第二章 カデンツァ王国へ(三)
長かったように思える――実際は四、五日程度なのだが――船旅も、今日で最終日を迎えてカデンツァ王国へ到着する予定だった。
ようやく解放される、と青空の下で長く息を吐くシェント。まあ、最終日でも船酔いはする。数日間も乗っていたというのに、ほとんど船に慣れなかったのだ。
相変わらず甲板でぼうっと佇んでいたシェントの視界の端に、奇妙なものが映った。
(……蔦?)
初めは縄の切れ端が床に落ちているのかと思ったのだが、よく目を凝らしてみるとそれは植物のようだった。
乗り捨てられて朽ちた船でもないのになぜ? と思うと同時に、シェントの背を冷たいものが伝う。
蔦らしきそれが、遅々とした動きでシェントのほうへ迫ってきたのだ。
(ヤバい!)
反射的に後ろへ跳躍する。
直後、先までいたところに蔦が跳んできて突き刺さった。
「な――!?」
さらに不気味なことに――床にぶち当たった衝撃のせいか、その蔦は虹色の光となって霧散した。
「――っ!」
シェントは絶句した。
有り得ないことだ。
たしかに魔獣の定義には「生き物であること」というのも含まれるが、人を襲う植物など聞いたことがない。そもそも、海の中から蔦が生えてくるなど有り得ない。
普通では考えられないことだった。
海で魔物に遭遇するなど。
「船長――っ!」
操縦室へ向かおうと足を踏み出した刹那、船体を次の蔦が――それも数十本まとまって襲ってきた。
♪ ♪ ♪
「シェント、何があった!?」
床が割れる異音や船の揺れで気づいたのだろう。船室にいたアレグロが、三人を引き連れて甲板へ上がってきた。それぞれ得物を手にしている。
「……魔物だ!」
「――っ!?」
「どうしてですか!? だって、海は――」
愕然とした表情を浮かべ、悲鳴じみた声で叫ぶアルト。
「説明はあとだ! というか、俺もわからねえ――っと!?」
これが現実であることを、シェント以外の四人にも示すかのように。海中から現れた蔦が近くの床を強打した。
ギィッ、と木の床が悲鳴を上げる。この攻撃が続けば、いつ船体に穴が開いてもおかしくない。
蔦が船に絡みつくようなことがあれば、最悪、海に引きずり込まれるかもしれなかった。
「とりあえず叩けるだけ叩く。今はそれしかできないだろう」
アレグロが言い、鞘から刀を抜き放つ。
「そうだねぇ」
どこか呑気な口調で答えるも、テナーは持っていた鞄から科器を取り出し、てきぱきと組み立て始めた。
その科器は、シェントのような科術使いのそれとは違って武器の形をしていない。テナーが装着したのは一つのマスクだった。
顔全体を覆う、黒塗りのマスクである。額には黄色に輝く〈雷〉の科石がはめ込まれている。
片目の部分には大きな歯車のようなものがいくつか重なって付いていて、歯車を回すことで目標との距離を測れるようになっていた。
さらに特徴的なのは口の部分だ。まるで鳥の嘴のように大きく出っ張っている。この内側に、詠唱のための科石が取り付けられているのだ。
「わ、私も――」
戦いたい、と言いたかったカノンだが、蔦があまりにも細いせいで矢で貫ける気がしなかった。
そのことに気づいていたシェントは、カノンに船室に戻るよう言った。
「でも……」
肩を落とすカノン。もちろん、カノン自身も足手纏いになることはわかっているのだが――
その様子を、一人では心細いのだろう、とアルトは勘違いしたらしい。
「だったら、僕がカノンさんを守りますから――!」
あらん限りの声で言うアルトと、目を瞬かせるカノン。
「青春だねぇ」
「それ、どっかでも聞いたな――おおっと!」
お喋りの合間にも蔦は襲ってくる。
アルトとカノンは船室へ戻り、残った三人はそれぞれ臨戦態勢に入った。




