第一章 五年に一度の祭り(四)
面倒なことになった、とアレグロは小さく唇を噛んだ。
敵の正確な数も掴めないうえに、自分の手元にあるのは消耗品の棒手裏剣だけ。力に物言わせた戦闘を繰り広げているファッジも、いつ体力が尽きるかわからない。
アレグロの位置から確認できるカルカンドは四頭。
そのうち一頭はファッジが相手しているが、カルカンドも体格の良い男より小柄な女のほうが襲いやすいと考えたのだろう。残りの三頭はアレグロを取り囲むように近づいてくる。
愛用の刀もなしに魔獣と渡り合えるはずもない。それでも場内に留まったのは、魔獣に立ち向かうファッジを差し置いて逃げることに躇いを感じたから――というわけでもなかった。足手纏いになるだけなら、彼のためにも早急にこの場を去るべきだ。
(ねえ、早く)
アレグロの脳裏に大会の参加者名簿が浮かぶ。
探していた人たちの名はそこに無かった。しかし試合に参加していないだけで、観戦席には居るのかもしれない。
ファッジには「無意味」と言ったが、まだアレグロは諦めきれていなかった。
かつての仲間が来ている可能性を。
だから。
(助けにきて)
現実から目を背け、夢想に耽る。その隙に回り込まれたのか。
(挟まれた――!?)
背後に新たな気配を感じ、アレグロは身を硬くした。
「横に跳べ!!」
後方から焦りの滲んだ声が飛び――次いで微かな風の音が聞こえてきた。
「――っ!」
アレグロは左へ跳躍、その勢いのまま地を転がった。
数拍置いて、つい先までいたところを風が唸りながら通り抜けていく。
突然の強風は砂を巻き上げながらカルカンドへと迫り――アレグロが瞬き一つする間に、カルカンドは砂埃に飲まれていた。
「アレグロ! 無事か!?」
いつの間にフィールドに降り立ったのか。
振り返ると、そこには斧槍を手にしたシェントの姿があった。
「――私を巻き込んでまで、あれを狩りたかったのか?」
アレグロは呟いた。口調に怒気こそ含まれていないが、目は恨めしそうにシェントを見る。
「いやいや、助けにきたんだよ!? それに、君なら避けられると思ったから――」
「……助け、に……?」
「え、そうだけど!? ――ほら、もう終わったんじゃないか?」
風は早くも止んでいた。
砂埃が薄くなり、徐々に視界が晴れていく。
再び身構えるアレグロだが、カルカンドはすでに絶命していた。地に転がる三頭の頭や腹には、透明な破片が突き刺さっている。
安堵のため息をついたアレグロは、その破片を指した。
「あれは?」
「〈鎌鼬〉を発動させる時間もなかったし――ああ、〈鎌鼬〉ってのはこいつの上級科術なんだけどな?」
話しながら、シェントは斧槍でこつこつと地面を小突く。斧槍の先端部分では緑色の結晶がほのかに光っていた。
その結晶は「科石」と呼ばれるものであった。緑の科石を埋め込んだ武器では〈風〉の「科術」を発動させることができる。そのような武器は「科器」と称され、いつしか「武器とは科器を除いたもの」という共通認識が生まれていた。
今は大会本部に預けてしまっているが、アレグロの刀は科器ではなく武器である。そのためアレグロ自身は科術に明るくないのだが、無論存在は知っていた。
「だから下級科術を発動させて、瓶の破片を投げ込んでみたんだ」
「それが風で飛ばされて突き刺さった、というわけか」
科術はその威力によって三つの級に分類されている。級が高い科術ほど威力が強く、一方で設定されている「呪文」が長い。
科術の発動には呪文の詠唱が不可欠だが、呪文が長いと詠唱にも時間がかかり、かえって不利になるのだった。
「それにしても……お前、どうやって降りてきた?」
アレグロは一番の疑問をシェントに投げかけた。
観戦席から飛び降りてきたことはアレグロにも想像がついた。しかしフィールドまでの高さは、少なくとも建物の三階に相当する。縄も何もなしに飛び降りるのは無謀に思われた。
「ん? それも斧槍のおかげさ。〈舞風〉を観戦席で発動させて、下に――フィールドに向けて放ったんだ。そうすれば飛び降りても衝撃が少ないし」
「まさか……〈風〉を緩衝材にしたとでも言うのか?」
要するに、シェントは下方から舞い上がった〈風〉の中に飛び込んだのだ。
それでも、受け身を取り損ねれば骨の数本は折れかねない。
アレグロは絶句した。
「どうして、そこまでして――」
「おおい、二人とも!! 怪我はないか!?」
割り込んできたのはファッジの声だった。
彼のほうもカルカンドを片づけ終わったらしく、息を荒くしながら駆け寄ってくる。
「おい、少年!! 君はなんて無茶を――」
険しかったファッジの表情は、しかしふと柔らかくなった。
「青春だなあ!」
「……はあ?」
ファッジはシェントの背を愉快そうに叩き、アレグロに向かって片目を瞑った。