
「ん? 君のために?」
「…はい。そもそも、父が香澄さんにその指示を出したのは私のためなんです。
当時の香澄さんのメインの仕事は、私の身の回りのお世話…。
もっと言えば、私とコミュニケーションを取ることだったんです。
…仕事で忙しい両親の代わりに」
美咲は心の中で『なるほど…』と呟いた。
立場にこそ若干の違いがあるが、要はこの笹村さんと彼女…香澄さんは佳祥君と
美幸のようなものだったのか、と理解した。
それなら沙織が自然に『家族』と言っていたのも頷ける話だ。
「でも、その当時の私は中学生になったばかりでして…。
思春期真っ盛りの娘に突然、世話役のアンドロイドをあてがわれても…」
「あ~…うん。ご両親を否定するつもりはないけれど…。
それは確かに、微妙な気持ちになるかな…」
佳祥のように物心つく前から共に居たのなら話は別だが、中学生になったばかり
の子供にそれは、少々問題だろう。
取り方によっては『お前の相手などアンドロイドで十分だ』と判断された…とも
考えられる。
美咲がそのまま思ったことを沙織に伝えると、沙織もその当時を思い出したのか
苦笑しながら頷いた。
「そうなんです。反抗期だった私は、所長が今おっしゃっていた通り…。
両親が、香澄さんに私を押し付けたんだ…って思いました。
だから『誰が仲良くなんてなるもんか』って、勝手に思ってしまって…。
初めは香澄さんには辛く当たってしまっていたんです」
「それは、まぁ…うん。仕方ないよね…」
「だから、そんな私の態度を見た父が、香澄さんに言ったそうなんです。
『娘は気難しい年頃だから、君には何でも反抗してくることだろう。あれくらいの
子は心の内では同意したくても、つい、勢いで否定してしまう…ということもある
らしいんだよ。だから、君にはすぐに諦めないで欲しいんだ。それが大切なことだ
と思ったら、簡単に引き下がらないでくれ。そして、その基準はこれから君が自分
自身で判断していくんだ』…ってね。
本当…随分、身勝手な命令ですよね…。
親である自分でも判断出来ないのに、家に来て間もない香澄さんには出来るように
なれだなんて…」
「へぇ…そういうことか…。それなら確かに食い下がれる…か?」
恐らくその香澄さんは“相手のためになるかどうか”ということを判断基準にして
発動する『緊急時の命令無視』の機能のレベルを極端に引き下げたのだろう。
確かに、登録されているマスターからの勅命だということなら、その優先順位は
最優先になる。
…しかし、本来はそういった基準値の調整はアンドロイド自身の判断だけでは変更
出来ないようになっているはずなのだが…。
香澄が一般向けの最初期のモデルだということもある。
…恐らく、これは何らかの“バグ”の一種なのだろう。
そんな美咲の見解を聞いた沙織は、緊張した面持ちで尋ねる。
「バグ…ですか…。
それじゃ、次のメンテナンスで調整とかされちゃうんでしょうか!?
あ、あの! 香澄さんは悪い人じゃないんです!!」
「え? 調整? あ~…それはないよ。
君の話を聞く限り、今までも特に問題はなかったんだろうし…。
ただの不具合…って言うのも、この場合は少し違うしね」
焦って声を大きくする沙織に、適当にすら思えるような口調で軽く答える美咲。
そして、そんな美咲に続くように、真知子も沙織を安心させるために声を掛ける。
「大丈夫よ、沙織ちゃん。
美咲ちゃんに限って、そういう指示は出さないわ。
そもそも、それが駄目なら美幸ちゃんはどうなるのよ。
判断基準の制限なんてほぼ全く掛かってないのに、起動してから今まで、調整なんて
一度もしたことないんだから」
「あ……そう言われてみれば、そうですね…」
一般販売モデルとは、目的自体が全く違うとはいえ、美幸もアンドロイドだ。
それでも、美幸が由利子の葬儀で取り乱した件などを経ても、この20年以上、
全く調整を施されていないというのは、この研究所内では有名な話だった。
そう考えれば、危険な思考に傾きがちではないのなら、香澄のその“不具合”は、
美咲からすれば問題は無いのだろう。
「まぁ、これが初期段階…起動直後に発覚したものならわからなかったけれど…。
笹村さんのところの香澄さんの場合は、もう10数年間もそのままで稼動し続けて
いるんだろう?」
「はい。先ほどもお伝えした通り、初めは香澄さんも探り探りだったようですが…
今はその判断も十分に信用できるくらいにはなっています」
本当に大切な存在なのだろう。
香澄の信頼度の高さを主張する沙織は、まだどこか必死そうに見えた。
「ああ。そこは大丈夫さ。
私もついさっき、この目でその香澄さんの対応を直に見てきたからね。
…あれなら、全く問題は無いよ」
「そうですか…。よかった…」
所長である美咲に太鼓判を押されて、やっと沙織はホッと胸を撫で下ろす。
そんな沙織の様子を微笑ましく思いながら、美咲はその沙織に続けて言った。
「むしろ、私はその香澄さんにはお礼を言いたいくらいだよ」
「お礼…ですか?」
「うん。AI研究なんてしてるのに、すっかり忘れるところだったよ。
『AI』とは、つまり人工の『脳』なんだ。
プログラミングをただこなすだけじゃなくて、自分の経験から『学んで成長』して
いくものなんだ…って再確認出来た。
…今日、香澄さんがお婆さんを助ける方が良いと判断出来たのは、きっと沙織さん
との生活で“成長”した、その結果なんだろうからね」
「…はい。香澄さんは私にとって、優しくて時には厳しい…理想の姉なんです」
「…そっか」
素っ気無く一言そう答える美咲のその声は、しかしとても温かい声色だった。




