第一章 カデンツァ王国へ(四)
「それで、何か策はあるのかい?」
テナーがマスクの下から大声で投げかけてきた。
「――海中から出てくるってことは、そこに本体か何かあるのか?」
シェントが独りごち、それを聞いたテナーが提案する。
「じゃあ、海に向かって〈雷〉を撃ってみようか」
「抽出呪文で?」
「基点となる僕が揺れているからね、船のせいで。ちょっと難しいかな」
テナーは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
それでも、科術を発動してもらえるだけありがたい。
「だったら、前衛は私とシェントが」
と、蔦に斬りかかりながらアレグロが叫んだ。
甲板には三人のほかに、数人の船乗りが出てきた。だが、彼らは魔物とシェントたちを交互に見たあと、「任せた」とでも言うように船室へ引っ込んでしまった。船が沈まないように舵をとってくれるのであれば、シェントも恨み言を言うつもりはない。
「トナン・テキア・レッチァヴィ・ヴァーチェ………」
呪文の詠唱を始めるテナー。
次から次に襲い来る蔦。
少なくともテナーの科術が発動されるまでは、なんとしてもこの場を乗り切らなければ。
「あれは……!」
シェントは斧槍を薙ぎながら驚愕の声を上げた。河に巨大な船が一隻浮かんでいて、速度を上げながらこちらに近づいてきている。
そして、風に翻っている旗には見覚えがあった。
彼らの目的地である国の旗を掲げている、その船は――
「カデンツァの船か!?」
「シェント、あそこ……!」
飛びかかってくる蔦を斬り落としていたアレグロが、声を震わせた。
彼女の視線はカデンツァの船の上、宙空に向けられている。
そこには、蔦が海中から襲ってくること以上に有り得ない光景があった。
「――っ!」
今度こそ言葉を失うシェント。
宙空には白いワンピースを着た女の子が一人、ふわりと浮遊していた。
人間にはできない芸当をやってのけている女の子に対し、シェントの口からとある言葉が洩れた。
「魔、族……?」
カデンツァの旗を掲げている船と。その後ろで宙に浮いている、魔族らしき女の子と。
『カデンツァには魔族がいる』
散々聞いた噂がシェントたちの脳裏を過る。
「!? アレグロ、危な――!」
空の女の子を呆然と眺めていたアレグロのもとに、一本の蔦が飛びかかる。
斧槍で仕留めようにも蔦の動きが速すぎる。
シェントは斧槍を放り投げ、アレグロを横から突き飛ばした。
「シェント!」
「――っとぉ!?」
蔦が脚に絡みつき、シェントの身体は宙へ浮く。
直後、凄まじい勢いで床に叩きつけられた。アレグロに投げられたときとは比べ物にならない力で。
「かはっ!」
背中を強かに打ちつけられ、床の上で丸くなるシェント。反動で頭も打ってしまい、一瞬目の前が真っ白になる。
「シェント、大丈夫――っ!?」
駆け寄ってきたアレグロがすぐさま蔦を斬った。蔦は腹立たしいほど綺麗な光となって消えていく。
「ああ、助かったよ」
「――っ! 私のほうこそ……」
アレグロは自分のせいで、と言いたかったのだろう。だが、シェントは彼女に自分を責めてほしくなかった。彼女を助けたのは自分の勝手だ。
「こういうときはお互いさまだ。それに、アレグロが無事で良か――うわっ!」
少々良い雰囲気だったというのに、またも蔦が二人を狙う。
シェントは斧槍を掴み取り、刀を構えるアレグロと背中合わせに立った。
もう一度宙空へ目をやるも、そこに女の子の姿はない。
使役者である魔族がいなくなったというのに、蔦はなおも海中から現れては派手に暴れていた。
一瞬、女の子を倒さなければ蔦も消えないのではないかと不安になったが、植物は植物で独立して動いているようだ。
斧槍を振るいながら、シェントは頭の片隅で思考を巡らせる。いったい彼女の狙いは何だったのか、と。
(人間を狙っているようでも、魔獣と違って殺意のようなものを感じられないんだよな……)
それに、仮に船を沈めることが目的なら、束になって襲いかかればいい。強度を増したそれは、簡単に船体に穴を穿つことができるだろう。
だが、蔦に統率のようなものは見られない。動物のような知能がないからと言ってしまえばそれまでだが。
下手の考え休むに似たり、だ。シェントは飛びかかってくる蔦を薙ぐことに再び集中した。
そのとき。
一点に留まって呪文を唱えていたテナーが、片腕をすっと上げた。揃えられた指先は海のほうを向いている。
科術発動の合図である。
「世界よ、我を赦したまえ――〈霹靂〉」
刹那、青天だと言うのに稲妻が走った。雷は一瞬にして海へ向かって落ちる。
ほぼ同時に、ジャッ! という鋭い音が響く。
際限なく現れていた蔦が音もなくその場に落ち、七色の粒子となって風に舞っていった。
「っはー……」
緊張の糸が切れ、シェントはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
その隣でアレグロが表情を硬くして言う。
「安心するのはまだ早い。この船、沈むのでは……?」
「たしかに、揺れが激しくなってるな」
船底に穴でも空けられたのか。戦闘しているときには気づけなかったが、船の横揺れが大きくなっている。
「じゃあ、あの船に乗せてもらおうよ。どうせカデンツァに向かっていたんでしょ?」
おもしろいことになってきたとでも言いたそうに、テナーが微笑んでみせた。
「どっちにしろ、あちらさんのほうから来てくれてるみたいだな。船乗りたちに言ってくるよ」
シェントは長く息を吐き出し、操縦室のほうへ向かった。
そうして、救助に来てくれたカデンツァ王国の船に乗り込んだのはいいのだが。
軍服を着た男に「大変だったな」と労いの言葉をかけられ、水を渡された。そのあとの記憶が少しばかり抜け落ちている――
目を覚ますと、シェントは冷たい床の上に横たわっていた。




