第74話 極秘の研究
美咲が内線で連絡を入れてから暫くして、真知子が所長室へやってきた。
「失礼致します。原田所長」
「あ、真知子さん。いらっしゃい。
今は美月達しか居ないし、そんなに堅苦しくしなくても良いよ?」
「あの、かなり重要な案件だと思うのですが……本当に宜しいのですか?」
「あー、良いの良いの。
堅苦しくしてもしなくても、伝わる内容なんて変わらないんだからさ。
それなら、気を楽にして聞いてもらった方が良いし」
美咲からそう言われた真知子は『ふぅ…』と息を一つ吐いた後、畏まった態度を
解くと、軽い口調へと切り替えた。
「…わかった。そういうことなら遠慮なく、そうさせてもらうわね?」
「うん。ええっと…それじゃ、例の件の概要を美幸に説明してあげて?」
「はい、了解です」
美咲からそう指示を受けた真知子は、美幸達の方を向き直ってニコリと笑顔を
浮かべると、まずは現状の確認から入った。
「それじゃあ、美幸ちゃん。早速だけど、美咲ちゃんからは何処まで聞いたの?」
「ええっと、『私の夢を叶える秘策』…としか…」
「あー、なるほど。そういう段階なのね…」
美幸の返答を聞いて、少し思案した様子を見せた後、更に質問を続ける真知子。
「夢…というと、例の『素敵なお嫁さんになる』っていうのだよね?」
「え、ええ……まぁ…」
真知子のその質問内容は、別に間違いではなかったのだが…。
…容姿こそあの頃から全く変化が無いものの、精神的には随分と成長している美幸
にとって、その言葉はどこか気恥ずかしく思えて、つい口篭ってしまった。
「それで、この件が話題に上がってくるってことは…。
つまり、お相手の候補が見つかった…ということで良いの?」
「あ、ええっと……それは、その……」
真知子のその質問に、今度はどう答えるべきかに迷う美幸。
先ほど、すぐに佳祥の告白の件を白状したのは、相手が美月だったからだ。
親に知られるのは恥ずかしいのではないかとは思ったが、伯母である美咲が同席
していたこともあって、話すよう判断した…というところがある。
だが、真知子は顔見知りではあるものの、佳祥とは血縁的には全くの他人だ。
そう考えると、簡単にペラペラと周囲に広めてしまうのは、どうかと思ったのだ。
…しかし、そんな美幸の細やかな気遣いは、次の一瞬で無意味になってしまう。
「つい先ほど、家の佳祥が美幸ちゃんに真剣に告白したんです。
その後、美幸ちゃんにはきっぱりと断られたらしいのですが…。
そこに姉さんが介入して、今は一旦は保留になっている状態なんです」
美幸が言い辛そうにしているのを確認した美月が、美幸の代わりにあっさりと
内容を真知子に話してしまった。
だが…そんな美月に、美幸は遠慮気味にしながらも抗議の言葉を口にした。
「あの、美月さん。あまり周囲に広めると、佳祥君が可哀想なのでは?」
「いいえ、構いませんよ。
姉さんが、部門責任者である真知子さんを呼び出してまで話させているんです。
それなら、佳祥の心情を慮ったとしても、隠し事は極力すべきではありません。
きっと、それだけ重要な案件なのでしょうからね…。
…そうなのですよね? 姉さん?」
そう急に美月に話を振られた美咲は、しかし、ニヤニヤしながら答えを返す。
「ああ。こと“重要度”で言うなら、これまででも一番の案件だね…間違いなく」
「これまでで、一番…」
ニヤニヤとしながらも、そう話す美咲のその目に真剣なものが見えた美幸は、
これから真知子によって聞かされる話が本当に重要であると判断できた。
そして、美幸が静かに緊張をし始めている横で、真知子はどこか納得したような
表情をして呟いた。
「そっか、佳祥君か…。なるほどねぇ…。
確かにあの子、小さい頃からずっと、美幸ちゃんのことが大好きだったものね。
…でも、美月ちゃんはそれで良いの?」
「私ですか? そうですね…。
美幸ちゃんを息子に取られてしまうという意味では少々、残念ではありますが…。
本当に佳祥が相手になるのなら、義理とはいえ美幸ちゃんが戸籍上でも正式に私の
娘になるということになりますし…別に構わないかと」
「…いや、私が聞きたいのは、むしろ佳祥君の方なんだけど。
良いの? 佳祥君だって、美月ちゃんからすれば可愛い一人息子でしょうに…」
「まぁ、確かにそれはそうなのですが…。
結婚相手が美幸ちゃんだというのならば、話が別です。
何処の誰かも分からない人物ならいざ知らず、美幸ちゃんが相手となると…。
明らかに佳祥の方が分不相応でしょう?」
きっぱりとそう言い切る美月に、その会話を眺めていた美咲が半ば呆れたような
表情で口を挟む。
「うわぁ……これは厳しい評価だね…。可愛い甥っ子が少し不憫だよ、私は」
「いいえ、厳しくなどありません。これは母としての“正当な評価”です。
…別に悪い子だとは言いませんが、何だかんだ言っても、まだまだ甘いところが
あるのは事実なんですから…」
美幸にはかなり甘い態度の美月だが、逆に佳祥に対しては少し厳しめだった。
美月も別に佳祥が可愛くないというわけではなかったのだが、下手に甘やかして
マザコンにでもなられては堪らない…という考えから、そうしているらしい。
…そして、それが自らの容姿が他者から見てどういうものなのかを正確に理解して
いる美月と、そうではない美幸との決定的な違いだった。
案の定、というべきか…厳しい美月より、優しい美幸に懐いた佳祥は、最終的に
交際を申し込むようになってしまっているのだから…。
その美月の判断は、あながち間違いというわけではなかったのだろう。
更に言えば、美人で優しく接してくれた美幸に、コロッと簡単に惚れてしまい、
“特殊なアンドロイド”という美幸の立場を深く考えずに告白してしまった辺りが、
美月としては『まだまだ甘い』という評価に繋がっている、主な理由でもあった。
「佳祥君…高校生としては、かなりしっかりしてる方だと思うけどなぁ…」
思いの外、厳しい返答が返って来たことで思わず会話を美咲に譲ってしまって
いた真知子だったが、思わずそんな感想が口から零れる。
…そして、そのまま再び美月との会話を再開することにする。
「まぁでも…そういうことなら、美月ちゃん的には特に問題は無いわけね?」
「ええ。美幸ちゃんさえ良ければ、こちらからお願いしたいくらいです」
「へぇ…。それじゃ、肝心の美幸ちゃんは? 佳祥君のこと…どうなの?」
真知子にそう尋ねられた美幸は、やはり、ついさっき美咲達に答えたのと同じ
回答を口にする。
「…考えたこともありません。
あっ! 別に『佳祥君が嫌いだ』と言っているわけではないですよ?
ただ、私としては母というか姉というか…そういう気持ちで接してきたので…」
「まぁ、それは…そうよね。
赤ん坊の頃からずっと面倒を見てた相手に、そんな感情を普段から抱いていたら
『どこの光源氏だよ!』って話になるし…」
美幸のその心情を聞いた真知子は、そう言って苦笑を浮かべた後、今度は美咲
に向かって質問をする。
「美咲ちゃん? そういうことらしいけど…コレ、本当に話しても良いの?
仮にも最重要レベルの極秘案件でしょう?」
「ん? ああ、それは構わないよ。
仮に今回の結論が思った通りのものにならなかったとしても、アレを実現するには
今がチャンスなのは変わらないと思うし。
…それに、今は適当な理由をつけて実施時期を引き延ばしてはいるけれど…。
いつかは美幸にお願いしないといけないことだからね…」
「…そう。うん、分かった」
美咲の返答に納得した様子の真知子が、再び美幸に質問を続ける。
「まぁ、とりあえず現状の美幸ちゃんの心情は分かったわ…。
でも、保留にした理由って、それだけってわけじゃないんだよね?」
「…これも美咲さん達に言ったのですが、そもそも私はアンドロイドですから。
私が相手では子供も作れませんし、一緒に歳を取っていくことすら出来ません。
…これで、後先考えずに了承するなんて…流石に無責任が過ぎますよ」
「うん、そうだよね…。やっぱり、それが原因でもあるんだよね…。
でも…それなら美咲ちゃんの言う通り、ちょうど良い機会なのかもね…」
美幸のその理由を聞いて、真知子が『やっと本題に入れる』という表情をする。
「今回の案件はね? 実はその辺りの問題を纏めて解決するものなのよ」
「…え? そんなこと…解決出来るものなのですか?」
「…ええ」
「ええっと…それは一体、どうやってでしょう?」
「それなんだけどね?
美幸ちゃんの生体ボディの部分だけを、全て新しいものに換装するのよ」
ここにきて、やっと真知子が呼ばれた理由に思考が繋がった美幸。
アンドロイドの素体の話なら、研究所内で真知子以上の適任者は居ないだろう。
「今、計画されている新しい素体はね? 実質、ほぼ人間と同じものなのよ。
だから、子供も産めるし、通常通りに年齢を重ねていくことも出来るわ」
「え…? そんなことが本当に可能なのですか?
それは…アンドロイド開発の禁忌と言ってもいい領域だったのでは?」
美幸の言う通り、子供を産めるようにすることは、アンドロイド開発の業界に
おいて、今までは一般的に倫理的な観点から“適切でない”とされてきていた。
その主な理由として、アンドロイドに生殖器が存在すれば、購入者に性的な利用
をされる危険性があるから…というものだった。
…しかし、それはあくまで表向きの建前であり、実際の理由は別にある。
それは、『アンドロイドとは、あくまでも用いる“道具”であり、決して人間と
同等の存在であってはならない』という考えからだった。
それに、もしも仮にアンドロイドに子供を作る機能を実装してしまえば、人間と
いう存在の必要性が薄くなってしまうという危険性もある。
例えば、家族や結婚相手の対象として『人間でなくともアンドロイドで十分だ』
という発想が一般的な感覚として広まるような事態になってしまえば…。
長期的に考えると、最終的には大げさでもなんでもなく、“純粋な人類”の滅亡に
繋がりかねないだろう。
そして、更にもう一つ、違った意味での倫理的な問題も存在する。
そもそも、今のアンドロイドの素体はクローン技術の応用で作られている。
具体的に言えば、脊髄部分より上の脳全体と眼球の部分は機械であり、そこ以外
が生身の人間に近い構造の“人造生体”となっている。
確かにアンドロイドの素体は成長や老化というものが無いということ以外にも、
食べ物によって栄養を得たり、呼吸をして生命を維持したり…といったことを必要
としないようには改良が加えられている。
とはいえ、それ以外の身体の構造的には、実は人間とほとんど同じだった。
それ故に、クローン技術で作り出した人間の身体にアンドロイドの機械の部分を
移植することは、技術としては十分に可能ではある。
…しかし、完全なクローンを使って移植するということは、成長させたクローンの
身体から脳と眼球を取り除いて、その代わりにアンドロイドの機械部分を移植する
…という形態をとることになる。
つまり、人工的に作り出した人間を一人殺してから、その身体をアンドロイドに
使わせる…ということになってしまうのだ。
だからこそ、現在の素体の開発は、クローン技術を応用する際に遺伝子学の技術
も取り入れて、培養して成長させる以前から脳や眼球が存在せず、血液の代わりに
培養液が身体を巡るように設計されて作られている。
その上で、人と同じ構造のクローンを培養して作り出すことは勿論、そもそも
その発端になる研究を行うこと自体が“命を冒涜する行為だ”とし、禁忌とされて
きたのだった。
「実は…その問題はもう既にクリアしてるの。
…というより、ボディ自体は既にもう完成してるのよ」
「え? どうしてです? これはまだ構想の段階ではなかったんですか?」
「実は開発もそうだけど、構想自体は随分と前からしていてね?
素体の準備も、今年のこの時期には間に合うように、予め手配していたのよ」
「そんな、いつの間に…。一体、何時頃からそんな素体の開発を?」
驚く美幸に、真知子は美咲をチラリと見て、自身も可笑しそうに笑った。
「何時からって……そんなの決まってるでしょ?
あなたの過保護な母親が、あの結婚式の翌日には個人的に相談に来て…。
『どうすれば美幸の夢を実現させてあげられる?』って、言ってきた時からよ。
まぁ…他にも色々と状況が揃ってきたというのも、当然あるんだけど…。
それでも、やっぱり今回の計画は、その時から始まっていたのよ…」
美幸が真知子の言葉を受けて驚いた、その表情のまま視線を向けた先では…
いつものように、美咲が声を殺して楽しそうに笑っていた―――。




