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第75話 研究の意義

「さて、所長。ここからは実際の素体を見てからの方が分かり易いでしょうし…

とりあえず、移動しましょうか?」


「…あ、真知子さんの口調が元に戻った」


「ここからはご容赦お願いします。通路には他の所員も居るんですから…」


 真知子のその言葉に、不満顔をしつつも渋々ながら納得する美咲。

そんな美咲に、美月がいつものようにお説教をしながら、一同は新しい素体が保管

されているという部屋へと向かうことになった。


「これが…私の換装予定の素体、ですか…」


「…ええ。見て分かると思うけれど、素体の元になったのは今の美幸ちゃんの身体

と同じ、美月ちゃんのものよ。但し、年齢は20歳の時のものだけれど…」


 そこに保管されていた素体は、まさに美幸が起動直後に初めて見た美月の姿、

そのままだった。


「やっぱり、この時の美月は完璧だね~。何処にも文句のつけようが無いよ」


「…この時の(・・・・)? 姉さん、それはどういう意味でしょう?

つまり、今の私は文句をつけ放題だ…とでもおっしゃりたいんですか?」 


「……ゴメンナサイ」


「…まぁ、良いです。今はさっきの話の続きの方が重要ですし。

…姉さんとは、後ほどじっくりと話し合うことにしましょう」


「……マジ…ゴメンナサイ。…ユルシテ」


 うっかり口を滑らせた美咲は、美月にプレッシャーをかけられて、まるで宇宙人

のモノマネでもしているような片言になってしまう。


 いくつになっても変わらない…その姉妹のやり取りを見ながら、美幸と真知子は

クスリと笑った。…相変わらずの仲の良さだ。


…しかし、そんな和やかな空気から一転して真剣な表情になった美幸は、真知子に

視線を向ける。


「…ところで、真知子さん。

幾つか、ご質問をさせていただいてもよろしいですか?」


「……ええ。構わないわ」


 美幸のその声のトーンは、平常時よりも一段と低かった。

…そして、それによって自然と室内の雰囲気も緊張したものに変わる。


 その美幸の深刻そうな表情を見て、真知子は『やはりきたか』と思った。 


 美幸はその立場もあり、何度も自分以外の保管している素体を見たことがある。

だからこそ、この部屋に保管されているこの新素体の様々な違和感・・・・・・には、既に気が

付いていることだろう。


「まず…この部屋はかなりの重要機密を扱う部屋…なのですよね?

つまり、それだけこの素体は秘匿性が高い…と考えても良いですか?」


「…ええ。今現在に限って言えば…間違いなくこの研究所内の最重要機密よ」


 保管室…と聞いていたため、てっきりいつも通りにボディ部門の開発室に向かう

ものと思っていた美幸。


…しかし、実際に案内されたのは、美幸ですら一度も中に入ったことが無いような

厳重なセキュリティの(ほどこ)された部屋だった。


 今も美幸達を除けば、保管室内には普段この素体を管理していると思われる女性

スタッフが一人、こちらに背を向けて座っているのみであり、そこそこ広さがある

にもかかわらず、室内にはそれ以外に人影は見当たらない…。

明らかに、関わる人間を極端に制限している様子だった。


 しかも、防音の対策も徹底されているのか…入室の際にチラリと見たドアが、

やたらと分厚かったのも印象に残っていた。


 美幸はその視線を真知子から一瞬だけドアへと移し、更に素体へと向ける。


「それで……この素体に取り付けられている、この呼吸器は…何ですか?」


「……生命維持装置よ」


「生命維持、ですか…。

つまり、この子は今も生きている…という解釈で良いのでしょうか?」


「そういう意味で言えば、半分正解…といったところね。

正確には、植物状態…というよりも、脳死に一番近い状態よ。

培養槽で細胞を高速成長させる前に、予めそうなるように・・・・・・・調整したの」


「なっ…」


 真知子の返答に絶句する美幸。

それは、『脳が存在したまま作ったにもかかわらず、機能しないように調整した』

ということだ。


 通常の素体…脳と眼球が初めから存在しない、アンドロイドの素体としての“器”

とは、わけが違う。


「…それは、倫理的に問題があったのでは?」


「そうね…。正直、ギリギリ…といったところよ。

ほら、人間でも様々な理由から、胎児の中絶手術をすることがあるでしょう?

その期間内に調整・・を施すことで、あくまで“殺す”のではなく“処置”したのだ…

という、倫理的な逃げ道を作っているわ」


「そんな…そんなのは、ただの詭弁でしょう。

それが『生命の冒涜ではない』とは言わせませんよ?」


「…ええ、そうね。でも、この研究はそこまでする価値があるものよ。

…少なくとも、私はそう考えているわ」 


 真剣な表情で睨むような鋭い視線を向けてくる美幸に、負けじと真剣な表情で

見つめ返す真知子…。

 その瞳の奥には、とても強い意志が宿っていた。


「そこまでする価値、ですか…。

それは…この素体が何故か2体も(・・・)用意されていることも関係あるのですか?」


「ええ、そうね。直接ではないけれど…全くの無関係というわけではないわ」


 これこそが、美幸の最後の…そして、最大の疑問だった。


 ただでさえ高価なアンドロイドの新型素体。

それに予備を用意する・・・・・・・など、今までに一度も聞いたことが無い。


 にもかかわらず、ここには全く同じと思われる素体が2体用意されていたのだ。

…それが、何の意味も無いことだとは、とても思えない。


「でしたら…その点も含めて、ご説明を頂けるんですよね?」


「…ええ。勿論よ」


 冷静に会話をしている真知子だったが、内心ではこの場から逃げ出したい気持ち

でいっぱいだった。


 真知子も、別に自分が間違っている…とは思っていない。

…しかし、美幸の真剣で真っ直ぐな視線は、想像以上の迫力があったのだ。


「そもそも、この新素体の開発に正式な許可が下りたのは、美幸ちゃんのボディを

換装するというものではない、別の目的があったからなのよ」


「別の…目的?」


「ええ。それは…『アンドロイドによる代理出産』よ」


「代理出産…」


「普通の不妊症なら、母親と父親から採取した正常な卵子と精子を体外受精させた

受精卵を母体に移植させる…といった方法で解決出来ることもあるわ。

でも、母親が病気だったり、体質等で出産に耐えられる体力が無い場合などは…

そういった方法も難しくなってくる」


 確かに真知子の言う通り、病気等が原因で子供を産む機能を失っている場合には

自力で出産は出来ないだろうし、仮にそうではなかったとしても、生まれつき病弱

で体力に難がある女性に対しても、母子共に死ぬ可能性が高い状況で移植する…と

いった対応を、医師が出来るはずが無い。


…それこそ、“生命への冒涜”というものになりかねないからだ。


「そういったケースの時に、“代理出産”という選択肢が出て来るんだけど…

実際には、その“代わりに産んだ人物”とのトラブルも決して少なくないの。

…当然、大切なことだから、事前に色々と書面上での契約も交わすわ。

でも、いざ生まれてきたら……もう理屈じゃないのよ。

その子の親になるはずの女性は、当然ながら親でありたいと思うし…

自分でお腹を痛めて産んだ側の女性も、生まれた子供に愛情を感じる。

…たとえ、その子の遺伝子が自分のものではなくても、ね」


 真知子がそこまで話した頃には、美幸の表情は先ほどまでの厳しいものから、

どこか微妙なものに変わってしまっていた。


…この先、真知子が言うであろう“研究理由”に予想がついたからだ。


「そこで解決策として提示されたのが、『アンドロイドによる代理出産』よ。

相手がアンドロイドなら、産後のトラブルが起きる可能性が無いもの」


 真知子の口から美幸の想像通りの言葉が紡がれたところで、室内を重苦しい沈黙

が支配する…。


 美幸が無言で俯いたことで、その場の誰もが次の言葉を放つのを躊躇っていた。


 そんな静寂が暫く続いた後、ゆっくりと顔を上げた美幸は、搾り出すような声で

真知子に尋ねた。


「…真知子さん。

それは…私達アンドロイドが、人間から見て所詮子供を産むために利用する…

そんな…“ただの道具”だからですか?」


「……それが理由として皆無、とは言わないわ。

実際に『産んだ女性に対する嫉妬心が湧かないから』っていうものも、意見として

あるのは事実だもの」


 真知子のその返答に、一層、表情を暗くする美幸…。


 それは、人間としては決して間違った感覚ではないのだろう。

なにせ研究者に求める倫理ですら、アンドロイドは『道具であるべき』なのだ。


…ただ、この20年の間、美幸は“人間の良きパートナー”を目指してきたし、周囲

の人々も、そんな美幸を本当に大事にしてくれていた。


 だから、なのかもしれない…。

美幸には『利用するための道具』という…その、本来なら当然のはずの意見が


…無性に、寂しく感じた。


 しかし、そんな落ち込む美幸とは正反対の明るい口調で、今度は後ろに立って

いた美咲が、励ますように話し始める。


「でも、あくまでも『そういう意見がある』っていう程度なんだよ?

この件に関して言えば、大半は好意的な意見だったりするんだ」


「…好意的?」


「ああ、そうさ。

確かに、今さっき真知子さんが言ったような意見があるのは否定しないよ?

でもね、この解決策の実現を望む人が増えたのは、この10年ほどの間なんだ」


「この10年…? え……それは、つまり……」


「そう。MIシリーズの一般家庭への供給が本格的に始まってからの話なんだ」



 美幸が“佳祥の世話をする”という試験を行ってきた、この18年の間に起こった

最大の社会への変化。


 それは…『アンドロイドの民間への普及』だった。


 MIシリーズの完成で、アンドロイドへの信頼度が飛躍的に向上したことにより

アンドロイドというものへの世間からのイメージがガラリと変わったのだ。


 人間らしい感覚で物事を判断出来るため、ある程度の融通が利くようになった

MIシリーズに最初に注目したのは、意外にも警察機関だった。


 しかし、理由を聞けば納得で、目で見たもの、耳で聞いたものをそのまま記録

出来ることは治安維持のためのパトロールに使うのに最適だったのだ。


 勿論、全ての警官がアンドロイドになったわけではない。

大体は事件が起きる可能性の高い地域に警官アンドロイドを設置させることで、

パトロ-ルに出ている間に派出所の無人化が起こることを防ぐ目的…あくまでも

補助的なかたちで運用されていた。


 ただ、町中をグルグル回るということは、当然のことながら一般市民との接触の

機会も増えるということでもある。


 そして、その巡回する先々で、MIシリーズは人々を良い意味で驚かせた。


 丁寧で適切な対応…特に今までとは違い、人間らしい発想が可能になったことで

未経験の事態にも柔軟に対応でき、更に機械らしい妙な勘違いをしてしまうような

ことも無くなっていた。


 何よりも、相手がアンドロイド…ということも、良い方向に働いていた。


 物珍しさも勿論あったのだろうが、“相手が人間ではない”ということもあり、

遠慮せずに頼ろうとする人が増えたのだ。


 そんな中、アンドロイド警官の穏やかな物腰の対応が話題になり、いつしか

『こんなアンドロイドなら自分も欲しい』という意見が徐々に出始めたのだ。


 そこで、そういったニーズに答えるために、一般向けにもMIシリーズの販売を

本格的に開始したのが、今からちょうど10年前のことだった。


 その価格は決して安くはなかったが…開発に開発を重ねて、なんとか高級外車

を買う程度…一括での購入は難しくてもローンを組めば十分に一般家庭でも購入

出来るような金額にまで押さられたことで、徐々に浸透していったのだ。



「今回の代理出産が可能なアンドロイドの開発を望むほとんどの人はね?

こう言ってるんだ。

『善意の“他人”よりも、信頼出来る“家族”に産んで欲しい』ってさ」


 美咲の口から飛び出した『家族』という言葉にハッとなった美幸は、反射的に

後ろを振り返った。


 そんな美幸の視線の先には、温かい表情で微笑む美咲がいた。


 そして、更にその美咲の言葉に続くように、真知子も美幸にこの研究への理解を

訴えてくる。


「美幸ちゃん。…あなたになら、解るんじゃない?

自分の境遇が原因で望みが叶わない、ということのもどかしさが。

この研究は、倫理的な部分を鑑みれば良くない部分もあるのは事実よ。

でもね…少なくとも無意味なものでは、決してないわ」


「……わかりました。そういうことなら、私も納得出来なくもありません」


「…ありがとう、美幸ちゃん」


 今はこうして言葉の上で納得していても、優しくて責任感の強い美幸のことだ。

きっと換装後も、心の中では目の前のクローンの命をもらったことを背負っていく

のだろうと、そう確信していた。


 だからこそ、真知子は渋々とはいえ、今回の素体開発に理解を示してくれた美幸

に心から感謝していた。


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