第四章 嘘つき少年と少女の出会い(二)
晩餐会の翌日。
約束通り城に来たアーチェをタクトは自室に招いた。彼女の後ろには兵が一人付いていたが、タクトは彼に席を外すよう頼んだ。もし彼女が自分に危害を加えるようなことがあれば、〈アコルト〉の面々を国の外に出さなければいい。
「わぁ……」
部屋に入るなりアーチェは小さく感嘆の声を上げた。庶民、それも家を持たない旅人からしたら豪奢な部屋に見えるのだろう。タクトはあくびを噛み殺しながらそう思った。
室内を一通り見回したアーチェが、ベッドに視線を注ぐ。
「柔らかそう……」
そこに押し倒してやったらどんな反応をするだろうか。意地の悪い妄想がタクトの頭を掠めたが、思うだけに留めた。
「まずは、軽く自己紹介といこうか」
タクトは椅子に座り足を組んだ。アーチェにも着席するよう手招きする。
「僕はタクト・ルーイゲン。歳はこの冬で十七になった。趣味は――まあいいか。
王族の姓を名乗ってはいるけど、僕に王家の血は流れていない。これを機に親しくなって、妾にでもなろうなんて思わないことだね」
「…………」
アーチェは無言。
むしろ、その反応を楽しむためにタクトは自身の正体を早々に明かした。
――戸惑え。かつての自分が、それを知ったときのように。
「……めかけ?」
「そっちか」
タクトの頭がかくっと下がった。
同時に、先ほどの自分の言葉を思い出して恥ずかしくなった。彼女に側室に入ろうという下心はまるでなかったらしい。
「――それで、君は?」
「あ、アーチェ……です」
「いいよ、言葉遣いなんて気にしなくて」
無理に敬語を話そうとしている彼女を思いやってのことではない。いよいよ国王に捨てられた――旅に出るよう言い渡された――今、自分に対する礼儀作法など何の意味も持たない。
それなのに、アーチェはほっとしたような表情を浮かべた。
「私も、今度の春で十七歳」
「――終わり?」
「うーん……何か聞きたいこと、ある?」
ない、と返すわけにもいかず、タクトは適当に質問することにした。
もともと彼女と話すつもりはなかった。あの場でヴェテュールに賛同したのは彼の顔を立てるためだ。
棘を含ませたあの自己紹介を聞いて、アーチェが「ひどいわ」だの「そんなつもりはなかったのに」だの言って帰ってくれることを期待していたのだ。
「どうして旅を?」
「〈アコルト〉にいるから」
「ふうん……」
あまり要領を得ない答えだったが、それ以上聞くことはしなかった。もう話すことはないとでもいうように、彼女から顔を逸らす。
しばしの沈黙。
ややあって、アーチェが思い出したかのようにタクトに聞いた。「どうして空は青いのか」と尋ねるくらいの気楽な口調で。
「どうして王族でもないのに、こんなところにいるの?」
「――っ!」
思わずタクトは立ち上がった。
タクトが王族ではないこと、それは公然の秘密であった。
彼の前でそれを話題にする者は当然いなかった。不敬罪として処刑されることを恐れて。
(どこまで無神経なんだよ――!)
怒鳴りそうになるのを堪え、タクトは息を吐きながら再び腰を下ろした。
――いっそ、自分のすべてを話してやろう。
そしてかける言葉を失えばいい。そうすれば、居辛くなって部屋を出ていくだろう。
「知らないね、僕には十歳より前の記憶がないから」
「え……」
彼女が次に見せた表情は、タクトの期待とはまったく別のものであった。
「私も――!」
「……は?」
「私も、昔の記憶がないんだ」
どこか嬉しそうに言うアーチェ。
「よかったぁ、私だけじゃなかったんだ」
一人で安堵しているようだが、タクトの視線に気づいて両手を振った。
「あ、よくないか。ごめん、タクトもずっと悩んできたよね?」
「いや……」
「悩まなかった?」
アーチェが不思議そうに尋ねてくる。
――悩んだ。幾度となく眠れぬ夜を過ごしたほどに。
タクトの一番古い記憶、それは十歳の誕生日を迎えた朝だった。
その日のことは今でもはっきりと覚えている。記憶がないと気づいたときの衝撃と困惑は。
それでも周囲の人間は、彼らにとってはいつも通りに接してくる。
『おはようございます、タクト様』
侍女に挨拶されて初めて、自分は「タクト」という名前なのだと知った。必要な礼儀作法は周囲を観察してすぐに身に着けた。周りは自分が記憶喪失であることに気づいていないようだった。
ただ一つだけ、国王であるヴェテュールに直接聞かされた。自分は王家の血を引いていない、と。
なぜ記憶を失ったのか。王家の血を引いていないにもかかわらず、なぜ彼らと同じように扱われているのか。
自分がこのようなところにいるのは、何らかの罪を償うためではないかと考えたこともある。人質として城に囚われているのではないかとも。
だが、タクトは誰にも真実を聞けずにいた。知ってしまえば、今まで通りには生きていけない気がして。
「――タクト?」
アーチェがその大きな瞳で覗き込んでくる。タクトははっと我に返った。
「ごめん、私が変なこと言ったから」
「そんなことは……」
「面白い話でもしようか! ええと……そうそう。フォルテが採ってきた食べられそうな草が本当は毒草で、皆で寝込んじゃったんだ。そのとき誰が看病するかって話になって――」
正直、その話のどこが面白いのか、タクトにはわからなかった。
だが、自分を元気付けようとしてくれていることだけはわかる。
「…………」
タクトはしばし彼女の話に耳を傾けていた。




