第四章 嘘つき少年と少女の出会い(五)
「町に行こう」
その日、いつも通り昼過ぎに図書館に来たアーチェは、開口一番そう言った。手には何やら衣服を握りしめている。
「は?」
「だから、一緒に城下町に行こう? 変装したらわからないよ。私、フード付きのケープ持ってきたから」
「待て。どうしたんだ、急に」
タクトが頭を押さえる。たしかに彼女はここ数日、図書館に来てもあまり本に集中していないようだったが。
「王子様って、あまり外には行かないものじゃないの? でも今は自由なんだよね?」
「まあ……」
「よし行こう!」
「はあぁ」
タクトはわざとらしく大きなため息をついたが、断る理由もなかったのでアーチェの後ろをついていった。渡されたフードを目深に被り、中に長い黒髪を収めて。
二人が門扉の外へ出ていく姿は、城の三階にある国王の部屋からも窺い見ることができた。ヴェテュールは窓辺に立ち、緋色の髪の少女と隣のフードの人物――タクトを見下ろしていた。
「――私の分まで、自由に生きてくれ」
ヴェテュールは呟く。
「君には、運命に抗ってほしいんだ」
二人を見下ろしながらも、その目はどこか遠くを見つめている。
「私にはできないことだから」
ルーイゲンの国王である彼の背後には――薄紫色の髪をした女の子がひっそりと佇んでいた。
♪ ♪ ♪
昨晩降り積もった雪はまだ残っていたが、空は晴天そのものだった。相変わらず冷えるものの、外を出歩くには気持ちの良い天気だ。
「最近あまり雪降らなくなったね」
「暦の上ではもう春だからなあ」
城下町に辿り着いたアーチェとタクトは、きょろきょろと露店を見て回った。
タクトは台車に積まれている野菜を見て初めて、調理前の食材を今まで知らなかったことに気づいた。せっかく自由を与えられているのだから、厨房で料理を習おうとタクトは心に決めた。
「あ、ここのお菓子が美味しかったんだ。この間グランに買ってもらったの」
アーチェは楽しげに話しながら、菓子が詰まれた台車へと向かう。台車の上からキャンディーを二つ手に取ると、椅子に腰かけていた老婆に硬貨を手渡した。
老婆はアーチェとタクト、そして渡された二つのキャンディーを見て言った。
「あら、一つずつでいいの?」
「うん。いつも一つだから」
「そう? ……おまけしてあげるわ。今日はいい天気だし」
老婆はタクトを手招きし、彼の手にもキャンディーを二つ乗せた。
「あ……ありがとうございます」
「ありがとう!」
さっそくアーチェは包みを開けていた。中から出てきた赤色の玉をぽいっ、と口に投げ入れる。
タクトも真似して舐めてみた。実のところ甘いものは苦手なのだが、今更言うまい。そのキャンディーはほんのり甘酸っぱかった。
その後もふらふらと町を歩いていた二人は、やがて公園に辿り着いた。
そこには雪玉を投げ合っている子どもたちがいた。二人より五歳ほど年下だろうか。三人ずつの二組に分かれ、互いに雪玉を当てようと躍起になっている。
アーチェは彼らのほうを指さして言った。
「あれ、やってみたい」
「二人じゃ面白くないだろ――って、おい!」
タクトが止めるより先に、アーチェは子どもたちのほうへ駆けていった。仲間に入れてもらえないか、交渉しに行ったようだ。
「マジかよ」
子どもと一緒に遊ぶのはさすがに恥ずかしい。タクトはその場を去ろうとしたが、
「いいってー!」
「……何がいいんだよ」
結局、アーチェと一緒に雪合戦に参加するはめになった。
差をつけるため、アーチェとタクトの二人と、子どもたち六人の対決となった。
アーチェは遠慮容赦なく子どもたちに雪玉を当てていった。相手が走って逃げていても雪玉を命中させる。百発百中と言ってよかった。
一方のタクトは、アーチェが投げる雪玉を作ることに専念した。雪で遊んだ経験もほとんどないせいで、雪玉一つ作るのにも時間がかかる。しゃがんで雪をかき集めている途中に相手に狙われたことも多々あった。
アーチェの狙いがあまりにも正確だったので、途中から子どもたちはアーチェに上手い投げ方を教わり始めた。その間、タクトは近くのベンチに座ってそれを眺めていた。
「あー、楽しかった!」
アーチェが服に付いた雪を払いながら言った。
すでに日は傾きかけていた。空は赤や橙、紫など様々な色が混ざりあっている。
家路へ急ぐ子どもたちに手を振っていたアーチェは、タクトの隣まで歩いてきてベンチに腰かけた。
座るなり、アーチェは自身の旅の経験を話し始めた。心なしか彼女はいつもより饒舌だった。
タクトは余計な口を挟むこともせず、適度に相槌を打ちながら彼女の話を聞いていた。
「――結局、五年前はリーダーが優勝したんだ。だから今度は私も、グラツィオーソ王国の武闘大会に出るつもりなの。決勝戦でリーダーと戦ってみたいから。それに……〈アコルト〉に何かあったときは、そこで合流する約束なんだ」
「『何か』って――」
言いかけて、タクトは口を噤んだ。
そうだ、旅に危険は付きものだ。旅の途中で離ればなれになることもあるかもしれない。だから彼らはそういう約束を交わしているのだろう。
「…………」
ずっと話し続けていたアーチェが口を閉ざし、静かに立ち上がった。くるりとタクトのほうを向き直る。
その面持ちはどこか悲痛だった。
「――旅に出ることを、捨てられただなんて思わないで」
「え……」
突然何を言い出すのだろう、と驚くタクトに、アーチェは続けて言う。
「外の世界には楽しいことだってある。旅は、その……危険なこともあるけど……。優しい人たちだってたくさんいるから――」
「そういうことじゃないんだよ」
苦笑を浮かべ、俯くタクト。
「捨てられたことには変わりない。僕にはもう、居場所がないんだ」
タクトは今まで誰にも話してこなかった想いを、黙り込んだアーチェにぶつける。
「どうして自分が城にいるのかもわからなかったから、いつ『出て行け』と言われてもおかしくないと思ってた。だから“いい人”を演じてたんだ。そうすれば、『おまえはいらない』なんてことにはならないだろう、って。そう考えてた僕が浅はかだった。きっとこれは、周りに嘘をついてきた罰なんだよ」
「新しい居場所を作ればいい」
項垂れるタクトの頭上から、優しい声が振ってきた。
タクトは目を見開いて顔を上げる。
「〈アコルト〉だって、そうだよ。皆、居場所を失った『はみ出し者』だって、リーダーが言っていた。私は物心ついたときからここにいたんだけど……」
「簡単に言ってくれるよな」
タクトは困ったような微笑を浮かべた。
「でも……励まそうとしてくれてるのはわかった。ありがとう」
彼女が突然町へ行こうと言い出したのも、城の外にある「楽しいこと」を自分に教えたかったからではないか。タクトは今になってそう思った。
「……ごめんね」
アーチェはどこか寂しそうに笑い返した。




