第二章 魔族との邂逅(六)
王都パッサカリアを取り囲むように形成された町、そのさらに外側に生い茂る雑木林の中、アレグロは一人の少女と対峙していた。
その薄紫色の髪が風に揺れることはない。白っぽい瞳はときに蒼に、ときに薄紅に見えるが、そこには何の感情の色も浮かんでいない。
人ではない異質の存在。そして、カントリアに魔物を放った張本人。たしかフィーネは彼女をメーノと呼んでいた。
「アレグロ、待ってた」
そのメーノが唇を微かに震わせ、今にも消え入りそうな声で告げた。
アレグロは腰の刀に手をかける。
「また魔物を放つつもりか!?」
無言のまま佇むメーノ。その周囲の地面が隆起したかと思うと、数本の蔦が空へ向かって勢いよく伸びる。
「――っ!?」
おぞましく蠢く蔦を前に、アレグロの全身がぞわりと総毛立つ。弾かれるように抜刀すると同時に、蔦が一斉に襲いかかってくる。身体に触れられる前にそのすべてを斬り捨てれば、蔦は虹色の粒子となって宙を舞った。
虹の粒が降り注ぐ中をアレグロは駆け、メーノに斬りかかる。しかしメーノは宙空にふわりと浮かび、滑るように後退すると音もなく地面に降り立った。
「まだ。少し、待って」
いったい何のことか、とアレグロは眉を顰める。
すると、今の攻撃は小手調べだったとでも言うように。地面を突き破って現れたのは、先刻とは比べものにならない数の蔦だった。
「な――!?」
密集する大量の蔦は、さながらメーノを守る障壁のようだ。そびえ立つ緑の壁に圧倒され、アレグロは無意識に後ずさる。
一人で敵う相手ではない、と本能が警鐘を鳴らす。しかし退いてしまえば、目の前の魔族は再び魔物を使って町を襲うだろう。カントリアでの惨劇を繰り返すわけにはいかない――
この一瞬の逡巡が、命取りとなった。
緑の壁が瓦解し、蔦の一本一本が放たれた矢のようにアレグロに迫る。とっさに刀を振るうも捌ききれる量ではない。すぐに蔦が右腕に絡みつき、それを引き千切ろうとした左手も別の蔦に引っ張られた。そのままメーノに突っ込もうと地を蹴った足も、蔦の波に呑まれてしまう。
「あっ、ああ!?」
寄り集まって太くなった蔦に左右の腕が引き伸ばされる。両足は一つに束ねられ、足先が地面から離れた。
「くっ! 離、せ――あうっ!!」
足掻けば足掻くほど、かえって蔦の拘束がきつくなる。まるで無駄な抵抗を嘲笑うかのように。
「う……っ、ぐ、くぅ……」
骨が軋みそうなほど手足を強く締めつけられ、口から苦鳴が洩れる。右手から刀が滑り落ち、地面に突き刺さった。
痛みに耐えるべく目を固く閉じて歯を食い縛る。拳を強く握りこんで両腕を動かすも、蔦はびくともしない。
「来ると、思う?」
「……っ!?」
すぐ近くの声にハッと目を見開ければ、空中に浮揚したメーノが瞳を覗き込んできた。
しかしアレグロには脈絡のない問いを聞き返す余裕もない。返答がないことに業を煮やしたのか、蔦が手足を搾るようにギリギリと締めつけてくる。
「あ、ああああ……っ!!」
「――もう、いい」
メーノが呟くと、アレグロの首筋を一本の蔦がなぞった。
「や、ぁ――っ!」
びくんっ、と肩を震わせたアレグロは、首を竦め小さな抵抗を試みる。
しかし蔦は首にゆるゆると絡みつき、嬲るようにゆっくりと輪を小さくしていく。アレグロは必死になってもがいてみるが、蔦の拘束は無情にも弛まない。その間にも首に蔦がじわりと食い込んでいく。
「か、は……」
――絞め殺される!
風に揺れる灯火のようにアレグロの瞳が震える。
たしかに“あの日”以来ずっと死にたいと願っていた。
だが――
(や、だ……助けて……)
アレグロは祈るように強く目を瞑る。
――でも、いったい誰が助けてくれるというのだろう。リーダーも、グランも、ほかの皆も、もういない。〈アコルト〉の仲間は“あの日”、死んでしまった。
だから、自分も皆のところへ行きたかったというのに。
(死にたく……ない……っ)
「シェ……ン……」
首の絞めつけが強くなった。
〈アコルト〉の皆を失った後でも、助けてくれた人はいた。
カデンツァへ向かう船で、襲いくる蔦から。カントリアで、コルスの大群から。ルーエの闘技場で、カルカンドから。
そして、初めて出会ったときも――
「アレグロ――っ!!」
アレグロの身体がふいに浮いた。否、蔦の拘束が外れ、身体が地面に落ちていく。
「大丈夫か!?」
蔦を切り裂き、落ちゆく身体を受け止めてくれたのは――またしてもシェントだった。
「げほっ、ごほ」
絞め痕の残る首をさすりながらアレグロが咳き込む。
「アレグロお姉ちゃん……」
「無事ですか!?」
シェントをここまで導いてきたラルゴと、途中で合流したアルトが、アレグロの顔を心配そうに覗き込む。
「あいつが――っ!」
シェントは二人にアレグロを任せると、メーノを睨み据えた。
「――来た」
そのメーノがなおも無感情に言う。同時に、地面から出現した蔦の束がシェントを襲った。
「シェントお兄ちゃ……っ!」
彼を助けようと思ったのか。ラルゴがアレグロの傍を離れ、シェントのほうへと向かう。
「ラルゴ!?」
シェントはすでに蔦を避けていた。
だが、蔦の狙う先にラルゴが走ってくる。すぐには止まれなかったのだろう。
「くそっ!」
とっさに屈み込み、ラルゴを抱きしめるシェント。
その脇腹を蔦が掠め、直後に灼熱の痛みが走った。
「ぐ……っ、あ!」
シェントはがくりと膝を折り、そのままラルゴにもたれかかった。
蔦に貫かれはしなかったが、脇腹を抉られた感触があった。一瞬にして額に脂汗が浮かぶ。
右手で傷を抑えるも、血はまったく止まりそうにない。右手はすぐに紅く染まった。
その場に座り込んでしまったアルトを置いて、アレグロは二人のもとへ駆けた。
「シェント!」
アレグロはシェントを守るように抱きしめると、メーノのほうを睨みつけた。
「ラルゴ、どうして?」
問うたのはメーノである。
「……もう、いらない」
いつにも増して感情のない声で言うメーノ。
ラルゴはびくりと肩を震わせ、そして。
「ああああああああ!?」
頭の先。指先。足元。
ラルゴのありとあらゆるところから、ぞろぞろと蔦が生えてくる。
――否、ラルゴの身体が解れていっているのだ。まるで毛糸玉から糸を引っ張るように。
「――っ」
あまりに凄惨な光景を前に、メーノ以外の表情が凍った。




