第三章 本当のこと(一)
場所はパッサカリア城。
アレグロと名乗った少女と話をした部屋で、フィーネはメーノからの報告を受けていた。
「――そう、お仲間の前で魔術を使ったのぉ。ご苦労様ぁ、メーノ」
フィーネに労いの言葉をかけられても、メーノは相変わらずの無表情でかくりと頷くだけだった。
アレグロに魔物を嗾けたメーノだが、彼女の抹殺が目的だったわけではない。彼女に、「仲間」の前で魔術を使わせることが狙いだったのだ。
アレグロの居場所を自身の手で失わせるために。
そうして絶望した彼女がこちら側に来ることを、フィーネは期待している。
アレグロのもとへ送り込んだラルゴも、メーノが用意した「魔物」だった。
アレグロのことを大切に思っている人の前で、彼女に魔術を使わせる。そのためだけに生まれた魔物。
「あとは、あの子が戻ってきてくれるのを待つだけねぇ」
フィーネは目を細めて穏やかに微笑んだ。
♪ ♪ ♪
辺りはすっかり薄暗くなり、人々も早々に家路についていた。「王国の近くの河で蔦の魔物が出た」という話が広がり始めてから、人々は夜に出歩くことを避けるようになったのだ。
家々の明かりが道に漏れ出ている中を、アレグロとアルトはシェントを支えながら歩いていた。互いに一言も交わさずに。
やっとの思いで辿り着いた部屋の扉を開けると、帰りが遅くて心配したのかカノンが飛び出してきた。その顔が一瞬にして真っ青になる。
「シェント!?」
「なにがあったんだい?」
二人に抱えられるようにして連れてこられたシェントを見て、テナーが彼にしては厳しい声音で尋ねる。二人はすぐには答えられなかった。
アレグロ以外の三人でシェントをベッドに寝かせた。アレグロは扉近くに突っ立ったまま動かなかった。
カノンは荷物の中から薬箱を引っ張り出し、傷の手当てを始める。
「あ、あの……魔族に……」
アルトが恐る恐るといったふうに口を開く。
途端、アレグロが部屋を飛び出した。
「アレグロちゃん!?」
「あ……アレグロさんも、魔族だったんです……!」
シェントの怪我。ラルゴの変異。初めて目にした「魔術」らしき技。
アルトの頭は混乱していた。目にしたものに現実味がなさすぎて、話の整理ができそうにない。
アルトは歯を食いしばって俯いた。それでも嗚咽は洩れる。これ以上言葉は続かなかった。
カノンが治療の手を止め、愕然とアルトを振り返る。
「どういうこと……? アレグロ、そんなこと一言も……」
アレグロも魔族を探していたはずだ。かつての仲間を殺害した仇として。
それなのに、彼女自身が魔族だとは。いったいどういうことか。
――カノンは何かを決意したように、キッとテナーを睨んだ。
「えっ、僕?」
「シェントをお願い!」
部屋を出ようとするカノンに、アルトが声をかける。
「アレグロさんを追うんですか!? 危ないからあれ、持っていったほうが……」
アルトの視線の先にはカノンの弓矢がある。カノンはそれを掴むと、緊張した面持ちで外へ駆けていった。
「――今のは、どっちなんだい?」
「え?」
「『危ないから』って、魔獣や魔物に遭遇するかもしれないから? それとも……アレグロちゃん?」
「あ……」
アルトは衝撃を受けた。
いつの間にか、魔族であるアレグロを敵と見なしている。
彼女はここまで自分を護ってくれたというのに。
彼女が魔術を使ったのは、シェントを守るためだったのに。
「そうだ、魔物がまた出たら――」
テナーに指摘され、アルトはその危険性を思い出した。
「僕、二人を連れ戻してきます!」
たとえ魔の驚異がなくとも、このような夜に少女二人で出歩くなど危険だ。
アルトは一度鞘から剣を抜いて精神統一すると、カノンの後を追うように部屋を出ていった。
「……シェント君も、女の子にしてもらったほうが嬉しいだろうなあ」
残されたテナーはぼやきながらシェントの手当てをしていた。
♪ ♪ ♪
「待ってよアレグロ……!」
雑木林に逃げ込んだアレグロのあとを、カノンはひたすら追い続けていた。体力は尽きた。もはや執念で動いている。
撒くのが面倒になったのか、アレグロが足を止めてカノンに向き直った。
「……その弓矢はなんだ? 私を攻撃するつもりか?」
「場合によっては、そうよ」
カノンは精一杯の虚勢を張ってみせた。
「どうしてシェントはあんな大怪我したの? アレグロが魔族だってことと関係あるの!?」
アレグロが息を呑んだ。そして、カノンの目を見て言った。
「たしかに、私のせいだ」
「――っ!」
カノンは衝動的に矢を番えそうになった。だが、相手は魔族だ。敵う相手には思えない。
カノンはアレグロが魔術を使ったところを目撃していない。だから、彼女がどのような魔獣を使うかわからなかった。
知らない事は恐ろしい。
そもそも、なぜ知らないのか?
アレグロが今まで黙っていたせいで――
(――そうだ、私は)
カノンは胸にもやもやとしたものを感じながら、それを払拭するかのように叫んだ。
「魔族だってこと、どうして話してくれなかったの!?」
「話したら私を憎むだろう!? 私は魔族なのだから! おまえの故郷を襲ったやつと同じなのだぞ?」
憎むかと問われ、カノンはすぐには答えられなかった。
(だって……全部仕方のないことだと思ってた)
カントリアが魔物に襲われたこと。自分がリエに刺されそうになったこと。そのせいでカントリアを出るはめになったこと。
すべて仕方のないことだと、カノンは自分に言い聞かせてきたのだ。
本当は悔しかったというのに。
――そうだ。自分は今、悔しいのだ。
「私がどうして怒っているかわかる? アレグロが今まで黙っていたからよ。なぜだかわからないけど、それが悔しいの……!」
もう滅茶苦茶だ。自分でも何を言っているのかわからない。ただ、感情をここまで露わにしたのは久々だった。
実のところ、アレグロがシェントを攻撃したのではないかと疑って彼女を追ってきたのだ。だが、ここまでの旅路を思い出してそれはないと考えを改めた。
アレグロは、始めこそ反対していたが自分を仲間に入れてくれたではないか。反対したのだって自分の身を案じてくれたからだ。そのときの優しかった彼女を信じよう――
その矢先。
「え……」
アレグロが刀を抜き、カノンに迫ってきた。
呆けていても悲鳴はすぐに出た。
「いやぁ――っ!」
「屈め!」
とっさにカノンはアレグロの言葉に従ってしまった。その場でさっと膝を折る。
アレグロはカノンの上を跳躍して通りすぎると、何かを切り捨てた。カノンはしゃがみ込んだまま恐々振り返ってそれを確認した。そこに横たわっていたのは、いつの間にか忍び寄ってきていたらしいカルカンドだった。
「……やっぱり、怖いんでしょう?」
その口調はいつもの彼女のものではなかった。
アレグロが寂しげな表情でカノンを振り返る。彼女は困ったように笑っていた。
「ちが……っ」
カノンは「違う」とはっきり否定できなかった。
自分を斬り殺しに来たのかと思ってしまったから。
「ごめんなさい」
アレグロは呟くと、再びカノンに背を向け走り出した。
「……どうしてっ」
自分は間違っていなかった。やはりアレグロは優しかったではないか。
一度は彼女に武器を向けようとした自分を、助けてくれたのだから。
――それなのに、私は。
彼女を信じようと決めたくせに、心のどこかではやはり彼女を恐れていた。
どうして自分は弱いのか。
どうして、もうこれ以上足が動かないのか。
「カノンさん……! 無事ですか!?」
それは聞き覚えのある声だった。
「アルト……」
カルカンドの死体――消えないということは魔獣のようだ――の向こう側から、アルトが駆け寄ってきた。
彼は転がるカルカンドをその目に捉え、泣き出しそうな、しかし穏やかな表情で言った。
「……アレグロさんが、助けてくれたんですね」
「それなのに、私は……っ!」
カノンは両手で顔を覆って泣き始めた。
――アレグロを追ったほうがいいだろうか。
アルトは一瞬迷ったが、泣いているカノンを放ってはおけなかった。いつまた魔獣が出るかもわからない。
「――カノンさん、ちゃんと話さなくてすみません」
座り込んでいるカノンの前にアルトは膝をついた。
「アレグロさんは、シェントさんを助けたんです。魔術を使って」
「……わかってるわ」
「え?」
「さっき、わかったの。アレグロは優しいままなんだって……」
――泣きつくカノンに肩を貸しながら、アルトは彼女を宿へ連れ帰った。




