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第1話 原田AI研究チーム

「チーフ、こちらが先月分の報告書です」


 いつものように微笑みを浮かべながら、高槻隆幸(たかつきたかゆき)は書類の束を上司のデスクに

そっと置いた。


 今も睡魔と格闘中のその上司を驚かせないよう、音を立てずに素早く配置する。


「…あー、もうそんな時期か……。

うわっ……相変わらずウンザリする量だね……。

…まぁ、これでも導入当初からすれば大分マシなのかもだけど」


 昨夜もここに泊り込んでいたのか……盛大についた寝癖を指で押さえながら、

この研究室のチーフ、原田美咲(はらだみさき)は苦虫を噛み潰したような顔でそう呟いた。


「…ぁー……ダメだね。

一度シャワーでも浴びないと、頭がボーっとしたままになってる気がするよ。

やっぱり一旦、うちに返ってくる事にする。

また戻ってきたらちゃんと確認しておくからさ……んじゃ、お疲れさん」


 そう言って背中を丸めながら研究室を軽くふらつきながら後にする姿は、映画で

見かけるゾンビのようだった。


 両親が彼女の名に込めた“美しく咲き誇る花のように育って欲しい”という願いは

神にこそ届いていたようだが……彼女自身の精神にまでは届かなかったらしい。


 しかし、そんな一見するとズボラに見える美咲だが、身に着けた白衣を見れば、

きちんと(研究に支障をきたさない程度には)清潔さや身だしなみにも気を使って

いるのがわかる。


…ただ単純に優先順位の問題なのだろう。


 作業に夢中になって研究室に泊まり込んでいた美咲を、こうして出勤時に見送る

ことも少なくない隆幸は、ただ『お疲れ様です』とだけその背に返しつつ、一応は

部外秘にあたるその報告書を鍵付きの棚に仕舞い直した。


 いつも通りなら、美咲は数時間後には再び出勤して来るだろうから、こうして

定位置に仕舞っておけば、忘れずに確認してもらえるはずだ。


 先ほどは『ウンザリする』などとこぼしてはいたが、美咲にとって毎月この報告書

をチェックするのは半分趣味のようなものだ。

 なんだかんだ言っても、後回しにされるようなことにはならないだろう。


 書類を仕舞うと、隆幸は自分のデスクに向かい、パソコンを立ち上げて日課の

データ入力を始めた。


 昨日、自分の身に起こった出来事やそれに対する感想、そして施した対処。

何故そう思ったのか、どういった結果を期待してその対処を行ったのか。


 それを重要な事からくだらない事まで、詳細に入力していく。


 後々、美咲がチェックした際に多少の修正が入る可能性もあるが、今入力して

いる自分の感性、感覚が自分にとって重要な別の存在の思想の根幹を担うのだと

思うと、いい加減なことは出来ない。


 仕事で手を抜いたことは一度も無い、そんな生真面目な性格の隆幸だが、ここ

最近は特に熱が入っている。


…しかし、それも仕方がないことなのかもしれない。


 7年近くかけて準備してきたプロジェクトが、ようやく完成に近付いてきたの

だから――




「おはようございます、隆幸さん」


 真後ろから突然掛けられた声で、隆幸はようやくその存在に気が付いた。


「ああ、おはよう。

すまないね、気が付くのに遅れてしまって」


 後ろを振り返りながら、申し訳なさそうに隆幸はそう挨拶を返した。


 彼女の性格を考えれば、入室時にも一度は挨拶をしてくれていただろうに、全く

気が付かなかった。


…どうやら、少々仕事に熱が入り過ぎていたらしい。


「いいえ、別に構いません。

今日は随分と熱中されていましたし、仕方がありませんよ」


 隆幸は、いつも自分が浮かべているような微笑とは質の違う、優しげな微笑みを

浮かべているその女性と目を合わせた。


 そして、丁寧で上品な口調でそう返してくるその姿に……つい見惚れてしまう。


(初対面の頃は凄く他人行儀だったけれど……随分打ち解けてくれたものだ)


 彼女は、街を歩けば誰もが振り返るような、いわゆる“絶世の美女”だった。

膝裏ひざうらまで届こうかという程の長く艶やかな黒髪は、今も窓からの光を反射して

輝いている。


 テレビの中の芸能人よりも遥かに整った、その顔立ち。

その瞳をじっと見つめていると、本当に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。


 更に、その整った容姿を引き立てる上品な洋服も見事に着こなしていた。

…職業柄、仕方がないとはいえ、正直に言うと『白衣が野暮ったくて邪魔だなぁ』

といつも心の中で呟いてしまう。


「いいや、ダメだね。

やはり僕も婚約者なら、相手の気配が読めるくらいじゃないと」


「あら? ふふっ……それなら、今から山にでも篭もって修行してみますか?」


「う~ん……僕はアウトドア派じゃないからなぁ……。

…なんとか読書辺りで修得出来たりしないものかな?」


「ふふふっ、でも、もしそうなったら、世界中の修行希望の皆さんが図書館に殺到

してしまうかもしれませんね?」


「それはまた……随分と入り辛い図書館になるだろうなぁ……」


 そう言って眉間(みけん)に皺を寄せている隆幸を見て、クスクスと上品に笑う彼女。

…こんなに綺麗な女性が自分の婚約者だなんて、いまだに信じられない。


 隆幸は気付かれないように素早く彼女の左手をチラリと盗み見る。


 そこには自分が以前に彼女に贈った婚約指輪が、確かにその薬指で輝いていた。

『うん、やはり夢ではなさそうだ』と、隆幸は密かに胸を撫で下ろす。




「お~い……美月(みつき)が綺麗なのは分かるけどさ。

こっちにも早く気付いて、朝のご挨拶をよろしく」


 目の前の美しい女性……美月に見惚れていた隆幸は、研究室の入口の方向から

かけられた、その気怠(けだる)そうな声で現実に引き戻されることになった。


…解っていたことだが、彼女も美月と一緒に出勤してきていたようだ。


「おはようございます、チーフ。

…ですが、朝の挨拶なら既に済ませていますよ?

まぁ……朝一番に報告書を取りに出た僕がここに戻った時には、既に突っ伏して

眠っていらしたので、忘れていても不思議ではないんですが」


「…あれ? そうだっけ?」


 入口からこちらに、今朝方けさがた見送ったばかりの上司が、ゆっくりと歩いて来る。


 そんな会話を交わしながらも壁にかかった時計を確認すると、既に正午近い時間

になっていた。


 美月の言う通り、かなり熱中してしまっていたらしい……気付かない間に随分と

時間が経ってしまっていた。


「…それに、そう言うチーフも、今はとてもお綺麗ですよ?

先程の去って行かれる際の姿と比べれば、まさに見違えるようです」


 今朝方帰って行った時とは雰囲気がガラリと変わり、こちらも思わず見惚れる程

の美女へと変身していた。


…だが、美月とはまた違う、気怠そうなのにどこか強い意志を感じるその瞳は……

今は少し呆れたような色をしている。


「君はまたそういう台詞を軽々しく……。

見た目が良いぶん、そういう言葉をサラッと言うと、とても軟派に見えるよ?」


 綺麗に切り揃えられたショートカットの髪には、先ほどまでの寝癖の痕跡は少し

も見られなかった。


 美咲が美月と揃って出勤してくる際には、いつも細かなところまで身だしなみが

整えられている。

…おそらく家を出る時に、美月による厳しいチェックが入っているのだろう。

             

 こうして見ると、やはり美人()()という言葉がよく似合う。

…これで二人とも化粧をほとんどしていないというのだから、ある意味恐ろしい。


「もう! 姉さん、隆幸さんに失礼ですよ?

あ……あと“軟派”はなんだかオバサンっぽいので、止めた方がいいです」


「やかましいわ」


 いつものように姉妹仲良く喧嘩しながら、美咲は自分のデスクに腰を下ろす。


『オバサンっぽい』などと言われてしまっているが、学生時代に隆幸の大学の2年

先輩だった美咲は、今はまだギリギリ20代だ。


…まぁ、今年20才(ハタチ)になったばかりの妹には、何も反論など出来ないのだろうが。


「…おや? 高槻君、何か言いたいことでもあるのかな? ん?」


「いえ……すみませんでした」


…また、表情に出てしまっていたらしい。

隆幸は、すぐにわざとらしく真面目な顔を作って、謝罪する。


 どうも、隆幸は美咲相手には隠し事が出来そうもなかった。

これでもポーカーフェイスにはかなり自信があったのだが……。

何故か、昔からこの人には全くそれが通用しない。


 まぁ、こういう他人の感情に対して敏感だからこそ、このプロジェクトのチーフ

が務まっているのだろうけれど。


「くくっ、咄嗟(とっさ)に言い訳の一つも出来ないなんて、情けない限りだね。

そんなことでは、大切な妹はやれないよ?」


 美咲は心底楽しそうに笑いながら、そう隆幸に追い討ちを掛けてくる。

そして、今度は妹の方に向き直って、にやけ顔のまま言葉を続けた。


「なぁ、美月。

これからは高槻君が怪しい時には、真っ先に私に言うと良い。

浮気でもしてたら、一発で見抜いてやるよ」


「姉さんっ!」


 美月が少し恥ずかしそうに怒っているのを見て、美咲は楽しそうに笑っていた。


 恐らくは先ほどの“オバサン”発言の仕返しのつもりなのだろうが……本当に仲が

良いことだ。


 そうして妹をからかいながらも、美咲は今朝置いていった報告書を棚から取り

出すと、早速そのチェックを始める。


 今も続く美月との会話の、その口調こそ柔らかったが……手元の報告書の文字を

追う目付きは真剣そのものだった。


…ただ、真剣ではあるが、その瞳の奥はどこか楽しそうな色をしている。


 美咲もプロジェクトの完成が近づいているのを嬉しく思っているのだろう。

そして、それ故に浮かれて見落としが無いようにと、集中しているのだ。


 そんな報告書の表紙には『アンドロイドAI 報告記録』の文字が並んでいた。


 ここ『国立アンドロイド総合研究所』は、国内のアンドロイド研究機関の最先端

であり、この原田研究チームでは、主に『アンドロイドに、より人間味のある思考

が出来る、あたたかな心を』というテーマで、新型AIの研究をしていた。


                  ・

                  ・

                  ・


 近年、急速なAI技術の発展とロボット工学……俗に言うアンドロイドの技術の

確立によって、日常の中にアンドロイドが存在することが段々と珍しくなくなって

きている(但し、今のところは一般人の所有は認められていない)。


 だが、よくある映画のように、暴走したアンドロイドとの全面戦争というような

事態は、特に起こっていなかった。


 現在稼動している全てのアンドロイドのAIには、監視ソフトが内蔵されおり、

危険な思考を検知し次第、本部に当該データが送信されるシステムになっている。


 そして、そういった問題が発生した場合は、その情報を元に現地スタッフが対応

することになるのだが、その問題が深刻なものであれば、管理本部からの遠隔操作

で強制停止も可能であるため、暴走したとしてもボタン一つで解決可能なのだ。


(まぁ、そもそも初めから危険な行為や思考に及ばないように、厳重に精査された

プログラミングを施しているので、平常時はそういう状況に陥る事自体がほぼ皆無

ではあったが)


 また、現在、彼らアンドロイドは高齢化が進む社会の一助となるべく、国の出資

で製造され、積極的に様々な職業の場で試験的に登用されている状況だった。


 そんな中、特に効果が高かったのは介護や警備の分野だ。


 介護はそのストレスに頭を悩ませるということにはならなくなるし、必要な医療

知識はプログラミングするだけでカバー出来る。


 警備の面では、人間には難しい細かな変化にも気付けるため、建設現場等に配備

すれば事故を未然に防ぐことが出来るし、施設の巡回警備などでは有事の際に危険

な場面に遭遇しても、生身の人間では出来ないような対処も行える。


 何より、定期的なメンテナンスは必要なものの睡眠を必要とせず、24時間体制

で職務に従事できる上に、思考の監視も可能であるため『人間に任せるよりも便利

で信用できる』という意見もあるほどだった。


 確かに、全ての人間を置き換えてしまうには、まだまだ難しい側面もある。

だが、人手が足りずに肉体的、精神的に過酷な状況に陥っている現場の補填要員と

しては非常にありがたいらしく、公的機関を中心に少しずつではあるが社会に浸透

しつつあった。


 そんな彼らアンドロイドのAIは、日々学習し、進化を続けている。

今では、初めて直面するような状況にも類似の状況のデータを参照し、自ら考える

事で、ある程度は単独で対応出来るほどにまでなってきている。


 とはいえ、やはりデータ内に類似した状況が無い想定外の物事に関しては、判断

に困ってしまうらしく、場合によっては通常の人間の思考では考えられないような

見当外れな回答を導き出すパターンもあった。


 そのため、その時の状況とアンドロイドが実行した対応の詳細を細かく報告書に

残して、今後の研究に活かすようにされていた。

…特に、強制停止を余儀なくされたパターンなどは、より詳細に。


 しかし、報告書にはその時の天候や時間帯等の環境も含めて事細かに記録されて

おり、書類の量もそれに比例して多くなってしまう傾向にあった。


 そういった事情もあって、美咲もそれに一通り目を通すだけで、毎回、それなり

の時間を必要としていた。


 ただ、観察記録は新しい事例のみの記録なので、運用を始めた頃に比べればここ

最近ではかなり少なくはなってきている。

それだけAIが進化して、思考に汎用性が出来てきた、ということだろう。


 運用されている現場からも『ここ最近では指導する機会も減ってきて、こちらも

安心して現場を任せられる』という意見も珍しくなくなった。


 運用当初に比べれば、AIの性能は今や素晴らしいレベルに達しつつある。

つまり……それだけ人間の考え方に近づいてきている、ということだ。

…この観察記録に“問題の事例が無い”と記録されるようになる日も案外近いのかも

しれない。


 しかし、アンドロイドへの信頼度がそうして次第に大きくなる中で、現在は別の

意見が増えつつあった。


それは、


『個性が無い』『同じ意見しか言わない』『雰囲気を読み取ってくれない』


と、いったものだった。


…しかし、これはアンドロイドには当たり前のことではある。


『人間社会を助けてくれる良きパートナー』を理想としている以上、社会の平穏を

乱すようでは意味が無い。


 そのため、法律のような遵守じゅんしゅすべきものは勿論もちろん、様々な倫理的な判断基準は

全てのアンドロイドに最優先で随時アップデートされている。


 その上で人間の健康を含めた身の安全も優先するようにもプログラムされている

ため、状況に対しての返答がある程度決まってきてしまうのは、仕方がなかった。


…まぁ、端的に言うと『会話がつまらない』のである。


『仕事の後の酒は一段と旨いな!』といえば『味に変化はありません』と返され、

『いくらでも食べられるな!』といえば『健康を害する危険性があります』と注意

を促されてしまう。


 仮に『こういう時は「はい、そうですね」で良いんだよ?』と事前に教えれば、

『はい、そうですね』とは答えるようにはなるだろう。


 だがそれは、本当に話し相手の心情を理解しているわけではない。

ただ、事前の指示通りに返答しているというだけだからだ。


 周囲の人が言うには『せっかく仕事仲間として愛着が湧いてきていても、不意に

こういった場面になると、相手がアンドロイドであることを痛感する』と。


…確かに、アンドロイドの存在を快く思っていない人の中には、そういった事例に

対して『あくまでも人工物。人間と混同すべきではない』と一蹴する者も居る。


 しかし、隆幸達のようなAI研究者にとって、こういった意見が出てくるという

のはとても嬉しいことだった。


 何故なら、それだけアンドロイドに対して親近感を持ってくれているという事の

証明でもあるからだ。


…だが、従来のAIの形式での研究に限界があるのも事実で、このままでは問題点

の修正のみを続けたとしても、人々に求められているような“人間味”は到底得られ

そうもない。


 そこで、この原田AI研究チームでは、まったく新しい形式のAIを開発する事

によってその“人間味”をアンドロイドに持たせようとしているのだった。

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