第二章 意外な依頼者(三)
——盲点だった。
街中で「魔獣の姿を見なかったか」と、シェントはただそれだけを聞いて回ったのだ。城門にまで足を運んだものの、そこの警備兵もカルカンドの姿は見ていないと言っていた。
だが、森で魔獣を捕獲し、馬車で闘技場に運び入れていたのだとしたら。
シェントは腕を組んで唸った。
「あのカルカンドは動きが鈍かったし、本来なら群れないんだってな? 麻酔か何かを打たれて、闘技場の檻に閉じ込められてたのかも」
カルカンドが魔物ではなかったとわかり、シェントはひとまず安堵した。
それでも闘技場が、ひいてはアレグロがカルカンドに襲われたことに変わりはない。
「しっかし誰がなんのために。そいつのせいでアレグロは危ない目に遭ったってのか」
「……シェント、そのことだが」
「ん、どうした?」
そういえば、彼女に名前で呼ばれたのは初めてかもしれない。
アレグロは一拍置いて口を開いた。
「ありが――」
「あのぅ」
彼女の言葉に何者かの声が重なる。シェントとアレグロは揃って振り返った。
そこにいたのは同年代の少女だった。
肩下まである栗色の髪は大きく波打っており、量の多さも相まって重たく感じる。その少女が長めの前髪をしきりに撫でつけながら言った。
「こ、こんにちは。あなたがアレグロさんですか?」
物憂げに少女を眺めていたアレグロが、名を呼ばれた途端に双眸を細くした。
気圧されそうになったのか、少女は懸命に言葉を紡ぎ始める。
「ぼ……私、昨日のアレグロさんの試合を見て、それで……お願いがあるんです!」
「仕事か」
アレグロは少女の「お願い」という言葉にすぐさま反応した。
ルーエに冒険者組合の斡旋所はなく、いつしか酒場がそれを兼ねるようになった。とはいえ、依頼主と冒険者――旅人や魔獣狩人など、依頼を受ける側の総称――を仲介するようなことはしない。壁面には「求ム、魔獣退治屋!」だの「護衛の必要な方お申し付けください」だのと書かれた紙が無造作に貼られているが、こういった貼り紙を許可しているだけである。
もっとも、冒険者すべてが読み書きできるわけではない。似たような筆跡が多いところを見るに、店主が代筆でもしているのだろう。
「は、はい。お二人に道中の護衛を依頼したいのですが……」
「どこまで?」
「リベラまで、です」
「リベラって……あの?」
口を挟んだのはシェントだ。
貿易の拠点として知られているリベラは、シェントのような科術使いや科術士にとって馴染みの深い場所である。
「はい。剣を依頼しているんです」
「君、剣士なの?」
「ええと、『おつかい』とでも言いましょうか……」
「ふうん……」
シェントは改めて少女の格好に目をやった。
上半身をすっぽりと覆う灰色のケープは、意匠こそ地味だが布地は高価に見える。萌木色のハーフパンツと黒のハイソックスの間から覗く脚は陶磁のように白く、革のショートブーツには汚れ一つ見当たらなかった。
旅慣れてない者とパーティーを組むのは面倒だが、他に仕事を選んでいる余裕はシェントにない。
「俺はその依頼、受けてもいいけど。アレグロは?」
「なぜ私に相談する」
「えっ」
「パーティーを組んだわけでもないだろう?」
「あ……たしかにそうだけど、さっき『二人に』依頼したいって……?」
二人同時に声が掛かった以上、これからパーティーを組むものだとばかり思っていたのだ。もしかしたら少女のほうも、二人が共に旅をしていると思い込んでいるのかもしれない。
シェントは自分とアレグロを指し、少女に尋ねる。
「なあ。俺とアレグロ、どっちに依頼してるんだ?」
「もしかして、一緒に旅をしているわけではないんですか?」
予想通りの反応に満足したシェントは、
「やっぱりそう思ってたんだな? ってことは、ほら。二人まとめて雇ってくれるみたいだぜ」
「わかった」
「え、ほんとに?」
アレグロにあっさりと了承され、目を丸くした。
「他にすることも、今は考えられないから」
彼女の口の端が小さく吊り上がる。その笑みは痛々しいほどに自虐的だった。
シェントはアレグロから目を逸らすようにして、栗色の髪の少女に片手を差し出した。
「じゃあ、よろしくな。えっと……」
「ア――アクアレルです。よろしくお願いします」
名乗って、アクアレルはぎこちなく微笑んだ。