第11話 音楽室の彼女
「えっ? 富吉さん? う~ん……多分、音楽室じゃないかな~?」
翌日、美幸はクラスメイトの一人である山本莉緒に、例の『富吉さん』の行方を
尋ねていた。
今朝は、もうホームルームにすら現れなかったためだ。
「音楽室……ですか?」
「そうそう。ウチって出席甘いから。
特に、何がしかの結果を出してる人には」
莉緒はそう言って、にこやかに教えてくれた。
彼女は昨日、美幸に率先して質問してきていた人物の一人だった。
そのコミュニケーション能力の高さから、顔も広く、学校の内外問わずの情報通
なのだそうだ。
かといって口が軽いというわけでもないそうで、信頼もできるらしい。
そういう事もあって、『わからないことあったら、とりあえず莉緒に』と、他の
クラスメイト達から、知りたい事がある時はまずは莉緒を頼るようにとアドバイス
されていたのだ。
「ほら……ウチって芸能関係とか、学生以外にも仕事してる人が多いでしょ?
だから、そういう特殊な生徒に限っては定期テストでの成績が一定以上なら、出席
はほとんど考慮されない決まりがあるんだ。
特に、富吉さんみたいに専門の分野で何かしらの結果を残してたりした場合、更に
その辺が甘いんだよ。
流石に昼間から制服で遊び歩かれたりしたら学校の評判も悪くなるから、素行とか
の基本的な部分は大事なんだけどね?
出席自体はホームルームの時間帯からお昼まで校内に居れば、別に授業出なくても
出席扱いになる……っていうシステムなの。
『カード持ち』って言って、それ専用のタイムカードをもらってるらしいよ?
ほら、朝の登校とかで入口でピッってやってる人、原田さんも見たことない?」
確かに登校時に一部の生徒はタイムカードのようなものを持っていて、玄関口で
機械に通していたように思う。
莉緒の話によると、女子校ということもあって安全のために正門を含めて出入口
のセキュリティがかなり厳しいものらしく、誰にも見咎められずに出入りするのは
ほぼ不可能らしい。
そういう事情もあって、そのタイムカードに外出記録が無ければ、それが午前中
に校内に居た事の証明にもなるとの事だった。
「多いって言っても全体の1割も居ないんだけど、確か富吉さんはそのカード持ち
だったはずだから、きっと音楽室でピアノでも弾いてるんじゃないかな?
前にそういう噂、聞いたことあるしね。
噂通りなら、多分だけど午前中はずっとそこだと思うよ。
…ここの音楽の先生ってけっこう忙しい人らしくてさ、授業も午後からしか入って
ないから、部屋自体は午前中はずっと空いてるんだよ」
そう教えてくれた莉緒は『いいよね~? 私もカード持ちになりたーい』と机に
突っ伏しながらボヤいていた。
「ありがとうございます、莉緒さん。
それでは、早速、今日のお昼にでも訪ねてみますね?」
そう美幸がお礼を言うと、莉緒はスッと美幸に近づいて耳打ちしてきた。
「美幸ちゃんが富吉さんと仲良くなったらさ、私にも紹介してね?
私も一応クラスメイトだから、出来るなら色々と話とかしてみたいし」
そう言った莉緒の顔を見ると、イタズラっぽくニカッと笑っていた。
このなんとも言えない人懐っこさが、クラスメイト達からの信頼に繋がっているの
だろう。
その後、『あー! 莉緒ずるい! 一人だけで美幸ちゃんと仲良くしてる!』と
いう声で、美幸はまた昨日と同じように皆に囲まれてしまった。
…ただ、昨日と違う所は、皆の呼び方が“原田さん”から“美幸ちゃん”に変わって
いた事と、昨日はあった物理的な距離が、ほぼ無くなっている事だった。
昨日、不意に放たれた『なんだか寂しいので、あまり遠慮しないでください』と
いう美幸の発言に対して、莉緒が『かわいい!』と、いきなり抱き付いてきた事を
切欠に、一気にクラスメイトとの距離が縮まっていたのだ。
莉緒曰く、『初めは綺麗過ぎるから近寄り難かったんだけど…美月さんの写真を
見てから、なんか急に大丈夫になった』とのこと……。
その台詞を聞いて、その場に居なくても自分を助けてくれた優しい家族に美幸は
心の中で感謝した。
そして同時に、アンドロイドである自分と全く気兼ねすることなく接してくれる
優しいクラスメイト達の温かさにも。
今日は皆にもみくちゃにされた美幸だったが……そんな中で、不意に思った。
アンドロイドの自分ですら、こうして温かく迎えてくれたクラスメイト達。
その中に、あの“富吉さん”を引っ張り込んで一緒に笑い合いたい……。
あの時見た横顔を、明るい笑顔にしてみたい、と。
昨日、美幸は研究所に帰った後、その日の出来事を報告する際に、美咲にこの事
を相談してみたのだが――
「…わかった。そういう動機なら、君の好きなようにしなよ。
万が一、それで何かあったら、こっちも全力でフォロ-するからさ。
確かに、それは君の独り善がりなエゴかも知れない。
…けどさ、私はそういうエゴは嫌いじゃないし。
だから、君なりにやりたいように、好きにやってみな。
但し、もし相手が本気で嫌がっていたら、その時は大人しく引き下がるんだよ?」
…と、そう言って応援してくれたのだ。
美幸にとって美月への感情が“憧れ”なら、美咲に対する感情は“尊敬”だ。
美咲は美幸達家族をからかって楽しむような所はあるが、本気で嫌がるような事
は決してしなかったし、いつも相手の事を考えて気遣っているような所があった。
“言葉遣いは荒っぽいけれど、人一倍、他人の心に敏感で優しい人”
美幸にとっての美咲とは、そういう人物だった。
そんな美咲が今回の件を応援してくれた事が、美幸にはとても嬉しかった。
美幸が起動してから、研究所でも、そして今いるこのクラスでも、出会った人達
の皆が自分と仲良くしてくれていた。
けれど、それは全て受動的であり、自分から能動的に“この人と仲良くなりたい”
と明確に思ったのは、美幸にとってはこれが初めての経験だった。
だからこそ、美幸はどうしても、その富吉さんと話をしてみたくなったのだ。
そうして美幸は、生まれて初めて自分から友達を作り、そして仲良くなる為に、
午前中の授業が終わってすぐの音楽室へと足を運ぶ事にしたのだった。
そして、ついに到着した……音楽室前。
教室が集中する箇所からは少し距離がある、特殊教室が並ぶ場所だからか、周囲は
休み時間とは思えないほどの静けさだった。
『♪~、♪♪~♪~……』
「…あれ? これは確か……『虹の海』?」
美幸がドアの前に立った時、その耳にピアノのメロディが流れ込んでくる。
コンクールで賞を獲った……というので、てっきりクラシックを弾いているもの
だとばかり思っていた美幸は、その流れてきた曲を意外に感じた。
『虹の海』とは、何でも美咲の両親の思い出の曲だったそうで、美幸も研究室で
原田姉妹と一緒に3人でよく聞いている曲だ。
…だが、それは当時流行ったポップソングであって、今で言うところの、いわゆる
“懐メロ”という類のものでもあった。
「♪~、♪♪~♪~……」
更に耳を済ませると、ピアノ以外にも微かに歌声のようなものも聞こえてくる。
恐らく、その富吉さんが歌っているのだろうが……音が微かに外れると、すぐに
演奏もストップして、また同じところから繰り返していた。
…ピアノの練習というより、それはむしろ弾き語りの個人練習と言った様子だ。
「…あの、失礼します……」
その後、曲が一段落した頃合で、美幸は思い切って音楽室のドアを開けてみた。
するとそこにはやはり、昨日見た横顔があった……やはり、富吉さんだ。
しかし、今の彼女はピアノの前ではなく、ちょうど鞄を手にしている所だった。
どうやら、ちょうど退室しようとしていた所らしい。
「…何か用?」
「! あ、あのっ……」
突然、問い掛けられた質問が自分に向けられたものだと一瞬遅れて気付いた美幸
は、慌てて言葉を続け、
「こ、こんにちは。私、原田美幸と申します。
昨日は、その……すぐ後ろで騒がしくしてしまって、ごめんなさい。
あの……これから、教室に向かわれるのですか?」
…と、少しドモリながらも、なんとか答えを返した。
「…やっぱり、綺麗な声ね」
「………えっ?」
「…いいえ、別に何でもないわ」
ぼそりと呟く声が微かに聞こえた気がして、反射的に聞き返す美幸。
…しかし、彼女はもう一度同じ事を言う気にはならなかったらしい。
「私はこれから家に帰るところよ。
だから、教室には行かないわ。
あと、昨日の事は別にあなた達が悪いわけじゃないし、気にしないで良いわよ」
表情を変えないまま荷物を整え、淡々と答えるその雰囲気は、やはり人間という
よりアンドロイドに近い印象だった。
ただそれは、こちらを嫌っているというよりも、あまり興味を示していない、と
いった雰囲気だ。
「…ありがとうございます。そう言って頂けると、助かります。
ですが、騒がしかったのは事実ですし……以後、気を付けるようにしますね」
「…律儀ね。
仮に私が腹を立てているにしても、別にあなたの所為でもないでしょうに。
…ええ、その気持ちは受け取っておくわ。わざわざ、ありがとう」
あくまでも無表情のままでそう答え返した彼女は、そのまま立ち去ろうとする。
…が、美幸はその背中に慌てて声をかけた。
「あ、あのっ!」
「? 何かしら? まだ私に何か用があるの?」
拒絶しているとも取れそうなその返答は、しかし、どこか無感情だった。
嫌いだから冷たいというより、ただ“呼ばれたから立ち止まっただけ”という反応。
だが、先ほどから彼女はこちらの言葉にはきちんと返答してくれているし、呼び
かければ、大げさに振り返りこそしないが、立ち止まって耳を傾けてはくれる。
…一見すると反応こそ冷淡そのものだったが、美幸にはそんな彼女がそこまで悪い
人間には思えなかった。
「私、実は少し富吉さんとお話がしてみたくて……。
その……先ほどの曲は『虹の海』ですよね?」
緊張して言葉を詰まらせながらも、なんとか自分の意思を伝える、美幸。
そんな中、相変わらず無反応でその話を聞いている中で『虹の海』という単語が
出た瞬間に、ピクリと彼女の背中が僅かに反応を示した。
「…わかったわ。
ただ、話をするのは構わないけれど、とりあえず先ずはここを出ましょう?
…ここも、すぐにまた騒がしくなるでしょうし」
そう言うと、ようやくゆっくりと彼女は美幸を振り返った。
ここにきて初めて、美幸と“富吉さん”は、はっきりと正面から目が合った。
…その静かな瞳には、やはり特にこちらに敵意があるようには見えない。
そして――彼女は事務的な口調で端的にこう言った。
「…あと、私のことは遥で良いわ」
音楽室を出た二人は、屋上に行くことにした。
最近では、事故防止のために屋上への立ち入りを禁止している学校も多かったが、
この学校では4メートル近い強固で高い柵を設置する事で安全を確保し、生徒の
立ち入りを許可していた。
あちらこちらに設置された花壇には様々な花も植えられており、ベンチも設置
されていて、ちょっとした公園のようなその空間は静かで落ち着いた雰囲気だ。
特に今頃の季節はちょうど良い気温で居心地も良く、昼食時にはここで食事を
取る生徒も少なくない。
しかし、今は昼休みも終わる直前ということもあり、人はほとんど居なかった。
遥と同じ“カード持ち”の生徒が2、3人寛いでいるという程度だ。
「そういえば、ここまで連れて来て何だけれど……あなた、授業の方は良いの?」
そう尋ねる遥に、美幸は笑顔で答える。
「はい。先ほど家族には連絡しておきましたので……そちらは大丈夫です」
トラブルの防止のため、美幸が授業に出ていなかった場合は、速やかに研究室に
連絡されるようになっている。
そのため、美幸はここまでの移動中に、既に美咲にメールしておいたのだ。
「…そうなの。それで?」
『話って何?』といった目で遥は美幸を見つめてくる。
だが、『友達になりたい』という事以外に、これといった話があるわけではない
美幸は、率直にその内容を伝えるしかない。
「はい。あの……私、クラスの方達にとても良くして頂いていて……。
それで、遥さんともお友達になりたいな、と思ったんです。
だから、お昼までは音楽室にいらっしゃると聞いて、訪ねさせていただきました」
遥の昨日の態度もあって、美幸は『もしかしたら、遥さんは他人に干渉されたく
ないタイプの人なのでは?』と考えていた。
だからもし、自分が近づく事で遥が迷惑するのならば潔く諦めようと思い、美幸
は単刀直入に用件を切り出そうと決めていたのだ。
「お友達……ね。
別に、それは構わないけれど……あなた、変わってるのね。
普通、あんな態度されたら、誰だって引くと思うわ」
遥は少し以外そうな目で美幸を見ていた。
変化こそ少ないが、全く表情が変わらないというわけではないらしい。
「いえ、あれは私が悪かったと思いますので……。
皆さんと話すにしても、もう少し席から離れていれば良かったです」
美幸は『次の授業が始まるまでは、席から立って教室の後ろにでも行っておけば
良かったのに』と言って、もう一度改めて謝罪した。
「…ああ、そうよね……普通はそういう勘違いをしてしまうものよね。
あのね? さっきも音楽室で言ったけれど、本当にあれは私の個人的な問題なの」
「個人的……ですか?」
「えぇ、そうよ。『絶対音感』って、わかる?」
美幸は即座にデータベースで検索して、その単語の意味を瞬時に理解した。
「…はい。今、調べて理解しました」
「? 調べて……? あぁ……そういえば、アンドロイドって言ってたわね」
小さく『自然過ぎて、忘れてたわ』と呟きながら、更に遥は続けた。
「私、その絶対音感持ちでね?
こういう1対1の会話とかならまだ大丈夫なんだけれど、あそこまでの騒ぎになる
と、駄目なのよ。
会話として捉える前に雑音になって、それが音階の波に変わって、最後は不協和音
の塊として一気に襲ってくる……それが不快なの。
でも、だからといって、私個人の都合で皆に黙ってもらうのもおかしいでしょう?
…あのクラスの子達が良い子ばっかりなのは、私にだってわかっているもの」
その理由を聞いて、美幸は『なるほど…』と現状を理解した。
遥がクラスの他の生徒達と距離を取る理由が、やっと分かってきたからだ。
あのクラスは性格的に明るい生徒が多く、莉緒を中心に皆が総じて仲が良い。
しかし、そうすると自然と会話に花が咲いて、騒がしくなりがちだ。
…だが、遥にはその“騒がしさ”こそが、自身の苦痛の種になる。
下手にクラスメイト達と仲良くなってしまうと、その騒がしさに耐えられずに、
会話の途中でその場を離れて、その楽しい空気に水を差すことになるだろう。
それどころか、周囲に無用な心配をさせてしまい、挙げ句にはクラス全体に気を
遣わせてしまう事態にもなりかねない。
それなら、コミュニケーション自体を普段から拒絶しておけば、たとえ突然席を
立っても、お互いにそこまでは気不味くならないし、周りも自分を“そういう人”と
して扱ってくれる。
「……………」
美幸はこの解決の難しそうな問題に対して、つい無言になってしまった。
こうすれば良い、という代案がすぐには思い浮かばない。
「ごめんなさい……話さない方が良かったかしら。
ただ……貴女がそう悩まなくても良いのよ?
もともと寂しがりって性格でもないし、私としては特に問題ではないから」
…と、難しそうな顔をする美幸に、遥はこの問題を一方的に打ち切った。
しかし、その時の遥は美幸に対して、本当に申し訳無さそうな表情をしていた。
遥のその表情から、初めて感情の動きらしきものを感じとって、美幸は何となく
その事実に気が付いてしまう。
(あぁ……そうか。
この状況にクラスの中で一番、気を遣っているのは……きっとこの遥さんなんだ)
なんでもない顔で人一倍気を遣う遥に、美幸はどこか美咲と話している時に似た
感覚を覚えて、不意に心が温かくなった。




