ゆかな、スカウトされる
ゆかなはハーゲンダッツ食べ放題のお店に入り外を見渡せる席を取ると、小さなゆかなが食べきれるとは思えないほどのハーゲンダッツをお皿に乗せて食べ始めた。
色んな種類のハーゲンダッツを山盛りにしていたが、すぐに食べ終わり、またハーゲンダッツを大量に皿にのせて運んできた。
「ハーゲンダッツ♪ハーゲンダッツ♪ハーゲンダッツ♪」
ゆかなは声に出して、嬉しそうにそう繰り返していた。
そして、満面の笑顔でハーゲンダッツをむしゃむしゃとリスのように頬張ると、特殊な消化能力でもあるのかあっという間に食べ切ってしまうのであった。
それでもゆかなは街や店に自然に溶け込むように、自分をコントロールしていた。
ゆかなが生まれ持った才能で、相手に自分が害を与える存在ではないという温かい印象を周りに与えつつ、率然者や徐如林から教えられた通りの方法で人目につかないよう気をつけていた。
でも今日は少しゆかなは油断していたかも知れない。
それはほんの些細な差ではあったが、時折通行人がチラチラと店内にいるゆかなを見ていた。
通行人から丸見えになる窓際の席に座るにしても端の方に座るべきだったかもしれないし、もう少し落ち着いた様子でハーゲンダッツを食べていた方が良かった。
それでも普段はかわいい女の子がハーゲンダッツを食べてるくらいで済むのだが、今日はちょっとゆかなにしては目立ちすぎていた。
ゆかなは他の女の子よりも内に強い光を秘めている。
普通の女の子が今のゆかな程度にはしゃいだところで誰も気にすることはない。
だがゆかなは一線を画していた。
ゆかなが自由に自分の心を開放したならば、その明るい光に惹かれみんながゆかなに注目するだろう。
だけれども、殺し屋として目立たたないようにしつけられたゆかなは、いつの間にか自然と自分が目立たないように動いてしまうし、ゆかな自身も「私は地味で誰にも見てもらえないんだ」と思い込んでいた。
しかし、ゆかなの秘められた力はゆかなが考えているものではなく、とてつもない人を引き寄せる光になるとは、まだゆかなは知る由もなかった。
同時刻、夏強い日差しの中、あまり運動が得意ではなさそうな、まん丸い男がどんよりと疲れた表情でとぼとぼと歩いていた。
見るからにオタク風のその男はなにかうまくいかないことが続いているのか、汗を吹きながら大きくため息をつくと、どこか日陰がないかと周りを見渡した。
すると、男のぼんやりとした腐った表情が真顔になり一気に目が輝き始めた。
その数十メートルは離れている視線の先にはゆかながいた。
ゆかなの殺し屋しての行動が不完全な状態とはいえ、男はあのステルス エージェントであるゆかなを遠くから認識していた。
男はしばらく奇跡を見たように、身動き一つせず遠くから眺めていたが、我に返るとゆかなの所へ走り始めた。
普段のゆかななら周囲の異常を察知し、街に溶け込み消えるのだが、今日のゆかなはハーゲンダッツに取り憑かれ男に全く気がつかなかった。
男は「ハア…ハア…ハア…」と息を切らしながら無我夢中に走った。
それはどう見ても変質者そのもので、みんなが振り返るほどであった。
男もこんなに我を忘れて全力疾走したのは初めてであった。
それ程に男にとってゆかなは、見失ってはいけない、すぐにでも近づきたい、特別な存在であった。
男は興奮した様子でガラス越しにハーゲンダッツを頬張るゆかなの前に立つと「ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!」とおかしなくらいにガラスを叩いた。
「うっ!うわああっ!!!!」
ゆかなは虚をつかれた。
スプーンを握りしめたまま、ゆかなは椅子から転げ落ちた。
それはもう普通のおとなしめの女子中学生そのものであった。
「怖いおじさんが襲ってきたのです…」
ゆかなはビクビクしながら、その男を観察しつつ心の中でそう呟いた。
ちょっと油断していたとはいえ、こんなこと久々であった。
ゆかな自身が異常に気がつかなかったこと、そして何よりもまさか街中でゆかなに近寄ってくる人が現れるとは思いもしなかった。
男は店内に入ってくると、ゆかなのそばまで駆け寄ってきた。
「ご…ご…ごめん、大丈夫かい?ここハーゲンダッツ食べ放題なんだよね。僕もよく使うんだよ」
男は転んだ状態でガタガタ震え様子を伺っているゆかなに手を差し伸べたが、ゆかなは「いやなのですううううううううううううううううう!!!」と叫ぶと物凄い運動神経で素早く1人で跳ね起きた。
ゆかなは焦っていた。
ゆかなが目のあたりに黒い縦線をたくさん走らせ、息を切らしながら絶対に触れられない間合いを取ると、男は感嘆の声を上げ何度も頷きながら拍手した。
「おおおっ!君!凄いね!ダンスなんかもきっとバッチリだよ!!!」
ゆかなはわけが分からなかったが、どうもこの男は自分に危害を与えるつもりはないと判断した。
「おじさんは私のことが見えるのですか?」
ゆかなが一番疑問に思ったことを率直に男にぶつけた。
どうして私に近寄ってきたのだろうという疑問よりも、どうして私を見つけられたのかという疑問の方が強かった。
いつもだったら自分が主導で相手を煙に巻くのに、今は完全にしてやられている。
しかも全く殺し屋としての訓練など受けたこともないどころか、ずっと部屋に引きこもっていたのではと思える感じの男にだ。
「もちろんだよ!こんなかわいい子、絶対に見逃すはずがないよ!」
ゆかなは「かわいい」という言葉にきゅるるるるん!とときめいた!
「かわいい!私、かわいいのですか?!」
「かわいいよ!!!声もいいね!その声で歌ったらみんな集まってくるよ!!!たくさんの女の子を見てきたけど、君みたいなかわいい女の子は初めてだよ!」
「初めて!!!私、凄く嬉しいのです!!!」
「君ならアイドル界を、いやこの日本を変えるくらいのアイドルになれるよ!!!嘘じゃないよ!今までのどのアイドルよりも、君の方が魅力的だ!!!!」
「アイドル?!私、アイドルになれるのですか?!」
ゆかなは素直に舞い上がっていた。
ゆかなはテレビやネットで見ていたアイドルが立つ舞台に自分も立つ姿を想像していた。
あんな風に大勢のファンから声援を送られて、歌ったり踊ったりすることができたならどんなに素晴らしいことだろう。
ゆかなは今まで感じたことがないくらいに喜びで溢れ返り、男に抱いていた疑念が吹き飛んでいた。
「もちろんだとも!ま…まだ時間はあるかい?10分…いや5分もあればいいんだ!ここの料金は僕が払っておくよ!」
男は胸を張って興奮した様子でゆかなに頷くと、ようやくゆかなと出会えた喜びで笑顔がこぼれた。
これが後にゆかなが「ステルス アイドル」になる最初の事件であった。
男はゆかなの溢れんばかりのアイドルとしての才能に歓喜し、アイドルになれると言われたゆかなも素直に大興奮で目を輝かせていた。
だがこれが裏社会と表の社会を巻き込んだ大事件を引き起こす切っ掛けになるとは、まだゆかなも男も知る由がなかった。