第二章 魔族との邂逅(四)
「それで、その子を連れ帰ってきたわけか」
「…………」
見知らぬ男の子を連れて部屋に戻ってきたアレグロに、シェントは珍しく呆れたような声で言った。彼の前ではアレグロがその身を小さくさせている。後ろには薄青の髪の男の子が隠れていた。
「犬や猫じゃないんだから……」
「だから連れてきたのだが」
屁理屈を言っているわけではなく、アレグロは心の底から不思議そうな顔をした。
たしかに、迷子の子どもがいたら放ってはおけないだろうが――だからといって旅をしている今、宿に連れて帰ってくるとは。子どもを守りながらの旅は荷が重すぎる。まずもって無理だ。
「まあまあ。その子は『迷子じゃない』と言ってても、実際はどうかわからないよー? 僕たち、しばらくここにいるんでしょ? その間に帰るところを探してあげればいいじゃない」
穏やかな口調で助け船を出すテナー。
カノンの額に濡れた布を乗せていたアルトも、はらはらとした表情で事の経緯を見守っていた。
「……ま、俺もここでちょっと稼ぐつもりだったし。しばらくは滞在することになると思ってたから。その間だったらいいんじゃないかな」
アルトがどうやって事の真相を確めるつもりなのか聞いていないが、カノンも熱を出してしまった以上、すぐにここを発つことはないだろう。そう踏んだシェントはこれを機に仕事をするつもりでいたのだ。
アレグロはなおも気まずそうにしていたが、「ありがとう」と頭を下げた。
「よかったですね!」
アルトもまるで自分のことのように笑みを溢す。
「そういえば、その子の名前は?」
シェントがアレグロに問う。すると、まるで彼女を庇うかのように男の子が前に出てきた。アレグロをいじめる悪者のように思われたのでは、とシェントは項垂れる。
「……ラルゴ」
「ん、ラルゴか。お母さんを見つけるまで、よろしくな」
「いないよ」
「ああ、お父さんのほうかな?」
それとも祖父母と暮らしていたのか? と独りごちるシェント。
ラルゴがもう一度だけ「いないよ」と呟いたが、誰にも聞こえていなかった。
♪ ♪ ♪
ラルゴを保護してから五日後の夕刻。
「仕事」を終えたシェントは宿の近くの酒場に来ていた。
「あ、シェントお兄ちゃん」
そこにはラルゴとアレグロの姿があった。ラルゴはオレンジジュースが入ったグラスを両手で握っている。
ラルゴがここにいるということは、今日も彼の保護者は見つからなかったということだ。実際、シェントと目が合ったアレグロは首を横に振った。
「みんなお揃いだねー」
ひらひらと手を振りながら近づいてきたのはテナーだ。彼はアルトとカノンを連れていた。一昨日まで風邪で寝ていたカノンだが、すっかり元気になっていた。
広いテーブルへ移動し、六人で夕食をとる。場は賑やかで、抱えている悩みや不安も薄らいでいく。いや、それらから目を逸らすために、無理に明るく振る舞っているのかもしれなかった。
「シェント君は、お仕事どうだったー?」
「今日は一匹も見つからなかったよ」
ふて腐れたように答えるシェント。
彼は滞在中、近くの雑木林で魔獣を狩ることにしたのだ。「魔物」の噂が立つようになってからは雑木林に足を踏み入れる者も減り、魔獣の毛皮や牙の流通量が少なくなっているらしい。つまり狩ってしまえばある程度の金額になるのだが、そもそも遭遇できなければ狩れない。あまり割のいい仕事とは言えなかった。
一方のテナーは、あちこちの酒場や広場で弾き語りをして稼いでいるそうだ。吟遊詩人にでもなれるんじゃないかとシェントは思った。
「それで、アルトは? 例の噂については何かわかったか?」
シェントは声を潜めてアルトに聞いた。
アルトはアルトで噂の真相を確かめようと躍起になっていた。昨日からはカノンと共に王都の内外を周っているそうだ。
「それが、あの女の子については何も……」
アルトが肩を落とす。
彼が言っているのは、空に浮遊していた魔族と思しき女の子のことだ。薄紫という珍しい髪色をしているというのに、彼女の姿に見覚えがある人間は王都の内外にいなかった。
「……魔族って、本当にいたんですね」
アルトが何度目かわからない言葉を呟く。
「ただ、興味深い話は聞けました。この国の女王は未来が見えるそうです」
「どういうことだ、それ」
シェントは持っていたグラスを置いた。ちなみにラルゴ以外、グラスの中は酒である。
飲み慣れていないのか酒を少しずつ口に含んでいたカノンが、話を引き継いだ。
「予知能力があるんだって。その力のおかげで、ゼウパルラが襲われたときもすぐ援軍を送ることができたそうよ」
「だから、『魔物を使って周辺諸国を襲撃している』という噂に関しては、噂に過ぎないそうです……」
「予知ができるって、それこそ魔族みたいだねぇ」
酒のせいか、いつにもまして朗らかに言うテナー。
大皿からラルゴの分の食べ物を取り分けていたアレグロが、『魔族』という言葉にぴくりと反応した。だが、特に何も言わなかった。
「過去にも予言者と呼ばれた人たちはいるぞ」と口を挟むシェント。
「彼らが魔族なのかと言われれば、人や時代によって見解はわかれてるけど。ただ、その力で国を動かしていた為政者もいる。
まあ……たとえ同じ魔族だったとしても、魔物を使役して国を襲ってるやつよりはよっぽど印象はいいだろうな」
話しながら、ふとシェントは四人の顔を眺めた。
噂の真相がわかれば、アルトはグラツィオーソ王国へ戻るだろう。そうなれば自分も護衛として付いていかなければならない。
天涯孤独となってしまったカノンも、慣れない土地よりは祖国で住むところを探すだろう。
昔から自由気ままに旅をしていたテナーについては、どこへ行くか知らないが。
そして、アレグロは。
魔族を――〈アコルト〉を壊滅に追いやった仇を探している彼女は。
例の女の子を探すため、予言者が魔族か否か確かめるため、カデンツァに残るかもしれない。
別れの時は、着実に近づいてきている。
「――というかアルト酔ってねえか!? 顔真っ赤だぞ」
「酔っれましぇんよぉ」
「酔ってる人間は皆そう言うんだよ!」
先ほど話していたときは平気そうだったのに、いつのまにかアルトは軟体動物のようにぐでんぐでんになっていた。
「アルト、もう部屋に帰りましょ」
「僕も手伝うよ」
彼を支えるようにして立ち上がるカノンとテナー。
テナーは去り際、シェントに向かって片目を瞑っていた。
(二人きりにしてくれたわけね……)
シェントはアレグロのほうを見る。欲を言えば、自分たちの間にいるラルゴも連れていってほしかったが。彼はアレグロに懐いているようだから仕方ない。
そのラルゴがふいに尋ねてきた。
「――シェントお兄ちゃんは、アレグロお姉ちゃんのこと、好き?」
「ぐ……っ」
いつかのように咽せるところだった。
シェントは飲み物をテーブルに置き、ラルゴに向き合った。アレグロから目を逸らす形で。
「好きか嫌いかと言われたら、そりゃあ好きだよ。嫌いだったら一緒に旅してないぞ?」
子どもの言う「好き」だ、そこに恋愛感情は含まれていないだろう。
だけど――とシェントは思い直す。
ラルゴへの答えはこれで良くとも、アレグロにはすべてを伝えなければ。
自分が彼女を大切に想っていることも。
「――あのさ、アレグロ。話したいことがあるんだ」
シェントはアレグロに向き直り、一つ深呼吸してから続けた。
「明日の……夕方にでも、二人きりになれないかな? なるべく人の少ないところで」
アレグロは目を瞬かせながらも頷いた。




