第73話 お相手はどちらさま?
空振りに終わった浜辺での告白劇の後、家に帰るという佳祥を見送った美幸は、
美咲に促されるまま、すぐに所長室へとやって来ることになった。
…しかし、ドアを少し開けたところで、その美咲が不意にピタリと動きを止める。
「……マズい。部屋の中に、誰か居る…」
「誰か…って、隆幸さんなのでは?
確か、不在にしている間のお留守番をお願いされていたんですよね?」
「いや、それが…高槻君じゃなさそうなんだよ。
出来れば今はここに居て欲しくない…すご~く聞き覚えのある女の声が、さ…
室内から聞こえてきたような気がしたんだ…」
そう言って美幸を振り返った…ちょうどその時。
美咲が掴んでいたドアノブが急に軽くなり、内側へと引かれる。
すると……そこにはやはり、美咲の想像通りの人物―――美月の姿があった。
「おかえりなさい、姉さん。さぁ、どうぞ? 中に入って下さい」
もう40代を迎えようか…という年齢の美月。
だが、相変わらずのその美しい容姿は、まったくそれを感じさせない。
…ただ、今の美咲にとって、そんな妹の美しい笑みは恐怖でしかなかった。
「あ…あー、うん。いやー…なんだか私、急にお腹が痛い…かなぁ?」
「それは大変ですね。すぐにそこのソファで身体を休めないと…」
「……あの…直接、医務室に行きたいな~……とか?」
「へぇ…そんなに痛いんですか? なるほど…わかりました。
それなら、私が今から急いでお医者様を呼んできましょう。
さぁ、どうぞ? 姉さんは早くそちらに横になって、待っていて下さい」
「うぐっ………いや、ええっと―――」
分かり易いくらいに焦って、その場から逃げようとする美咲だったが…。
後ろに立っていた美幸から、少し呆れを含んだ声が掛けられる。
「美咲さん…。どうせ逃げられないのですし、早く入りましょう?」
「…うぅ……やっぱり、なんか美幸が冷たい。……カムバック…20年前の美幸」
思いの外、あっさりとした美幸の反応に、頭上を見上げて目を細める美咲…。
そのいかにもわざとらしい様子に、今度は目の前の美月が溜め息を吐いた。
「…はぁ。まったく…何を馬鹿なことを言ってるんですか…。
とりあえず、もういいですから…。本当に早く部屋の中に入って下さい。
一応とはいえ、姉さんは今はもう、ここの所長という立場なんですよ?」
「いや、美月…。『一応』って……」
気付けば、たまたま通り掛かった研究員達が、先ほどから美咲達の様子を眺めて
声を殺してクスクスと笑っていた。
堅苦し過ぎるよりは親近感は湧くのかもしれないが…。
これでは、組織の長たる威厳も何もあったものでは無いだろう。
…まぁ、所長の威厳など洋一がしていた頃から、この研究所では有って無いような
ものだったが。
そうして、ドアの前で多少の抵抗を試みてはみたものの…結局、最終的には渋々
ながらも室内へと入っていく美咲。
それに続いて、美幸も続いて入室した後…ドアが閉まったところで、予想通りに
美月からの質問……いや、“尋問”が始まった。
「さて、それでは……姉さん?
仮にも一部門の責任者に留守番を押し付けてまでお出かけだったのですから、
さぞかし大事なご用事だったのでしょうけれど…。
美幸ちゃんと一緒に…今まで一体どちらに行ってらっしゃったのですか?」
今や美咲の後を引き継いで原田AI研究チームの責任者を務めている隆幸。
そんな隆幸が研究室に長時間不在となると、やはり色々と不都合も出てくる。
しかし、美咲は義弟という立場であることを利用して、今までにも度々、美幸と
遊びに行く際の留守番などをさせていたりしていた。
後ほど詳しく聞いてみると、やむを得ない事情があったりすることもあるため、
今回も頭から叱りつけるようなことはしなかった美月だったが…。
ただ単純に遊びに行っていただけ…という時も少なくなかったため、若干ながら
その口調は嫌味を含んだものになってしまっていた。
そもそも、正当な理由がある場合、留守番を責任者の隆幸にではなく、その助手
であり、妹でもある美月に頼めば良いはず。
…今日に限って言えば、既にもう、怪しいことこの上なかったのだが。
「あー、ええっと…。ちょっと、美幸と一緒に浜辺に…」
そう言い辛そうに目を逸らしながら答える美咲を、目を細めた鋭い視線で一睨み
した美月は、すぐに今度は美幸へと視線を移してみた。
…すると、その内容を肯定するように、美幸は無言で軽く頷く。
「…成る程。…それで? それは、どういったご用件だったんです?」
「それは………ノーコメントで」
「へぇ……。それでは、美幸ちゃん。どうだったんですか?」
外出理由を答えようとしない美咲を確認すると、すぐさま美月は美幸へと質問
の矛先を変える。すると―――
「……佳祥君に告白されました」
その質問に対し、一瞬だけ迷うような素振りを見せた美幸だったが…。
佳祥が美幸に気持ちを伝えたのは、これが初めてということでも無かったため、
母親である美月にも正直に伝えることにした。
「…えー……それって、言っちゃっても良いんだ……」
…そして、美幸の性格的に内容までは言わないだろうと踏んでいた美咲は、盛大に
落ち込んだ。…これで、ほぼ確実に美月からのお説教が確定したからだ。
「…そうですか。それで……美幸ちゃんは佳祥にはどう答えたんですか?」
「私はすぐにお断りしたんですが…。
その後、色々とあって…最終的には美咲さんの提案で保留になりました」
「へぇ…そうですか。 姉さんが『告白を保留』に……?」
「?? 美月さん? …どうかしましたか?」
てっきり美咲へのお説教が始まるのだと思っていた美幸だったが…。
『美咲が告白を保留にした』という話を聞いた途端に、美月が急に思案顔になって
黙り込んだため、不思議に思い尋ねてみる。
しかし、美月はその質問に対し、美幸本人には答えることなく…そのまま美咲の
方へと投げた。
「…ということですが……どうなんです? 姉さん。
今、私が考えていることは、美幸ちゃんに言っても良い内容なんですか?」
「ふふ…やっぱり、そういう所は美月の方がまだ一枚上手か。
美幸相手とは違って、完全には隠し切れないね…」
「??」
そのやり取りが、何がなんだかわからない様子の美幸を他所に、訳知り顔をした
2人は、そのまま会話を進める。
「それは…まぁ、そうですね。
内容…というよりも、判断に違和感がありましたし…。
いくら対象が佳祥と美幸ちゃんのことだとはいえ、他人の恋愛事情に自分から首を
突っ込むなんて…。
…いつもの姉さんなら、絶対にありえないことでしょうから」
「…ま、そうだろうね。
倫理観とかそういうことじゃなく、そもそも面倒だし。普通ならしないよ」
そこまで会話を聞くと、先ほどまでは意味が分からない様子だった美幸にも、
美月が何を言いたいのかが徐々に分かってくる。
現在の美咲は、その所長という立場や年齢もあり、昔に比べれば随分と人当たり
が良くなっている。
だが、美幸が起動した当時…研究室のチーフを務めていた頃の美咲は、ごく一部
の限られた人物を除き、その態度は一貫して無愛想極まりないものだった。
そして、そのそもそもの原因とは、容姿が優れている影響で、愛想良く振舞えば
それこそ見境無しに沢山の者が近付いてくるから…というものであった。
つまり…美月が言いたいのは、『過去の話とはいえ、そんなことまでして他人を
遠ざけていた人物が、何の考えも無しに人間関係の面倒事の筆頭とも言える“恋愛”
というものに、自ら首を突っ込むはずが無い』ということだろう。
「ええっと…。それでは、美咲さんは何か理由があって保留にしたんですか?」
「ん? 当たり前だろう?
佳祥君の方も、特に今回は真剣な告白なのが見てわかるレベルだったし。
いくら私でも、流石に何の考えも無くあんなことはしないよ…。
……え? 美幸はなんで私が保留にしたと思ってたの?」
「面白がっているのだと思っていました」
「ええっ!? それって、即答するようなことなの!?」
美幸のそのきっぱりとした口調の即答に、ショックを受けた様子で少し悲しげな
表情を浮かべて、美咲は驚きながらも反応を返す。
…すると、美月が呆れたような視線を送りながら、そこに追い討ちをかけてくる。
「はぁ…。姉さん…これが『日頃の行い』というものですよ?
これに懲りたら、少しはイタズラやふざけたりするのを控えて下さい。
…そうしないと、いつかは本格的に美幸ちゃんに見放されてしまいますよ?」
「うっ…。流石に、それは辛いなぁ…」
行動や発言が美月に似てきて、多少の苦手意識が出て来たとはいっても、やはり
美幸が大好きな美咲としては、完全に見限られてしまうのは厳しいらしい。
…一瞬、眉間に皺を寄せて、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「それで…姉さん。結局、どうなんです?
その告白を“保留にした理由”は、詳しく説明して頂けるんですか?」
「う~ん、まぁ…それは、これからする質問に対しての美幸の返答次第…かな?」
僅かに笑みを浮かべながらそう言う美咲に、美幸は不思議そうにする。
「え? 私…ですか?」
「うん。実際、どう思ってるのかなー…って」
この『どう思ってるのか』というのは、勿論、佳祥のことだろう。
…だが、それに関しては、美幸には考える余地など初めから無いに等しい。
だから、美幸はこの時にも当たり前のように今まで通りの返答をすることにした。
「『どう』もなにもありません。
何度も言いますが、そもそも私は“アンドロイド”なんですよ?」
「じゃあ、仮に美幸が“アンドロイド”じゃなく…“人間”だったら?」
「………はい?」
論議する意味すらない話題だと思っていた美幸だったが、その美咲の切り返しが
予想外過ぎて、咄嗟に返す言葉を失ってしまった。
“もしも自分が人間だったなら?”
その仮定は、今までの約20年間の間で何度も考えてきたことだった。
特に、遥達がどんどん成長していくのを間近で見ていると、何処か自分が置いて
行かれているような気にすらなったものだ。
しかし、いくら願ってみたところで、それが叶うわけでもない。
アンドロイドとして生まれた以上、途中で人間になることなど出来ないというのは
当たり前の話だ。
「あの…私には、美咲さんが何を言っているのかが分からないのですが…」
「まぁ…いいからさ。“そういう仮定”で、改めて考えてみて…どうかな?
もしも美幸が人間だったなら、佳祥君は…相手として不満なのかい?」
「…………正直、わかりません。そんなこと、考えたことも無いですから…」
数秒間、真剣に考えた後に出した美幸のその答えは、美咲の想像通りだった。
「まぁ、そうだろうね。…で、私はそれがずっと気に入らなかったんだ」
「気に入らない…ですか?」
美咲の言いたい内容が、いまいち分からない美幸…。
自分としては特に間違った思考はしていないと思っているのだが…。
「うん。だってさ、確か…美月の結婚式の時に言ってたよね?
『私も素敵なお嫁さんになります』って」
「え? ええ。確かに言いましたが…」
「じゃあ、それは具体的には何時? 誰と?
まさか美月達の結婚式を見て、アンドロイド同士での結婚式を連想したというわけ
じゃないんだろう?」
「それは……」
美咲の畳み掛けるような問いかけに、思わず萎縮して俯いてしまう美幸…。
そして、そんな美幸を見て、美咲も興奮しかけていた自分に気が付き、我に返る
と慌てて口調を明るく改めながら、謝った。
「あー…いや、ゴメンゴメン! 別に美幸を責めているわけじゃないんだよ。
…でも、お嫁さんになるのが夢なら、当然だけど相手が必要でしょ?
で、そうなると美幸の場合、今度は相手は何者かってことになる」
そこまで言ったところで、傍らで会話を聞いていた美月が、確認するような口調
で美咲に尋ねる。
「もしかして…それで『アンドロイドではなく人間に…』ということですか?」
「うん、そういうこと。
そこまでクリアして、やっと最後に“相手は誰が良いのか”になるだろう?」
視線だけ美月に向けて、そう答える美咲は少し楽しそうな雰囲気だ。
…しかし、当の本人である美幸は、困ったような表情で美咲に問いかけた。
「でも、私が人間になるなんて…。現実的に考えて、無理でしょう?」
そして、美幸にそう尋ねられた美咲は『待ってました』と言わんばかりにニヤッ
と笑みを浮かべて、その問いに答える。
「ふふふ…そう思うだろう? でもね、それがそうでもないんだ。
抜け道というか…とある秘策があるんだよ」
「秘策…ですか?」
「ああ。美幸の夢を叶え得る…とっておきの秘策だよ」
そう言うと、美咲は内線で生物学系ボディ部門の担当責任者である真知子を、
所長室に来るように手配するのだった。




